化け猫のミーコ

板倉恭司

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最強の配達娘

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 山樫明世《ヤマカシ アキヨ》は、十五歳の高校一年生である。身長は百四十五センチの小柄な体つきだ。髪は短めで、ゆるキャラを擬人化させたようなユニークな顔の持ち主である。
 彼女は、荷物を配達するアルバイトをしているのだが……他の配達員と違い、たった四軒しか配達しない。
 その四軒には、きわめて特殊な事情があるからだ。



 日曜日の朝九時。
 空には日が昇っているが、辺りはひんやりとした冬の空気に覆われている。油断していると、たちどころに風邪を引いてしまうだろう。
 そんな時に、ジャージ姿の明世はマンション『フォックスハイツ』の前に立っていた。本来なら、すぐさまマンション内に入って行き配達するところだ。
 ところが、そうもいかない事情があった。目の前には、数台のパトカーが止まっている。さらに、マンションの入口には黄色いテープが張られていた。どうやら、警察が中で捜査しているらしい。
 明世は、思わず頭を掻いた。このフォックスハイツは、ヤクザや半グレや外国人マフィアなどといった、裏社会の住人の関係している事務所が多い。違法なバーや風俗店、違法カジノなども入っている。なので、周辺の住民からは『プリズン・マンション』などと呼ばれているくらいだ。
 当然ながら、中には危険人物も多い。しかも、週に三回はどこかの部屋に警察のガサ入れがある始末だ。今も、一階の部屋にガサ入れが入っているらしい。警官と、ヤクザらしき者たちが罵り合う声が聞こえている。
 こうなると、入口からは入れない。明世は、どうしたものかと考えた。
 やがて一計を案じ、ベランダ側へと回る。
 直後、パッと飛び上がった──


 僅かな突起に指をかけ、明世は壁にへばり付いていた。
 その体勢から手を伸ばし、排水パイプを掴む。さらに足先を、小さなでっぱりに引っ掛ける。
 荷の入ったリュックを背負った状態で、突起やデコボコに指先や足先を引っ掛け全体重を支えつつ、明世は上の階を目指す。ヤモリのごとき姿で壁を進んでいった。
 ボルダリングの世界チャンピオンですら困難な体勢で、壁をすいすい登っていく明世。その姿は、もはやCGにしか見えない──

 やがて、目指す場所へと辿り着いた。ベランダの塀を越え、音もなく降り立った。
 申し訳なさそうに、ガラス戸をとんとんと叩く。
 ややあって、奥から出てきてガラス戸を開けたのは、中島竜司ナカジマ リュウジである。百八十五センチ百キロの体格であり、筋肉に覆われた体の上にはモヒカン刈りの凶悪な顔が乗っていた。
 彼は一応、この屋の住人である。もっとも厳密に言うと、部屋を借りているのは暴力団の戸塚組なのだが。
 そう、この部屋はヤクザの事務所なのである。中島は、戸塚組の組員だ。
 しかし、さすがのヤクザも明世の行動には度肝を抜かれたらしい。唖然とした表情で、彼女を見ている。

「お前、配達娘はいたつむすめじゃねえか。どうやって、ここに来たんだよ?」

 竜司は、明世に配達娘というあだ名を付けている。そう、二人は顔見知りなのだ。

「すみません。下の階で、ガサ入れしてまして……入口からは入れなかったんですよ。仕方ないので、こっちから来ました。はい、荷物です。サインください」

 ペコペコ頭を下げながら、明世は小さなダンボール箱を手渡す。竜司は、呆気に取られながらサインした。が、不意に下を見下ろした。
 直後、彼女の手を掴み室内へと引っ張り込む。さすがに、明世も血相を変えた。

「ちょっと待ってください! 何をするんですか──」

「馬鹿野郎、何もしねえよ。それより聞きたいことがある。お前、この壁をよじ登って来たのか?」

「はい。それしかなかったんですよ。警官とヤク、いや任侠の人が揉めてまして……」

 明世の言葉を聞き、竜司は唖然となった。

「お前、すげえ奴だな。おい虎治トラジ、起きろ!」

 怒鳴ると、奥からもうひとりが出て来た。竜司と同じくらいの体格であり顔も似ているが、髪型は逆モヒカンである。
 この男、名を中島虎治といい、竜司の弟である。竜司と虎治は「戸塚組の竜虎兄弟」の異名を持ち、武闘派として知られた存在なのだ。
 しかし、今の虎治はパジャマ姿であった。それも、可愛らしいウサギちゃんがプリントされたものである……。

「何だよ、兄ちゃん。俺、四時まで飲んでたのによう」

 目をこすりながら抗議する虎治に、竜司はボディーブロウを食らわした。

「見ろよ。配達娘がな、壁をよじ登って荷を届けにきたんだ」

「えっ、マジかよ、ここ十階だぜ……」

 虎治は、あんぐりと口を開けた。一方、明世はぺこりと頭を下げる。

「で、では、次の配達がありますので」

 挨拶し、再びベランダへと向かう。その背中に、虎治が声をかけた。

「ちょっと待てよ。なあ、プリンでも食っていかねえか?」

「すみません、今は忙しいんですよう」

 そう言うと、明世は壁を降りていく。ちょっとした出っ張りやデコボコに指を引っかけつつ、すいすいと降りていった。

「あいつ、ハンパじゃねえな……うちの組に、欲しい人材だぜ」

 明世の降りていく姿を見ながら、竜司は呟いていた。



 次に明世がやって来たのは、高い塀に囲まれた屋敷である。鉄製の門は閉められたままだ。

「困ったなあ」

 ひとり呟くと、塀の上を見上げる。四メートルはあるだろうか。
 直後、ぱっと飛び上がった。塀に飛び蹴りを食らわし、そこを足場にして一気に駆け上がる──
 曲芸のごとき技で塀を乗り越え、敷地内へと侵入する。中は木が生い茂り、地面には草が生えていた。
 さらに、数匹の山羊がこちらを睨んでいた──

 山羊という生き物は、実のところ気が荒い。縄張りに入って来たものは容赦なく攻撃する。時には、狼や虎のような肉食獣にも向かっていくのだ。
 おまけに、人間より足も速く力も強い。角による攻撃は、人を殺すことも可能なのだ。
 明世は、目を山羊の方に向けつつ、ゆっくりと横方向に動いていく。山羊はといえば、じりじりと迫って来ていた。時おり、鼻を鳴らし角を振り立てる。明世は動物には詳しくないが、威嚇されているのは明らかだ。

「あのね、僕は荷物を配達しに来たたけだから……行かせてもらうよ」

 引き攣った顔で言いながら、さらに横に進んでいった。すると、一匹の黒山羊がフンと鼻を鳴らした。
 直後、角をこっちに向け突っ込んで来る──
 明世は、とっさに横方向に転がり突進を躱した。だが、その動きが山羊たちの闘争心に火をつけてしまったらしい。一斉に襲いかかってきたのだ。
 明世は、ぴょんと飛び上がった。手近な木に掴まり、一気によじ登る。
 さらに枝を伝い、屋敷を目指し進んでいく。
 山羊たちは、明世を見失いキョロキョロしていた。だが、一匹の山羊がちらりと上を見る。と、すぐに彼女に気づいた。
 次の瞬間、木をよじ登って来る──

 山羊は、もともと険しい山に住んでいる。高い岩場や木に登るのは得意なのだ。
 今も、木の上に登り鼻息を荒く鳴らしている。お前を角で串刺しにしてやる、とでも言わんばかりに、明世に迫って行く。

「もう勘弁してよ」

 呟くと、明世は近くに生えている木に飛び移る。間髪入れず、さらに別の木に……密林に生きる猿のような動きで、木から木に飛び移り、屋敷を目指す。しかし、山羊も追いかけて来る。
 やがて、屋敷へと辿り着いた。すると、山羊たちは遠巻きに見ている。どうやら、屋敷には近づけないらしい。それでも、十メートルほど離れた位置から明世を睨み、威嚇するように角を振り立てている。
 そんな山羊たちを尻目に、明世はドアに付いている呼び鈴を鳴らした。
 ややあって、屋敷のドアが開いた。
 中から、ひとりの中年女が姿を現す。ニコニコしながら、明世に会釈した。続いて、巨大なセントバーナードも顔を出した。こちらは明世を見るなり、面倒くさそうな様子でフンと鼻を鳴らした。

「いつも、お疲れ様ね」

 言いながら、女は荷物を受け取った。髪は金色で色は白く、恰幅のいい体格である。その外見からして、欧米人であるのは明白だ。優しそうな表情で、伝票にサインする。
 不意に顔を上げ、山羊たちを見つめた。

「あなたたち、いたずらもいい加減にしなさい」

 顔に似合わぬ流暢な日本語である。だが、口調は厳しい。その言葉を聞くと、山羊たちはそそくさと退散していった。
 この女、名をアーデルハイトという。様々な動物と会話が可能な特殊能力を持っているのだが、その事実は一部の人にしか知られていない。ごくたまに、世界の要人がペットを連れ、お忍びで訪問して来るのだ。

「いやあ、どうもすみません。山羊さんたちは、僕を嫌っているみたいですね」

 へらへら笑いながら頭を下げると、アーデルハイトは首を横に振った。

「それは違うわ。あの子たちはあなたに、純粋な競争心を抱いているの」

「は、はあ、なるほど」

 競争心とは何だろうか。わけがわからないが、相手は動物と会話できるVIPだ。仕方ないので、もっともらしい顔で頷いた。
 そんな明世に向かい、アーデルハイトは一方的に語る。

「あの子たちはね、あなたのような凄い能力を持つ人に会ったことがなかった。だから、あなたを追いかけてしまうの。あなたと遊びたいの。あなたを角で突いてみたい、と思ってるだけ。別に、あなたを嫌ってるわけじゃない」

 それ、嫌ってるより始末に悪いよ。角で突かれたら死ぬじゃん……と言いたかったが、さすがに言えない。何せ、相手は海外のセレブと個人的に連絡を取り合う大物なのだから。

「そ、そうですか。いや、困っちゃいますね」



 それから三十分後、明世は次の届け先へとやって来た。目の前には、木製の塀がそびえ立っている。
 乗って来たママチャリを降りると、門の前に立った。今時、珍しい古風な引き戸である。

「失礼しますよう」

 そっと声をかけた。だが、返事はない。

「またなのかい……」

 ため息をつき、引き戸を開けて中に入っていく。
 庭は、見事な和風の庭園であった。巨大な池には橋がかけられており、大きな錦鯉が悠々と泳いでいる。傍には、石灯篭も立っていた。地面には小石が敷き詰められており、木が等間隔で植えられている。
 そんな中を、明世は静かに進んでいく。
 やがて、木造の家屋に辿り着いた。ここには、ブザーが付いていない。そのため、大きな声で呼ばなくてはならないのだ。

「村西先生、荷物ですよ。サインお願いしまあす」

 呼びながら、軽くノックしてみた。が、返事はない。

「村西先生、いないんですか?」

 もう一度、呼んでみた。すると、後ろでガサリという音が聞こえた。反射的に振り返る。

「お待ちしておりました。お待ち、しすぎたかもしれません」

 奇妙な言葉の主は、二メートル近い白人の男だった。赤い髪は肩までの長さで、肩幅は広く骨組みはしっかりしている。全身が鋼のごとく鍛え抜かれており、分厚い筋肉の鎧が肉体を覆っている。まだ二月だというのに、白いパンツだけの姿だ。しかも裸足である。
 それだけでも、充分にまともではなかったが……肩には、巨大なハンマーを担いでいた。
 この男こそ、明世の捜していたトール村西ムラニシだ。彼は、江戸時代から続く実戦格闘術・猛進撃滅柔術もうしんげきめつじゅうじゅつ村西流の第十五代目継承者なのである。
 トールは、スウェーデンにて生まれた。学生時代に日本を旅行中、村西流柔術と出会い、その動きにすっかり魅せられてしまった。卒業後に彼は来日し、第十四代目師範の村西一陽ムラニシ カズヒに弟子入りする。
 二十年に渡る修業の末、トールは外国人として初めての村西流師範となったのだ。担いでいるハンマーは、継承者のあかしである。

「お、お荷物をお届けに来ました」

 引き攣った笑顔を浮かべながら、明世は荷物を渡そうとした。だが、トールは首を横に振る。

「その前に、あなたにやってもらいたいことがあります。香織さん、出て来なさい」

 すると、屋敷の中からひとりの女が出て来た。冬だというのに、タンクトップを着てアーミーパンツを履いただけの姿だ。しかも、なぜか首から紐付きの法螺貝ほらがいをぶら下げていた。
 さらに、濃い脇毛を生やしていた。

「彼女は、私の弟子の白木香織《シラキ カオリ》さんです。今から、彼女と組手をしてください。ルールは簡単、この首からぶら下げている法螺貝を奪うことです。そうすれば、ちゃんとサインしますよ。ただし、あなたが香織さんにKOされたら、あなたには私の弟子になってもらいます」

「は、はあ?」

 明世は、軽い頭痛と目眩を覚えた。なぜ、そんなことをしなくてはならないのだ?

「あのう、僕は次の配達が──」

「素直になるのです。心のままに自らを解き放ち、彼女に向かって行きなさい。では、始め」

 直後、香織が猛然と襲いかかる──
 明世の顔面を、香織の上段回し蹴りが襲う。それは、単なる力任せの蹴りではない。鞭のように速く、刃物のように鋭い。明世も、上体を逸らして避けるのがやっとだ。

「ナイスですねえ。実にナイスな攻撃です」

 言ったのはトールだ。この男、来日した直後に怪しげなDVDを多数観て日本語を学んだ。そのため、無茶苦茶な日本語を覚えてしまった。
 もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではない。香織の攻撃は速くキレがある。バレリーナのような華麗な動きから、一撃必倒の攻撃が放たれるのだ。
 仕方ない。明世は、とっさに背中を向ける。
 屋敷の壁に向かい、走り出した──

「香織さん、壁際で仕留めるのです」

 トールの言葉に、香織は走り追いかけてきた。明世は、自ら壁に向かい走っていく。
 直後、驚くべきことが起きる。明世は、壁を垂直に走り登っていったのだ。
 かと思うと、パッと飛び上がり、空中でくるりと一回転した。そのまま、香織の背後に降り立つ。
 香織の方は、明世がいきなり視界から消えたことに混乱し、慌てて左右を見ている。
 その隙に、パッと飛びつき法螺貝を取り上げた。

「取りましたよ! これでいいですね! サインください!」

 叫ぶ明世。すると、トールはうんうんと頷いた。

「うーん、ナイスですね。実にナイスな動きです。明世さん、今日は負けを認めましょう。ですが、いつかあなたを私の弟子にします。このミョルニルに誓うのです!」

 吠えながら、トールはハンマーを振り上げた。そのまま、地面に叩きつける──
 凄まじい轟音、そして地響き……まるで地震のようである。だが、明世はものともせず伝票とペンを渡す。

「では、サインください!」



 明世は、ママチャリを止めた。配達も、あと一軒を残すのみだ。もう夕暮れ時になっており、空にはあかね色の雲が見える。ここから先は、悪路のために歩かなくてはならない。
 背中のリュックから荷物を取り出し、明世は進んでいく。彼女の歩いている道の端には、大小さまざまな種類の木が生えている。風が吹くたびに、枝や葉が微かな音を立てていた。それ以外の音は聞こえて来なかった。人の姿もない。今、この道を歩いているのは明世だけである。
 突然、ガサリと音がした。明世は、ビクリとして足を止める。どうやら、今回も平穏には済まないらしい。

「ニャッハー! 配達娘、今日こそ捕まえてやるニャ!」

 おかしな叫び声とともに現れたのは、小学生くらいの年齢の可愛らしい顔をした少年だ。黄色いTシャツを着て、黒い半ズボンを履いている。ただし、そのおかっぱ頭には猫のような耳が生えていた。
 この少年は猫耳小僧、妖怪である。

「配達娘! 今日こそ、お前を捕らえてやるワン!」

 続いて出て来たのは、犬の妖怪・送り犬である。姿は柴犬に似ているが、流暢に喋ることが出来るのだ。明世を、じっと睨みつけている。
 明世は、引き攣った表情で両手を上げた。敵意はないよ、というジェスチャーである。

「あのね、僕は荷物を届けに来ただけだから──」

「問答無用ニャ!」

「僕たちを見て怖がらないなんて、生意気だワン!」

 二匹の妖怪は、同時に飛び掛かって来た。明世は地面を転がり、両者の突進を躱す。もちろん、荷物には傷ひとつ付けない。 
 猫耳小僧と送り犬は、空中で正面衝突した。そのまま地面に倒れている。
 その隙に、明世は走り出した。だが、目の前に巨大な壁が出現する──

「ニャハハハハ! カベドンに助っ人に来てもらったニャ!」

「これで、お前も年貢の納め時だワン!」

 後ろから、二人の声が聞こえた。となると、この壁も妖怪か。高さは十メートル以上、横幅は道いっぱいだ。しかも水平で傷ひとつなく、手足を引っかけられそうな部分はない。
 かといって、避けて通っていては時間をロスする上、妖怪たちに捕まってしまう。なにせ、あの二人は人間より足が速いのだから。
 ここは、一か八かだ……明世は、カベドンに飛びつく。
 さらにカベドンを蹴り、側の大木に飛び移る。
 直後、大木を蹴り、カベドンの頂上に飛び乗った──

「なー! なんて奴だニャ!」

「す、すごいワン!」

 妖怪たちが叫ぶ。明世はカベドンを滑り降りていき、そのまま駆け出す。
 全速力で走り、目指す場所に着いた。平屋の一軒屋であり、古いがしっかりした造りである。
 リュックから荷物を出し、近づいていく。だが、足が止まった。引き戸の前に、一匹の黒猫が寝そべっているのだ。つまらないものを見るような目で、明世を一瞥する。
 仕方なく、引き攣った笑顔で口を開く。

「あの、猫ちゃん、君も妖怪なのかな──」

「猫ちゃんとはなんだニャ! あたしは、二百年も生きてる化け猫のミーコさまだニャ! 人間の分際で、失礼な小娘だニャ!」

 怒声を浴びせる黒猫。直後、尻尾で地面を叩いた。びしゃりという音が響く。よく見ると、尻尾は二本生えていた……。
 その時、引き戸が開いた。中から、優しそうな顔の老婆が姿を現す。眼鏡をかけ、ちゃんちゃんこを羽織っている。

「ちょっとミーコ、明世ちゃんを怖がらせちゃ駄目じゃない」

 ニコニコしながら、老婆は言った。ミーコは、フンと鼻を鳴らしそっぽを向く。
 この老婆、名を水木茂子ミズキ シゲコという。かつては作家をしていたが、今は隠居している。なぜか妖怪と仲がよく、彼女の周囲には常に数匹の妖怪がいる。

「明世ちゃん、いつもご苦労様。はい、サインね」

 にこやかな表情で、水木は伝票にサインする。
 その時だった。いきなり巨大な影が射す。明世が振り返ると、カベドンと猫耳小僧と送り犬が、家から少し離れた位置にひとかたまりになり、じっと彼女を睨んでいるのだ。

「えええ……まだ来るの……」

 明世はげんなりした。が、ミーコが妖怪トリオを睨み、尻尾をびしゃりと鳴らす。

「お前たち、いい加減にするニャ!」

 一喝すると、妖怪トリオは慌てて逃げて行った。どうやら、ミーコは彼らより偉いらしい。明世は、ニッコリ微笑んだ。

「ありがとう、ミーコちゃん──」

「ミーコちゃんとは何だニャ! あたしは三百年も生きてる偉い化け猫さまだニャ! 本当に、礼儀を知らない小娘だニャ!」

 今度は、明世に一喝したミーコ。尻尾が、びしゃりと音を立てる。明世は、慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。でも、さっきは二百年って言ってたけど……」

 その途端、ミーコがじろりと睨む。明世はさっと口を閉じ、水木に頭を下げた。

「あ、ありがとうございました。失礼します」



 三十分後、明世はコンビニのイートインスペースにいた。椅子に座り、額をテーブルにくっつけている。

「明世ちゃん、今日も大変だったみたいだね」

 顔見知りの店員である入来宗太郎イリキ ソウタロウがそっと声をかけると、明世は額をつけた状態で右手を上げた。

「本当に大変でした。この町は、バケモノばっかりが住んでるんですよう。もう疲れました……」

 うつぶせ体勢でぼやく明世を見ながら、入来はそっと呟いた。

「いや、君も充分にバケモノだから……」


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