化け猫のミーコ

板倉恭司

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幸せの形(3)

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 僕は、ゆっくりと駅への道を歩いていた。
 考えてみれば、最近の母さんは妙に機嫌がよかった気がする。ひとりでニヤニヤ笑ったり、わけわからん歌を唄いながら調理していたり……大丈夫だろうか、と心配したりもした。
 だが、原因がわかれば何ということはない。そういえば、ストレッチや筋トレなんかもちょくちょくやってたな。あれは、龍平の影響なんだろう。
 ふと、龍平と初めて会った時のことを思い出していた。

 ・・・

 あの頃の僕は、他人の目が怖かった。
 知っている人が、ひとりもいない中学校。人からの視線に怯え、人と目を合わせないようにしていた。休み時間には誰とも話さず、ひたすらノートに絵を描いていた。
 そうなると、あいつは暗いから話しかけるのやめとこう……という空気が、周辺に漂うことになる。僕は、常にひとりぼっちだった。クラスメートの名前や顔も、ほとんど覚えていない状態だった。



 ある日の休み時間、いつものように席に座り、ノートに絵を描いていた時のことだ。
 不意に、他人の気配を感じた。
 間違いない、誰かがすぐそばに立っている。僕をじっと見下ろしているのだ。
 気付かぬふりをして、絵を描くことだけに集中した。早くいなくなってくれ、と祈りながら、絵を描き続けた。
 ところが、その誰かが去る気配はない。その視線を痛いほど感じ、僕の足は微かに震えていた。
 どうやら、何者かに目を付けられてしまったらしい。そう思った瞬間、描いていた線が微妙にズレた。そのズレを修正しようとしたら、ますますおかしくなる。
 その途端、何やら動く気配がした。顔をこちらに近づけているようだ。だが、僕は怖くて反応できなかった。

 またなのか?
 また、あの地獄の日々が始まるのか?

 僕の手が止まった。というより、動かなくなったのだ。緊張のあまり心臓がバクバクし、背中に冷や汗が流れる。また、あれが始まったら、僕はどうすればいい?
 その時、上から野太い声が聞こえてきた。

「お前の描いているの、『エイリアンVS化け猫』のミーコだよな?」

 えっ? と思った。
 『エイリアンVS化け猫』とは、山の中にある田舎の村を占領したリザードマン型エイリアンに、数百年前から生きてる化け猫ミーコが妖怪を率いて戦いを挑む……という、実にバカバカしい映画である。実際、世間ではほとんど知られていない映画だ。もっとも、一部のバカ映画マニアの間では有名な作品だったりする。
 そもそも、この化け猫ミーコは都市伝説マニアの間では有名な存在なのだ。尻尾が二本生えた可愛い黒猫だが、人間の言葉を喋る。しかも、かなり辛口のセリフを吐くらしいのだ。
 ミーコの目撃談は全国各地から数多く寄せられており、昭和の口裂け女のごとき存在になっていた。ミーコを目撃した人は幸せになれる、という伝説すらあるくらいだ。
 そんな化け猫が村から逃げてきた少年に頼まれ、周辺に潜む妖怪を集めてエイリアンと戦う……という、ゆるいバトル系ホラー映画なのである。ホラーというよりは、コメディーに近いだろう。
 こんなマニアックな映画を知っている同級生がいたとは、意外だった。僕は、恐る恐る顔を上げてみた。
 すると、そこには怖い男が立っていた。背は高く肩幅は広く、胸板の厚いがっちりした体格だ。顔は濃く、同じ年齢とは思えないくらいフケ顔である。
 
 なんだ、この男は──

 迫力に圧倒されている僕に、彼は一方的に語り出す。

「俺はな、あのラストシーンで泣いたんだよ」

 真顔で、そんなことを言ってきた。でも、気持ちはわからなくもない。映画はゆるい雰囲気に包まれていており、妖怪もエイリアンも怖さなど微塵も感じさせないデザインであった。戦闘シーンも、子供向け特撮と同レベルだった気がする。
 ところが、エイリアンが撃退され村に平和が戻りハッピーエンドかと思いきや、終盤にちょっとしたどんでん返しがある。妖怪たちを見た村人は、いきなり石を投げつけるのだ。主人公の少年が必死で止めようとするが、村人たちの暴走は止まらない。しまいには、棒や包丁などを手に妖怪に襲いかかるのだ。
 エイリアンを撃退し村人を守ったのは、妖怪なのである。その事実を主人公は必死で訴えるが「ガキは引っ込め!」と言われ張り倒される。しかも、妖怪に襲いかかる村人たちの描写は、はっきり言って怖かった。皆、ヤク中のごとき顔で包丁や棒を振り回しているのだ。
 村人を止める立場のはずの警官までもが、皆を先導し拳銃を乱射する始末だった。妖怪たちは、抵抗せず悲しそうな顔で逃げ去っていく。
 最終的に、ミーコも村を去っていく。「人間なんか、しょせんこんなもんだニャ」などと冷めたセリフを吐き、振り返りもせず去っていった。見送る主人公の少年は、号泣しながら崩れ落ちる。そんな場面で終わりとなっていた。
 この暗くやるせない終わり方も、人気が出なかった一因だろう。やはり、最後までゆるい雰囲気のハッピーエンドで終わらせるべきだった気はする。
 でも個人的には、あのラストは好きだった。

「あのラストは、妖怪よりエイリアンより、人間が一番怖いってことなんだろうね」

 思わず呟いていた。そう、僕にはわかる。人間の悪意は、本当に恐ろしいのだ。特に閉鎖的な社会では、異質なものは徹底的に排除しようとする。
 僕も、排除された側にいたから──
 などと思った時、いきなり彼の手が僕の肩を掴んでいた。

「なるほど……そうだったのか! お前、すごいな! 俺は今、猛烈に感動しているぞ!」

 言いながら、今度は僕の手を握ってきた。わけがわからないが、とりあえず頷くしかない。

「そ、そうなんだ……」

「いやあ、同じクラスにお前みたいな奴がいてくれて嬉しいぞ! 今日から、お前は心の友だ!」

 興奮した様子で、一方的に語りかけてきた。戸惑いながらも、言葉を返す。
 気がつくと、次の休み時間にも話していた。さらに、その日のうちに自宅にまで押しかけて来たのだ。一緒に『エイリアンVS化け猫』のDVDを観よう! と言われ、断り切れず家に連れて来てしまったのである。

 ・・・

 あれから、四年か。

 まさか、あの時に出会った大きな同級生が、四年後に母さんと抱き合っている場面を見ることになろうとは。運命とは、なんとも不思議なものだ。
 だが、龍平がいなかったら……母さんとの会話のきっかけは掴めなかったかもしれない。僕は今頃、高校に進学せず部屋に篭ったままだった可能性もある。
 母さんを取られた、というような思いはない。まあ、元は父さんなんだから、あるはずもないんだけどね。ただ、見たこともないオッサンと母さんが抱き合っていたのであったら、また違う思いを抱いていたのかもしれない。
 しかし、相手は友人の龍平である。龍平がいい奴なのは知っている。真面目で誠実だし、好きになった相手は全身全霊を持って守る男だ。バカだけど。
 それに、母さんが元は男だったことや、僕みたいな息子がいることを承知の上で、十六も歳の離れた母さんと本気で付き合っている。やっぱり、龍平は凄い奴だ。バカだけど。
 僕にとって、どちらもかけがえのない存在だ。だから、ふたりが傷つくところは見たくない。ふたりが傷つけ合うところも見たくない。
 最終的にどうなるにせよ、母さんと龍平には幸せになって欲しい。



 そんなことを考えていたら、なぜか涙が出てきた。そっと目を拭き、気持ちを切り替える。
 さて、久しぶりに駅近くの図書館で勉強でもするか。来年はいよいよ大学受験だしな……などと考えていた時だった。

「おおい健一! またんか!」

 恐ろしい声が聞こえた。振り返ると、凄まじい勢いで追いかけてきた者がいる。誰かは確かめるまでもない、龍平だ。せっかく気を遣って二人きりにしてやったというのに、このバカは……。
 龍平は、あっという間に僕を追い越していった。直後に目の前に立ち、僕の進路をふさぐ。
 恐ろしい形相で口を開いた。

「健一、行かないでくれ! 三人で、もっと話したいことがあるんだ!」

「いや、僕は話すことはないから……」

「俺にはある! 山ほどある! まずは、この言葉を言わせてくれ! ずっと前から、お前に言いたかったんだ!」

 吠えた直後、龍平は僕の前で土下座したのだ。言うまでもなく、ここは外である。駅も近い。当然ながら、他の通行人も少なからずいる。なのに、こいつは土下座したのだ。
 唖然となっている僕だったが、まだ終わりではなかった。直後に龍平は、とんでもないセリフを叫んだのである──

「お母さんを、僕にください!」

 思わず、その場で倒れそうになった。さっきの涙を返して欲しい。公衆の面前で、何てバカなことを言い出すのだ。
 ゆっくりと周囲を見てみた。すると、数人の人がこちらを見ている。何をしているんだ、と好奇の視線を向けている。さらには、黒い猫までもが座り込んで僕と龍平を見ている。あれ、あの猫……尻尾が二本あるじゃないか!?
 いや、今はそれどころではない。とにかく、この男をなんとかしなくては……僕は、彼を無理やり起き上がらせた。

「わかった。わかったから、まずは家に帰ろう。話があるんでしょ? 話し合おうか」

「おお、話を聞いてくれるか! さすが、心の友だ!」

 龍平は立ち上がった。僕と肩を組み、嬉しそうに歩き出す。僕は、半ば引きずられているような状態だ。
 悪い気分ではなかった。ただ、いつか龍平を「お父さん」と呼ぶ日が来るのだろうか……という不安を感じていた。
 いや、待てよ。戸籍上、大東恵司が僕の父親のはずだ。そうなると、僕には父親が二人いることになってしまうのではないか。
 まあ、そうなっても別にいいけど。幸せの形は、人それぞれ違ってて当然だしね。

 ・・・・

 そんな二人をじっと見つめていた黒猫は、後ろ足で耳の裏を掻き始める。

「あいつらは、アホだニャ」

 ボソッと呟くが、誰も聞いていなかった。そもそも、この幸運を呼ぶ伝説の黒猫の存在に気づいていたのは、健一だけだった。
 

 




 
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