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今川勇三(1)

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 今川勇三は、車を停めた。
 ここ数日間、ベッドの上で寝ていない。事件の情報を調べるためにあちこち動き、ずっと車の中で寝泊まりしている。疲れる日々だが、確かな成果はあった。
 だが、知れば知るほど、ますますわからなくなってきたのも事実である。



 彼は、改めて島田義人という人物について考えてみた。
 取材に応じて島田の情報を教えてくれた住友顕也は、どうしようもないチンピラだった。ヤクザにもなれないし、半グレの間でも出世できないタイプの男である。取材の最中も、暴力を背景にした脅迫のごとき言動を繰り返していた。最後には、恐喝のようなやり方で金を得ようとしたのである。おかげで、予想外の金額を支払うことになった。
 そんなチンピラですら、島田の悪口は言っていなかったのだ。

(俺はな、島田を小学生の時から知ってる。あいつはな、マスコミが言ってるような血も涙もないモンスターじゃなかったんだよ。あいつは、本当にいい奴だった)

 この言葉は、島田という男の人間性を証明しているのではないのか。ああいうチンピラは、他人を褒めるよりけなすことの方を好むものだ。にもかかわらず、島田のことは悪く言っていない。
 さらに、島田が施設の職員である石川誠を殺害した動機は……石川が、施設の女の子にいたずらをしていたからだとも言っていた。いや、いたずらなどと呼んでいいものではない。
 住友は、はっきり言っていた。

(石川はな、小学生の女の子をレイプするようなロリコン野郎だったんだよ)

 自らの教え子である幼い少女をレイプする、正真正銘のクズ。他の者たちが見て見ぬふりをする中で、中学生の島田が話をつけようとしたのだ。挙げ句に口論になり、刺してしまった……と、言っていた。この事実を、夏帆と栞は知っているのだろうか。
 今川は、かつて島田と話した時のことを思い出した。とても不器用な性格だが真っすぐな男……という印象を受けている。それは、間違いではなかったらしい。
 そんな男がなぜ、あんな事件を引き起こしたのだろうか。
 誰ひとり得をしないような、大それた事件を。



 次に、松村広志のことを考えてみた。
 一流大学を卒業後は、一流企業に就職し課長にまで昇りつめた。まぎれもないエリートサラリーマンであり、交遊関係も広い。俗に言う「リア充」なのだろう。いや、そんなレベルではない。
 ところが、元カノ(セックスフレンドと呼んだ方が正確かもしれないが)の光穂由紀は、広志にも違う一面があることを教えてくれた。

(あいつはね、顔みたいに目立つ場所は絶対に殴らないんだよ。肩とか、腹とかを何度も何度も殴るの。あたしも、何度殴られたかわかりゃしない)

 広志には、女性に暴力を振るう性癖があったらしい。それも、腕や腹といった目立たない部分を執拗に殴り続ける、という卑劣きわまりないものだ。エリートサラリーマンらしからぬ性癖である。もっとも、エリートに相応しい性癖は何なのか? と問われたら、今川には答えられないが。
 ともかく、広志にはおおやけに出来ない一面があった。そのことを教えてくれた光穂には、大いに感謝せねばなるまい……もっとも、随分と高い代償を支払うことになったのだが。


 
 さらに、夏帆と栞の母子についても考えてみる。
 先日、白土市を散歩をしていた二人は、とても幸せそうに見えた。人間の裏側ばかり見てきた今川が、思わず表情を崩してしまうくらいに。
 しかし、あの母子は……傍から見れば、紛れもなく不幸な身の上なのである。夫が、いきなり侵入して来た脱獄犯に襲われ死亡。その後、人質としてあちこち連れ回されたのだ。
 さらに、彼女たちには別の一面もあった。

(男の声だったけど、お前聞いてんのか! とか、ぶっ殺すぞ! みたいな感じのさ。そんなのを、家の前を通りかかった時に二、三回聞いた覚えがあるよ)

(あの奥さん、綺麗な顔してたけど……いつも俯いて、下ばかり見て歩いてた。声をかけると、ビクッとなって顔を上げるんだよ。なんか、怯えた動物みたいな感じだったね)

 上田聡子の言葉を思い出す。やはり、夏帆もまた広志から暴力を振るわれていたのであろう。さらに栞にいたっては、外出すらさせてもらえなかった。
 そういえば、広志の親友を自認していた佐藤は、栞の存在は知っていた。だが、どんな娘であるかは知らなかったし、会ったこともなかった。今川の話を聞くまでは、耳が不自由であることすら知らなかったのだ。
 広志は、親しい友人であるはずの佐藤にも、娘の状態を話していなかった。さらに、娘を家の中に閉じ込めていた。まるで、籠の中の鳥のように。恐らく、友人知人を家に招いたこともないのだろう。これは、何を意味するのか。
 今川の頭に、ひとつの可能性が浮かび上がる。松村広志という人物は、もしかしたら……ヤンキー女の見本のような光穂に優るとも劣らないくらいのクズだったのかもしれない。
 そんなクズが支配する家に……脱獄した直後、偶然に侵入した島田。家にいた広志を一瞬で殴り殺し、二人を車で連れ出した。
 これは、偶然なのだろうか?

 はっきり言って、この事件は……始まりから終わりまで、何もかもがおかしいのだ。そもそも、島田がどうやって松村邸に行ったのかがわからない。刑務所から松村邸までは、徒歩で行ったら十時間近くかかるだろう。もちろん迷わずに行けたとして、だ。島田が、あの辺の地理に詳しいとは思えない。
 そんな中、島田は山の中を凄まじい速さで走破した。さらに、たまたまドアの鍵が開いていた松村邸に侵入する。しかも、猟銃が保管してあった家に、である。こんなことは、海岸で一粒の砂を拾うに等しい可能性ではないのか。
 次に、島田は夏帆と栞を連れて車であちこち移動していた。実際、市内で三人の姿を目撃していた者もいるらしい。町の中なら、二人か逃げる隙はいくらでもあったはずだ。にもかかわらず、夏帆と栞は島田に付いて行った。自分の夫を、目の前で殺した男に。
 全てが、あまりにも不自然なのだ。にもかかわらず、警察はあっさりと捜査を終わらせた。被疑者死亡という最悪の形で。
 もっと、詳しく調べてみなくてはならない。



 その時、また別の人物の名前を思い出した。チンピラである住友が、畏怖の念とともに語っていた男。

(施設にひとり、化け物みたいなのがいたんだ。俺は、そいつが石川を殺したんじゃねえかと思ってる)

 高村獅道。
 その男は、今回の件とは何の関係もない。住友の言っていたことも、全く信用できなかった。あの手の男は、とかく話を盛りたがるものだ。
 にもかかわらず、妙にひっかかるものを感じた。ついでに、その高村獅道のことを知っていた人物に、いろいろ聞いてみるとしよう。他の人間が、高村という男に何を思っていたか……調べてみるのも面白い。
 そんなことを思いつつ、今川は車を降りた。朝、パンひとつを食べたきり、何も口にしていない。まずは、腹ごしらえだ。彼は、目の前のコンビニへと入って行った。

 ・・・

 佐藤孝明は、ようやく仕事を終えて会社を後にした。空には、既に月が出ている。
 今日は、トラブル続きで本当に疲れた。学生アルバイトが大量に休んだせいで、とばっちりを受け残業をする羽目になった。さっさと帰って、泥のように眠りたい気分である──

「すみません、佐藤孝明さんですよね?」 

 不意に呼び止められ、佐藤は振り返った。
 そこには、灰色の地味なスーツを着た男が立っている。年齢は四十代から五十代。身長はさほど高くないが、肩幅は広くがっちりしている。髪は、てっぺんの方からだいぶ薄くなってきており、落ち武者を連想させる。目つきは鋭く、鼻は曲がっている。
 言うまでもなく、佐藤はこんな男には見覚えはない。彼は、じっと目の前の男を睨みつけた。
 
「どちら様でしたかねえ?」

 一応は敬語を使ってはいるが、その顔には警戒心があらわになっている。

「ちょっと、お話を聞きたいのですが、よろしいですか?」

「悪いけど、今は忙しいんですよ。また今度にしてください」

 そう言って、佐藤は歩き出す。何者かは知らないが、今日は疲れている。かかわりたくない。
 だが、中年男は退かない。すっと動き、彼の前に立ち進路を塞ぐ。

「まあまあ、そう言わなないでくださいよ。すぐに終わりますから」

 言いながら、佐藤の肩に触れる。
 佐藤の表情が変わった。あまりにも馴れ馴れしい態度だ。
 
「おい、おっさん! いい加減にしろや!」

 怒鳴ると同時に、中年男の胸を手のひらで突いた。力任せに突き飛ばし、進路から排除しようとしたのだ。
 だが、男は微動だにしない。平然として、佐藤を見つめているのだ。
 佐藤は唖然となる。まるで大木を殴ったかのような感触が、手のひらを通じて伝わって来たのだ。
 一見すると、ただのメタボ気味のオヤジだが……この男、超人的な腕力の持ち主だ。今も相当鍛えているらしい。スーツの下は、分厚い筋肉に覆われている。
 さらに、今になって気づいたが、男の耳たぶには明確な特徴があった。潰れてデコボコになっており、まるでギョーザのような形である。柔道を長年やっていた者に特有の形だ。

「あ、あんた何者だよ……」

 佐藤のその問いに対し、男は余裕の表情で軽く会釈する。直後、懐から何かを取り出した。
 それは、警察手帳であった。

「えっ? あなた、刑事さんだったんですか?」 

 怪訝な表情を浮かべる佐藤に、男は頷いた。

「どうも、私は加賀谷カガヤタクミという者です。二、三お聞きしたいことがありまして……ちょっとだけ、お時間よろしいですか?」

「いったい何事ですか?」
 
「大丈夫ですよ。あなたが事件の容疑者と目されているわけではありません。それに、すぐ終わりますので……実は、あなたの知人についてお聞きしたいんです」

「え、ええと──」

「嫌とは言わないですよね? 今、あなたがやったことは公務執行妨害になりますよ。それを見逃してあげますから、ね」





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