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沼に棲む親友(2)
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それから、十年が経った。
許水沼の河童伝説は、いまだに語り継がれていた。近寄る者など、ひとりもいない。
日は高く昇り、夏の日差しが辺りを照り付ける沼のほとりに、ひとりの若者が立っていた。高そうな着物姿で杖を持ち、腰には刀をぶら下げている。
それは、成長した源吉だった。
「カンタ! カンタ! カンタ!」
叫んだ後、じっと水面を見つめる。
ややあって、水面にぶくぶく泡が湧いて来た。続いて、カンタが上がって来る。
「源吉じゃねえか! 懐かしいな! 会えて嬉しいぞ!」
叫びながら、源吉の周囲をぴょんぴょん飛び回った。源吉は、笑いながら彼の手を握る。
「俺は、江戸で出世したよ。これも、お前のおかげだ。だから、お礼がしたいんだ。前に、一度でいいから胡瓜をお腹いっぱい食ってみたい……って言ってたよな?」
「えっ、くれるのか!? 胡瓜、くれるのか!?」
「ああ。向こうに用意してある。いこうぜ」
そう言うと、源吉は彼の手を握ったまま歩き出す。カンタは、嬉しそうに付いて行った。
今は夏である。昼の日差しは強く、容赦なく二人を照り付ける。源吉の額からは、汗が流れていた。
カンタの方はというと、源吉の後をふらふらと付いて歩く。この暑さは、河童にとって苦しいものだ。
やがて、耐え切れなくなったカンタが、おずおずと口を開く。
「源吉、悪いけど水をくれないか? 皿が乾いてきたよ。俺、そろそろ歩けなくなりそうだ」
その途端、源吉は立ち止まった。険しい表情で振り返る。
「もう少しだ。だから、我慢してくれ」
きつい口調で言うと、カンタの手を引き強引に進んでいく。カンタは、思わず叫んだ。
「ちょっと待ってくれよ。どうしたんだ?」
だが、源吉は無視してどんどん進んでいく。
やがて、カンタの意識が薄れてきた。足に歩くのもおぼつかない状態だ。半ば引きずられるようにして歩いている。
その時、源吉が不意に立ち止まった。にやりと笑う。
「お前ら、出て来い」
直後、周囲の草むらから数人の男が出てきた。彼らはカンタを取り囲み、縄で縛り上げる。カンタは、抵抗できずされるがままだ。
「馬の用意は出来てるな?」
源吉が尋ねると、男たちは頷く。
「へい! もちろんでさあ!」
「そうか。なら、この河童をさっさと馬に乗せろ。こいつはな、江戸に連れて行けば一万両で売れるぞ」
言いながら、源吉は満足げに笑った。その時、カンタが顔を上げる。
「どういうことだ……」
ふらふらの状態だが、どうにか声を搾り出した。すると源吉は、冷たい目で見下ろす。
「お前みたいな妖怪はな、江戸では高く売れるんだよ」
「俺を騙したのか」
カンタの声は、悲しみに満ちている。しかし、源吉は平気な顔だ。
「お前にひとつ教えてやる。江戸ではな、金がない奴は首がないのと同じ扱いなんだよ。つまり、貧乏人は人間として扱ってもらえねえんだ。金はな、お前の命なんかよりずっと大事なんだよ。俺はな、金のためなら親でも売るぜ」
「そんな……」
カンタは、呻くような声を出した。一方、源吉は上機嫌だ。
「心配するな。お前を殺しはしない。まあ、逃げられないように手足の腱は切るけどな。心配するな。毎日、胡瓜をたらふく食わせてやるからよ」
言った後、子分たちの方を向く。
「お前ら、こいつをさっさと運ぶぞ……」
そこで言葉が止まる。目の前に、黒い猫が現れたのだ。
「お前、どうしようもない屑に成り下がったようだニャ」
黒い猫は言った。その時、源吉は思い出す。十年前に出会った喋る猫のことを。名前は、確か……。
「思い出した。お前、ミーコとかいう化け猫だな。ちょうどいい、お前も捕まえてやろう……」
言葉は止まった。源吉は、あんぐりと口を開けて立ち尽くしている。。
なぜなら、目の前で黒猫が変身したからだ。小さな体は、七尺(約二百十センチ)はあろうかと思うほど巨大なものになっていた。体つきも、先ほどとはまるで違うものになっている。後ろ脚は長くなり、二本脚で立っていた。前脚も長くなったが、むしろ人間のように指が付いているのが目立つ。
そこには、人間と猫を無理やり融合させたような、巨大な怪物が立っていた。
「お前たち、全員死んでもらうニャ」
冷たい声で言い放った直後、ミーコは猛然と襲いかかる──
やがて、ミーコは黒猫の姿に戻った。丹念に毛繕いをしている。
カンタは、その場にじっと立っていた。先ほどミーコに水をかけてもらい、ようやく意識を取り戻したところだ。
危ういところを助けられたにもかかわらず、カンタは虚ろな目で地面を見下ろしている。
そこには、人間たちの死体が転がっていた。全員、ミーコに殺されたのだ。
もちろん、源吉も──
「ミーコ、金ってそんなに大切なのか?」
ぽつりと尋ねる。すると、毛繕いをしていたミーコは顔を上げた。
「金? そんなの知らないニャ。噛んでも硬いし、美味しくないし、あたしは欲しくないニャ。でも、人間は金が大好きだニャ」
「そうか。その金のために、俺を裏切ったのか。昔は、こんな奴じゃなかった。俺は、こいつを親友だと思ってたのに……」
カンタは、死体となった源吉を見つめた。その時、ミーコのため息が聞こえてきた。
「人間なんかと友達になったら、確実に裏切られるニャ。だから、あたしは人間なんか信じないし、友達にもならないニャ。お前も、これに懲りたら、人間とはかかわるのを止やめろニャ」
そう言うと、ミーコは再び毛繕いを始めた。だが、カンタは言う。
「いやだよ。俺は、人間を信じる。妖怪の中にも、いろんな奴がいるだろ。人間の中にも、いい奴がいるはずだ。いつか、いい人間と友達なれる。俺は、そう信じてる」
「ふん、馬鹿な奴だニャ。勝手にしろニャ。今度ひどい目に遭っても、あたしは助けてやらないニャよ」
許水沼の河童伝説は、いまだに語り継がれていた。近寄る者など、ひとりもいない。
日は高く昇り、夏の日差しが辺りを照り付ける沼のほとりに、ひとりの若者が立っていた。高そうな着物姿で杖を持ち、腰には刀をぶら下げている。
それは、成長した源吉だった。
「カンタ! カンタ! カンタ!」
叫んだ後、じっと水面を見つめる。
ややあって、水面にぶくぶく泡が湧いて来た。続いて、カンタが上がって来る。
「源吉じゃねえか! 懐かしいな! 会えて嬉しいぞ!」
叫びながら、源吉の周囲をぴょんぴょん飛び回った。源吉は、笑いながら彼の手を握る。
「俺は、江戸で出世したよ。これも、お前のおかげだ。だから、お礼がしたいんだ。前に、一度でいいから胡瓜をお腹いっぱい食ってみたい……って言ってたよな?」
「えっ、くれるのか!? 胡瓜、くれるのか!?」
「ああ。向こうに用意してある。いこうぜ」
そう言うと、源吉は彼の手を握ったまま歩き出す。カンタは、嬉しそうに付いて行った。
今は夏である。昼の日差しは強く、容赦なく二人を照り付ける。源吉の額からは、汗が流れていた。
カンタの方はというと、源吉の後をふらふらと付いて歩く。この暑さは、河童にとって苦しいものだ。
やがて、耐え切れなくなったカンタが、おずおずと口を開く。
「源吉、悪いけど水をくれないか? 皿が乾いてきたよ。俺、そろそろ歩けなくなりそうだ」
その途端、源吉は立ち止まった。険しい表情で振り返る。
「もう少しだ。だから、我慢してくれ」
きつい口調で言うと、カンタの手を引き強引に進んでいく。カンタは、思わず叫んだ。
「ちょっと待ってくれよ。どうしたんだ?」
だが、源吉は無視してどんどん進んでいく。
やがて、カンタの意識が薄れてきた。足に歩くのもおぼつかない状態だ。半ば引きずられるようにして歩いている。
その時、源吉が不意に立ち止まった。にやりと笑う。
「お前ら、出て来い」
直後、周囲の草むらから数人の男が出てきた。彼らはカンタを取り囲み、縄で縛り上げる。カンタは、抵抗できずされるがままだ。
「馬の用意は出来てるな?」
源吉が尋ねると、男たちは頷く。
「へい! もちろんでさあ!」
「そうか。なら、この河童をさっさと馬に乗せろ。こいつはな、江戸に連れて行けば一万両で売れるぞ」
言いながら、源吉は満足げに笑った。その時、カンタが顔を上げる。
「どういうことだ……」
ふらふらの状態だが、どうにか声を搾り出した。すると源吉は、冷たい目で見下ろす。
「お前みたいな妖怪はな、江戸では高く売れるんだよ」
「俺を騙したのか」
カンタの声は、悲しみに満ちている。しかし、源吉は平気な顔だ。
「お前にひとつ教えてやる。江戸ではな、金がない奴は首がないのと同じ扱いなんだよ。つまり、貧乏人は人間として扱ってもらえねえんだ。金はな、お前の命なんかよりずっと大事なんだよ。俺はな、金のためなら親でも売るぜ」
「そんな……」
カンタは、呻くような声を出した。一方、源吉は上機嫌だ。
「心配するな。お前を殺しはしない。まあ、逃げられないように手足の腱は切るけどな。心配するな。毎日、胡瓜をたらふく食わせてやるからよ」
言った後、子分たちの方を向く。
「お前ら、こいつをさっさと運ぶぞ……」
そこで言葉が止まる。目の前に、黒い猫が現れたのだ。
「お前、どうしようもない屑に成り下がったようだニャ」
黒い猫は言った。その時、源吉は思い出す。十年前に出会った喋る猫のことを。名前は、確か……。
「思い出した。お前、ミーコとかいう化け猫だな。ちょうどいい、お前も捕まえてやろう……」
言葉は止まった。源吉は、あんぐりと口を開けて立ち尽くしている。。
なぜなら、目の前で黒猫が変身したからだ。小さな体は、七尺(約二百十センチ)はあろうかと思うほど巨大なものになっていた。体つきも、先ほどとはまるで違うものになっている。後ろ脚は長くなり、二本脚で立っていた。前脚も長くなったが、むしろ人間のように指が付いているのが目立つ。
そこには、人間と猫を無理やり融合させたような、巨大な怪物が立っていた。
「お前たち、全員死んでもらうニャ」
冷たい声で言い放った直後、ミーコは猛然と襲いかかる──
やがて、ミーコは黒猫の姿に戻った。丹念に毛繕いをしている。
カンタは、その場にじっと立っていた。先ほどミーコに水をかけてもらい、ようやく意識を取り戻したところだ。
危ういところを助けられたにもかかわらず、カンタは虚ろな目で地面を見下ろしている。
そこには、人間たちの死体が転がっていた。全員、ミーコに殺されたのだ。
もちろん、源吉も──
「ミーコ、金ってそんなに大切なのか?」
ぽつりと尋ねる。すると、毛繕いをしていたミーコは顔を上げた。
「金? そんなの知らないニャ。噛んでも硬いし、美味しくないし、あたしは欲しくないニャ。でも、人間は金が大好きだニャ」
「そうか。その金のために、俺を裏切ったのか。昔は、こんな奴じゃなかった。俺は、こいつを親友だと思ってたのに……」
カンタは、死体となった源吉を見つめた。その時、ミーコのため息が聞こえてきた。
「人間なんかと友達になったら、確実に裏切られるニャ。だから、あたしは人間なんか信じないし、友達にもならないニャ。お前も、これに懲りたら、人間とはかかわるのを止やめろニャ」
そう言うと、ミーコは再び毛繕いを始めた。だが、カンタは言う。
「いやだよ。俺は、人間を信じる。妖怪の中にも、いろんな奴がいるだろ。人間の中にも、いい奴がいるはずだ。いつか、いい人間と友達なれる。俺は、そう信じてる」
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