化け猫のミーコ

板倉恭司

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雪は全てを白く染めゆく(3)

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「おい竜司よう……お前、本気で言ってるのか? 俺も長く刑事をやってるが、こんなバカな話は聞いたことがねえぞ。本当に、これは事故なのか?」

 同じ質問を繰り返す刑事の高山タカヤマに、竜司は面倒くさそうに頷いて見せた。

「はい、事故ですよ。俺が福田の家で包丁をいじってたら、間違えて自分の腹を刺しちまった。で、ビビりまくって外に飛び出て倒れた……ただ、それだけの話です。だから、誰も悪くないんですよ。あなたの手をわずらわせるほどのことじゃありません」

 ベッドで寝たまま答える。その表情は柔らかい。ほんの僅かな時間に、憑き物が落ちたかのようであった。



 このふたりは今、病室にいる。
 道端で倒れて、意識を失っていた竜司。後を追いかけて来た福田信夫に発見され、そのまま救急車で病院に運ばれた。出血多量で一時は生死の境をさ迷ったが、どうにか一命は取り留めた。
 そして今、古い馴染みの刑事である高山に病室で事情聴取をされている。 

「ンなふざけた話、俺が信じると思うのか?」

 高山はいったん言葉を止め、竜司をじっと睨みつける。だが、竜司は平然としていた。すました様子で、刑事の鋭い視線を受け止める。
 少しの間を置き、高山は再び語り始めた。

「だったら、あの福田親子は何なんだよ? 父と娘が口を揃えて、自分が村山を刺したって言い張ってるんだぜ。あたしが刺しました、いや俺が刺したんです……ってな。どっちも、逮捕されたくて仕方ねえって感じだ。うっとおしくて仕方ねえ」

 そう言うと、高山は呆れたようにかぶりを振った。それを聞いた竜司は、思わず苦笑する。
 親子という奴は、なんとも面倒なものだ。

「竜司よう、警察も暇じゃねえんだ。困らせないで本当のこと言ってくれよ。お前を刺したのは、一体どっちなんだ? お前さえ本当のことを言ってくれれば、俺がパクってやるからよ」

「だから、さっきから言ってるじゃないですか。あいつらは、どっちも嘘をついてるんです。俺は自分で自分を刺した、それだけです。たぶん、血を見て気が動転していたんですよ」

 竜司は、面倒くさそうに視線を逸らした。
 ふと、窓を見る。ひょっとしたら、また雪が降るかもしれない……なぜか、そんな気がした。
 そんな竜司の態度を見て、高山は首を捻る。

「ひょっとして、お前はてめえの手でカタつけようと思ってんのか? あの親子を警察にパクらせずシャバに出しといて、傷が治ったらてめえの手でケジメとる……そんな腹なのか?」

 言いながら、高山は立ち上がり顔を近づけてくる。だが、竜司は首を横に振った。

「何を言ってるんですか。あんなザコ以下の連中、殺したところで誰も得しませんよ。第一、俺はあんな奴らに刺されるほどヤワじゃないですから。俺は、誰にも刺されてません。誰のことも、訴えたりしません。誰のことも、傷つけようとは思っていません」

 竜司の言葉に、高山は目を細める。もう六十近いはずなのだが、未だに迫力ある風貌だ。刑事ひとすじ二十五年のキャリアは伊達ではない。

「そうかい。ま、嘘をついてるのがお前だってことは、こっちもわかっているよ。だがな、俺も忙しいんだ。お前が被害届を出さねえなら、警察もこれ以上は関わる気はねえ。好きにしろ」

 そう言って、高山は背中を向け病室を出ようとした。だが何かを思い出したのか、立ち止まり振り返る。

「たまには、お袋さんの面会に行ってやれ。お前、一度も行ってないそうじゃねえか」



 高山が去った後、竜司は窓の方を向いた。だが、痛みが走り顔をしかめる。医師の話では、命に別状はない……とのことだった。後遺症もないらしい。もっとも、しばらくの間は入院していないといけないが。

 母さん、何で言ってくれなかったんだよ。

 竜司は心の中で、母に問いかけた。
 もっとも、その理由は聞くまでもない。母は、竜司を殺人犯にしたくなかったのだ。
 目の前で、父を殺してしまった息子の姿を見てしまった。母はその時、想像もつかない絶望感を味わったのだ。さらに、これまでの生活を激しく後悔したことだろう。自分たちがさっさと別れていれば、こんなことは起きなかったはずなのに……。
 だが、意識を取り戻した息子には殺人の記憶がなかった。頭を打った衝撃か、あるいは無意識のうちに記憶を封じ込めていたのかは分からない。
 いずれにせよ、息子には殺人の記憶がなかった。その事実を知った時、母は決意したのだ。
 息子の身代わりになることを。その罪を、自分が代わりに償うことを。
 全ては、息子に殺人犯としての人生を歩ませないためだった。
 だが、その息子の今の姿は?
 殺人犯と、たいして変わりない──

 いつのまにか、外はまた雪が降り出していた。
 空から落ちてくる雪が、竜司のドス黒く汚れた心を白く清らかなものへと変えてゆく。声を殺し、竜司はひとりで泣いた。


 
 その泣いている姿を、外からじっと見つめているものがいる。
 一匹の黒猫だった。降りしきる雪にも構わず、二本の尻尾をゆっくりと揺らしながら竜司を見つめている。
 やがて、黒猫は消えた──




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