悪魔との取り引き

板倉恭司

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母の願い

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「今日は、真壁さんたちに会いたいのだが……止める気かね?」

 その問いに、昭夫は苦笑するしかなかった。この男は、自分には止められない。それ以前に──

「僕が止めたところで、あなたは行くでしょう」



 車は、神社の近くで停まった。
 真壁親子は、いつもと同じくレジャーシートを地面に引いて座っている。太陽の下で、ふたりはニコニコしながらお弁当を食べていた。
 だが、車から降りてきたペドロの姿を見たとたん、親子の表情が変わった。母の幸乃は顔を歪めたが、娘の紫苑は嬉しそうだ。

「やあ、また会ったね」

 対照的に、ペドロはにこやかな顔つきだった。自分の存在が幸乃を怖がらせていることなど、意に介していない。

「おじさんは……ペドロさんだよね!」

 紫苑が、朗らかな声で話しかけてきた。ペドロを恐れる様子はなく、むしろ会えて嬉しいという感情が溢れ出ている。昭夫は、どういう顔をすればいいかわからず様子を見守っていた。

「そう、ペドロだよ。覚えていていただけたとは光栄だね。ところで……俺は都合により、しばらくこの村に厄介になることとなった。よろしく」

 言ったかと思うと、ペドロの表情が変わる。静止した状態から、いきなり滑るように動いた。一瞬のうちに、お堂の側に移動したのだ。その動きは異常に早く、見ていた者たちは反応すら出来ない。
 直後、草むらを踏み付ける。その足の動きは弾丸のようだった。踏みつけというより、地面にいるものに下段の横蹴りを放ったという方が正確かもしれない。ビュンという音と共に、彼の足裏は地面の何かを捉えた。
 周りの者たちは、何が起きたかわからず、彼の奇妙な動きを見ていることしか出来ない。
 そこからのペドロの動きは、実にゆったりしたものだった。足をぐいっと動かし、何かを踏み潰す……ように見える動作をした。さらに手を伸ばし、足元にある何かを拾い上げる。
 五十センチほどの長さのロープ。かと思いきや、突然ばたりと動く。
 それは、大きめの蛇だった──

「これはヤマカガシだ。毒を持っている。まさか、このあたりにいるとはね。頭を潰したから、もう安全だ」

 その声は、先ほどと変わっていない。だが、幸乃と紫苑の親子は慌てて周りを見回す。
 すると、ペドロが声をかける。

「今は大丈夫だよ。このあたりにいるのは、虫とトカゲとネズミと人間くらいのものさ。ただ、今後は用心した方がいいかもしれない」

 その言葉に、幸乃はホッとした様子だ。一方、紫苑はというと、ゆっくりと歩きペドロに近づいていく。
 昭夫はくすりと笑い、どうなるか見守った。紫苑は、殺人犯のペドロを気に入っているらしい。無知というのは怖いものだ。

「蛇は死んだの?」

 そんな思いなど知らない紫苑は、無邪気に尋ねた。好奇心に満ちた表情で、ペドロが掴んでいる蛇を見ている。
 その目の前で、蛇は動いた。まだ抵抗するかのように、体全体をくねらせる。幸乃は思わず、あっと声を上げた。紫苑はというと、大きな目を見開いている。逃げようという気配はない。蛇に対し、怖いよりも好奇心の方が勝っているのだろう。

「動いてはいるが、死んだも同然の状態だ。頭を潰されているため、もはや生きながらえることは出来ない。放っておいても害はなかったのかもしれないが、万一の事態を考え頭を潰すことにしたのさ」

 ペドロが答える。その時、昭夫は気づいた。この殺人犯は、子供が相手でも大人が相手でも口調を変えたりはしない。どこか冷たさが感じられる独特の口調で接している。ある意味、万人に公平な男なのだ。
 そんなことを考えていた昭夫だったが、続いてのペドロの言葉には仰天した。

「この蛇は、もうじき死ぬ。生き物の死に向かう過程から学べることは、とても多い。君は、これが欲しいかね?」

 言いながら、紫苑の前で蛇を掲げて見せる。

「えっ! くれるの!?」

 目を輝かせ、蛇に手を伸ばす紫苑。だが、母は違う感想を抱いたらしい。

「いりません!」

 怒鳴るように言い、娘の手を引いていく。紫苑は残念そうな顔をしながらも、おとなしく母に従った。
 その時になって、草むらから顔を出したものがいる。茶虎猫のコトラだ。恐る恐る、といった感じでそっと歩いてきて、紫苑ににゃあと挨拶する。

「あっ、コトラちゃんだ!」

 紫苑がしゃがみ込むと、手を差し出した。コトラは、嬉しそうに頬を擦り寄せていく。
 のどかな光景だが、幸乃は違和感を覚えていた。

「変だな。この子はいつもなら、あたしたちの着く頃には神社に来てた。なのに、今日はずいぶん遅いね」

 頭に浮かんだ疑問を、思わず口にしていた。誰にともなく呟いた他愛のない言葉、のはずだった。声量も小さい。しかし、ちゃんと聞いている者がいた。

「それは、このヤマカガシのせいかもしれないね」

「えっ?」

 いきなりの答えに、幸乃はぎょっとなる。顔を上げると、ペドロがこちらを向いていた。

「この辺りは、コトラにとって縄張りだ。ところが、そこに侵入者が現れる。ヤマカガシという強敵だ。コトラは離れた位置から、草の中に隠れヤマカガシの様子を窺っていた。隙あらば襲おうとしていたのだろう。ところが、部外者であるはずの俺が殺してしまった。ばつが悪くて、毛繕いでもしていたのだろうさ」

「そ、そうですか」

 困った顔で返事をする幸乃だったが、ペドロはなおも語り続けた。

「この猫の動きには、注意した方がいい。動物というものは、えてして日々のルーティンが決まっている。そのルーティンが崩れたということは、何か異変が起きているかもしれないわけだからね」





 やがて、真壁親子は帰っていった。紫苑のゆっくりとした歩みに合わせ、幸乃も進んでいく。途中で休憩を挟みながら、ふたりは歩いて帰るのだ。家に到着するまでには、三十分以上かかるだろう。昭夫の車で、家まで送ってもらった方が遥かに早い。
 だが、親子にはそうしたくない事情があった。

「紫苑は、不治の病に侵されているんです。最初に全身の筋力が少しずつ衰えていき、それに伴い運動機能が低下していくんです。やがて、他の機能も次々と低下していきます。最後には、生命機能が停止するんです。大きな病院に入院し薬漬けの生活を送れば、少しは進行を遅らせることが出来るそうです。しかし、母の幸乃さんは、医師の提案を拒絶し無理やり退院させたそうです」

 昭夫は感情を押さえ、淡々と語ろうとした。だが、その努力は無駄だった。いつのまにか、目には涙が溢れている。紫苑と接する時、常に胸の奥にて押さえつけられていたもの。それが、ペドロという怪物を前にして溢れだそうとしている
 それに気づいた時、昭夫は車を停めた。

「いずれ、あのは歩けなくなり車椅子生活になります。それが三年後か、十年後かはわかりませんが、歩けなくなるのは確かです。それまでは、どんなに大変でも自分の足で歩かせてあげたい、それが幸乃さんのささやかな願いです」

 黙っているペドロに向かい、一方的に語り続ける。涙を手で拭い、声を震わせながら話を続ける。

「やがて、紫苑は寝たきりになります。そして、普通の人よりも早く一生を終えるんです。僕は、あの娘を見ていると、宗教などというものを信じられなくなりますね。何も悪いことをしていないのに、なぜあのような運命を背負わされなくてはならないのでしょうね。紫苑よりも長生きする悪人は、掃いて捨てるくらい存在するのに」

 そう、紫苑は何も悪いことはしていない。にもかかわらず、このペドロという極悪人より先に死ぬかもしれないのだ。
 しかも、紫苑の体の能力は少しずつ衰えていく。車椅子生活、寝たきり、そして死亡。せめて、小説や映画などに有りがちな「死ぬ直前までピンピンしていられる不治の病」だったらよかったのだ。
 彼女は、元気に走り回ることが出来ない。同じ年代の少年少女たちが当たり前にクリアしていることも、紫苑には出来ないのだ。青春などという言葉とは無縁の人生を送り、大半の人より遥かに早く死ぬ。
 それを思うと、やりきれないものを感じる。自分のしていることは、全て無意味なのではないか……そんな徒労感に襲われることもある。
 少しの間を置き、昭夫は再び口を開いた。

「僕はね、紫苑の人生を近くで最期まで見届けてあげたいんです。小さな体で病に侵されながらも、けなげに生きています。あの娘が生きている間は、笑って楽しく過ごさせてあげたいんですよ。西野昭夫の持てる力を、彼女の幸せに少しでも貢献させたいんです」

 その時、ペドロがようやく声を発した。

「立派な心掛けだ。頑張ってくれたまえ」

 冷たい口調だった。皮肉とも取れる感じの言葉に、昭夫は思わず眉をひそめる。
 だが、ペドロはさらに言葉を続けた。

「勘違いしてほしくないな。今のはお世辞でも皮肉でもない。昔の日本に、人の一生は重い荷を背負って遠い道を歩むようなもの、と言った男がいたらしい。ところが彼女の場合、重い荷どころか重い整地用ローラーを引かされているようなものだからね。敗北を承知の上で、困難な人生に立ち向かっている……そんな人間には、俺のような者でも敬意を表すよ。これは当然ではないかな」

 ペドロらしからぬ言葉に、昭夫は思わず聴き入っていた。この怪物は、人間のそうした感情とは無縁かと思っていたのに。 

「俺も神に祈りたいね。あの娘の残りの人生は幸せであって欲しいな。これまた皮肉ではなく、本心だ」

 冷徹な殺人犯らしからぬ言葉だったが、昭夫は嬉しかった。あの親子の戦いを知る人が、少しでも増えて欲しい。
 だが、その後のペドロの台詞は、感傷的な気分などせせら笑うものだった。

「神に祈りたい……ところだが、残念ながら神なるものが存在するとは思えない。存在したところで、果たして我々の祈りなど聞いてくれるかどうか。神から見れば、我々など一個のウイルス以下だろう。一個のウイルスが何をしようが、その活動は人間には見えない。同様に、哀れな少女の戦いもまた、神の目に留まるようなものではないのだろうね」




 


 


 



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