悪魔に憑かれた男

板倉恭司

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密約の日

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 協調性がない──

 浦田智也の通知表に、毎回のように書かれていた言葉であった。



 その奇妙な性癖は、いつの頃から芽生えていたのだろうか。
 確かなことはわからない。ただ智也は、誰かに見られているのではないだろうか……という観念に、幼い頃から取り憑かれていたのである。
 はっきりと覚えているのは、保育園にいた時のお遊戯の時間だった。

「みなさーん、今日はおさかなのダンスをします。みんなで元気にダンスしましょうね!」

 女の保育士が、ニコニコしながら園児たちに言った。園児たちは元気に答える。

「はーい!」

 やがて園児たちは、前に立つ保育士の動きに合わせて体をくねらせる。智也もまた、何も考えず皆と同じように体をくねらせた。
 おさかなのダンスをしながら、智也は何の気なしにちらりと後ろを見た。すると、保育園の柵ごしにこちらを見ている女性と目が合う。
 顔に見覚えはない。ただの通行人であろう。その女性は、微笑みながら智也を見ている。いや、智也のことだけではない。おさかなのダンスを踊っている園児たち全員を見ているのだ。
 ただの通行人が、なぜ自分たちを見ているのだろうか。幼い智也は疑問を感じた。動きを止め、周りを見回す。
 園児たちは皆、おさかなのダンスを踊っている。奇妙な動きで体をくねらせながら踊っているのだ。
 その時、強烈な違和感を覚えた。この動きは、いったい何なんだろう? 何の意味があるのか? 自分たちは、何のためにこんなことをしているのだろう?
 智也の中に、次々と湧き上がっていく疑問。やがて、保育士の方を見てみた。若い女性の保育士は、ニコニコ笑いながらおさかなのダンスをしている。
 保育士の指示に従い、みんなで意味不明な行動をしている。その光景は異様だった。少なくとも、智也の目にはそう映った。

 それ以来、智也はみんなと一緒に無心に遊ぶことが出来なくなってしまった。仲の良い子と遊んでいても、ふと気づくと誰かが自分を見ているような気がした。それとなく周囲を見回す。大抵は気のせいだったが、本当に誰かが見ていることもある。
 それは保育士であったり、通行人であったり、無関係な他の子供であったり……偶然に目が合ったのか、あるいは彼を見ていたのかは不明である。
 いずれにしても、確かなことがひとつある。智也の中に、自分は誰かに見られているのかもしれない……という意識が植え付けられてしまったのだ。
 結果、この少年は一歩引いた位置にいるようになる。そこから、自身の置かれた状況を客観的に観察する癖が付いてしまった。この世の中は、常に誰かに見られている、だから周囲に気を配っていなくてはならない……という考えに憑かれていたのだ。
 しかし、その性癖は幼い子供にとってマイナスでしかなかった。

「あいつ、なんかスカしてねえか?」

「ノリが悪いよな」

「俺たちのこと、バカにしてるよ」

 こうして、智也には友人がいなくなった。それどころか、中学に入ってしばらくするとイジメのターゲットにされる。全ては、智也のどこか冷めた性格が原因であった。
 結果、智也は不登校になり……浜川高校のような底辺の学校にしか入れない状態になっていたのだ。



 そんな智也は今、恐る恐る一年A組の教室に近づいていく。今は一時間目の授業が終わったばかりだ。生徒たちが廊下にあふれ、喚くような声で語り合っている。言うまでもなく、ほとんどがリーゼントやパンチパーマなど不良に有りがちな髪型である。中には「タバコ吸いに行かね?」などと言っている者までいる始末だ。
 そんな中、智也は目立たないように進んで行った。扉の前に立ち、そっと中を覗く。確か、ペドロはこのクラスだったはずだ。

「ねえ、何か用?」

 不意に、背後から声が聞こえた。振り返ると、三人の少年が挑発的な表情でこちらを見ている。いずれも、不良の見本のような格好だ。もっとも、この学校ではそれが当たり前なのではあるが。

「あ、あの、ペドロは来てるかな?」

 おずおずとした様子で尋ねる。彼は二年生であり、目の前にいる三人組は一年生である。したがって、智也の方が立場は上のはずだった。
 しかし、ここは浜川高校である。浜川高校では、不良の方が一般生徒よりランクは上なのだ。そこに学年は関係ない。

「ペドロ? ああ、あの顔の濃い奴か。今日も来てねえんじゃねえか」

「あいつ、ほとんど顔見たことねえな」

「そろそろ辞めんじゃねえのか」

 三人はゲラゲラ笑った。その言葉のどこに笑う要素があるのか、智也には全く理解できなかったが……確かなことがひとつある。この教室には、もう用はない。

「そ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」

 言いながら、智也はその場を離れようとする。しかし、三人は智也の前に立ちふさがった。

「あのさあ、あんた二年だよね?」

 リーゼントの少年が、首を小刻みに振りながら聞いてきた。

「えっ、う、うん。二年だけど」

「ねえ、最近あんたみたいな二年が、ちょいちょいウチの教室に来てんだけどさ、何なの?」

 威嚇するような目で、なおも尋ねる。智也は、思わず後ずさった。

「えっ、あの、僕はペドロと知り合いだから──」

「こっちは、ペドロなんてガキ知らねえんだよ。二年だからって、ウチの教室をチョロチョロすんじゃねえよ」

 リーゼントの声が荒くなった。と同時に、顔を智也に近づけて来る。智也は思わず顔を逸らし、後ろに下がった。
 まずい状況であるのは間違いないが、どうすれば逃れられるのだろう……智也は必死で考えた。
 その時、後ろから肩を叩かれる。

「悪いけどな、お前に聞きたいことがある。ちょっと付き合ってくれねえか」

 その声に、智也は振り返った。
 すぐ後ろに、ひとりの男が立っている。身長は百七十センチ強、智也と同じく標準の制服を着ている。髪型も派手なものではない。しかし肩幅は広くがっちりした体格であり、目つきも鋭い。他の不良たちなど比較にならない凄みが感じられる。
 そのシャープな顔つきには見覚えがあった。

「あれ? き、君は……」

 戸惑う智也だが、相手はお構い無しだ。いきなり腕を掴んだかと思うと、強引に引っ張って行く。
 だが、リーゼントの少年も黙っていない。二人の前に素早く移動し、首を揺らしながら睨む。

「おい待てよ、俺の話は終わってない──」

 次の瞬間、リーゼントの少年は崩れ落ちる。男の拳が、少年の腹に炸裂したのだ。
 リーゼントは腹を押さえ、床でうずくまる。一方、男は他の二人に視線を移した。

「俺は三Bの小沼秀樹だ。今は忙しいから、お前らと話してる暇はねえ。だがな、文句があるなら後で相手してやるよ」

 その言葉に、残りの二人は怯えた表情でうんうん頷く。
 一方、秀樹と名乗った男は、智也の腕を強引に引っ張っていく。その腕力は異常に強い。智也はなす術もなく、されるがままになっていた。

 ・・・

 秀樹は、二年生の少年を強引に引きずっていく。まずは、この少年から詳しい話を聞く。もし嫌だと言うなら、力ずくで吐かせるまでだ。

 やがて、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った。だが、秀樹はお構い無しだ。少年を連れ、校舎の外に出た。

「あ、あの、どこに行くんですか……」

 怯えたような少年の声が聞こえた。だが、秀樹はそれを無視した。校庭の隅の方へと少年を引っ張っていく。
 ひとけの無い場所へと少年を連れ込むと、秀樹は念のため周囲を見回した。校庭には数人の生徒がいるが、こちらには注目していない。

「おい、お前の名前は?」

 秀樹の問いに、少年は恐る恐る答える。

「あの、浦田智也です」

「浦田か……お前は、何とか研究会の一員だよな。みんなで、ヤクザの息子の面倒をみてるんだろ?」

「えっ、ええ」

 答える智也の表情が、徐々に変化していた。恐怖の感情が薄くなり、代わりにこちらの考えを推し量るような顔つきになっている。
 秀樹は、目の前の少年を吟味してみた。気弱そうではあるが、頭は悪くなさそうだ。目の動きや受け答えから察するに、不運な偶然が重なって浜川高校に来てしまったタイプだろう。
 こいつなら、上手く動いてくれるかもしれない。ただ問題なのは、こちらの味方になってくれるかどうかだ。
 しかし、悩んでいても仕方ない。まずは慎重に、じっくりと話を進めていく。

「おい浦田、その何とか研究会に最近、外国人みたいな奴が入ったろう。あいつは何なんだ?」

 低い声で尋ねた。だが、またしても智也の表情が変化する。今度は驚愕だ。

「ぺ、ペドロのことですか?」

「ああ、多分そいつだ。そのペドロだが、いったい何者だ?」

「えっ、ええと、それは……」

 そう言ったきり、智也は目を逸らした。明らかに何かを知っている様子だ。しかし、口にするのをためらっているようにも見える。
 だが今の秀樹には、流暢に待っていられる余裕がなかった。智也の襟首を掴むと同時に、校舎の壁に押し付ける。

「おい、知ってることを全部話せ。でないと、俺は何するかわからねえぞ。俺は今、完全にキレちまってるんだ──」

「あいつとは……ペドロとは、かかわらない方がいいですよ」

 今にも消え入りそうな声で智也は答える。その表情は怯えていた。だが、それは秀樹に向けられたものではない。

「何だと? どういう意味だ?」

 智也を睨みながら、顔を近づけていく。この二年生は、予想以上に多くのことを知っているらしい。ならば、全て聞き出す。
 だが、智也はためらうような素振りをしながら目を逸らした。ひょっとしたら、ペドロという男に脅され、口止めされているのだろうか。
 ならば、それを上回る暴力の恐怖を与えるしかない。
 秀樹は、智也の襟首を掴んでいた手を離した。と同時に、顔面めがけ横蹴りを叩きこむ──
 一方、智也は何の反応もしなかった。いや、出来なかったのだ。
 直後、秀樹の横蹴りは智也の頭スレスレの位置に炸裂する。あと数センチずれていれば、智也の顔面に秀樹の足裏が当たっていただろう。
 智也は、唖然となっている。一方、秀樹はクールな表情で足を戻した。今のは、ちょっとしたハッタリである。主に喧嘩を避ける時に使う手だが、同時に脅しにも使えるのだ。格闘技の経験の無い素人にとって、相手の足が顔まで届くというのは脅威である。
 秀樹はこれまでにも、ハイキックで相手を威嚇し無用な争いを避けたことがあった。今回は、それを脅しに使ったのだ。
 しかし、智也の反応は秀樹にとって予想外のものだった。智也は怯えた表情になっていたが、次の瞬間には首を振る。
 奇妙な目で秀樹を見上げ、静かな口調で言った。

「あなたは凄く強い人です。でも、あいつには……ペドロには勝てません」

「何だと?」

 訝しげな表情の秀樹に向かい、智也は震えながらも語り始めた。

「ペドロは、ぼくらとは違う人間なんです。あいつは喧嘩も強いですが、それだけじゃないんです。あいつは本物の怪物です。僕は、ペドロが怖いんです。あいつは多分、とんでもないことをしようとしてます。あなたは、ペドロとは関わらない方がいいです」

 今度は、秀樹が唖然となる番だった。智也の言葉からは、本物の恐怖が感じられる。それも、尋常ではないくらいの恐怖だ。例えるなら、幼児の親に対するそれだろうか。
 いずれにしても、智也は目の前にいる自分よりも、ペドロの方を恐れているのは間違いない。
 秀樹はまたしても、自身が無力であることを思い知らされた。こんな少年から、情報を聞き出すことさえ出来ないのだろうか。
 その時、秀樹の頭に閃くものがあった。

「なあ、ペドロってそんなに強いのか?」

「は、はい」

「あいつひとりで、八人を病院送りに出来るか?」

 秀樹の問いに、智也は困惑したような表情を浮かべた。

「えっ?」

「いいから答えろ。ペドロは、八人を病院送りに出来るか?」

「出来ると思います」

 困惑しながらも、智也は答えた。
 秀樹は智也から目を逸らし、じっと考える。今、頭に浮かんでいるのは……客観的に見れば、とてもバカバカしい仮説だ。
 だが、そもそも今の状況こそ理解不能なのである。今年に入り、既に三人の人間が命を落としている。しかも、同じ場所でだ。
 さらに二つの高校が、原因も定かでないまま戦争状態へと突入してしまった。通常なら、あり得ない事態だ。少なくとも、ここまでの大規模な騒動は初めてである。
 ならば、バカバカしい仮定だろうと検証してみる。でないと、死んでいった薬師寺に申し訳ない。

「浦田、ウチとトウコウ東邦工業の喧嘩だがな……何が原因か、知ってるか?」

「は、はい。ハマコウの人が、トウコウの人たちを襲ったとペドロが言ってました」

「ペドロだと? あいつが、そう言ったのか?」

 思わず聞き返す。智也は、怯えながらも頷いた。

「は、はい」

「なぜ、お前が知っているんだよ」

 秀樹は呟くように言った。その言葉は智也ではなく、自分自身に向けられている。なぜ、ペドロがその事実を知っているのか。三年生でも、一部の者しか知らないはずなのに。
 となると……自分の仮説は、間違っていなかったらしい。秀樹は、再び智也を見つめる。

「浦田、落ち着いて聞けよ。トウコウの連中を病院送りにした奴は、たったひとりだったらしい」

「えっ……」

 智也の表情が、またしても変化する。思った通り、頭は悪くなさそうだ。秀樹が何を言わんとしているかを察したらしい。

「お前も気づいたらしいな。そうだよ、ひとりでトウコウの不良八人を半殺しに出来る……俺の知る限り、そんな奴はハマコウには居ない。あの男を除いては、な」

「ペドロがやった、というんですか?」

「ああ、そうだよ。あいつ以外にンなこと出来る奴がいるか?」

 尋ねる秀樹に向かい、智也は首を横に振ってみせる。その表情は真剣そのものだ。ひょっとしたら、以前からペドロに対し危険な何かを感じていたのかもしれない。さらに、ペドロに対し盲目的な忠誠心を抱いている……というわけでもなさそうだ。

 こいつなら、使えるかもしれない。

「おい浦田、お前に頼みがある」





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