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心に残った爪痕(2)
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「ここだぞ。ここが真幌公園だ」
午後三時過ぎ、二人はようやく真幌公園に到着した。
目の前には、数年前と変わらない風景が広がっている。公園の中心には巨大な池があり、その周囲には大木が何本も植えられていた。子供たちの遊ぶ遊具なども設置されており、幼い子供たちが遊んでいるのが見える。
小池は、複雑な感情が湧き上がってくるのを感じていた。懐かしい風景ではある。自分は、この辺りに十年近く住んでいたのだ。
だが逮捕されたのもまた、この周辺である。
だが、そんな小池の想いなど無関係な者もいた。
「うわ! 懐かしい! ぜんぜん変わってない!」
ミネコは興奮した表情で、あちこちを見ていた。かと思うと池に近づき、水面を食い入るように眺めている。
「お、おい……落ちるなよ」
心配そうに言いながら、小池は近づいて行く。
ミネコは楽しそうに、池を眺めている。大きな瞳を輝かせ、無邪気な表情で水面を見ている。そんな姿を見ているうちに、小池の顔からも笑みがこぼれた。
その時、ミネコが叫ぶ。
「おじさん! あれ見てよ! 鳥だよ鳥! 鳥が泳いでる!」
彼女の指差す方に、小池は視線を移した。すると、鴨が池を泳いでいるのだ。くわっくわっ鳴きながら、水面をすいすいと泳いでいる。
「あれは鴨だろうが」
苦笑しながら、小池は言葉を返す。だが、その時にある疑問が浮かんだ。
「なあミネコ。お前、俺の名前を知ってるか?」
「知らないよ」
言いながらも、ミネコの目は鴨に釘付けだ。
小池の頭は、さらに混乱した。名前も知らない男の行方を、どうやって調べたというのだろう。このミネコの言っていることは、本当に支離滅裂だ。
その時、ミネコが振り向いた。
「おじさん、お腹すいた」
「な、何だと? 知らねえよ、そんな事」
まごつきながら、言葉を返す小池。こんな女と一緒にレストランには行きたくない。何をしでかすか分からないからだ。
だが、ミネコはお構い無しだ。
「あたし、お弁当が食べたい」
「はあ?」
「お店で買うお弁当だよ。おじさん、いつも公園で食べてたじゃん」
「えっ……」
確かに、ミネコの言う通りなのだ。小池は逮捕されるまで、毎日この公園で弁当を食べるのが習慣だったのである。
それを知っているのは?
いや、そんな者はいないはずだ。恐らく、誰かと間違えているのだろう。ひょっとしたら、ここで弁当を食べている姿を一度か二度見かけたことがあったのかもしれない……小池はそう考えて、自分を納得させた。
「じゃあ、弁当を買ってきてやる。ここで待ってろ」
近くのコンビニで弁当を買い、公園に戻った。買い物をするのは、実に四年ぶりである。どうも落ち着かない。店に居る間、小池は居心地の悪さを感じていた。
どうにか買い物を済ませると、弁当の入った袋を下げて公園に戻る。ひょっとしたら、ミネコは居なくなっているかもしれないが。
幸か不幸か、ミネコはベンチに座り大人しく待っていた。小池の姿を確認するなり、満面の笑みを浮かべて立ち上がる。
その姿を見た時、小池は何とも言えない気分に襲われた。これまでの人生で……自分に対し、こんな笑顔を見せてくれた人はいただろうか。
「ほら、買ってきてやったぞ」
ぶっきらぼうな口調で言うと、小池は弁当を差し出した。
「ありがとう! 美味しそうだね!」
そう言うと、ミネコは猛烈な勢いで食べ始めた。
しかし、すぐに手を止める。
「あれ? おじさん、食べないの?」
「いらねえよ」
そう言うと、小池はぷいと横を向く。実のところ、今日の泊まる場所すら決まっていない。にもかかわらず、真帆公園まで来てしまった。金が入る当ては無いのだから、これ以上の無駄遣いは出来ない。
どうやって稼ぐか。
また、車上荒しでもやるかな。
「おじさん、あげる」
いきなりの言葉と同時に、目の前に突き出された何か。見ると、ミネコが箸でつまんだ鮭を突き出している。
何故か、頬が赤くなった。
「いいよ。お前が全部、食べろよ」
「駄目だよ、おじさんも食べなきゃ。それに、お魚は美味しいよ」
そう言って、なおも鮭を突き出してくるミネコ。小池は苦笑した。
「何だそりゃ」
結局、小池は弁当を半分だけ食べた。全体的に、味が濃いように感じる。昔は、こんなものを毎日食べていたのだろうか……いや、味の薄い刑務所の食事に舌が慣れてしまっているせいではないか。
だが、それよりも気になった事がある。
「ミネコ……自慢じゃねえが、俺は一度だって他人にご馳走したことなんかねえ。お前、ひょっとして誰かと人違いしてるんじゃねえのか?」
そう、小池は他人に奢ったことなど無い。それ以前に、シャバで他人と飯を食ったことなど、数えるほどしか無い。そんな小池が、女にご馳走した……有り得ない話だ。
しかし、ミネコは首を振った。
「違うよ。おじさん、あたしにご馳走してくれた。間違いないから」
自信に満ちた表情で言われ、さすがの小池も黙り込むしかなかった。もう仕方がない。ミネコは、当人にしか意味のわからない妄想に取り憑かれている……としか思えないのだ。もっとも、今さら見捨てる訳にもいかないが。
これから、どうすればいいのだろう。
その時、思いついた事があった。小池は立ち上がり、歩き出す。
すると、ミネコも後に続いた。
「おじさん、どこ行くの?」
「昔、住んでいたアパートだよ。ここから歩いて五分くらいの所だ」
言いながら、小池は歩いていく。記憶に残る場所を目指して、道路を進んで行った。
しかし、着いた先には何もなかった。
かつて小池の住んでいた、家賃四万円のアパート。しかし、いつの間にやら取り壊され、更地となっている。
小池は何もなくなってしまった場所を見つめ、ため息をついた。
心の中に残っていた、懐かしい思い出に浸れるかと思っていたのだ。だが、その思い出の場所は消えていた。
もう、自分には何もない。
途方に暮れた表情で、真幌公園に戻りベンチに座り込む。ミネコは、さっきから黙ったままだ。いつの間にか、あたりは暗くなっている。
虚ろな表情で、小池はタバコの箱を取り出す。一本くわえ、火をつける。だが、煙を吸い込んだ途端にむせた。思わず咳き込む。
「おじさん、大丈夫?」
心配そうに覗きこんでくるミネコ。その時、小池の中に変化が起きる。
「俺はな、どうしようもないクズだったんだよ。空き巣や車上荒らしなんかをやっててな、さらに覚醒剤までやってた。挙げ句、四年もム所に入ってたんだ。俺にはな、もう何も残ってない」
「そんなことない。おじさんは、いい人だよ」
呟くように言うミネコに、小池の眉がつり上がる。
「俺はいい人じゃねえ! お前なんか知らねえんだよ! お前は誰かと間違えてるんだ!」
「間違えてない。おじさんはこの公園で、あたしに毎日ごはんをくれた。さっきのお弁当だよ」
静かな口調で、言葉を返すミネコ。その落ち着きぶりが、小池をさらに苛立たせる。彼は、思わず立ち上がっていた。
その時だった。突然、ミネコの表情が歪む。その瞳には、哀しみが浮かんでいた。今の彼女は小池ではなく、後ろにいる何かを見ている。
何事かと、小池は後ろを振り返る。
そこには、奇妙な青年が立っていた。年齢は二十代前半、優しそうな顔立ちだ。背はさほど高くなく、痩せた体つきをしている。黒いTシャツとカーゴパンツ姿で、ミネコをじっと見つめていた。
青年は、黒い猫を抱いている。綺麗な毛並みで、痩せすぎず太り過ぎず。緑の瞳で、まっすぐミネコを見つめている。
「お、お前ら何だ──」
言いかけた小池だったが、そこで言葉が止まる。青年と黒猫を見た瞬間、彼の中に眠っていた古い記憶が呼び覚まされたのだ。
(おじさんはこの公園で、あたしに毎日ごはんをくれた)
先ほど、ミネコはそう言っていた。確かに、小池は毎日この公園に来ていた。弁当を食べていた記憶もある。
そこで、ある者に弁当を分け与えた──
その時、黒猫がぴょんと飛び降りた。とことこと歩いて行き、ミネコの前で止まる。
直後、小池は目を見張った。黒猫の口から出たのは、流暢な日本語だったのだ。
「三毛子、そろそろ帰る時間だニャ」
午後三時過ぎ、二人はようやく真幌公園に到着した。
目の前には、数年前と変わらない風景が広がっている。公園の中心には巨大な池があり、その周囲には大木が何本も植えられていた。子供たちの遊ぶ遊具なども設置されており、幼い子供たちが遊んでいるのが見える。
小池は、複雑な感情が湧き上がってくるのを感じていた。懐かしい風景ではある。自分は、この辺りに十年近く住んでいたのだ。
だが逮捕されたのもまた、この周辺である。
だが、そんな小池の想いなど無関係な者もいた。
「うわ! 懐かしい! ぜんぜん変わってない!」
ミネコは興奮した表情で、あちこちを見ていた。かと思うと池に近づき、水面を食い入るように眺めている。
「お、おい……落ちるなよ」
心配そうに言いながら、小池は近づいて行く。
ミネコは楽しそうに、池を眺めている。大きな瞳を輝かせ、無邪気な表情で水面を見ている。そんな姿を見ているうちに、小池の顔からも笑みがこぼれた。
その時、ミネコが叫ぶ。
「おじさん! あれ見てよ! 鳥だよ鳥! 鳥が泳いでる!」
彼女の指差す方に、小池は視線を移した。すると、鴨が池を泳いでいるのだ。くわっくわっ鳴きながら、水面をすいすいと泳いでいる。
「あれは鴨だろうが」
苦笑しながら、小池は言葉を返す。だが、その時にある疑問が浮かんだ。
「なあミネコ。お前、俺の名前を知ってるか?」
「知らないよ」
言いながらも、ミネコの目は鴨に釘付けだ。
小池の頭は、さらに混乱した。名前も知らない男の行方を、どうやって調べたというのだろう。このミネコの言っていることは、本当に支離滅裂だ。
その時、ミネコが振り向いた。
「おじさん、お腹すいた」
「な、何だと? 知らねえよ、そんな事」
まごつきながら、言葉を返す小池。こんな女と一緒にレストランには行きたくない。何をしでかすか分からないからだ。
だが、ミネコはお構い無しだ。
「あたし、お弁当が食べたい」
「はあ?」
「お店で買うお弁当だよ。おじさん、いつも公園で食べてたじゃん」
「えっ……」
確かに、ミネコの言う通りなのだ。小池は逮捕されるまで、毎日この公園で弁当を食べるのが習慣だったのである。
それを知っているのは?
いや、そんな者はいないはずだ。恐らく、誰かと間違えているのだろう。ひょっとしたら、ここで弁当を食べている姿を一度か二度見かけたことがあったのかもしれない……小池はそう考えて、自分を納得させた。
「じゃあ、弁当を買ってきてやる。ここで待ってろ」
近くのコンビニで弁当を買い、公園に戻った。買い物をするのは、実に四年ぶりである。どうも落ち着かない。店に居る間、小池は居心地の悪さを感じていた。
どうにか買い物を済ませると、弁当の入った袋を下げて公園に戻る。ひょっとしたら、ミネコは居なくなっているかもしれないが。
幸か不幸か、ミネコはベンチに座り大人しく待っていた。小池の姿を確認するなり、満面の笑みを浮かべて立ち上がる。
その姿を見た時、小池は何とも言えない気分に襲われた。これまでの人生で……自分に対し、こんな笑顔を見せてくれた人はいただろうか。
「ほら、買ってきてやったぞ」
ぶっきらぼうな口調で言うと、小池は弁当を差し出した。
「ありがとう! 美味しそうだね!」
そう言うと、ミネコは猛烈な勢いで食べ始めた。
しかし、すぐに手を止める。
「あれ? おじさん、食べないの?」
「いらねえよ」
そう言うと、小池はぷいと横を向く。実のところ、今日の泊まる場所すら決まっていない。にもかかわらず、真帆公園まで来てしまった。金が入る当ては無いのだから、これ以上の無駄遣いは出来ない。
どうやって稼ぐか。
また、車上荒しでもやるかな。
「おじさん、あげる」
いきなりの言葉と同時に、目の前に突き出された何か。見ると、ミネコが箸でつまんだ鮭を突き出している。
何故か、頬が赤くなった。
「いいよ。お前が全部、食べろよ」
「駄目だよ、おじさんも食べなきゃ。それに、お魚は美味しいよ」
そう言って、なおも鮭を突き出してくるミネコ。小池は苦笑した。
「何だそりゃ」
結局、小池は弁当を半分だけ食べた。全体的に、味が濃いように感じる。昔は、こんなものを毎日食べていたのだろうか……いや、味の薄い刑務所の食事に舌が慣れてしまっているせいではないか。
だが、それよりも気になった事がある。
「ミネコ……自慢じゃねえが、俺は一度だって他人にご馳走したことなんかねえ。お前、ひょっとして誰かと人違いしてるんじゃねえのか?」
そう、小池は他人に奢ったことなど無い。それ以前に、シャバで他人と飯を食ったことなど、数えるほどしか無い。そんな小池が、女にご馳走した……有り得ない話だ。
しかし、ミネコは首を振った。
「違うよ。おじさん、あたしにご馳走してくれた。間違いないから」
自信に満ちた表情で言われ、さすがの小池も黙り込むしかなかった。もう仕方がない。ミネコは、当人にしか意味のわからない妄想に取り憑かれている……としか思えないのだ。もっとも、今さら見捨てる訳にもいかないが。
これから、どうすればいいのだろう。
その時、思いついた事があった。小池は立ち上がり、歩き出す。
すると、ミネコも後に続いた。
「おじさん、どこ行くの?」
「昔、住んでいたアパートだよ。ここから歩いて五分くらいの所だ」
言いながら、小池は歩いていく。記憶に残る場所を目指して、道路を進んで行った。
しかし、着いた先には何もなかった。
かつて小池の住んでいた、家賃四万円のアパート。しかし、いつの間にやら取り壊され、更地となっている。
小池は何もなくなってしまった場所を見つめ、ため息をついた。
心の中に残っていた、懐かしい思い出に浸れるかと思っていたのだ。だが、その思い出の場所は消えていた。
もう、自分には何もない。
途方に暮れた表情で、真幌公園に戻りベンチに座り込む。ミネコは、さっきから黙ったままだ。いつの間にか、あたりは暗くなっている。
虚ろな表情で、小池はタバコの箱を取り出す。一本くわえ、火をつける。だが、煙を吸い込んだ途端にむせた。思わず咳き込む。
「おじさん、大丈夫?」
心配そうに覗きこんでくるミネコ。その時、小池の中に変化が起きる。
「俺はな、どうしようもないクズだったんだよ。空き巣や車上荒らしなんかをやっててな、さらに覚醒剤までやってた。挙げ句、四年もム所に入ってたんだ。俺にはな、もう何も残ってない」
「そんなことない。おじさんは、いい人だよ」
呟くように言うミネコに、小池の眉がつり上がる。
「俺はいい人じゃねえ! お前なんか知らねえんだよ! お前は誰かと間違えてるんだ!」
「間違えてない。おじさんはこの公園で、あたしに毎日ごはんをくれた。さっきのお弁当だよ」
静かな口調で、言葉を返すミネコ。その落ち着きぶりが、小池をさらに苛立たせる。彼は、思わず立ち上がっていた。
その時だった。突然、ミネコの表情が歪む。その瞳には、哀しみが浮かんでいた。今の彼女は小池ではなく、後ろにいる何かを見ている。
何事かと、小池は後ろを振り返る。
そこには、奇妙な青年が立っていた。年齢は二十代前半、優しそうな顔立ちだ。背はさほど高くなく、痩せた体つきをしている。黒いTシャツとカーゴパンツ姿で、ミネコをじっと見つめていた。
青年は、黒い猫を抱いている。綺麗な毛並みで、痩せすぎず太り過ぎず。緑の瞳で、まっすぐミネコを見つめている。
「お、お前ら何だ──」
言いかけた小池だったが、そこで言葉が止まる。青年と黒猫を見た瞬間、彼の中に眠っていた古い記憶が呼び覚まされたのだ。
(おじさんはこの公園で、あたしに毎日ごはんをくれた)
先ほど、ミネコはそう言っていた。確かに、小池は毎日この公園に来ていた。弁当を食べていた記憶もある。
そこで、ある者に弁当を分け与えた──
その時、黒猫がぴょんと飛び降りた。とことこと歩いて行き、ミネコの前で止まる。
直後、小池は目を見張った。黒猫の口から出たのは、流暢な日本語だったのだ。
「三毛子、そろそろ帰る時間だニャ」
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