化け猫のミーコ

板倉恭司

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雪は全てを白く染めゆく(1)

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 村山竜司ムラヤマ リュウジは、雪が大嫌いだった。
 雪は、彼に嫌なものを思い出させる……二度と思い出したくない、あの日のことを。



 幼い頃、竜司の父と母は不仲であった。
 いつの頃からか、はっきりとは覚えていないが、つまらないことで夫婦は言い争うようになっていた。ふたりの間で罵声が飛び交い、やがて暴力へと発展していく。父が母を殴りつける姿を、小学生の竜司は怯えながら見ていた。
 やがて、竜司は喧嘩が始まると部屋に閉じこもるようになる。テレビの音を最大で鳴らし、両親の喧嘩を視覚と聴覚から閉め出したのだ。
 成長するにつれ、竜司は家に寄り付かなくなった。父と母の間には、一切の会話がなく重苦しい空気が漂っている。ふたりの間に漂う空気は、常にピリピリしていた。まるで、可燃性のガスが充満しているかのように。
 やがて、充満しているガスが爆発を起こす日が来てしまった。



 それは、竜司が中学生になった時のことだった。
 学校から帰って来ると、父と母が凄まじい喧嘩をしていたのだ。それはいつもより激しいもので、母は口が切れて顔が血だらけになっていた。しかも、父の暴力は止まる気配がない。母に馬乗りになって、殴り続けているのだ。
 竜司は、このままでは母が殺されると感じた。咄嗟に止めに入ったが、思い切り突き飛ばされ意識を失ってしまう──

 どのくらいの時間が経ったのだろう。
 意識を取り戻した竜司の視界に、最初に入ってきたもの……それは、床にしゃがみこんでいる母の姿だった。両手を真っ赤に染め、呆然とした表情でこちらを見ている。
 竜司は、頭をふらつかせながらも部屋を見回した。その時、彼の目はあるものを捉える。
 父が向こう側の壁に寄りかかり、妙な表情で座り込んでいた。
 腹から下を、真っ赤に染めた姿で。

「なんだあれ……」

 竜司は呟いた。だが次の瞬間、床が真っ赤に染まっていることに気づく。
 床を染めているもの、それは……父の体から流れ出た血液だった。さらに、父のすぐそばには包丁が転がっている。
 刃が真っ赤に染まった包丁が──

「う、うわあぁぁ!」

 思わず、竜司は叫んでいた。すると、母がビクリと反応する。

「りゅ、竜司……」

 母の声は虚ろだった。顔には、絶望してしまったような表情が浮かんでいる。

「何で……何で、こんなことになったの!? どうして、こんなことをしたんだよ!」

 呆然となりながらも、竜司は聞かずにはいられなかった。
 すると、母の目が大きく見開かれた。彼女は無言のまま、じっと竜司を見つめている。

「聞いてんだろ! 何で、こんなことをしたんだよ!?」

 語気を強め、竜司はなおも尋ねる。すると、母の表情が歪んでいく。竜司が状況を分かっていないことを、ようやく察してくれたらしい。
 ややあって、母の肩がガックリと落ちた。その目から、涙がこぼれる。

「全部、私が悪かったのね。私のせいで、こうなったのね。もっと早く、この人と別れていれば……」

 力ない表情で虚ろに笑い、母は立ち上がった。包丁を拾い上げ、ドアに向かって歩き出す。

「か、母さん! ど、どこに行くの!?」

 怯えながらも、竜司は叫んだ。母には、どこにも行って欲しくなかった。なぜ、こんなことが起きてしまったのか……教えて欲しかったのだ。
 すると、母の足が止まった。

「ごめんね、竜司。母さん、今から警察に行く。行って、父さんを殺してしまったって言うから。あんたは、何も悪くないよ」

 そう言うと、ふらふらとした足取りで外に出て行った。
 大介は、しばし呆然となっていたが……慌てて後を追いかけた。
 母がいなくなったら、自分はひとりぼっちになってしまうのだ。



「わーい、雪だ雪だ!」

 どこからか、子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。その時、竜司はようやく思い出す。
 今夜は、クリスマスイブであったことを。
 なんと皮肉な話なのだろう。
 雪の降る中、母は傘もささずに歩いていく。返り血を浴びた彼女の体を、雪が白く染めていった。

「待ってよ母さん!」

 竜司もまた、雪の降る中を追いかける。傘もささず、靴も履かないまま……。
 すると、母は振り返る。

「あんたは来なくていいよ。これは、母さんがやったことだから。母さんのせいで、こんなことに……」

「そ、そんな!」

 叫ぶ竜司に、母は寂しい笑顔を向ける。

「竜司、今日のことは忘れなさい。あなたは、ひとりで強生きるのよ……」

 その時、防寒具に身を包んだ男たちが現れる。よく見ると、防寒具の下は警官の制服だ。間違いない、彼らは警官だ。恐らく、近所の住人が通報したのだろう。
 彼らは母に向かい、にこやかな表情で近づいていく。

「すみませんが、何をしているのでしょうか?」

 ひとりの若い警官が、丁寧な口調で母に尋ねる。もっとも三人とも、包丁の届かないギリギリの間合いにいる。いざとなったら、すぐに取り押さえられるような体勢をとっていた。
 それに対し、母はうなだれた様子で言う。

「私、人を殺しました。逮捕してください」

 そう言うと、包丁を捨てて両手を前に出した。その両手に、警官が手錠を掛ける。
 ガチャリ、という金属音……その音は、雪よりも冷たいものだった。



 両脇を警官に支えられ、去っていく母。雪の中、歩いていく後ろ姿に雪が降り注いでいく。
 最後に見た母は、雪により白く染まっていた。

「ねえねえ、サンタさん来るかなあ?」

 どこからか聞こえてきた無邪気な声。その無邪気さが、竜司の心を容赦なく抉った。

 この悲惨な運命は、サンタのプレゼントなのか?
 だとしたら、俺はサンタを殺してやりたい。

 竜司は、そんなバカなことを考えていた。そうでもしなければ、やりきれなかった。現実に目の前で起きていることは、彼の許容範囲を超えている……虚ろな表情で、竜司は雪の中を立ち尽くしていた。
 ふと、何者かの視線を感じた。そちらを向くと、道端に一匹の黒猫がいた。黒猫は、前足をピンと伸ばし尻を地面に着けた姿勢で、こちらをじっと見ている。その瞳からは、知性を感じた。
 ひとりの若い警官が近づいて来て、竜司に何やら話しかけてきていた。だが彼の耳には、何も聞こえていない。
 ただただ、不思議な黒猫を見つめていた。
 しんしんと降り積もる雪は、全てを平等に白く染めてゆく。罪を犯した者も、そうでない者も。
 黒猫の体も、白く染まっていく。にもかかわらず、猫に動く気配はない。じっと竜司を見つめていた。



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