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最強の配達娘
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山樫明世《ヤマカシ アキヨ》は、十五歳の高校一年生である。身長は百四十五センチの小柄な体つきだ。髪は短めで、ゆるキャラを擬人化させたようなユニークな顔の持ち主である。
彼女は、荷物を配達するアルバイトをしているのだが……他の配達員と違い、たった四軒しか配達しない。
その四軒には、きわめて特殊な事情があるからだ。
日曜日の朝九時。
空には日が昇っているが、辺りはひんやりとした冬の空気に覆われている。油断していると、たちどころに風邪を引いてしまうだろう。
そんな時に、ジャージ姿の明世はマンション『フォックスハイツ』の前に立っていた。本来なら、すぐさまマンション内に入って行き配達するところだ。
ところが、そうもいかない事情があった。目の前には、数台のパトカーが止まっている。さらに、マンションの入口には黄色いテープが張られていた。どうやら、警察が中で捜査しているらしい。
明世は、思わず頭を掻いた。このフォックスハイツは、ヤクザや半グレや外国人マフィアなどといった、裏社会の住人の関係している事務所が多い。違法なバーや風俗店、違法カジノなども入っている。なので、周辺の住民からは『プリズン・マンション』などと呼ばれているくらいだ。
当然ながら、中には危険人物も多い。しかも、週に三回はどこかの部屋に警察のガサ入れがある始末だ。今も、一階の部屋にガサ入れが入っているらしい。警官と、ヤクザらしき者たちが罵り合う声が聞こえている。
こうなると、入口からは入れない。明世は、どうしたものかと考えた。
やがて一計を案じ、ベランダ側へと回る。
直後、パッと飛び上がった──
僅かな突起に指をかけ、明世は壁にへばり付いていた。
その体勢から手を伸ばし、排水パイプを掴む。さらに足先を、小さなでっぱりに引っ掛ける。
荷の入ったリュックを背負った状態で、突起やデコボコに指先や足先を引っ掛け全体重を支えつつ、明世は上の階を目指す。ヤモリのごとき姿で壁を進んでいった。
ボルダリングの世界チャンピオンですら困難な体勢で、壁をすいすい登っていく明世。その姿は、もはやCGにしか見えない──
やがて、目指す場所へと辿り着いた。ベランダの塀を越え、音もなく降り立った。
申し訳なさそうに、ガラス戸をとんとんと叩く。
ややあって、奥から出てきてガラス戸を開けたのは、中島竜司である。百八十五センチ百キロの体格であり、筋肉に覆われた体の上にはモヒカン刈りの凶悪な顔が乗っていた。
彼は一応、この屋の住人である。もっとも厳密に言うと、部屋を借りているのは暴力団の戸塚組なのだが。
そう、この部屋はヤクザの事務所なのである。中島は、戸塚組の組員だ。
しかし、さすがのヤクザも明世の行動には度肝を抜かれたらしい。唖然とした表情で、彼女を見ている。
「お前、配達娘じゃねえか。どうやって、ここに来たんだよ?」
竜司は、明世に配達娘というあだ名を付けている。そう、二人は顔見知りなのだ。
「すみません。下の階で、ガサ入れしてまして……入口からは入れなかったんですよ。仕方ないので、こっちから来ました。はい、荷物です。サインください」
ペコペコ頭を下げながら、明世は小さなダンボール箱を手渡す。竜司は、呆気に取られながらサインした。が、不意に下を見下ろした。
直後、彼女の手を掴み室内へと引っ張り込む。さすがに、明世も血相を変えた。
「ちょっと待ってください! 何をするんですか──」
「馬鹿野郎、何もしねえよ。それより聞きたいことがある。お前、この壁をよじ登って来たのか?」
「はい。それしかなかったんですよ。警官とヤク、いや任侠の人が揉めてまして……」
明世の言葉を聞き、竜司は唖然となった。
「お前、すげえ奴だな。おい虎治、起きろ!」
怒鳴ると、奥からもうひとりが出て来た。竜司と同じくらいの体格であり顔も似ているが、髪型は逆モヒカンである。
この男、名を中島虎治といい、竜司の弟である。竜司と虎治は「戸塚組の竜虎兄弟」の異名を持ち、武闘派として知られた存在なのだ。
しかし、今の虎治はパジャマ姿であった。それも、可愛らしいウサギちゃんがプリントされたものである……。
「何だよ、兄ちゃん。俺、四時まで飲んでたのによう」
目をこすりながら抗議する虎治に、竜司はボディーブロウを食らわした。
「見ろよ。配達娘がな、壁をよじ登って荷を届けにきたんだ」
「えっ、マジかよ、ここ十階だぜ……」
虎治は、あんぐりと口を開けた。一方、明世はぺこりと頭を下げる。
「で、では、次の配達がありますので」
挨拶し、再びベランダへと向かう。その背中に、虎治が声をかけた。
「ちょっと待てよ。なあ、プリンでも食っていかねえか?」
「すみません、今は忙しいんですよう」
そう言うと、明世は壁を降りていく。ちょっとした出っ張りやデコボコに指を引っかけつつ、すいすいと降りていった。
「あいつ、ハンパじゃねえな……うちの組に、欲しい人材だぜ」
明世の降りていく姿を見ながら、竜司は呟いていた。
次に明世がやって来たのは、高い塀に囲まれた屋敷である。鉄製の門は閉められたままだ。
「困ったなあ」
ひとり呟くと、塀の上を見上げる。四メートルはあるだろうか。
直後、ぱっと飛び上がった。塀に飛び蹴りを食らわし、そこを足場にして一気に駆け上がる──
曲芸のごとき技で塀を乗り越え、敷地内へと侵入する。中は木が生い茂り、地面には草が生えていた。
さらに、数匹の山羊がこちらを睨んでいた──
山羊という生き物は、実のところ気が荒い。縄張りに入って来たものは容赦なく攻撃する。時には、狼や虎のような肉食獣にも向かっていくのだ。
おまけに、人間より足も速く力も強い。角による攻撃は、人を殺すことも可能なのだ。
明世は、目を山羊の方に向けつつ、ゆっくりと横方向に動いていく。山羊はといえば、じりじりと迫って来ていた。時おり、鼻を鳴らし角を振り立てる。明世は動物には詳しくないが、威嚇されているのは明らかだ。
「あのね、僕は荷物を配達しに来たたけだから……行かせてもらうよ」
引き攣った顔で言いながら、さらに横に進んでいった。すると、一匹の黒山羊がフンと鼻を鳴らした。
直後、角をこっちに向け突っ込んで来る──
明世は、とっさに横方向に転がり突進を躱した。だが、その動きが山羊たちの闘争心に火をつけてしまったらしい。一斉に襲いかかってきたのだ。
明世は、ぴょんと飛び上がった。手近な木に掴まり、一気によじ登る。
さらに枝を伝い、屋敷を目指し進んでいく。
山羊たちは、明世を見失いキョロキョロしていた。だが、一匹の山羊がちらりと上を見る。と、すぐに彼女に気づいた。
次の瞬間、木をよじ登って来る──
山羊は、もともと険しい山に住んでいる。高い岩場や木に登るのは得意なのだ。
今も、木の上に登り鼻息を荒く鳴らしている。お前を角で串刺しにしてやる、とでも言わんばかりに、明世に迫って行く。
「もう勘弁してよ」
呟くと、明世は近くに生えている木に飛び移る。間髪入れず、さらに別の木に……密林に生きる猿のような動きで、木から木に飛び移り、屋敷を目指す。しかし、山羊も追いかけて来る。
やがて、屋敷へと辿り着いた。すると、山羊たちは遠巻きに見ている。どうやら、屋敷には近づけないらしい。それでも、十メートルほど離れた位置から明世を睨み、威嚇するように角を振り立てている。
そんな山羊たちを尻目に、明世はドアに付いている呼び鈴を鳴らした。
ややあって、屋敷のドアが開いた。
中から、ひとりの中年女が姿を現す。ニコニコしながら、明世に会釈した。続いて、巨大なセントバーナードも顔を出した。こちらは明世を見るなり、面倒くさそうな様子でフンと鼻を鳴らした。
「いつも、お疲れ様ね」
言いながら、女は荷物を受け取った。髪は金色で色は白く、恰幅のいい体格である。その外見からして、欧米人であるのは明白だ。優しそうな表情で、伝票にサインする。
不意に顔を上げ、山羊たちを見つめた。
「あなたたち、いたずらもいい加減にしなさい」
顔に似合わぬ流暢な日本語である。だが、口調は厳しい。その言葉を聞くと、山羊たちはそそくさと退散していった。
この女、名をアーデルハイトという。様々な動物と会話が可能な特殊能力を持っているのだが、その事実は一部の人にしか知られていない。ごくたまに、世界の要人がペットを連れ、お忍びで訪問して来るのだ。
「いやあ、どうもすみません。山羊さんたちは、僕を嫌っているみたいですね」
へらへら笑いながら頭を下げると、アーデルハイトは首を横に振った。
「それは違うわ。あの子たちはあなたに、純粋な競争心を抱いているの」
「は、はあ、なるほど」
競争心とは何だろうか。わけがわからないが、相手は動物と会話できるVIPだ。仕方ないので、もっともらしい顔で頷いた。
そんな明世に向かい、アーデルハイトは一方的に語る。
「あの子たちはね、あなたのような凄い能力を持つ人に会ったことがなかった。だから、あなたを追いかけてしまうの。あなたと遊びたいの。あなたを角で突いてみたい、と思ってるだけ。別に、あなたを嫌ってるわけじゃない」
それ、嫌ってるより始末に悪いよ。角で突かれたら死ぬじゃん……と言いたかったが、さすがに言えない。何せ、相手は海外のセレブと個人的に連絡を取り合う大物なのだから。
「そ、そうですか。いや、困っちゃいますね」
それから三十分後、明世は次の届け先へとやって来た。目の前には、木製の塀がそびえ立っている。
乗って来たママチャリを降りると、門の前に立った。今時、珍しい古風な引き戸である。
「失礼しますよう」
そっと声をかけた。だが、返事はない。
「またなのかい……」
ため息をつき、引き戸を開けて中に入っていく。
庭は、見事な和風の庭園であった。巨大な池には橋がかけられており、大きな錦鯉が悠々と泳いでいる。傍には、石灯篭も立っていた。地面には小石が敷き詰められており、木が等間隔で植えられている。
そんな中を、明世は静かに進んでいく。
やがて、木造の家屋に辿り着いた。ここには、ブザーが付いていない。そのため、大きな声で呼ばなくてはならないのだ。
「村西先生、荷物ですよ。サインお願いしまあす」
呼びながら、軽くノックしてみた。が、返事はない。
「村西先生、いないんですか?」
もう一度、呼んでみた。すると、後ろでガサリという音が聞こえた。反射的に振り返る。
「お待ちしておりました。お待ち、しすぎたかもしれません」
奇妙な言葉の主は、二メートル近い白人の男だった。赤い髪は肩までの長さで、肩幅は広く骨組みはしっかりしている。全身が鋼のごとく鍛え抜かれており、分厚い筋肉の鎧が肉体を覆っている。まだ二月だというのに、白いパンツだけの姿だ。しかも裸足である。
それだけでも、充分にまともではなかったが……肩には、巨大なハンマーを担いでいた。
この男こそ、明世の捜していたトール村西だ。彼は、江戸時代から続く実戦格闘術・猛進撃滅柔術村西流の第十五代目継承者なのである。
トールは、スウェーデンにて生まれた。学生時代に日本を旅行中、村西流柔術と出会い、その動きにすっかり魅せられてしまった。卒業後に彼は来日し、第十四代目師範の村西一陽に弟子入りする。
二十年に渡る修業の末、トールは外国人として初めての村西流師範となったのだ。担いでいるハンマーは、継承者の証である。
「お、お荷物をお届けに来ました」
引き攣った笑顔を浮かべながら、明世は荷物を渡そうとした。だが、トールは首を横に振る。
「その前に、あなたにやってもらいたいことがあります。香織さん、出て来なさい」
すると、屋敷の中からひとりの女が出て来た。冬だというのに、タンクトップを着てアーミーパンツを履いただけの姿だ。しかも、なぜか首から紐付きの法螺貝をぶら下げていた。
さらに、濃い脇毛を生やしていた。
「彼女は、私の弟子の白木香織《シラキ カオリ》さんです。今から、彼女と組手をしてください。ルールは簡単、この首からぶら下げている法螺貝を奪うことです。そうすれば、ちゃんとサインしますよ。ただし、あなたが香織さんにKOされたら、あなたには私の弟子になってもらいます」
「は、はあ?」
明世は、軽い頭痛と目眩を覚えた。なぜ、そんなことをしなくてはならないのだ?
「あのう、僕は次の配達が──」
「素直になるのです。心のままに自らを解き放ち、彼女に向かって行きなさい。では、始め」
直後、香織が猛然と襲いかかる──
明世の顔面を、香織の上段回し蹴りが襲う。それは、単なる力任せの蹴りではない。鞭のように速く、刃物のように鋭い。明世も、上体を逸らして避けるのがやっとだ。
「ナイスですねえ。実にナイスな攻撃です」
言ったのはトールだ。この男、来日した直後に怪しげなDVDを多数観て日本語を学んだ。そのため、無茶苦茶な日本語を覚えてしまった。
もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではない。香織の攻撃は速くキレがある。バレリーナのような華麗な動きから、一撃必倒の攻撃が放たれるのだ。
仕方ない。明世は、とっさに背中を向ける。
屋敷の壁に向かい、走り出した──
「香織さん、壁際で仕留めるのです」
トールの言葉に、香織は走り追いかけてきた。明世は、自ら壁に向かい走っていく。
直後、驚くべきことが起きる。明世は、壁を垂直に走り登っていったのだ。
かと思うと、パッと飛び上がり、空中でくるりと一回転した。そのまま、香織の背後に降り立つ。
香織の方は、明世がいきなり視界から消えたことに混乱し、慌てて左右を見ている。
その隙に、パッと飛びつき法螺貝を取り上げた。
「取りましたよ! これでいいですね! サインください!」
叫ぶ明世。すると、トールはうんうんと頷いた。
「うーん、ナイスですね。実にナイスな動きです。明世さん、今日は負けを認めましょう。ですが、いつかあなたを私の弟子にします。このミョルニルに誓うのです!」
吠えながら、トールはハンマーを振り上げた。そのまま、地面に叩きつける──
凄まじい轟音、そして地響き……まるで地震のようである。だが、明世はものともせず伝票とペンを渡す。
「では、サインください!」
明世は、ママチャリを止めた。配達も、あと一軒を残すのみだ。もう夕暮れ時になっており、空にはあかね色の雲が見える。ここから先は、悪路のために歩かなくてはならない。
背中のリュックから荷物を取り出し、明世は進んでいく。彼女の歩いている道の端には、大小さまざまな種類の木が生えている。風が吹くたびに、枝や葉が微かな音を立てていた。それ以外の音は聞こえて来なかった。人の姿もない。今、この道を歩いているのは明世だけである。
突然、ガサリと音がした。明世は、ビクリとして足を止める。どうやら、今回も平穏には済まないらしい。
「ニャッハー! 配達娘、今日こそ捕まえてやるニャ!」
おかしな叫び声とともに現れたのは、小学生くらいの年齢の可愛らしい顔をした少年だ。黄色いTシャツを着て、黒い半ズボンを履いている。ただし、そのおかっぱ頭には猫のような耳が生えていた。
この少年は猫耳小僧、妖怪である。
「配達娘! 今日こそ、お前を捕らえてやるワン!」
続いて出て来たのは、犬の妖怪・送り犬である。姿は柴犬に似ているが、流暢に喋ることが出来るのだ。明世を、じっと睨みつけている。
明世は、引き攣った表情で両手を上げた。敵意はないよ、というジェスチャーである。
「あのね、僕は荷物を届けに来ただけだから──」
「問答無用ニャ!」
「僕たちを見て怖がらないなんて、生意気だワン!」
二匹の妖怪は、同時に飛び掛かって来た。明世は地面を転がり、両者の突進を躱す。もちろん、荷物には傷ひとつ付けない。
猫耳小僧と送り犬は、空中で正面衝突した。そのまま地面に倒れている。
その隙に、明世は走り出した。だが、目の前に巨大な壁が出現する──
「ニャハハハハ! カベドンに助っ人に来てもらったニャ!」
「これで、お前も年貢の納め時だワン!」
後ろから、二人の声が聞こえた。となると、この壁も妖怪か。高さは十メートル以上、横幅は道いっぱいだ。しかも水平で傷ひとつなく、手足を引っかけられそうな部分はない。
かといって、避けて通っていては時間をロスする上、妖怪たちに捕まってしまう。なにせ、あの二人は人間より足が速いのだから。
ここは、一か八かだ……明世は、カベドンに飛びつく。
さらにカベドンを蹴り、側の大木に飛び移る。
直後、大木を蹴り、カベドンの頂上に飛び乗った──
「なー! なんて奴だニャ!」
「す、すごいワン!」
妖怪たちが叫ぶ。明世はカベドンを滑り降りていき、そのまま駆け出す。
全速力で走り、目指す場所に着いた。平屋の一軒屋であり、古いがしっかりした造りである。
リュックから荷物を出し、近づいていく。だが、足が止まった。引き戸の前に、一匹の黒猫が寝そべっているのだ。つまらないものを見るような目で、明世を一瞥する。
仕方なく、引き攣った笑顔で口を開く。
「あの、猫ちゃん、君も妖怪なのかな──」
「猫ちゃんとはなんだニャ! あたしは、二百年も生きてる化け猫のミーコさまだニャ! 人間の分際で、失礼な小娘だニャ!」
怒声を浴びせる黒猫。直後、尻尾で地面を叩いた。びしゃりという音が響く。よく見ると、尻尾は二本生えていた……。
その時、引き戸が開いた。中から、優しそうな顔の老婆が姿を現す。眼鏡をかけ、ちゃんちゃんこを羽織っている。
「ちょっとミーコ、明世ちゃんを怖がらせちゃ駄目じゃない」
ニコニコしながら、老婆は言った。ミーコは、フンと鼻を鳴らしそっぽを向く。
この老婆、名を水木茂子という。かつては作家をしていたが、今は隠居している。なぜか妖怪と仲がよく、彼女の周囲には常に数匹の妖怪がいる。
「明世ちゃん、いつもご苦労様。はい、サインね」
にこやかな表情で、水木は伝票にサインする。
その時だった。いきなり巨大な影が射す。明世が振り返ると、カベドンと猫耳小僧と送り犬が、家から少し離れた位置にひとかたまりになり、じっと彼女を睨んでいるのだ。
「えええ……まだ来るの……」
明世はげんなりした。が、ミーコが妖怪トリオを睨み、尻尾をびしゃりと鳴らす。
「お前たち、いい加減にするニャ!」
一喝すると、妖怪トリオは慌てて逃げて行った。どうやら、ミーコは彼らより偉いらしい。明世は、ニッコリ微笑んだ。
「ありがとう、ミーコちゃん──」
「ミーコちゃんとは何だニャ! あたしは三百年も生きてる偉い化け猫さまだニャ! 本当に、礼儀を知らない小娘だニャ!」
今度は、明世に一喝したミーコ。尻尾が、びしゃりと音を立てる。明世は、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。でも、さっきは二百年って言ってたけど……」
その途端、ミーコがじろりと睨む。明世はさっと口を閉じ、水木に頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。失礼します」
三十分後、明世はコンビニのイートインスペースにいた。椅子に座り、額をテーブルにくっつけている。
「明世ちゃん、今日も大変だったみたいだね」
顔見知りの店員である入来宗太郎がそっと声をかけると、明世は額をつけた状態で右手を上げた。
「本当に大変でした。この町は、バケモノばっかりが住んでるんですよう。もう疲れました……」
うつぶせ体勢でぼやく明世を見ながら、入来はそっと呟いた。
「いや、君も充分にバケモノだから……」
彼女は、荷物を配達するアルバイトをしているのだが……他の配達員と違い、たった四軒しか配達しない。
その四軒には、きわめて特殊な事情があるからだ。
日曜日の朝九時。
空には日が昇っているが、辺りはひんやりとした冬の空気に覆われている。油断していると、たちどころに風邪を引いてしまうだろう。
そんな時に、ジャージ姿の明世はマンション『フォックスハイツ』の前に立っていた。本来なら、すぐさまマンション内に入って行き配達するところだ。
ところが、そうもいかない事情があった。目の前には、数台のパトカーが止まっている。さらに、マンションの入口には黄色いテープが張られていた。どうやら、警察が中で捜査しているらしい。
明世は、思わず頭を掻いた。このフォックスハイツは、ヤクザや半グレや外国人マフィアなどといった、裏社会の住人の関係している事務所が多い。違法なバーや風俗店、違法カジノなども入っている。なので、周辺の住民からは『プリズン・マンション』などと呼ばれているくらいだ。
当然ながら、中には危険人物も多い。しかも、週に三回はどこかの部屋に警察のガサ入れがある始末だ。今も、一階の部屋にガサ入れが入っているらしい。警官と、ヤクザらしき者たちが罵り合う声が聞こえている。
こうなると、入口からは入れない。明世は、どうしたものかと考えた。
やがて一計を案じ、ベランダ側へと回る。
直後、パッと飛び上がった──
僅かな突起に指をかけ、明世は壁にへばり付いていた。
その体勢から手を伸ばし、排水パイプを掴む。さらに足先を、小さなでっぱりに引っ掛ける。
荷の入ったリュックを背負った状態で、突起やデコボコに指先や足先を引っ掛け全体重を支えつつ、明世は上の階を目指す。ヤモリのごとき姿で壁を進んでいった。
ボルダリングの世界チャンピオンですら困難な体勢で、壁をすいすい登っていく明世。その姿は、もはやCGにしか見えない──
やがて、目指す場所へと辿り着いた。ベランダの塀を越え、音もなく降り立った。
申し訳なさそうに、ガラス戸をとんとんと叩く。
ややあって、奥から出てきてガラス戸を開けたのは、中島竜司である。百八十五センチ百キロの体格であり、筋肉に覆われた体の上にはモヒカン刈りの凶悪な顔が乗っていた。
彼は一応、この屋の住人である。もっとも厳密に言うと、部屋を借りているのは暴力団の戸塚組なのだが。
そう、この部屋はヤクザの事務所なのである。中島は、戸塚組の組員だ。
しかし、さすがのヤクザも明世の行動には度肝を抜かれたらしい。唖然とした表情で、彼女を見ている。
「お前、配達娘じゃねえか。どうやって、ここに来たんだよ?」
竜司は、明世に配達娘というあだ名を付けている。そう、二人は顔見知りなのだ。
「すみません。下の階で、ガサ入れしてまして……入口からは入れなかったんですよ。仕方ないので、こっちから来ました。はい、荷物です。サインください」
ペコペコ頭を下げながら、明世は小さなダンボール箱を手渡す。竜司は、呆気に取られながらサインした。が、不意に下を見下ろした。
直後、彼女の手を掴み室内へと引っ張り込む。さすがに、明世も血相を変えた。
「ちょっと待ってください! 何をするんですか──」
「馬鹿野郎、何もしねえよ。それより聞きたいことがある。お前、この壁をよじ登って来たのか?」
「はい。それしかなかったんですよ。警官とヤク、いや任侠の人が揉めてまして……」
明世の言葉を聞き、竜司は唖然となった。
「お前、すげえ奴だな。おい虎治、起きろ!」
怒鳴ると、奥からもうひとりが出て来た。竜司と同じくらいの体格であり顔も似ているが、髪型は逆モヒカンである。
この男、名を中島虎治といい、竜司の弟である。竜司と虎治は「戸塚組の竜虎兄弟」の異名を持ち、武闘派として知られた存在なのだ。
しかし、今の虎治はパジャマ姿であった。それも、可愛らしいウサギちゃんがプリントされたものである……。
「何だよ、兄ちゃん。俺、四時まで飲んでたのによう」
目をこすりながら抗議する虎治に、竜司はボディーブロウを食らわした。
「見ろよ。配達娘がな、壁をよじ登って荷を届けにきたんだ」
「えっ、マジかよ、ここ十階だぜ……」
虎治は、あんぐりと口を開けた。一方、明世はぺこりと頭を下げる。
「で、では、次の配達がありますので」
挨拶し、再びベランダへと向かう。その背中に、虎治が声をかけた。
「ちょっと待てよ。なあ、プリンでも食っていかねえか?」
「すみません、今は忙しいんですよう」
そう言うと、明世は壁を降りていく。ちょっとした出っ張りやデコボコに指を引っかけつつ、すいすいと降りていった。
「あいつ、ハンパじゃねえな……うちの組に、欲しい人材だぜ」
明世の降りていく姿を見ながら、竜司は呟いていた。
次に明世がやって来たのは、高い塀に囲まれた屋敷である。鉄製の門は閉められたままだ。
「困ったなあ」
ひとり呟くと、塀の上を見上げる。四メートルはあるだろうか。
直後、ぱっと飛び上がった。塀に飛び蹴りを食らわし、そこを足場にして一気に駆け上がる──
曲芸のごとき技で塀を乗り越え、敷地内へと侵入する。中は木が生い茂り、地面には草が生えていた。
さらに、数匹の山羊がこちらを睨んでいた──
山羊という生き物は、実のところ気が荒い。縄張りに入って来たものは容赦なく攻撃する。時には、狼や虎のような肉食獣にも向かっていくのだ。
おまけに、人間より足も速く力も強い。角による攻撃は、人を殺すことも可能なのだ。
明世は、目を山羊の方に向けつつ、ゆっくりと横方向に動いていく。山羊はといえば、じりじりと迫って来ていた。時おり、鼻を鳴らし角を振り立てる。明世は動物には詳しくないが、威嚇されているのは明らかだ。
「あのね、僕は荷物を配達しに来たたけだから……行かせてもらうよ」
引き攣った顔で言いながら、さらに横に進んでいった。すると、一匹の黒山羊がフンと鼻を鳴らした。
直後、角をこっちに向け突っ込んで来る──
明世は、とっさに横方向に転がり突進を躱した。だが、その動きが山羊たちの闘争心に火をつけてしまったらしい。一斉に襲いかかってきたのだ。
明世は、ぴょんと飛び上がった。手近な木に掴まり、一気によじ登る。
さらに枝を伝い、屋敷を目指し進んでいく。
山羊たちは、明世を見失いキョロキョロしていた。だが、一匹の山羊がちらりと上を見る。と、すぐに彼女に気づいた。
次の瞬間、木をよじ登って来る──
山羊は、もともと険しい山に住んでいる。高い岩場や木に登るのは得意なのだ。
今も、木の上に登り鼻息を荒く鳴らしている。お前を角で串刺しにしてやる、とでも言わんばかりに、明世に迫って行く。
「もう勘弁してよ」
呟くと、明世は近くに生えている木に飛び移る。間髪入れず、さらに別の木に……密林に生きる猿のような動きで、木から木に飛び移り、屋敷を目指す。しかし、山羊も追いかけて来る。
やがて、屋敷へと辿り着いた。すると、山羊たちは遠巻きに見ている。どうやら、屋敷には近づけないらしい。それでも、十メートルほど離れた位置から明世を睨み、威嚇するように角を振り立てている。
そんな山羊たちを尻目に、明世はドアに付いている呼び鈴を鳴らした。
ややあって、屋敷のドアが開いた。
中から、ひとりの中年女が姿を現す。ニコニコしながら、明世に会釈した。続いて、巨大なセントバーナードも顔を出した。こちらは明世を見るなり、面倒くさそうな様子でフンと鼻を鳴らした。
「いつも、お疲れ様ね」
言いながら、女は荷物を受け取った。髪は金色で色は白く、恰幅のいい体格である。その外見からして、欧米人であるのは明白だ。優しそうな表情で、伝票にサインする。
不意に顔を上げ、山羊たちを見つめた。
「あなたたち、いたずらもいい加減にしなさい」
顔に似合わぬ流暢な日本語である。だが、口調は厳しい。その言葉を聞くと、山羊たちはそそくさと退散していった。
この女、名をアーデルハイトという。様々な動物と会話が可能な特殊能力を持っているのだが、その事実は一部の人にしか知られていない。ごくたまに、世界の要人がペットを連れ、お忍びで訪問して来るのだ。
「いやあ、どうもすみません。山羊さんたちは、僕を嫌っているみたいですね」
へらへら笑いながら頭を下げると、アーデルハイトは首を横に振った。
「それは違うわ。あの子たちはあなたに、純粋な競争心を抱いているの」
「は、はあ、なるほど」
競争心とは何だろうか。わけがわからないが、相手は動物と会話できるVIPだ。仕方ないので、もっともらしい顔で頷いた。
そんな明世に向かい、アーデルハイトは一方的に語る。
「あの子たちはね、あなたのような凄い能力を持つ人に会ったことがなかった。だから、あなたを追いかけてしまうの。あなたと遊びたいの。あなたを角で突いてみたい、と思ってるだけ。別に、あなたを嫌ってるわけじゃない」
それ、嫌ってるより始末に悪いよ。角で突かれたら死ぬじゃん……と言いたかったが、さすがに言えない。何せ、相手は海外のセレブと個人的に連絡を取り合う大物なのだから。
「そ、そうですか。いや、困っちゃいますね」
それから三十分後、明世は次の届け先へとやって来た。目の前には、木製の塀がそびえ立っている。
乗って来たママチャリを降りると、門の前に立った。今時、珍しい古風な引き戸である。
「失礼しますよう」
そっと声をかけた。だが、返事はない。
「またなのかい……」
ため息をつき、引き戸を開けて中に入っていく。
庭は、見事な和風の庭園であった。巨大な池には橋がかけられており、大きな錦鯉が悠々と泳いでいる。傍には、石灯篭も立っていた。地面には小石が敷き詰められており、木が等間隔で植えられている。
そんな中を、明世は静かに進んでいく。
やがて、木造の家屋に辿り着いた。ここには、ブザーが付いていない。そのため、大きな声で呼ばなくてはならないのだ。
「村西先生、荷物ですよ。サインお願いしまあす」
呼びながら、軽くノックしてみた。が、返事はない。
「村西先生、いないんですか?」
もう一度、呼んでみた。すると、後ろでガサリという音が聞こえた。反射的に振り返る。
「お待ちしておりました。お待ち、しすぎたかもしれません」
奇妙な言葉の主は、二メートル近い白人の男だった。赤い髪は肩までの長さで、肩幅は広く骨組みはしっかりしている。全身が鋼のごとく鍛え抜かれており、分厚い筋肉の鎧が肉体を覆っている。まだ二月だというのに、白いパンツだけの姿だ。しかも裸足である。
それだけでも、充分にまともではなかったが……肩には、巨大なハンマーを担いでいた。
この男こそ、明世の捜していたトール村西だ。彼は、江戸時代から続く実戦格闘術・猛進撃滅柔術村西流の第十五代目継承者なのである。
トールは、スウェーデンにて生まれた。学生時代に日本を旅行中、村西流柔術と出会い、その動きにすっかり魅せられてしまった。卒業後に彼は来日し、第十四代目師範の村西一陽に弟子入りする。
二十年に渡る修業の末、トールは外国人として初めての村西流師範となったのだ。担いでいるハンマーは、継承者の証である。
「お、お荷物をお届けに来ました」
引き攣った笑顔を浮かべながら、明世は荷物を渡そうとした。だが、トールは首を横に振る。
「その前に、あなたにやってもらいたいことがあります。香織さん、出て来なさい」
すると、屋敷の中からひとりの女が出て来た。冬だというのに、タンクトップを着てアーミーパンツを履いただけの姿だ。しかも、なぜか首から紐付きの法螺貝をぶら下げていた。
さらに、濃い脇毛を生やしていた。
「彼女は、私の弟子の白木香織《シラキ カオリ》さんです。今から、彼女と組手をしてください。ルールは簡単、この首からぶら下げている法螺貝を奪うことです。そうすれば、ちゃんとサインしますよ。ただし、あなたが香織さんにKOされたら、あなたには私の弟子になってもらいます」
「は、はあ?」
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明世の顔面を、香織の上段回し蹴りが襲う。それは、単なる力任せの蹴りではない。鞭のように速く、刃物のように鋭い。明世も、上体を逸らして避けるのがやっとだ。
「ナイスですねえ。実にナイスな攻撃です」
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屋敷の壁に向かい、走り出した──
「香織さん、壁際で仕留めるのです」
トールの言葉に、香織は走り追いかけてきた。明世は、自ら壁に向かい走っていく。
直後、驚くべきことが起きる。明世は、壁を垂直に走り登っていったのだ。
かと思うと、パッと飛び上がり、空中でくるりと一回転した。そのまま、香織の背後に降り立つ。
香織の方は、明世がいきなり視界から消えたことに混乱し、慌てて左右を見ている。
その隙に、パッと飛びつき法螺貝を取り上げた。
「取りましたよ! これでいいですね! サインください!」
叫ぶ明世。すると、トールはうんうんと頷いた。
「うーん、ナイスですね。実にナイスな動きです。明世さん、今日は負けを認めましょう。ですが、いつかあなたを私の弟子にします。このミョルニルに誓うのです!」
吠えながら、トールはハンマーを振り上げた。そのまま、地面に叩きつける──
凄まじい轟音、そして地響き……まるで地震のようである。だが、明世はものともせず伝票とペンを渡す。
「では、サインください!」
明世は、ママチャリを止めた。配達も、あと一軒を残すのみだ。もう夕暮れ時になっており、空にはあかね色の雲が見える。ここから先は、悪路のために歩かなくてはならない。
背中のリュックから荷物を取り出し、明世は進んでいく。彼女の歩いている道の端には、大小さまざまな種類の木が生えている。風が吹くたびに、枝や葉が微かな音を立てていた。それ以外の音は聞こえて来なかった。人の姿もない。今、この道を歩いているのは明世だけである。
突然、ガサリと音がした。明世は、ビクリとして足を止める。どうやら、今回も平穏には済まないらしい。
「ニャッハー! 配達娘、今日こそ捕まえてやるニャ!」
おかしな叫び声とともに現れたのは、小学生くらいの年齢の可愛らしい顔をした少年だ。黄色いTシャツを着て、黒い半ズボンを履いている。ただし、そのおかっぱ頭には猫のような耳が生えていた。
この少年は猫耳小僧、妖怪である。
「配達娘! 今日こそ、お前を捕らえてやるワン!」
続いて出て来たのは、犬の妖怪・送り犬である。姿は柴犬に似ているが、流暢に喋ることが出来るのだ。明世を、じっと睨みつけている。
明世は、引き攣った表情で両手を上げた。敵意はないよ、というジェスチャーである。
「あのね、僕は荷物を届けに来ただけだから──」
「問答無用ニャ!」
「僕たちを見て怖がらないなんて、生意気だワン!」
二匹の妖怪は、同時に飛び掛かって来た。明世は地面を転がり、両者の突進を躱す。もちろん、荷物には傷ひとつ付けない。
猫耳小僧と送り犬は、空中で正面衝突した。そのまま地面に倒れている。
その隙に、明世は走り出した。だが、目の前に巨大な壁が出現する──
「ニャハハハハ! カベドンに助っ人に来てもらったニャ!」
「これで、お前も年貢の納め時だワン!」
後ろから、二人の声が聞こえた。となると、この壁も妖怪か。高さは十メートル以上、横幅は道いっぱいだ。しかも水平で傷ひとつなく、手足を引っかけられそうな部分はない。
かといって、避けて通っていては時間をロスする上、妖怪たちに捕まってしまう。なにせ、あの二人は人間より足が速いのだから。
ここは、一か八かだ……明世は、カベドンに飛びつく。
さらにカベドンを蹴り、側の大木に飛び移る。
直後、大木を蹴り、カベドンの頂上に飛び乗った──
「なー! なんて奴だニャ!」
「す、すごいワン!」
妖怪たちが叫ぶ。明世はカベドンを滑り降りていき、そのまま駆け出す。
全速力で走り、目指す場所に着いた。平屋の一軒屋であり、古いがしっかりした造りである。
リュックから荷物を出し、近づいていく。だが、足が止まった。引き戸の前に、一匹の黒猫が寝そべっているのだ。つまらないものを見るような目で、明世を一瞥する。
仕方なく、引き攣った笑顔で口を開く。
「あの、猫ちゃん、君も妖怪なのかな──」
「猫ちゃんとはなんだニャ! あたしは、二百年も生きてる化け猫のミーコさまだニャ! 人間の分際で、失礼な小娘だニャ!」
怒声を浴びせる黒猫。直後、尻尾で地面を叩いた。びしゃりという音が響く。よく見ると、尻尾は二本生えていた……。
その時、引き戸が開いた。中から、優しそうな顔の老婆が姿を現す。眼鏡をかけ、ちゃんちゃんこを羽織っている。
「ちょっとミーコ、明世ちゃんを怖がらせちゃ駄目じゃない」
ニコニコしながら、老婆は言った。ミーコは、フンと鼻を鳴らしそっぽを向く。
この老婆、名を水木茂子という。かつては作家をしていたが、今は隠居している。なぜか妖怪と仲がよく、彼女の周囲には常に数匹の妖怪がいる。
「明世ちゃん、いつもご苦労様。はい、サインね」
にこやかな表情で、水木は伝票にサインする。
その時だった。いきなり巨大な影が射す。明世が振り返ると、カベドンと猫耳小僧と送り犬が、家から少し離れた位置にひとかたまりになり、じっと彼女を睨んでいるのだ。
「えええ……まだ来るの……」
明世はげんなりした。が、ミーコが妖怪トリオを睨み、尻尾をびしゃりと鳴らす。
「お前たち、いい加減にするニャ!」
一喝すると、妖怪トリオは慌てて逃げて行った。どうやら、ミーコは彼らより偉いらしい。明世は、ニッコリ微笑んだ。
「ありがとう、ミーコちゃん──」
「ミーコちゃんとは何だニャ! あたしは三百年も生きてる偉い化け猫さまだニャ! 本当に、礼儀を知らない小娘だニャ!」
今度は、明世に一喝したミーコ。尻尾が、びしゃりと音を立てる。明世は、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。でも、さっきは二百年って言ってたけど……」
その途端、ミーコがじろりと睨む。明世はさっと口を閉じ、水木に頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。失礼します」
三十分後、明世はコンビニのイートインスペースにいた。椅子に座り、額をテーブルにくっつけている。
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「いや、君も充分にバケモノだから……」
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