地獄の渡し守

板倉恭司

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ボリス編

フィオナとジェイク、皆を一喝する

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 リムラ地区は、ゴーダムの中でも特に治安が悪い場所である。昼間からゴブリンが徘徊し、その徘徊しているゴブリンを浮浪児たちが集団で襲う……そんな現象も珍しくない。
 そんな物騒な場所ではあるが、今はひっそりと静まりかえっていた。だが、それも当然だろう。トライブの最高権力者であるショウゲンが、たった三人の部下とともに、この地を訪れていたのだから。彼は大きな袋を担ぎ、鋭い表情で歩いて行く。
 さらに、ユーラックのリーダーであるグレンもいる。彼はひとりで、荒れ果てた町の中を歩いていた。
 やがて、両者は十字路にて相対する。その距離は、およそ十メートルほど。道を挟んで向かい合っている。
 周囲には人の気配があるが、顔を出す者はいない。これから何が始まるのかを、住民たちもわかっているのだ。両者の話し合いの結果如何では、ゴーダムに血の雨が降ることになる。皆、固唾を飲んで見守っていた。
 もっとも、そんな空気をまるで理解していない者たちもいた。

「ジェイク、あいつら何してんの?」

 十字路の側に建っている、二階建ての家……その窓から男たちを見下ろしながら、呑気な声で尋ねたのはフィオナである。
 それに対し、ジェイクは脱力しきった様子で答える。

「あいつらはみんな、街のお偉いさんだからな。いろいろと難しい話もあるんだろうよ。そんなことよりさ、早くパン食べようぜ。このフケイパン、美味そうだよ」

「そだね!」

 二人は、仲良くパンを食べ始めた。



 そんな二人とは真逆なのが、対峙しているショウゲンたちとグレンである。両者の間に漂う異様な空気は、ゆっくりと周囲を侵食し始める。まるで火薬庫のごとき雰囲気であった。
 そこで口火を切ったのは、ショウゲンたった。

「グレン……こんな状況にもかかわらず、来てくれたとは光栄だ。深く感謝している」

 そういうと、ショウゲンは軽く頭を下げる。次いで、ディンゴが口を開いた。

「今日も、取り巻きを連れていないのか。本当に大した度胸だな」

 彼の口調からは、緊張感がまるで感じられない。表情もリラックスしている。他の三人とは対照的だ。

「話し合いに来たんだからな。余計な奴はいらねえ。それよりも、さっさと本題に入ろうや」

 言いながら、グレンは彼らを見回した。その時、ビリーの表情が険しくなる。

「いいえ、ひとりではないようですね」

「はあ? 何を言って──」
 
 グレンは、言いかけた言葉を呑み込んだ。 
 いつから潜んでいたのだろうか……周囲の家屋から、次々と若者たちが現れる。そのほとんどに、グレンは見覚えがあった。間違いなくユーラックのメンバーだ。いずれも十代から二十代。短剣や棍棒といった得物を手に、好戦的な様子でショウゲンたちを見ている。
 すると、グレンの表情も変わった。

「てめえら、残ってろって言ったろうが。何しに来た?」

「兄貴、こんな奴ら信用すんなよ。油断すると殺られるぞ」

 言いながら、進み出て来たのはシドだ。白い顔に凶暴な表情を浮かべ、ショウゲンたちを睨みつけている。彼が歩くたび、腰から下げているナイフがガチャガチャと耳障りな音を立てた。
 だが、グレンが怒りを露にした。

「お前らはすっこんでろ! 話し合いは俺がやる!」
 
 シドたちを怒鳴りつけ、ショウゲンたちの方を向く。

「こいつらに手出しはさせねえ。だから、話の続きといこうや」

 その言葉に、ショウゲンは無言のまま頷いた。担いでいた袋の口を下に向ける。
 直後、袋の中から何かが転がり落ちる。小さめのスイカくらいの大きさの球体が数個、地面を転がった。ショウゲンは、その球体を軽く蹴飛ばす。
 球体はころころ転がり、グレンたちの足元で止まった。それが何であるか確認したとたん、彼らの顔が歪む。

「こいつは……」

 それは、塩漬けにされた人間の首であった。
 しかも、ひとつではない。立て続けに四個、グレンたちの足元へ次々と転がって行く……。

「お前らのシマでバカをしたクズ共は、俺たちの手で始末した」

 ショウゲンは、静かな口調で語った。
 一方、ユーラックのメンバーたちは、完全に呑まれていた。ほとんどの者が、殺しは経験済みだし死体も見慣れている。だが、今日いきなり塩漬けの首が出て来るとは思っていなかったのだ。唖然となりながら、地面に転がった首を見つめている。
 だが、怯まない者もいた。

「なるほど、さすが仕事が早いな。で、何が言いたいんだ? 俺たちに、これで勘弁してくださいとでも言いたいのか?」

 言いながら、グレンはショウゲンを睨みつける。彼も、ただのチンピラではない。仮にも、ユーラックという組織の頂点に立つ者なのだ。この程度で、ひよってはいられない。

「そうは言わん。だがな、こいつらのやったことが我らの総意でないことは知っておいてもらいたい」

 ショウゲンは落ち着いていた。だが、その落ち着きが怒りを誘発してしまうこともある。我に返ったシドが、ゆっくりと進み出て来た。

「おい、おっさんよう……しらばっくれてんじゃねえぞ! その前の件はどうすんだ! 俺はな、お前らの手下に襲われたんだぞ!」

 言いながら、シドはナイフを振る。その姿に、若者たちは勢いを取り戻した。再び得物を構え、じりじりと接近していく。ショウゲンたちを取り囲むように移動していた。
 ビリーは舌打ちし、腰の刀に手をかける。だが、ショウゲンがその手を押さえた。

「貴様らの目は、節穴なのか?」

 それは低い声だったが、シドの耳にははっきりと聞こえていた。たちまち、彼の表情が怒りで歪む。

「んだと! 殺すぞ──」

「人の話を聞け!」

 ショウゲンの一声は、場の空気を一瞬にして変化させる。ざわついていた者たちは、一斉に口を閉じた。
 そんな中、ショウゲンは重々しい口調で語り出す。

「俺たちが争ったら、得をするのは誰なのか……よく考えてみろ。ここでトライブとユーラックが戦争を始めたら、この街はどうなる! 誰が笑う! その程度の損得勘定も出来んバカ揃いなのか、貴様らは!?」

 そこで、ショウゲンは言葉を止めた。居並ぶユーラックの面々を、じっくりと見回す。
 静寂が、その場を支配していた。ショウゲンとて、伊達にトライブのリーダーという地位にいるのではない。血みどろの修羅場に直面し、死と隣合わせの局面を何度もくぐり抜けて来た。ユーラックの若者たちとは、しょせん格が違う。
 だが、そんな格などものともしない男がいた。

「街がどうなろうが、俺の知ったことか。なあショウゲンさんよう、戦争が嫌だって言うなら、俺とサシで勝負しろや!」

 吠えたのはシドだ。両手にナイフを持ち、凶暴な顔つきで前に進み出ようとする。だが、グレンが彼の腕を掴んだ。

「やめろバカ」

 言いながら、グレンは力任せに弟を下がらせる。シドは不満そうな顔をしながらも、兄には逆らわなかった。

「ショウゲン、あんたの言うことは正しいんだろうよ。だがな、人は理屈だけに従えるもんじゃねえ。こいつらを納得させるだけのものは必要だ」

 グレンの言葉に、ビリーがあからさまに不快そうな表情を浮かべる。

「ショウゲンさんがどれだけ譲歩しているか、あなた方はわかっていないようですね。何なら、僕があなたのお相手を──」

「ちょっと待ちなよ!」

 ビリーの言葉を遮り登場したのは、なんとフィオナだった。金色の長い髪を振り乱し、可愛らしい顔に怒りの表情を浮かべて進み出て来る。さすがのショウゲンたちも、この予想外の闖入者に戸惑っていた。
 一方、フィオナは立ち止まると、男たちを見回した。
 深く息を吸い込み、一気に解き放つ──

「いい加減にしてよ! あんたらバカなの!?」

 フィオナは、拳を振り上げ怒鳴る。居並ぶ男たちは、唖然となり何も言えなかった。目の前にいる女がどこの何者なのか、ほとんどの者が知らないのだ。
 しかしフィオナは、彼らの事情などお構いなしだ。

「ケンカなんかしてる場合じゃないでしょ! わかんないの!」

 彼女は、その場で地団駄を踏みながら怒鳴り散らす。その時になって、皆もようやく状況が飲み込めてきた。

「な、なんだてめえは!」

 ユーラックのメンバーのひとりが、肩をいからせて彼女に近づいていく。だが、そこに別の者が乱入してきた。

「おいおい、何してんだよう。フィオナに手ぇ出したら、お前ら全員泣かすぜ」

 とぼけた口調で言いながら、フィオナを守るように前に出て来たのはジェイクである。彼は、トライブとユーラックの面々をゆっくりと見回した。そうそうたる面子を前にしながら、恐れる様子もなく上を指さした。次に、その指を円を描くように回して見せる。

「お前ら、空見てみろ。今、何が起きているかをな」

 その言葉に、一同は視線を上に向けた。
 何もない。特に、普段と変わらない空が広がっているように見えた……いや、違う。

「あれ、煙か?」

 ひとりの若者が、呟くように言った。次の瞬間、その場にいた全員の顔が歪む。
 空に、黒煙が上がっていたのだ。それも、二カ所から……片方は、トライブの縄張り。もう片方は、ユーラックだ。

「こんな時に火事だと……てめえらの仕業か!」

 シドが吠え、ショウゲンを睨みつけた。すると、フィオナが拳を振り上げる。
 
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 火事なんだよ火事! 早く行ってあげなきゃ! あんたら、何のためにいるのさ! 街のみんなを守るためでしょ!」

 フィオナは拳をぶんぶん振り回しながら、皆に向かい怒鳴り散らす。その横では、ジェイクがうんうん頷いた。

「お前らよう、怒鳴りあってる暇あったら火事消しに行けよ。困ってる人がいっぱい出てるぞ」

 緊張感など微塵も感じられない、ジェイクのとぼけた声が響き渡った。
 だが、その声が皆の刺々しい雰囲気を和らげていく。トライブとユーラック、双方ともに戦意が消えていった。
 やがて、ショウゲンがくすりと笑う。

「奴らの言うことももっともだ。グレン、ここは休戦といこう。お互い、火事の対処をするのが先だ」

 ショウゲンの発した言葉に、グレンは頷いた。

「ああ、あんたの言う通りだな」

 直後、彼は部下たちの方を向いた。

「お前ら、何ボサッとしてやがるんだ! さっさと火消しに行けや! 怪我人がいたら助けてこい!」

 その声に、ユーラックの若者は血相を変えて走って行った。彼らの去っていく姿を見届けた後、グレンはフィオナとジェイクに頭を下げる。

「あんたら、迷惑かけちまったな。この借りは、いずれ返させてもらうからよ」

「わかったから、早く行けよ。頑張って、みんなを助けてくれよ」

 ジェイクの口調は、のんびりとしたものだった。グレンは苦笑し、ショウゲンたちの方を向く。

「続きは、また今度な」

「いいだろう」

 ショウゲンも頷いた。



 
 

 
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