彼女の依頼

板倉恭司

文字の大きさ
上 下
3 / 7

事情

しおりを挟む
 本山裕美モトヤマ ユミは、ごく普通の人生を歩んでいた。
 特筆すべき能力はなく、かといって特別に劣った部分もない。見た目も中身も、ごく平凡な人間である。平穏な人生を歩んでいき、二十年ほど前に結婚し、やがて子供が生まれる。
 裕美は、息子のヒロシには幸せになって欲しい……と願い、教育には力を入れていた。それ自体は、どこの家庭にも有りがちなことだ。 
 ただ彼女は、周囲の中流家庭よりほんの少し教育熱心だったかもしれない。やがて、息子を少し離れた地域の塾に通わせるようになった。自転車で二十分ほどかかるし、補習があれば終わるのは午後八時過ぎになる。もっとも、今の時代では有りがちな話だろう。電車で、遠くの地域の塾に通う子供もいる。
 裕美は塾の費用を捻出するため、週四回から五回ほど近所のスーパーにてパートに出ていた。これまた、有りがちな話ではある。
 ところが、博が十二歳になったある日、有りがちでは済まされない事態が起きてしまった。



 その日は、午後九時半になっても博は帰らなかった。普段なら、遅くとも九時には帰って来ているはずなのに。
 まさか、こんな時間に寄り道でもしているのだろうか。裕美は不安になった。この大事な時期に、おかしな連中と付き合っているのかもしれない。
 やがて十時を過ぎたため、彼女は塾に電話してみた。ところが、誰も電話に出ない。どうやら、塾は終わっているらしい。一体、何が起きたのだろうか。裕美は、警察に捜索願いを出す。
 そんな彼女が息子と再会できたのは、翌日になってからだった。

「本当に、見るのですか? 息子さんの遺体は、損壊が激しいです。見ない方がよろしいかと……」
 
 刑事は、そう言った。だが、裕美は遺体を見ることを希望した。 
 直後、彼女はその場に崩れ落ちる。号泣しながら、胃の中のものを全て戻していた。
 そこに寝かされていたのは、もはや人の姿をしていなかった。全身が無惨に焼けただれ、顔の見分けもつかないものだった。しかも、腕や足の形も変形していたのだ。
 刑事の話によれば、博の遺体が発見されたのは、塾から歩いて十分ほどの位置にある空き家だった。その敷地内で、夜中に何かが激しく燃えていた。近所の住民が消防署に連絡する。
 消防署員が駆けつけ、すぐに火を消し止める。だが、その正体が判明した時、全員が顔をしかめる。
 燃えていたのは、横たわる人間だった。しかも、大きさからして子供である。
 死体を調べた結果、全身の二十ヶ所の骨が砕けていた。付近にある角材で目茶苦茶に殴られ、焼かれる前に既に死亡していたのだ。
 さらに、死体のすぐ近くには塾の教材が無造作に放置されていた。ビリビリに破かれ切り裂かれていたが、名前の書かれた部分は残っていた。そのため、遺体が何者なのかスムーズに判別できたのである。
 また、目茶苦茶に壊されバラバラになった自転車も放置されていた。壊れた防犯ブザーも、近くに捨てられていた。裕美が持たせていたものであるが、息子を守る役には立たなかった。
 近所の人によると、防犯ブザーの音を聞いたような記憶があるという。さらに叫び声らしきものも。ただし、それはほんの一瞬のことであった。空き家は以前から不良少年の溜まり場となっていたため、今夜も奴らが騒いでいるな……その程度の認識でしかなかったのだ。そこで通報していれば、話は違っていたかもしれない。
 付近の小学生たちに聞いてみると、現場の空き家の庭を突っ切ると近道できる……と言っていた。彼らの間では、ショートカットのためのルートになっていたという。
 実際、塾から普通に道路を通り博の家に帰ろうとすると、この空き家を初めとする数軒の民家を大きく迂回しなくてはならない。結果、時間のロスが大きくなる。ところが、空き家の塀には大きな穴が空いており、自転車に乗ったままでも通り抜けられた。道路を通るより、空き家の庭を直進した方が時間を短縮できるのだ。
 博は、補習のため帰る時間が遅くなった。そのため、近道をするために空き家の庭を突っ切ろうとした。そこで運悪く、不良少年たちと遭遇してしまった……警察は、そう判断した。



 犯人は、すぐに逮捕された。付近にて、たびたび目撃されていた三人組の不良少年である。最初は全員が否認していたが、刑事の取り調べの前にすぐに自供する。

「俺たちが空き家の庭で話をしていたら、いきなりガキが自転車で入り込んで来て、挨拶もせずに通り過ぎようとした。塾なんか行ってて偉そうなガキだったからイラッときた。無理やり止めて話しかけたら、無視して行こうとしやがった。頭にきて首根っこ掴んだら、防犯ブザー鳴らしやがった。ムカついたから、ブザーぶっ壊した後でブン殴ってやった。そしたら叫び出したから、角材でボコボコに殴ったら死んじまった。だから、ジッポオイルかけて燃やしてやった」
 
 不良少年たちの供述である。罪の意識など、まるで感じられなかった。この事件の前にも、喧嘩や窃盗などでたびたび補導されていた。
 また彼らは、覚醒剤の常用者でもあった。特にリーダー格の少年は当時、覚醒剤の切れ目で異様なほど凶暴になっていたという。
 当然、裕美は厳罰を望んだ。だが、彼ら三人は十六歳だった。未成年であったため、五年から七年の不定期刑を言い渡される。



 事件は、それで終わりではなかった。さらなる不幸が裕美を襲う。

「博は、俺に言ってたんだよ! 本当は塾なんか行きたくないって! でも、お母さんがパートで塾のお金を出してるから……そう言って、いやいや塾に通ってたんだ! あの塾に行っていなければ、博は死ななかった! あいつが殺されたのは、お前のせいだ!」

 夫は、そう言って裕美を責め立てる。無茶苦茶な理屈だ。しかし、その言葉に反論することが出来なかった。
 ほどなくして、ふたりは離婚する。双方ともに、肉体的にも精神的にも限界に達していた。結婚生活を続けることなど不可能だった。
 何もかもかも失った彼女は、最初は自分を責め続けた。塾に行かせなければよかった、全ては私のせいなのだ……涙にくれる日々を過ごす。
 やがて涙が乾き、悲しみは復讐心へと転ずる。何もかも失った彼女は、心に誓った。博の命を奪ったクズ共は、今ものうのうと生きている。ならば、自分の手で始末しよう。
 博の将来のため貯金していた金で探偵を雇い、犯人全員の居場所と生活パターンを調べた。
 そして今日、犯人のリーダー格であった加藤隆弘カトウ タカヒロを殺すため、スタンガンと大型ナイフを用意した。人気ひとけのない駐車場で、不意を突いてスタンガンで気絶させる。意識を失ったら、大型ナイフで刺し殺す。それが彼女の計画だった。
 やがて、標的を確認すると同時にスタンガンを手にして、背後からそっと近づいていく。
 手が触れられるほどの距離まで接近し、加藤にスタンガンを押し当てる──
 
「いで!」

 加藤は、喚きながら倒れた。だが、裕美にとって想定外の事態が起きる。倒れた加藤は、凄まじい形相でこちらを向いたのだ。裕美の抱いていたイメージでは、スタンガンを押し当てればすぐに気絶すると思っていたのに。
 だが、現実にはスタンガンで気絶させるのは難しい。ほとんどが、激痛を与えるだけだ。その痛みで戦意を失わせるのが、スタンガンの主な目的である。加藤のような凶暴な男が相手の場合は、逆効果になることもあるのだ。

「ババア! 何しやがんだコラァ!」

 立ち上がり、吠える加藤。彼の体格は、裕美より遥かに大きい。その体格差は、理屈ではない威圧感を与える。裕美は、計算外の事態と激昂している加藤への恐怖から足がすくみ、思わず後ずさりしてしまう。
 その瞬間、加藤のパンチが飛んできた。裕美は、まともに顔面に喰らい膝から崩れ落ちる。弾みで、スタンガンが手から落ちてしまう。

「てめえは何なんだよ! 殺すぞ!」

 喚きながら、加藤は裕美を蹴飛ばす。だが、その言葉が裕美の記憶を呼び覚ました。
 息子の、無惨な姿を──

 このクズが、博をあんな姿に変えたんだ!
 絶対に殺してやる!

 倒れたところを蹴られながらも、彼女は反撃を試みる。必死で加藤に掴みかかろうとした。だが、喧嘩慣れしている上に体格差のある加藤を相手にしては、勝ち目はなかった。隆一がいなったら、裕美は息子の後を追うことになっていただろう。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

初夢はサンタクロース

阿沙🌷
BL
大きなオーディションに失敗した新人俳優・新崎迅人を恋人に持つ日曜脚本家の千尋崇彦は、クリスマス当日に新崎が倒れたと連絡を受ける。原因はただの過労であったが、それから彼に対してぎくしゃくしてしまって――。 「千尋さん、俺、あなたを目指しているんです。あなたの隣がいい。あなたの隣で胸を張っていられるように、ただ、そうなりたいだけだった……なのに」 顔はいいけれど頭がぽんこつ、ひたむきだけど周りが見えない年下攻め×おっとりしているけれど仕事はバリバリな多分天然(?)入りの年上受け 俳優×脚本家シリーズ(と勝手に名付けている)の、クリスマスから大晦日に至るまでの話、多分、そうなる予定!! ※年末までに終わらせられるか書いている本人が心配です。見切り発車で勢いとノリとクリスマスソングに乗せられて書き始めていますが、その、えっと……えへへ。まあその、私、やっぱり、年上受けのハートに年下攻めの青臭い暴走的情熱がガツーンとくる瞬間が最高に萌えるのでそういうこと(なんのこっちゃ)。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

処理中です...