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プロローグ
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私がこの奇妙な事件を知ったのは、別の件がきっかけであった。
「本当に、とんでもない事件だったよ。あれがきっかけで、ハマコウは廃校になっちまった訳だからな。何しろ、普通の学校がいきなり戦場みたいになっちまったんだぜ。恐ろしい話だよ。当時は、ヘリコプターが飛んだり機動隊が来たりテレビカメラも来てたなあ。もっともガキだった俺たちは、お祭り騒ぎみたいな目で見てたけどね。あの事件の恐ろしさは、全てが終わってからやっと理解できた気がするよ」
しみじみとした口調で語るのは、当時ハマコウこと浜川高校の生徒だった男だ。かつては筋金入りの不良だったらしいが、今では温厚そうな中年男にしか見えない。作業服に身を包み、にこやかな表情で私の質問に答えている。もっとも、顔は厳つい。右眉のあたりには棒か何かで殴られたような傷痕がある。恐らくは、若い頃の古傷であろう。
「あの事件を起こした二人の少年ですが、率直に言ってどんな生徒でした?」
私の問いに、彼はかぶりを振った。
「それがなあ、全く覚えてないんだよ。当時、テレビのレポーターや新聞記者にもさんざん聞かれたんだけど、奴らとは話したこともなかったから何も答えられなかった。だいたい、俺はあの二人の名前も知らなかったからな。本当に、目立たない二人だったよ」
彼の名誉のために言わせてもらうと、これは彼の記憶力に問題があるわけではない。実際、他の関係者たちにも犯人の印象を聞いてみた。しかし皆、同じことしか言わない。目立たない二人組で全く印象に残っていない、と。
事件当時は十六歳であったため、犯人は少年Aと少年Bとして報道された。しかし、いつの世もクチコミの情報は威力を発揮する。ネットが無い時代であっても例外ではない。二人の少年の本名は、あっさりと突き止められてしまった。それだけでなく、自宅と家族の名前まで多くの人に知られることとなる。
どんな時代であっても、人間の正義感は暴走しがちである。少年Aと少年Bの家族たちは、正義を愛する一部の市民たちにより凄まじい嫌がらせを受けたのだ。昼夜を問わない連日のイタズラ電話、窓ガラスへの投石、塀の落書き、罵詈雑言の書かれた手紙の投函などなど。だがそれだけでは収まらず、ついには放火や暴行まで起きる事態となった。
その結果、少年Aの父親と母親は「すみません」とだけ書かれた遺書を遺して自殺した。
少年Bの家庭も崩壊してしまった。まず父親が自殺し、母親は心を病んで入院した。兄は失踪してしまい、今も行方が知れない。自殺したとの噂もある。
犯罪、それも大それた犯罪は……被害者とその家族のみならず、加害者の家族の人生まで崩壊させてしまうのだ。
「俺はあの事件があってから、つくづく嫌になったよ。このままじゃいけない、って思ってな。ハマコウが潰れたのをきっかけに、俺は定時制に通いながら働き始めたんだ。あの事件が無かったら、俺はヤクザにでもなっていたかもしれないよ」
そう語る彼の表情は、とても穏やかなものだった。今は小さな土建屋をやりながら、問題のある少年たちの更生に関わっているらしい。なるほど、と頷ける。
残すは、最後の質問だけとなった。
正直に言うなら、私はこの質問をすることに躊躇していた。他にも数人に取材している。だが、これまた一様に同じ答えが返ってきている。
そんな男など知らない、と。
「最後にひとつだけ、お聞きしたいのですが……ペドロ・クドウという生徒を覚えていますか?」
「ペドロ? んな奴いたかなあ? 外国人かい?」
彼は、訝しげな表情を浮かべて聞き返してきた。どうやら、ここでも結果は同じらしい。
「ええ。あなたより一学年下の生徒です。メキシコと日本のハーフだったらしいんですが、記憶にありませんか?」
「いや、知らないな。一年生にハーフなんかいたら、気付きそうなもんだけどね。俺はそんな奴、見たことも聞いたこともないよ」
その言葉に嘘は無さそうだった。私は思わずため息を吐く。やはり、今回も収穫はゼロなのか。
「では、この写真を見ていただけますか? ペドロが写っているらしいんですが……」
ダメで元々、という気持ちで私はタブレットの画面を見てもらった。昔の写真を画像にしたものだ。
大勢の男子生徒が写っている。皆、リーゼントやオールバックやパンチパーマや角刈りだ。当時の不良の見本とでも言うような若者ばかりが写っている。
その中にひとり、下を向いている生徒がいた。どんな顔をしているのかは、写真では判別できない。体は、さほど大きくないように見える。着ている学生服も標準のものだ。およそマトモとは言い難い格好の生徒たちの中において、かえって目立っているのが皮肉に思えた。
「いやあ、これだけじゃあ分からないなあ」
苦笑する彼。私もつられて苦笑した。
「ですよね」
翌日。
駅を降りた後、私は東京拘置所に向かい、ゆっくりと歩き始めた。道すがら、これまでの取材で得られた情報を整理してみる。
浜川高校・校舎立てこもり事件。
一九八X年に少年Aと少年Bが引き起こした、日本の犯罪史上でも類を見ない凶悪事件だ。
ことの起こりは、浜川高校の一学期の終業式である。二人の少年が手製の武器を所持し、全校生徒が集合していた体育館に現れる。と同時に、瞬く間に十人近い生徒を殺害した。さらに数人の生徒を人質にして校内に立てこもり、警官を相手に大立ち回りを演じた挙げ句、人質全員を道連れに自殺したのだ。
当時の日本の話題の中心となっていた凶悪事件は、被疑者死亡という形で幕を閉じた。
そもそも、この事件の舞台となった浜川高校は……「ゴミ溜め」という異名を持つ最低ランクの私立高校である。
校内暴力の発生件数がピークに達していた一九八〇年代。そんな時代にあってなお、浜川高校の程度の悪さは群を抜いていた。何せ、入学試験は名前が書ければ合格、という噂すら流れていたほどである。校内でタバコを吸うのは当たり前、暴力沙汰やバイクによる暴走行為、さらには窃盗や恐喝といった犯罪も絶えなかったらしい。また教師の方も、生徒が何をしようが見て見ぬふりだ。
そんな高校が、何ゆえに存続していたか……それは、来る者拒まずという校風のためだろう。
七〇年代後半には、高校への進学が当たり前となっていた。子供の最終学歴は最低でも高卒、を望む親たちとしては……最低の成績であろうと問題行動があろうと受け入れてくれる浜川高校のような学校は、本当にありがたいものだったのだ。
しかし、少年Aと少年Bの起こした事件の後、何もかもが変わってしまった。浜川高校はマスコミから散々に叩かれ、さらに亡くなった生徒の両親たちからも、管理体制の不備を理由に相次いで訴訟を起こされる。もはや、学校として存続していくのは不可能となってしまった。
今では、浜川高校は影も形も無い。完全に、忘れ去られた存在である。
だが、私は知っている。
浜川高校・校舎立てこもり事件。その裏には、少年Cとでも言うべき人物がいたのだ。全ての元凶は、少年Cだった。彼が少年Aと少年Bを操り、あのような恐ろしい事件を引き起こさせたのだ。少年Cもまた、AやBと同じく目立たない生徒だった。
その少年Cは現在、東京拘置所の独房にいる。日本の切り裂きジャックとの異名を取る連続殺人犯として逮捕され、裁判の日を待っている身だ。もっとも、間違いなく死刑であろう。本人もそれを望んでいるらしいが。
私は今から、少年Cだった男に会いに行く。
事件の真相を知るために。そして、彼の正体を告白させるために……。
「本当に、とんでもない事件だったよ。あれがきっかけで、ハマコウは廃校になっちまった訳だからな。何しろ、普通の学校がいきなり戦場みたいになっちまったんだぜ。恐ろしい話だよ。当時は、ヘリコプターが飛んだり機動隊が来たりテレビカメラも来てたなあ。もっともガキだった俺たちは、お祭り騒ぎみたいな目で見てたけどね。あの事件の恐ろしさは、全てが終わってからやっと理解できた気がするよ」
しみじみとした口調で語るのは、当時ハマコウこと浜川高校の生徒だった男だ。かつては筋金入りの不良だったらしいが、今では温厚そうな中年男にしか見えない。作業服に身を包み、にこやかな表情で私の質問に答えている。もっとも、顔は厳つい。右眉のあたりには棒か何かで殴られたような傷痕がある。恐らくは、若い頃の古傷であろう。
「あの事件を起こした二人の少年ですが、率直に言ってどんな生徒でした?」
私の問いに、彼はかぶりを振った。
「それがなあ、全く覚えてないんだよ。当時、テレビのレポーターや新聞記者にもさんざん聞かれたんだけど、奴らとは話したこともなかったから何も答えられなかった。だいたい、俺はあの二人の名前も知らなかったからな。本当に、目立たない二人だったよ」
彼の名誉のために言わせてもらうと、これは彼の記憶力に問題があるわけではない。実際、他の関係者たちにも犯人の印象を聞いてみた。しかし皆、同じことしか言わない。目立たない二人組で全く印象に残っていない、と。
事件当時は十六歳であったため、犯人は少年Aと少年Bとして報道された。しかし、いつの世もクチコミの情報は威力を発揮する。ネットが無い時代であっても例外ではない。二人の少年の本名は、あっさりと突き止められてしまった。それだけでなく、自宅と家族の名前まで多くの人に知られることとなる。
どんな時代であっても、人間の正義感は暴走しがちである。少年Aと少年Bの家族たちは、正義を愛する一部の市民たちにより凄まじい嫌がらせを受けたのだ。昼夜を問わない連日のイタズラ電話、窓ガラスへの投石、塀の落書き、罵詈雑言の書かれた手紙の投函などなど。だがそれだけでは収まらず、ついには放火や暴行まで起きる事態となった。
その結果、少年Aの父親と母親は「すみません」とだけ書かれた遺書を遺して自殺した。
少年Bの家庭も崩壊してしまった。まず父親が自殺し、母親は心を病んで入院した。兄は失踪してしまい、今も行方が知れない。自殺したとの噂もある。
犯罪、それも大それた犯罪は……被害者とその家族のみならず、加害者の家族の人生まで崩壊させてしまうのだ。
「俺はあの事件があってから、つくづく嫌になったよ。このままじゃいけない、って思ってな。ハマコウが潰れたのをきっかけに、俺は定時制に通いながら働き始めたんだ。あの事件が無かったら、俺はヤクザにでもなっていたかもしれないよ」
そう語る彼の表情は、とても穏やかなものだった。今は小さな土建屋をやりながら、問題のある少年たちの更生に関わっているらしい。なるほど、と頷ける。
残すは、最後の質問だけとなった。
正直に言うなら、私はこの質問をすることに躊躇していた。他にも数人に取材している。だが、これまた一様に同じ答えが返ってきている。
そんな男など知らない、と。
「最後にひとつだけ、お聞きしたいのですが……ペドロ・クドウという生徒を覚えていますか?」
「ペドロ? んな奴いたかなあ? 外国人かい?」
彼は、訝しげな表情を浮かべて聞き返してきた。どうやら、ここでも結果は同じらしい。
「ええ。あなたより一学年下の生徒です。メキシコと日本のハーフだったらしいんですが、記憶にありませんか?」
「いや、知らないな。一年生にハーフなんかいたら、気付きそうなもんだけどね。俺はそんな奴、見たことも聞いたこともないよ」
その言葉に嘘は無さそうだった。私は思わずため息を吐く。やはり、今回も収穫はゼロなのか。
「では、この写真を見ていただけますか? ペドロが写っているらしいんですが……」
ダメで元々、という気持ちで私はタブレットの画面を見てもらった。昔の写真を画像にしたものだ。
大勢の男子生徒が写っている。皆、リーゼントやオールバックやパンチパーマや角刈りだ。当時の不良の見本とでも言うような若者ばかりが写っている。
その中にひとり、下を向いている生徒がいた。どんな顔をしているのかは、写真では判別できない。体は、さほど大きくないように見える。着ている学生服も標準のものだ。およそマトモとは言い難い格好の生徒たちの中において、かえって目立っているのが皮肉に思えた。
「いやあ、これだけじゃあ分からないなあ」
苦笑する彼。私もつられて苦笑した。
「ですよね」
翌日。
駅を降りた後、私は東京拘置所に向かい、ゆっくりと歩き始めた。道すがら、これまでの取材で得られた情報を整理してみる。
浜川高校・校舎立てこもり事件。
一九八X年に少年Aと少年Bが引き起こした、日本の犯罪史上でも類を見ない凶悪事件だ。
ことの起こりは、浜川高校の一学期の終業式である。二人の少年が手製の武器を所持し、全校生徒が集合していた体育館に現れる。と同時に、瞬く間に十人近い生徒を殺害した。さらに数人の生徒を人質にして校内に立てこもり、警官を相手に大立ち回りを演じた挙げ句、人質全員を道連れに自殺したのだ。
当時の日本の話題の中心となっていた凶悪事件は、被疑者死亡という形で幕を閉じた。
そもそも、この事件の舞台となった浜川高校は……「ゴミ溜め」という異名を持つ最低ランクの私立高校である。
校内暴力の発生件数がピークに達していた一九八〇年代。そんな時代にあってなお、浜川高校の程度の悪さは群を抜いていた。何せ、入学試験は名前が書ければ合格、という噂すら流れていたほどである。校内でタバコを吸うのは当たり前、暴力沙汰やバイクによる暴走行為、さらには窃盗や恐喝といった犯罪も絶えなかったらしい。また教師の方も、生徒が何をしようが見て見ぬふりだ。
そんな高校が、何ゆえに存続していたか……それは、来る者拒まずという校風のためだろう。
七〇年代後半には、高校への進学が当たり前となっていた。子供の最終学歴は最低でも高卒、を望む親たちとしては……最低の成績であろうと問題行動があろうと受け入れてくれる浜川高校のような学校は、本当にありがたいものだったのだ。
しかし、少年Aと少年Bの起こした事件の後、何もかもが変わってしまった。浜川高校はマスコミから散々に叩かれ、さらに亡くなった生徒の両親たちからも、管理体制の不備を理由に相次いで訴訟を起こされる。もはや、学校として存続していくのは不可能となってしまった。
今では、浜川高校は影も形も無い。完全に、忘れ去られた存在である。
だが、私は知っている。
浜川高校・校舎立てこもり事件。その裏には、少年Cとでも言うべき人物がいたのだ。全ての元凶は、少年Cだった。彼が少年Aと少年Bを操り、あのような恐ろしい事件を引き起こさせたのだ。少年Cもまた、AやBと同じく目立たない生徒だった。
その少年Cは現在、東京拘置所の独房にいる。日本の切り裂きジャックとの異名を取る連続殺人犯として逮捕され、裁判の日を待っている身だ。もっとも、間違いなく死刑であろう。本人もそれを望んでいるらしいが。
私は今から、少年Cだった男に会いに行く。
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