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事件の真相
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「どうしても知りたいのかい? 真相を知れば、君は確実に後悔することになる。それでもいいのかい?」
ペドロの言葉は、刃物のように鋭いものだった。昭夫の胸に刺さり、一瞬ではあるが迷いが生じる。
この言葉は本当だろう。ペドロが何を考えているかなど、凡人にわかるはずがない。高木を殺した動機、そこには深い理由があるのかもしれない。あるいは、ただの気まぐれから殺したのかもしれない。この男は、子供が虫を潰す感覚で人を殺せる神経の持ち主だ。
もし、気まぐれで殺されたのだとしたら……あまりにも悲しい話である。だが、知らねばならなかった。
「はい」
固い表情で頷いた昭夫を見て、ペドロはニヤリと笑う。爽やかさなど欠片ほども感じさせない、不気味な笑みだった。
「それについて話すには……俺がなぜ、御手洗村を訪れたのかについて説明しなくてはならない。俺と高木氏とは、かつて一緒に仕事をした仲だった」
まだ、話は本題には入っていないはずだった。にもかかわらず、この時点で昭夫は衝撃を受けていた。まさか、ペドロと高木が顔見知りだったとは。改めて、高木という男が裏社会の住人であったことを思い知らされた。
一方、ペドロは語り続けている。
「その高木氏が、俺とコンタクトを取りたがっている……という話を聞いたのは半年ほど前からだ。正直、会いたくもなかったし、話す気もなかった。だが、彼はしつこく連絡してくる。そこで、村を訪れたのだ。俺を呼び出した理由を聞きたくてね。くだらん理由なら、二度と連絡して来ないよう殺すつもりだった」
我慢できなくなった昭夫は、思わず口を挟む。
「じゃ、じゃあ、そのために高木さんを殺したんですか?」
その時、ペドロがすっと右手を挙げた。
「話は最後まで聞くんだ。高木氏は、竹内徹氏が御手洗村を探していることに気づいていたらしい。さらに、怪しげな連中が村の周辺をうろついていることも知っていた。御手洗村が、平穏なコミュニティーとしての形を保てなくなるのは時間の問題だと判断していたようだ。そこで、この俺に依頼してきたんだよ。村人たちの生活を守って欲しい、とね」
昭夫は、さらなる衝撃により顔が歪んでいた。まさか、高木がそこまで先のことを考えていたとは。
だが、驚くのは早かった。核心はここからだったのだ。
「そこで、俺はこう答えた。報酬としてあなたの命をいただく、そうすれば依頼を引き受けるとね。しかも、前払いでだ」
「そ、そんな……」
それ以上、言葉が出なかった。もはや、この先の展開はわかっている。
高木は、何ということをしたのか……。
「彼は、それを承知した。だから、俺は高木氏の命を奪ったのさ。その時点で、契約は成立してしまった。俺は、たとえ無一文になろうと村人たちの生活を守らなくてはならなくなったわけだよ。まあ、よほどの贅沢をしない限り、彼ら全員が死ぬまでの生活を保障できるくらいの金は用意してある」
ペドロは、そこで言葉を切った。冷静な顔で、こちらの反応を見ている。
だが、昭夫は何も言えなかった。自分の知らないところで、高木は既に先を見据えた行動をしていたのだ。
それも、自らの命を代償にして──
ややあって、ペドロは再び語り出す。
「高木氏は立派だったよ。彼は俺を信じた。自分が死んだ後でも、俺なら必ず契約を果たすと信じていた。凡人には、絶対に出来ないことだよ。他人を信じることが出来る、それは強さの証だ」
その通りだ。自分には、とても真似できないだろう……と、昭夫は思った。ペドロが約束を守る男であることはわかっている。しかし、己の命を捨てる、という選択肢を飲めるだろうか。
自分には無理だ。
様々な思いが、昭夫の裡を駆け巡っていた。ペドロはというと、静かな口調で話を続けている。
「俺には、皆の生活を守る義務が出来てしまったわけだよ。最初は、竹内氏を殺せば何もかも終わると思っていた。だが、それは間違いだと君に教えられた。さらに、他にも御手洗村について探っている者たちがいることも知った。ならば、いっそ全員を移した方がいいのではないかと思ったわけだよ。誰も知らない場所で、過去を忘れ生活する……これなら、高木氏の意志にも叶うだろうしね」
その時になって、昭夫の頭はようやく働き出した。
今の話は、衝撃が強すぎた。このまま、何もせずペドロが立ち去るに任せたい気分だ。しかし、そんな訳にはいかなかった。まだ、聞かねばならないことがある。
「もうひとつ、聞きたいことがあります。構いませんか?」
「言ってみたまえ。ただし、必ず答えるとは限らないよ」
にこやかな表情で、ペドロは頷いた。昭夫は、ためらいながらも口を開く。
「あなたは、この状況をどう思いますか?」
「どういう意味だい?」
ペドロの目が、すっと細くなった。昭夫は怯み、質問を続けようか迷う。
だが、これもまた聞かなくてはならないことだ。この怪物が、どんな答えを出すのか知りたい。
「彼らは皆、守られた環境で暮らしています。現実から目を背け、夢を見続けているんですよ。外の世界を知らないまま、老いて死んでいくかもしれないんです……これで、いいんでしょうか?」
昭夫は、異様な興奮を覚えていた。これは、自身の全てを賭けた問いである。ペドロのような怪物にこそ、聞いて欲しいものだった。
さらに、昭夫は言葉を重ねていく。
「小さい頃に観たSF映画に、こんなのがありました。人間が皆、機械の中で眠っている。彼らは皆、好きな夢を見つつ機械に生命力を吸われていく……この島も、同じ状態ではありませんか?」
「その映画は、主人公が眠りから覚めて人類のために戦う……そんな内容だったね。なるほど、確かに似ているかもしれないな」
そう言って、ペドロはくすりと笑った。だが、昭夫は笑うことなど出来ない。この疑問は、御手洗村にいた時から、ずっと頭の片隅にあったことだった。
いつかは、高木と話し合おうと思っていた。だが、話す前に彼は死んでしまった。ならば、ペドロにぶつけるしかない。この怪物ならば、自分を納得させてくれる……そんな思いがあった。
ややあって、ペドロは口を開く。
「第一に、俺と高木氏の契約は村人たちの生活を守ることだった。ならば、彼の意思は尊重されなくてはならない」
そうかもしれない。だが、ここで暮らすことは、本当の意味で彼らを守ることになるのか? と言おうとした時だった。
「第二に、君の言う真実とは何だい?」
「えっ?」
戸惑う昭夫に、ペドロは静かな口調で語り出す。
「たとえば、健太くんの目には死んだ兄の姿が見えている。兄は動き、語りかけてくる。健太くんにとっては、それが真実だ。今は多様性を尊重する時代だと言われているそうだね。ならば、彼の真実もまた尊重されてしかるべきなのではないかな」
「それじゃ、現実はどうなるんです?」
戸惑いながらも言葉を返す昭夫に、ペドロはくすりと笑った。
「現実とは何だい? 君の目に見えているものだけが、唯一無二の現実である……そう言いたいのかい? それは、思い上がりもはなはだしいな。君は神じゃない」
そんなことを言われたのは初めてだった。現実とは何かという抽象的な問いに、昭夫はどうにか答えようとした。
だが、答えるより先にペドロが語っていく。
「先ほど君は、この島をSF映画における機械に支配された世界になぞらえた。だがね、その主人公は本当に目覚めているのかな。実は、機械の選択した夢を見ているだけなのかもしれないよ。自分が超人的な力を持つヒーローとなり、世界の人々を救う……そんな夢だよ」
言われてハッとなった。確かに、その通りなのだ。強大な悪の存在に支配される世界。超人的な能力に目覚める主人公。善と悪との戦い。
まさに、古典的な物語だ。少年時代、誰もが一度は心躍らせる冒険活劇……だが、現実は善や悪で簡単に割りきれるものではない。
呆然となっている昭夫だったが、話はまだ終わっていなかった。
「ひとつ言っておこう。高木和馬氏はかつて、犯罪者集団のボスだった。大勢の人間を、不幸のどん底に突き落としてきたんだよ。高木氏のせいで死んだ者も、少なからず存在した。これは、君も知っているだろう」
否定することの出来ない事実だ。
高木は、あまり深く語ることはなかった。だが、昔の彼が大勢の人間の屍を踏みつけて歩いていたことは間違いない。
だが、それが今の話と何の関係があるのだろう。昭夫は黙ったまま、ペドロの話に耳を傾けていた。
「確かに、高木氏は立派な人間だった。そのことを否定するつもりはない。しかし、彼が大勢の人間を不幸にしてきた罪人である事実もまた、変わるものではないよ」
そこで、ペドロは言葉を止める。昭夫の中に、自分の語った話が染み込んでいくのを待っているかのようだった。
少しの間を置き、再び語り出す。
「今の君になら、もう話してもいいだろう。岡田雄一氏は、かつて広域指定暴力団『士想会』の一員だった。若い頃は、武闘派として有名だったそうだよ。彼もまた、大勢の人間を不幸にしてきた。何人かの命を奪ってもいる」
聞いていた昭夫は、思わず顔を歪める。予想してはいたが、こうもはっきり言われるとショックが強い。
「もちろん、岡田結菜さんの身に起きたことは悲しむべきことだよ。許してはいけないことでもある。しかしね、雄一氏もまた大勢の人間を不幸にしてきた。その事実だけは変えられない」
そこで、昭夫はようやく口を開いた。
「どうすれば……どうすれば、罪を償えるんですか? 高木さんや岡田さんの犯した罪は、何をすれば許されるんですか?」
「それは、俺にはわからない。ただ、生き方の選択は出来る。高木氏は、村人たちの生活を守るため己の命を捨てた。雄一氏は、結菜さんのために一生を捧げる決意をした。彼らの生き方そのものは立派だ。だからといって、犯した罪が全て許されるのかい? 俺は、許されないと思うよ。少なくとも、被害者は絶対に許さないだろう。これもまた、君の言う現実なんだよ」
ペドロは、淡々とした口調で語っていく。昭夫は、彼が何を言いたいのか少しずつ掴めてきた気がしていた。
同時に、自分は何もわかっていなかったことも悟る──
「ひとつ、面白い話を聞かせよう。聖書にはね、こんなエピソードが載っている。ヤコブの家族が、とある町を訪れた。ところが、ヤコブの娘ディナは、町の権力者の息子に乱暴されてしまう。話を聞いたディナの兄であるシメオンとレビは激怒し、町の男を皆殺しにしてしまった」
「あなたは、何が言いたいんです?」
思わず口を挟んだ昭夫だったが、この話が何に繋がるかは、何となく想像できていた。
「復讐というのは、必ずエスカレートする。目には目を、歯には歯を……では済まないんだよ。一回殴られたから、一回殴り返す。そんなことは、まずありえない。一回殴られた者は、俺は何もしてないのに相手が先に殴ってきたから……という理由で、二回殴る。二回殴られた方は、俺は一回しか殴ってないのに……と憤り、三回殴る。それも、現実だ」
ペドロの口から語られる話は、昭夫の心を浸蝕していく。
「先ほど引用した聖書のエピソードは、人間の血生臭い本性について書いているのだと俺は解釈している。だからこそ、法律が必要なんだよ。法律で、きちんと管理されなくてはならない。人間の感情、特に正義感は必ず暴走する。被害者感情のみを重視していたら、目は目を、では済まないことになるんだよ。さらに困るのは、無関係な人間が正義の名の下に攻撃してくることだ」
聞きながら、昭夫は以前に見たネットの書き込みを思い出していた。かつて罪を犯した者に対し、法による裁きは甘すぎるから徹底的に攻撃すべき……と主張し、実名や住所まで晒していたのだ。これはやり過ぎだ、と眉をひそめたのを覚えている。
だが、直後の言葉は昭夫の胸を打った──
「君とて、結菜さんをこんな目に遭わせた犯人を殺してやりたい、と言った。だがね、人殺しは法的にも倫理的にも、間違いなく悪だ。付け加えるなら、君に犯人を裁く権利はないよ。それは傲慢というものだ」
そうなのだ。
あの時、ペドロの前で怒りに任せ、殺してやりたいという言葉を口にした。だが、自分にそんな権利はないのだ。法治国家に住んでいる以上、それは許されない。個人的感情による裁きは、必ず暴走するからだ。
衝撃を受け、何も言えない昭夫。だが、ペドロの言葉は続く。
「俺の生まれ育った町では、食べる物がなく飢えを紛らわせるために工業用のシンナーを吸っていた子供がいた。自分の子供を、泣き声がうるさいという理由で殴り殺した薬物依存の母親もいた。これもまた、君の言う現実なんだよ。だがね、大半の人間はそこから目を逸らして生きている。都合の悪い部分からは目を逸らし、見ないようにして暮らしている」
あまりにひどい話に、昭夫は思わず顔を歪める。
これは本当の話なのだろう。この怪物は、子供が虫の足をちぎるような感覚で人を殺す。だが、つまらない嘘はつかない。
ペドロは、そんな環境の中で成長してきたのだ。ある意味、人間の本性を知り尽くしている。
「ほとんどの人間は、知りたくもない情報から目を逸らしている。この島の住人と、何が違うんだい?」
違う、と言おうとした。だが言えなかった。ペドロの言葉は間違っていない。ほとんどの人間は、結局のところ見たいものを見ている。聞きたいものを聞いている。
そして、何も知らぬまま死んでいく──
「わかったかい。君の言う現実もまた、健太くんの見ているイマジナリーフレンドと大した違いはないのさ。はっきり言えば、大多数の人間は自分の意思など持っていないんだよ。常識と呼ばれるものを盲信し、ネットなどに己の欲望をコントロールされ、そのために自分の時間の大半を消費している。見たいものだけを見て、見たくないものは拒絶している。そんな者たちの住む世界に、皆を戻そうというのかい? 彼らを、再び好奇の目に晒そうというのかい?」
そこで、昭夫はようやく口を開く。
正直、もう充分である。あまりに重い話を聞かされ、強い疲労感すら覚えていた。ここで終わりにしたかった。
だが、まだひとつ残っている。
「もうひとつだけ、教えてください。あなたは、これからどうするんですか?」
ペドロの言葉は、刃物のように鋭いものだった。昭夫の胸に刺さり、一瞬ではあるが迷いが生じる。
この言葉は本当だろう。ペドロが何を考えているかなど、凡人にわかるはずがない。高木を殺した動機、そこには深い理由があるのかもしれない。あるいは、ただの気まぐれから殺したのかもしれない。この男は、子供が虫を潰す感覚で人を殺せる神経の持ち主だ。
もし、気まぐれで殺されたのだとしたら……あまりにも悲しい話である。だが、知らねばならなかった。
「はい」
固い表情で頷いた昭夫を見て、ペドロはニヤリと笑う。爽やかさなど欠片ほども感じさせない、不気味な笑みだった。
「それについて話すには……俺がなぜ、御手洗村を訪れたのかについて説明しなくてはならない。俺と高木氏とは、かつて一緒に仕事をした仲だった」
まだ、話は本題には入っていないはずだった。にもかかわらず、この時点で昭夫は衝撃を受けていた。まさか、ペドロと高木が顔見知りだったとは。改めて、高木という男が裏社会の住人であったことを思い知らされた。
一方、ペドロは語り続けている。
「その高木氏が、俺とコンタクトを取りたがっている……という話を聞いたのは半年ほど前からだ。正直、会いたくもなかったし、話す気もなかった。だが、彼はしつこく連絡してくる。そこで、村を訪れたのだ。俺を呼び出した理由を聞きたくてね。くだらん理由なら、二度と連絡して来ないよう殺すつもりだった」
我慢できなくなった昭夫は、思わず口を挟む。
「じゃ、じゃあ、そのために高木さんを殺したんですか?」
その時、ペドロがすっと右手を挙げた。
「話は最後まで聞くんだ。高木氏は、竹内徹氏が御手洗村を探していることに気づいていたらしい。さらに、怪しげな連中が村の周辺をうろついていることも知っていた。御手洗村が、平穏なコミュニティーとしての形を保てなくなるのは時間の問題だと判断していたようだ。そこで、この俺に依頼してきたんだよ。村人たちの生活を守って欲しい、とね」
昭夫は、さらなる衝撃により顔が歪んでいた。まさか、高木がそこまで先のことを考えていたとは。
だが、驚くのは早かった。核心はここからだったのだ。
「そこで、俺はこう答えた。報酬としてあなたの命をいただく、そうすれば依頼を引き受けるとね。しかも、前払いでだ」
「そ、そんな……」
それ以上、言葉が出なかった。もはや、この先の展開はわかっている。
高木は、何ということをしたのか……。
「彼は、それを承知した。だから、俺は高木氏の命を奪ったのさ。その時点で、契約は成立してしまった。俺は、たとえ無一文になろうと村人たちの生活を守らなくてはならなくなったわけだよ。まあ、よほどの贅沢をしない限り、彼ら全員が死ぬまでの生活を保障できるくらいの金は用意してある」
ペドロは、そこで言葉を切った。冷静な顔で、こちらの反応を見ている。
だが、昭夫は何も言えなかった。自分の知らないところで、高木は既に先を見据えた行動をしていたのだ。
それも、自らの命を代償にして──
ややあって、ペドロは再び語り出す。
「高木氏は立派だったよ。彼は俺を信じた。自分が死んだ後でも、俺なら必ず契約を果たすと信じていた。凡人には、絶対に出来ないことだよ。他人を信じることが出来る、それは強さの証だ」
その通りだ。自分には、とても真似できないだろう……と、昭夫は思った。ペドロが約束を守る男であることはわかっている。しかし、己の命を捨てる、という選択肢を飲めるだろうか。
自分には無理だ。
様々な思いが、昭夫の裡を駆け巡っていた。ペドロはというと、静かな口調で話を続けている。
「俺には、皆の生活を守る義務が出来てしまったわけだよ。最初は、竹内氏を殺せば何もかも終わると思っていた。だが、それは間違いだと君に教えられた。さらに、他にも御手洗村について探っている者たちがいることも知った。ならば、いっそ全員を移した方がいいのではないかと思ったわけだよ。誰も知らない場所で、過去を忘れ生活する……これなら、高木氏の意志にも叶うだろうしね」
その時になって、昭夫の頭はようやく働き出した。
今の話は、衝撃が強すぎた。このまま、何もせずペドロが立ち去るに任せたい気分だ。しかし、そんな訳にはいかなかった。まだ、聞かねばならないことがある。
「もうひとつ、聞きたいことがあります。構いませんか?」
「言ってみたまえ。ただし、必ず答えるとは限らないよ」
にこやかな表情で、ペドロは頷いた。昭夫は、ためらいながらも口を開く。
「あなたは、この状況をどう思いますか?」
「どういう意味だい?」
ペドロの目が、すっと細くなった。昭夫は怯み、質問を続けようか迷う。
だが、これもまた聞かなくてはならないことだ。この怪物が、どんな答えを出すのか知りたい。
「彼らは皆、守られた環境で暮らしています。現実から目を背け、夢を見続けているんですよ。外の世界を知らないまま、老いて死んでいくかもしれないんです……これで、いいんでしょうか?」
昭夫は、異様な興奮を覚えていた。これは、自身の全てを賭けた問いである。ペドロのような怪物にこそ、聞いて欲しいものだった。
さらに、昭夫は言葉を重ねていく。
「小さい頃に観たSF映画に、こんなのがありました。人間が皆、機械の中で眠っている。彼らは皆、好きな夢を見つつ機械に生命力を吸われていく……この島も、同じ状態ではありませんか?」
「その映画は、主人公が眠りから覚めて人類のために戦う……そんな内容だったね。なるほど、確かに似ているかもしれないな」
そう言って、ペドロはくすりと笑った。だが、昭夫は笑うことなど出来ない。この疑問は、御手洗村にいた時から、ずっと頭の片隅にあったことだった。
いつかは、高木と話し合おうと思っていた。だが、話す前に彼は死んでしまった。ならば、ペドロにぶつけるしかない。この怪物ならば、自分を納得させてくれる……そんな思いがあった。
ややあって、ペドロは口を開く。
「第一に、俺と高木氏の契約は村人たちの生活を守ることだった。ならば、彼の意思は尊重されなくてはならない」
そうかもしれない。だが、ここで暮らすことは、本当の意味で彼らを守ることになるのか? と言おうとした時だった。
「第二に、君の言う真実とは何だい?」
「えっ?」
戸惑う昭夫に、ペドロは静かな口調で語り出す。
「たとえば、健太くんの目には死んだ兄の姿が見えている。兄は動き、語りかけてくる。健太くんにとっては、それが真実だ。今は多様性を尊重する時代だと言われているそうだね。ならば、彼の真実もまた尊重されてしかるべきなのではないかな」
「それじゃ、現実はどうなるんです?」
戸惑いながらも言葉を返す昭夫に、ペドロはくすりと笑った。
「現実とは何だい? 君の目に見えているものだけが、唯一無二の現実である……そう言いたいのかい? それは、思い上がりもはなはだしいな。君は神じゃない」
そんなことを言われたのは初めてだった。現実とは何かという抽象的な問いに、昭夫はどうにか答えようとした。
だが、答えるより先にペドロが語っていく。
「先ほど君は、この島をSF映画における機械に支配された世界になぞらえた。だがね、その主人公は本当に目覚めているのかな。実は、機械の選択した夢を見ているだけなのかもしれないよ。自分が超人的な力を持つヒーローとなり、世界の人々を救う……そんな夢だよ」
言われてハッとなった。確かに、その通りなのだ。強大な悪の存在に支配される世界。超人的な能力に目覚める主人公。善と悪との戦い。
まさに、古典的な物語だ。少年時代、誰もが一度は心躍らせる冒険活劇……だが、現実は善や悪で簡単に割りきれるものではない。
呆然となっている昭夫だったが、話はまだ終わっていなかった。
「ひとつ言っておこう。高木和馬氏はかつて、犯罪者集団のボスだった。大勢の人間を、不幸のどん底に突き落としてきたんだよ。高木氏のせいで死んだ者も、少なからず存在した。これは、君も知っているだろう」
否定することの出来ない事実だ。
高木は、あまり深く語ることはなかった。だが、昔の彼が大勢の人間の屍を踏みつけて歩いていたことは間違いない。
だが、それが今の話と何の関係があるのだろう。昭夫は黙ったまま、ペドロの話に耳を傾けていた。
「確かに、高木氏は立派な人間だった。そのことを否定するつもりはない。しかし、彼が大勢の人間を不幸にしてきた罪人である事実もまた、変わるものではないよ」
そこで、ペドロは言葉を止める。昭夫の中に、自分の語った話が染み込んでいくのを待っているかのようだった。
少しの間を置き、再び語り出す。
「今の君になら、もう話してもいいだろう。岡田雄一氏は、かつて広域指定暴力団『士想会』の一員だった。若い頃は、武闘派として有名だったそうだよ。彼もまた、大勢の人間を不幸にしてきた。何人かの命を奪ってもいる」
聞いていた昭夫は、思わず顔を歪める。予想してはいたが、こうもはっきり言われるとショックが強い。
「もちろん、岡田結菜さんの身に起きたことは悲しむべきことだよ。許してはいけないことでもある。しかしね、雄一氏もまた大勢の人間を不幸にしてきた。その事実だけは変えられない」
そこで、昭夫はようやく口を開いた。
「どうすれば……どうすれば、罪を償えるんですか? 高木さんや岡田さんの犯した罪は、何をすれば許されるんですか?」
「それは、俺にはわからない。ただ、生き方の選択は出来る。高木氏は、村人たちの生活を守るため己の命を捨てた。雄一氏は、結菜さんのために一生を捧げる決意をした。彼らの生き方そのものは立派だ。だからといって、犯した罪が全て許されるのかい? 俺は、許されないと思うよ。少なくとも、被害者は絶対に許さないだろう。これもまた、君の言う現実なんだよ」
ペドロは、淡々とした口調で語っていく。昭夫は、彼が何を言いたいのか少しずつ掴めてきた気がしていた。
同時に、自分は何もわかっていなかったことも悟る──
「ひとつ、面白い話を聞かせよう。聖書にはね、こんなエピソードが載っている。ヤコブの家族が、とある町を訪れた。ところが、ヤコブの娘ディナは、町の権力者の息子に乱暴されてしまう。話を聞いたディナの兄であるシメオンとレビは激怒し、町の男を皆殺しにしてしまった」
「あなたは、何が言いたいんです?」
思わず口を挟んだ昭夫だったが、この話が何に繋がるかは、何となく想像できていた。
「復讐というのは、必ずエスカレートする。目には目を、歯には歯を……では済まないんだよ。一回殴られたから、一回殴り返す。そんなことは、まずありえない。一回殴られた者は、俺は何もしてないのに相手が先に殴ってきたから……という理由で、二回殴る。二回殴られた方は、俺は一回しか殴ってないのに……と憤り、三回殴る。それも、現実だ」
ペドロの口から語られる話は、昭夫の心を浸蝕していく。
「先ほど引用した聖書のエピソードは、人間の血生臭い本性について書いているのだと俺は解釈している。だからこそ、法律が必要なんだよ。法律で、きちんと管理されなくてはならない。人間の感情、特に正義感は必ず暴走する。被害者感情のみを重視していたら、目は目を、では済まないことになるんだよ。さらに困るのは、無関係な人間が正義の名の下に攻撃してくることだ」
聞きながら、昭夫は以前に見たネットの書き込みを思い出していた。かつて罪を犯した者に対し、法による裁きは甘すぎるから徹底的に攻撃すべき……と主張し、実名や住所まで晒していたのだ。これはやり過ぎだ、と眉をひそめたのを覚えている。
だが、直後の言葉は昭夫の胸を打った──
「君とて、結菜さんをこんな目に遭わせた犯人を殺してやりたい、と言った。だがね、人殺しは法的にも倫理的にも、間違いなく悪だ。付け加えるなら、君に犯人を裁く権利はないよ。それは傲慢というものだ」
そうなのだ。
あの時、ペドロの前で怒りに任せ、殺してやりたいという言葉を口にした。だが、自分にそんな権利はないのだ。法治国家に住んでいる以上、それは許されない。個人的感情による裁きは、必ず暴走するからだ。
衝撃を受け、何も言えない昭夫。だが、ペドロの言葉は続く。
「俺の生まれ育った町では、食べる物がなく飢えを紛らわせるために工業用のシンナーを吸っていた子供がいた。自分の子供を、泣き声がうるさいという理由で殴り殺した薬物依存の母親もいた。これもまた、君の言う現実なんだよ。だがね、大半の人間はそこから目を逸らして生きている。都合の悪い部分からは目を逸らし、見ないようにして暮らしている」
あまりにひどい話に、昭夫は思わず顔を歪める。
これは本当の話なのだろう。この怪物は、子供が虫の足をちぎるような感覚で人を殺す。だが、つまらない嘘はつかない。
ペドロは、そんな環境の中で成長してきたのだ。ある意味、人間の本性を知り尽くしている。
「ほとんどの人間は、知りたくもない情報から目を逸らしている。この島の住人と、何が違うんだい?」
違う、と言おうとした。だが言えなかった。ペドロの言葉は間違っていない。ほとんどの人間は、結局のところ見たいものを見ている。聞きたいものを聞いている。
そして、何も知らぬまま死んでいく──
「わかったかい。君の言う現実もまた、健太くんの見ているイマジナリーフレンドと大した違いはないのさ。はっきり言えば、大多数の人間は自分の意思など持っていないんだよ。常識と呼ばれるものを盲信し、ネットなどに己の欲望をコントロールされ、そのために自分の時間の大半を消費している。見たいものだけを見て、見たくないものは拒絶している。そんな者たちの住む世界に、皆を戻そうというのかい? 彼らを、再び好奇の目に晒そうというのかい?」
そこで、昭夫はようやく口を開く。
正直、もう充分である。あまりに重い話を聞かされ、強い疲労感すら覚えていた。ここで終わりにしたかった。
だが、まだひとつ残っている。
「もうひとつだけ、教えてください。あなたは、これからどうするんですか?」
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