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変な少女と変な少年の交流
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御手洗村の西方向には、森林が広がっている。地形は入り組んでいて迷いやすい上、地面はでこぼこが多く歩きにくい。そのため、村人は入らないように高木和馬から言い渡されていた。
その立入禁止の森を、小さな女の子が歩いている。迷彩柄のTシャツに半ズボン姿だ。背中にはリュックを背負い、木々を避けつつ進んでいる。
まだ昼前だというのに、森の中は日の光が射さず薄暗い。普通の子供には、薄気味悪い場所として映っただろう。しかし、竹内可憐はこの程度で怯む少女ではない。
実のところ可憐は、この森の中をほぼ毎日探検している。少女の旺盛な好奇心は、簡単には止められないのだ。もっとも、今日の目的は探検ではない。彼女は、神妙な顔つきで歩いていく。
やがて、目指していた場所に到着した。可憐は、憂いを帯びた表情で辺りを見回す。いつもの溌剌とした様子はない。
やがて、その目があるものを捉えた。
彼女の視線の先には、一本の巨木がある。いや、本当は二本なのかもしれない。何せ、地面の根元から伸びた幹は二本なのだ。二本の木が伸びた先で交わり一本の巨木となり、さらに上へと伸びている。まるで、巨人の足のようだ。
しかも幹の途中で、二本の大きな枝が左右に伸びている。どちらの枝も、ほぼ同じ長さだ。さらに、幹の先端のみ葉が大量に生い茂っている。何とも奇妙な形である。
例えるなら、アフロヘアの巨人が大の字で立っているかのようである。可憐は、毎日この木を見に来ていた。
だが、今日で見納めである。
「今日でお別れだね。本当はね、お姉を連れて来て見せてあげたかったんだよ。木助、元気でね」
可憐は、そっと呟いた。木助とは、この巨木に付けた名前だ。いずれ、この場所に姉の杏奈を連れて来るつもりでいた。しかし、その夢は叶わなかった。
やがて可憐は、リュックを開けた。中から、ノートと色鉛筆を取り出す。真剣そのものの表情で、目の前の巨木をスケッチし始めた。
その時だった。がさりという音が聞こえ、可憐は振り向いた。直後、その表情が歪む。
「やあ、お嬢ちゃん。こんな森の中でお絵かきとは、洒落てるにゃ。君は、お洒落さんなのんな」
現れたのは桐山譲治であった。ヘラヘラ笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。
一方、可憐の表情は一気に暗くなった。桐山は小柄ではあるが、それでも少女から見れば充分に大きい。しかも、品行方正とは思えない風貌だ。ヘラヘラ笑っている態度もまた、子供から見れば怪しさ満点である。
少しの間を置き、可憐はがくっと肩を落とした。悲しげな表情で下を向く。
その様子を見て、桐山の動きが止まった。首を傾げる。
「ちょいちょいちょい、どないしたのん?」
距離を空けた状態で聞いた。だが、可憐は何も答えない。暗い表情で、じっと俯いている。
桐山の顔から、にやけた表情が消えた。頭をポリポリ掻く。
「あのさあのさあのさ、僕ちん怪しい者だけど変態じゃないよ。いや変態かもしんないけど、悪い変態じゃないよ。いや悪い変態かもしんないけどさ、君に悪さはしないよ」
その支離滅裂な発言に、可憐はようやく反応した。ふうと溜息を吐き、顔をあげる。
「あんた、父の手下でしょ」
ようやく口を開いた。生気の全く感じられない声だ。
「へっ? チチ? チチってこれ?」
対する譲治は、そんなセリフを真顔で言った。かと思うと、いきなり両方の手のひらで胸を抑える。両の乳房を隠すような仕種だ。見た可憐は、一瞬きょとんとなった。
数秒後、ぷっと吹き出す。
「そっちのチチじゃない。おとんの方の父」
「ああ、そっちかい。そうだよ、君の父の手下なのん」
答えた桐山を、可憐はじっと見上げた。
少しの間を置き、真面目な顔で口を開く。
「あんたにお願いしたいの。あたしは連れてっていいけど、お姉のことはほっといてあげて欲しいんだよ」
「へっ? どゆこと?」
聞き返す桐山に、可憐は悲しげな表情になった。
「帰ったら、お姉は父にイジメられるんだよ。お姉の背中には、火傷の跡がいっぱい付いてるの。みんな父がやったんだよ」
その瞬間、桐山の目つきが変わった。
「はあ? 何じゃそりゃあ?」
怒りのこもった声で尋ねた。しかし、可憐は気付かない。真剣な表情で、なおも訴え続ける。
「あたしが言うこと聞かないと、お姉が叱られるんだよ。だから、あたしは父と一緒におとなしく帰る。その代わり、お姉のことはほっといてあげて。お願いなんだよ」
すがるような目の少女を、桐山はじっと見下ろした。
ややあって、口を開く。
「その前にさ、君はあのでっかい木をスケッチしてるんじゃろ?」
言いながら、巨木を指さした。
「えっ? うん、そうだよ。木助の絵を描いて、お姉に見せてあげたかったんだけど」
「へっ? キスケ?」
「うん。あの木の名前」
「そっか。だったら、はよ描いちゃいなさい。俺は待っててあげるから」
言ったかと思うと、その場に腰を降ろした。体育座りの体勢で、巨木を眺めている。顔には、どこか悲しげな表情が浮かんでいた。
その態度の変わりように、可憐の方が面食らっていた。
「ど、どうして?」
「俺がそうしたいと思ったからなのん。さ、はよ描いちゃいなさい。まあ、ゆっくり描いてもいいけどにゃ。俺は待ってっから」
ニッコリ微笑む桐山を、可憐はじっと見つめる。
しばらくして、リュックに手を入れた。中から、水筒を取り出す。蓋を外すと、中に入っている飲み物を注いだ。
立ち上がり、桐山に近づいていく。
「これ飲む?」
言いながら、液体の入った蓋を差し出した。
「サンクスなのん」
桐山は、蓋を受け取る。と、中を見た途端に首を傾げた。
「えっ、何これ?」
「おしるこだよ。嫌いなの?」
「いんや、嫌いじゃないのん。甘いの大好き」
答えると、一気に飲み干した。ニコッと微笑み、蓋を返す。
「サンクス、美味しかったのん。君は、おしるこが好きなんかい?」
「うん、大好き。お姉が作ってくれたの」
「ふうん。変わってるにゃ」
「みんな、そう言ってた。おしるこを水筒に入れるのって、やっぱり変?」
「うん、変だにゃ。でも、俺は君のそういう変なとこ大好きなのん。だから、今のままの君でいて欲しいのんな」
言いながら、桐山は両手の人差し指を可憐に向ける。
可憐は、クスリと笑った。
「あんたも、かなり変なんだよ」
「そうそう、よく言われるのんな」
ウンウンと頷くと、桐山は再び可憐を指さした。
「ところで君は、お姉さんも好きなようだにゃ」
「うん、好き。お姉は、とっても優しいんだよ」
「実はにゃ、俺にも姉ちゃんがいたんよ」
「本当? どんなお姉ちゃん?」
目を輝かせて尋ねる可憐の前で、桐山は微笑みながら語り出した。
「とっても怖かったのんな。いたずらなんかすると、よくド突かれたのん。でも、俺がイジメっ子に泣かされてたら、助けに来てくれたこともあったんよ。イジメっ子を、バッチンバッチンぶっ叩いてくれたにゃ」
「へえ、強いんだね。今、何してんの?」
「死んじゃったのんな」
「えっ……」
途端に、可憐の表情が暗くなる。だが、桐山は気付かず語り続けた。
「ちょうど、俺が君くらいの歳ん時だったかにゃ。家族みんなで、海外旅行に行ったんよ。でっかい飛行機に乗ってさ、ブーンて飛んだのん」
言ったかと思うと、桐山は立ち上がった。両腕を飛行機の翼のように広げ、ブーンと声を出しながら走り出した。可憐の見ている前で、元気よく走り回る。
が、途中でバタリと倒れた。倒れた状態で、可憐の方を向く。
「その飛行機が、こんな感じで墜落したんよ。ウィーン、ガッシャーン! てなったね。あん時は、何が起きたかわからんかったのんな」
とんでもない大事故のはずだが、桐山は爽やかに語っている。もっとも、傍らで聞いている可憐は違う反応をしている。今にも泣き出しそうだった。
「んーでよう、気がついたらお父ちゃんもお母ちゃんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも死んでたのん。俺の頭にも、でっかい破片がぶっ刺さっててさ。あん時は本当に……」
そこで、桐山は口を閉じた。ようやく、可憐の様子がおかしいことに気づいたのだ。いつのまにか、少女の目からは大粒の涙が流れている。時おり、鼻をすする音も漏れ聞こえていた。
呆気に取られる桐山の前で、可憐は両手で顔を覆う。そのまま、声を殺し泣き出した。
桐山は、すぐさま立ち上がる。慌てた様子で、彼女の側に近寄った。
「えっと……ちょい待って! ね、ねえ、なんで君が泣いてんの!? 俺、なんか変なこと言っちゃった!?」
すると、可憐は顔を上げた。表情をぐしゃぐしゃに歪めたまま、彼女はどうにか口を開く。
「だっで、がなじいんだよ。がなじぐで、じがだないんだよ」
涙を拭きながら、可憐は懸命に答えた。桐山はというと、困った顔でウンウン頷く。
「うん、君は悲しいのんな。それはわかった。じゃあ、何が悲しかったのにゃ?」
「お姉がじんだっで思っだら、がなじぐなっだんだよ。あんだも、がなじがっだんでじょ……」
「わかったのん。わかったから、泣きやんでちょうよ。俺、女の子に泣かれんの一番チラいのんな」
オロオロしながら、少女の周りをぐるぐる回る。しかし、可憐に泣き止む気配はない。
やがて、意を決した表情で桐山は叫んだ。
「じゃ、じゃあ、これどう!?」
言ったかと思うと、両腕をだらりと下げた。鼻の下を思い切り伸ばし、中腰の姿勢で歩き出す。が、突然立ち止まり胸をポコポコ叩き出した。
泣いている可憐の前で、桐山はさらに奇妙な動きをする。不意に両手で頭を抱え、中腰のまま歩き出した。数歩進んだかと思うと、可憐の方を向く。
「どう? 面白かった?」
今度は、桐山の方がすがるような目になっている。だが、少女はニコリともしていない。
「今のは、何だったの?」
真面目に聞き返す可憐は、いつのまにか泣きやんでいた。目の前の奇行に、持ち前の好奇心を刺激されたらしい。
「へっ? あの、二日酔いで頭が痛いゴリラのまねなのん」
桐山のとぼけた答えに対し、可憐は真剣な表情で頷いた。
「おおお、二日酔いで頭が痛いゴリラ……なるほど」
感嘆したような声を出したかと思うと、リュックに手を入れた。中から、鉛筆とメモ帳を取りだす。
呆気に取られている桐山の前で、可憐はメモ帳に何やら書き込んでいる。どうやら、桐山の言ったことをメモしているらしい。
そんな可憐を、桐山はじっと見下ろしていた。ややあって、ぽつりと呟く。
「君は、本当にユニークな子なのんな。でも、そういうとこ本当に大好き」
言った後、ニコッと笑った。その場に座り込み、頭をポリポリ掻く。
「あのにゃ、俺は君を見つけたら連れてこいって言われてんのよう。はっきり言うと、連れて行きたくないのんな。でも、連れてかんといかんのよん。チライとこなのんな」
「えっ、なんで?」
「俺のお友だちが、君の父から叱られちゃうのん。だから、早くスケッチするのんな。終わったら、君を父んところに連れてく。スケッチした絵は、俺が責任を持ってお姉ちゃんに渡すのにゃ」
すると、可憐の表情が明るくなった。じっと桐山を見つめる。
ややあって、半ズボンのポケットに手を入れた。
「お礼なんだよ。取っといて」
言いながら、ポケットから何か取り出す。
それは、大きなドングリだった。近づいて来て、桐山の手に握らせる。
「一番おっきなドングリ。あげる」
「あんがとにゃ」
桐山はニコッと笑い、ドングリを自身のポケットに入れる。
直後、その目がスッと細くなる。表情も変わった。
「なあ博士、そこにいんだろ? 隠れてないで出て来なよ。若いふたりのデート覗くなんて、悪い趣味なのん」
言うと同時に、後ろを向いた。つられて、可憐もそちらを向く。
すると、茂みの中から現れた者がいる。Tシャツ姿のペドロだった。悪びれる様子もなく、すたすたと歩いてくる。
可憐は、ぽかんと口を開けた。まさか、この男が登場するとは思わなかったのだ。しかし、桐山の反応は違っていた。座ったまま、目を細めて彼を見つめている。
ペドロはというと、桐山から五メートルほど離れた位置で立ち止まる。
両者は、じっと睨み合った。異様な空気が漂う中、先に口を開いたのはペドロだった。
「別に覗くつもりはなかった。不快な思いをさせたなら、すまなかったね。一応の言い訳をさせてもらうと、はっきり言って今の君は敵だ。同時に、超危険人物でもある。何をしでかすかわからないから、密かに観察させてもらった」
「そうかい」
答えた桐山は、上目遣いで彼を睨みつけている。可憐はというと、空気の急な変化に戸惑っていた。
「で、これからどうする気だい?」
飄々とした口調で尋ねるペドロに、桐山はちらりと可憐に視線を移す。
「気は進まないけど、この子を連れてくのん。父に渡して、それで一見落着って感じかにゃ」
「なるほど。だがね、この状況で何事もなく連れて行けると思っているのかい」
ペドロの口調は、静かなものだった。しかし、傍らにいる可憐の表情が変わる。何かを察知したらしく、桐山とペドロの顔を交互に見る。いつのまにか、少女の体は震え出していた。
一方、桐山の瞳には異様な光が宿っている。ペドロを睨みつけたまま、ゆっくりと口を開いた。
「俺はさ、この子の話聞いちまったんよ。はっきり言って、あんなオッサンの味方はしたくないのんな。でもさ、俺も見つけちまった以上は帰れねえんだわ。これも仕事なんよ」
言った直後、跳ねるような動きで立ち上がる。
「それに、俺はあんたをぶっ飛ばしたくてうずうずしてんだよね。可憐ちゃんの話聞いてたら、すっげー腹立っちゃったのんな。なんで俺が、こんな仕事しなきゃいけねえんだよクソが」
呟くように言った桐山の目は、残忍に光っていた。
その立入禁止の森を、小さな女の子が歩いている。迷彩柄のTシャツに半ズボン姿だ。背中にはリュックを背負い、木々を避けつつ進んでいる。
まだ昼前だというのに、森の中は日の光が射さず薄暗い。普通の子供には、薄気味悪い場所として映っただろう。しかし、竹内可憐はこの程度で怯む少女ではない。
実のところ可憐は、この森の中をほぼ毎日探検している。少女の旺盛な好奇心は、簡単には止められないのだ。もっとも、今日の目的は探検ではない。彼女は、神妙な顔つきで歩いていく。
やがて、目指していた場所に到着した。可憐は、憂いを帯びた表情で辺りを見回す。いつもの溌剌とした様子はない。
やがて、その目があるものを捉えた。
彼女の視線の先には、一本の巨木がある。いや、本当は二本なのかもしれない。何せ、地面の根元から伸びた幹は二本なのだ。二本の木が伸びた先で交わり一本の巨木となり、さらに上へと伸びている。まるで、巨人の足のようだ。
しかも幹の途中で、二本の大きな枝が左右に伸びている。どちらの枝も、ほぼ同じ長さだ。さらに、幹の先端のみ葉が大量に生い茂っている。何とも奇妙な形である。
例えるなら、アフロヘアの巨人が大の字で立っているかのようである。可憐は、毎日この木を見に来ていた。
だが、今日で見納めである。
「今日でお別れだね。本当はね、お姉を連れて来て見せてあげたかったんだよ。木助、元気でね」
可憐は、そっと呟いた。木助とは、この巨木に付けた名前だ。いずれ、この場所に姉の杏奈を連れて来るつもりでいた。しかし、その夢は叶わなかった。
やがて可憐は、リュックを開けた。中から、ノートと色鉛筆を取り出す。真剣そのものの表情で、目の前の巨木をスケッチし始めた。
その時だった。がさりという音が聞こえ、可憐は振り向いた。直後、その表情が歪む。
「やあ、お嬢ちゃん。こんな森の中でお絵かきとは、洒落てるにゃ。君は、お洒落さんなのんな」
現れたのは桐山譲治であった。ヘラヘラ笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。
一方、可憐の表情は一気に暗くなった。桐山は小柄ではあるが、それでも少女から見れば充分に大きい。しかも、品行方正とは思えない風貌だ。ヘラヘラ笑っている態度もまた、子供から見れば怪しさ満点である。
少しの間を置き、可憐はがくっと肩を落とした。悲しげな表情で下を向く。
その様子を見て、桐山の動きが止まった。首を傾げる。
「ちょいちょいちょい、どないしたのん?」
距離を空けた状態で聞いた。だが、可憐は何も答えない。暗い表情で、じっと俯いている。
桐山の顔から、にやけた表情が消えた。頭をポリポリ掻く。
「あのさあのさあのさ、僕ちん怪しい者だけど変態じゃないよ。いや変態かもしんないけど、悪い変態じゃないよ。いや悪い変態かもしんないけどさ、君に悪さはしないよ」
その支離滅裂な発言に、可憐はようやく反応した。ふうと溜息を吐き、顔をあげる。
「あんた、父の手下でしょ」
ようやく口を開いた。生気の全く感じられない声だ。
「へっ? チチ? チチってこれ?」
対する譲治は、そんなセリフを真顔で言った。かと思うと、いきなり両方の手のひらで胸を抑える。両の乳房を隠すような仕種だ。見た可憐は、一瞬きょとんとなった。
数秒後、ぷっと吹き出す。
「そっちのチチじゃない。おとんの方の父」
「ああ、そっちかい。そうだよ、君の父の手下なのん」
答えた桐山を、可憐はじっと見上げた。
少しの間を置き、真面目な顔で口を開く。
「あんたにお願いしたいの。あたしは連れてっていいけど、お姉のことはほっといてあげて欲しいんだよ」
「へっ? どゆこと?」
聞き返す桐山に、可憐は悲しげな表情になった。
「帰ったら、お姉は父にイジメられるんだよ。お姉の背中には、火傷の跡がいっぱい付いてるの。みんな父がやったんだよ」
その瞬間、桐山の目つきが変わった。
「はあ? 何じゃそりゃあ?」
怒りのこもった声で尋ねた。しかし、可憐は気付かない。真剣な表情で、なおも訴え続ける。
「あたしが言うこと聞かないと、お姉が叱られるんだよ。だから、あたしは父と一緒におとなしく帰る。その代わり、お姉のことはほっといてあげて。お願いなんだよ」
すがるような目の少女を、桐山はじっと見下ろした。
ややあって、口を開く。
「その前にさ、君はあのでっかい木をスケッチしてるんじゃろ?」
言いながら、巨木を指さした。
「えっ? うん、そうだよ。木助の絵を描いて、お姉に見せてあげたかったんだけど」
「へっ? キスケ?」
「うん。あの木の名前」
「そっか。だったら、はよ描いちゃいなさい。俺は待っててあげるから」
言ったかと思うと、その場に腰を降ろした。体育座りの体勢で、巨木を眺めている。顔には、どこか悲しげな表情が浮かんでいた。
その態度の変わりように、可憐の方が面食らっていた。
「ど、どうして?」
「俺がそうしたいと思ったからなのん。さ、はよ描いちゃいなさい。まあ、ゆっくり描いてもいいけどにゃ。俺は待ってっから」
ニッコリ微笑む桐山を、可憐はじっと見つめる。
しばらくして、リュックに手を入れた。中から、水筒を取り出す。蓋を外すと、中に入っている飲み物を注いだ。
立ち上がり、桐山に近づいていく。
「これ飲む?」
言いながら、液体の入った蓋を差し出した。
「サンクスなのん」
桐山は、蓋を受け取る。と、中を見た途端に首を傾げた。
「えっ、何これ?」
「おしるこだよ。嫌いなの?」
「いんや、嫌いじゃないのん。甘いの大好き」
答えると、一気に飲み干した。ニコッと微笑み、蓋を返す。
「サンクス、美味しかったのん。君は、おしるこが好きなんかい?」
「うん、大好き。お姉が作ってくれたの」
「ふうん。変わってるにゃ」
「みんな、そう言ってた。おしるこを水筒に入れるのって、やっぱり変?」
「うん、変だにゃ。でも、俺は君のそういう変なとこ大好きなのん。だから、今のままの君でいて欲しいのんな」
言いながら、桐山は両手の人差し指を可憐に向ける。
可憐は、クスリと笑った。
「あんたも、かなり変なんだよ」
「そうそう、よく言われるのんな」
ウンウンと頷くと、桐山は再び可憐を指さした。
「ところで君は、お姉さんも好きなようだにゃ」
「うん、好き。お姉は、とっても優しいんだよ」
「実はにゃ、俺にも姉ちゃんがいたんよ」
「本当? どんなお姉ちゃん?」
目を輝かせて尋ねる可憐の前で、桐山は微笑みながら語り出した。
「とっても怖かったのんな。いたずらなんかすると、よくド突かれたのん。でも、俺がイジメっ子に泣かされてたら、助けに来てくれたこともあったんよ。イジメっ子を、バッチンバッチンぶっ叩いてくれたにゃ」
「へえ、強いんだね。今、何してんの?」
「死んじゃったのんな」
「えっ……」
途端に、可憐の表情が暗くなる。だが、桐山は気付かず語り続けた。
「ちょうど、俺が君くらいの歳ん時だったかにゃ。家族みんなで、海外旅行に行ったんよ。でっかい飛行機に乗ってさ、ブーンて飛んだのん」
言ったかと思うと、桐山は立ち上がった。両腕を飛行機の翼のように広げ、ブーンと声を出しながら走り出した。可憐の見ている前で、元気よく走り回る。
が、途中でバタリと倒れた。倒れた状態で、可憐の方を向く。
「その飛行機が、こんな感じで墜落したんよ。ウィーン、ガッシャーン! てなったね。あん時は、何が起きたかわからんかったのんな」
とんでもない大事故のはずだが、桐山は爽やかに語っている。もっとも、傍らで聞いている可憐は違う反応をしている。今にも泣き出しそうだった。
「んーでよう、気がついたらお父ちゃんもお母ちゃんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも死んでたのん。俺の頭にも、でっかい破片がぶっ刺さっててさ。あん時は本当に……」
そこで、桐山は口を閉じた。ようやく、可憐の様子がおかしいことに気づいたのだ。いつのまにか、少女の目からは大粒の涙が流れている。時おり、鼻をすする音も漏れ聞こえていた。
呆気に取られる桐山の前で、可憐は両手で顔を覆う。そのまま、声を殺し泣き出した。
桐山は、すぐさま立ち上がる。慌てた様子で、彼女の側に近寄った。
「えっと……ちょい待って! ね、ねえ、なんで君が泣いてんの!? 俺、なんか変なこと言っちゃった!?」
すると、可憐は顔を上げた。表情をぐしゃぐしゃに歪めたまま、彼女はどうにか口を開く。
「だっで、がなじいんだよ。がなじぐで、じがだないんだよ」
涙を拭きながら、可憐は懸命に答えた。桐山はというと、困った顔でウンウン頷く。
「うん、君は悲しいのんな。それはわかった。じゃあ、何が悲しかったのにゃ?」
「お姉がじんだっで思っだら、がなじぐなっだんだよ。あんだも、がなじがっだんでじょ……」
「わかったのん。わかったから、泣きやんでちょうよ。俺、女の子に泣かれんの一番チラいのんな」
オロオロしながら、少女の周りをぐるぐる回る。しかし、可憐に泣き止む気配はない。
やがて、意を決した表情で桐山は叫んだ。
「じゃ、じゃあ、これどう!?」
言ったかと思うと、両腕をだらりと下げた。鼻の下を思い切り伸ばし、中腰の姿勢で歩き出す。が、突然立ち止まり胸をポコポコ叩き出した。
泣いている可憐の前で、桐山はさらに奇妙な動きをする。不意に両手で頭を抱え、中腰のまま歩き出した。数歩進んだかと思うと、可憐の方を向く。
「どう? 面白かった?」
今度は、桐山の方がすがるような目になっている。だが、少女はニコリともしていない。
「今のは、何だったの?」
真面目に聞き返す可憐は、いつのまにか泣きやんでいた。目の前の奇行に、持ち前の好奇心を刺激されたらしい。
「へっ? あの、二日酔いで頭が痛いゴリラのまねなのん」
桐山のとぼけた答えに対し、可憐は真剣な表情で頷いた。
「おおお、二日酔いで頭が痛いゴリラ……なるほど」
感嘆したような声を出したかと思うと、リュックに手を入れた。中から、鉛筆とメモ帳を取りだす。
呆気に取られている桐山の前で、可憐はメモ帳に何やら書き込んでいる。どうやら、桐山の言ったことをメモしているらしい。
そんな可憐を、桐山はじっと見下ろしていた。ややあって、ぽつりと呟く。
「君は、本当にユニークな子なのんな。でも、そういうとこ本当に大好き」
言った後、ニコッと笑った。その場に座り込み、頭をポリポリ掻く。
「あのにゃ、俺は君を見つけたら連れてこいって言われてんのよう。はっきり言うと、連れて行きたくないのんな。でも、連れてかんといかんのよん。チライとこなのんな」
「えっ、なんで?」
「俺のお友だちが、君の父から叱られちゃうのん。だから、早くスケッチするのんな。終わったら、君を父んところに連れてく。スケッチした絵は、俺が責任を持ってお姉ちゃんに渡すのにゃ」
すると、可憐の表情が明るくなった。じっと桐山を見つめる。
ややあって、半ズボンのポケットに手を入れた。
「お礼なんだよ。取っといて」
言いながら、ポケットから何か取り出す。
それは、大きなドングリだった。近づいて来て、桐山の手に握らせる。
「一番おっきなドングリ。あげる」
「あんがとにゃ」
桐山はニコッと笑い、ドングリを自身のポケットに入れる。
直後、その目がスッと細くなる。表情も変わった。
「なあ博士、そこにいんだろ? 隠れてないで出て来なよ。若いふたりのデート覗くなんて、悪い趣味なのん」
言うと同時に、後ろを向いた。つられて、可憐もそちらを向く。
すると、茂みの中から現れた者がいる。Tシャツ姿のペドロだった。悪びれる様子もなく、すたすたと歩いてくる。
可憐は、ぽかんと口を開けた。まさか、この男が登場するとは思わなかったのだ。しかし、桐山の反応は違っていた。座ったまま、目を細めて彼を見つめている。
ペドロはというと、桐山から五メートルほど離れた位置で立ち止まる。
両者は、じっと睨み合った。異様な空気が漂う中、先に口を開いたのはペドロだった。
「別に覗くつもりはなかった。不快な思いをさせたなら、すまなかったね。一応の言い訳をさせてもらうと、はっきり言って今の君は敵だ。同時に、超危険人物でもある。何をしでかすかわからないから、密かに観察させてもらった」
「そうかい」
答えた桐山は、上目遣いで彼を睨みつけている。可憐はというと、空気の急な変化に戸惑っていた。
「で、これからどうする気だい?」
飄々とした口調で尋ねるペドロに、桐山はちらりと可憐に視線を移す。
「気は進まないけど、この子を連れてくのん。父に渡して、それで一見落着って感じかにゃ」
「なるほど。だがね、この状況で何事もなく連れて行けると思っているのかい」
ペドロの口調は、静かなものだった。しかし、傍らにいる可憐の表情が変わる。何かを察知したらしく、桐山とペドロの顔を交互に見る。いつのまにか、少女の体は震え出していた。
一方、桐山の瞳には異様な光が宿っている。ペドロを睨みつけたまま、ゆっくりと口を開いた。
「俺はさ、この子の話聞いちまったんよ。はっきり言って、あんなオッサンの味方はしたくないのんな。でもさ、俺も見つけちまった以上は帰れねえんだわ。これも仕事なんよ」
言った直後、跳ねるような動きで立ち上がる。
「それに、俺はあんたをぶっ飛ばしたくてうずうずしてんだよね。可憐ちゃんの話聞いてたら、すっげー腹立っちゃったのんな。なんで俺が、こんな仕事しなきゃいけねえんだよクソが」
呟くように言った桐山の目は、残忍に光っていた。
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電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
【完結】リアナの婚約条件
仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
山奥の広大な洋館で使用人として働くリアナは、目の前の男を訝し気に見た。
目の前の男、木龍ジョージはジーウ製薬会社専務であり、経済情報雑誌の表紙を何度も飾るほどの有名人だ。
その彼が、ただの使用人リアナに結婚を申し込んできた。
話を聞いていた他の使用人達が、甲高い叫び声を上げ、リアナの代わりに頷く者までいるが、リアナはどうやって木龍からの提案を断ろうか必死に考えていた。
リアナには、木龍とは結婚できない理由があった。
どうしても‥‥‥
登場人物紹介
・リアナ
山の上の洋館で働く使用人。22歳
・木龍ジョージ
ジーウ製薬会社専務。29歳。
・マイラー夫人
山の上の洋館の女主人。高齢。
・林原ケイゴ
木龍ジョージの秘書
・東城院カオリ
木龍ジョージの友人
・雨鳥エリナ
チョウ食品会社社長夫人。長い黒髪の派手な美人。
・雨鳥ソウマ
チョウ食品会社社長。婿養子。
・林山ガウン
不動産会社社員
【改稿版】 凛と嵐 【完結済】
みやこ嬢
ミステリー
【2023年3月完結、2024年2月大幅改稿】
心を読む少女、凛。
霊が視える男、嵐。
2人は駅前の雑居ビル内にある小さな貸事務所で依頼者から相談を受けている。稼ぐためではなく、自分たちの居場所を作るために。
交通事故で我が子を失った母親。
事故物件を借りてしまった大学生。
周囲の人間が次々に死んでゆく青年。
別々の依頼のはずが、どこかで絡み合っていく。2人は能力を駆使して依頼者の悩みを解消できるのか。
☆☆☆
改稿前 全34話→大幅改稿後 全43話
登場人物&エピソードをプラスしました!
投稿漫画にて『りんとあらし 4コマ版』公開中!
第6回ホラー・ミステリー小説大賞では最終順位10位でした泣
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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