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コスモナーフトの小娘(3)
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それから三年後。
唯子は、リングの上に立っていた。まばゆいライトに照らされ、彼女は静かな表情を浮かべ自然体で佇んでいる。
そんな唯子の前には、鋼のごとく鍛え抜かれた肉体を持つ女が立っていた。身長は唯子よりも低いが、筋肉の量は彼女よりも多い。闘争心をみなぎらせた瞳で、唯子を見上げている。マウスピースを付けた歯を剥きだし、ドレッドヘアの頭を小刻みに揺らしながら唯子を睨みつける姿は、繁華街をうろつくチンピラそのものだ。
しかし、唯子は怯んでいない。その肉体は細いが、しなやかな筋肉に覆われていた。かつて、薬物に溺れていた面影はどこにもない。
・・・
数日前、唯子は大勢の記者たちにカメラを向けられていた。デビュー戦を控え、記者会見を開いたのである。
マイナー競技であるキックボクシングの、さらにマイナーである無名の女子選手の試合。本来ならば、ひっそりと行われていたはずだった。しかし、とある理由から否応なしに世間の注目を集めることになってしまった。
この試合が、プロデビュー戦である能見唯子……彼女は、過去に遭った交通事故により左の前腕を切断している。にもかかわらず、プロのキックボクサーとしてデビューすることが決まったからだ。
唯子は整った美しい顔立ちであり、百七十センチの長身とモデルのような体型の持ち主でもある。そんな彼女が、マスコミの注目を浴びないはずがない。
しかも、唯子にはさらなる注目の要素があった。昔は薬物を乱用しており、今もリハビリ施設に通院していることを公表しているのだ。
「かつて私は、薬物に溺れる生活をしていました。今も治療を受けていますし、それを隠すつもりはありません」
その容貌と隻腕の体、そして薬物依存だった過去……そこに、プロモーターの住友顕也は目を付けた。彼は根っからの商売人であり、客を集めるためなら何でもする男だ。唯子のことをあちこちに売り込み、マスコミの注目を集めていく。
さらに彼女の対戦相手もまた、違った形で注目を集めていた。
前川茜は、二十歳の新鋭だ。パワーにものを言わせて突進していき、強烈なローキックを叩き込み、剛腕から繰り出されるフックで倒す……このスタイルで現在、三戦して三勝三KOという戦績の持ち主である。
この前川、唯子との試合が決まった直後、動画でこんなことを言っていたのだ。
(三十過ぎのババアで、しかも片手のないヤク中が対戦相手だってさ……あたしをナメてんの? 一ラウンドで終わっちゃうじゃん。こういうお涙ちょうだい企画、やめてくんないかなあ)
この発言により大炎上したが、本人は涼しい顔だ。もともと炎上狙いの動画を何本も投稿しており、今回の試合も自身の名前を売るチャンスとして捉えている。
そして今日の記者会見でも、ふてぶてしい表情で記者たちの前に現れる。マイクを渡されると、彼女はいかにも面倒くさそうな表情で答えた。
「あたしはさあ、お涙ちょうだいの感動ポルノとかって大嫌いなんだよね。何ちゃらテレビみたいなのは、特にね……悪いけど、そういうのに付き合う気ないから。一分以内に終わらせるよ。勝負にもなんないね。以上」
それに対し、唯子は怯むことなく答える。
「私も、感動ポルノと呼ばれるものは好きではありません。あくまでも、キックボクシングをやるためリングに上がります。もちろん、試合にも勝つつもりです」
すると、前川の目がつりあがる。
「はあ? 勝つ? 本気で言ってんの? ヤクで頭イカレちゃってんのかなあ?」
「ご心配なく、まだイカレてはいませんから。先ほども言った通り、感動ポルノ的な演出は必要ありません。遠慮などなさらず、倒すつもりで全力で来てください。もっとも、リング上で最後に立っているのは、この私ですけどね」
そう言って、唯子は余裕の表情で会釈する。前川の目つきが、さらに鋭さを増した。
「このババア、調子乗りやがって……キックボクシングなめんじゃないよ! あんた、二度とリングに上がれないようにしてやっから!」
・・・
そんな派手な記者会見を経て、ついに試合の日を迎えた。
この試合、パンチやキックだけでなく、首相撲からの膝蹴りや肘打ちもOKである。限りなくムエタイに近いルールだ。言うまでもなく、左手の使えない唯子にとっては不利である。特に、首相撲の攻防になったら……まず勝ち目はないだろう。
事実、ほとんどのマスコミが前川の一ラウンドKOを予想している。これはもはやキックボクシングではなく、単なる残酷ショーだ……と酷評する者までいたくらいだ。
にもかかわらず、唯子は不思議なくらい落ち着いていた。
「唯子、お前は必要なことを全てやってきた。何の心配もいらん。雑音は、全て無視しろ。奴は確かに強い。強靭な肉体を持っている。だが、もっとも強力な武器は人間の精神力だ。地獄からはい上がってきたお前の精神力は、誰よりも強い。作戦通りに動き、持てる力を発揮できれば、お前は必ず勝てる。いいか、余計なことは考えるな。持てる力を、全て出し切る……それだけに集中しろ」
コーチである黒崎健剛が、静かな声で激を飛ばす。彼は、一見すると頭のはげ上がった中年男だが、かつては最強の空手家といわれた男だ。今まで、唯子につきっきりでコーチしてきた。
そんな黒崎に、唯子は笑みを浮かべ頷いた。
「おっちゃん、ありがとう」
「礼を言うのは、まだ早い。奴を倒してからにしろ。さっさと片付けて、早く帰るぞ。何も知らんバカどもの予想を、一緒に覆してやろう」
そこで黒崎は、唯子の肩を叩く。
「さあ、パーティーの時間だ。ぶちのめして来い!」
唯子は、リングの上に立っていた。まばゆいライトに照らされ、彼女は静かな表情を浮かべ自然体で佇んでいる。
そんな唯子の前には、鋼のごとく鍛え抜かれた肉体を持つ女が立っていた。身長は唯子よりも低いが、筋肉の量は彼女よりも多い。闘争心をみなぎらせた瞳で、唯子を見上げている。マウスピースを付けた歯を剥きだし、ドレッドヘアの頭を小刻みに揺らしながら唯子を睨みつける姿は、繁華街をうろつくチンピラそのものだ。
しかし、唯子は怯んでいない。その肉体は細いが、しなやかな筋肉に覆われていた。かつて、薬物に溺れていた面影はどこにもない。
・・・
数日前、唯子は大勢の記者たちにカメラを向けられていた。デビュー戦を控え、記者会見を開いたのである。
マイナー競技であるキックボクシングの、さらにマイナーである無名の女子選手の試合。本来ならば、ひっそりと行われていたはずだった。しかし、とある理由から否応なしに世間の注目を集めることになってしまった。
この試合が、プロデビュー戦である能見唯子……彼女は、過去に遭った交通事故により左の前腕を切断している。にもかかわらず、プロのキックボクサーとしてデビューすることが決まったからだ。
唯子は整った美しい顔立ちであり、百七十センチの長身とモデルのような体型の持ち主でもある。そんな彼女が、マスコミの注目を浴びないはずがない。
しかも、唯子にはさらなる注目の要素があった。昔は薬物を乱用しており、今もリハビリ施設に通院していることを公表しているのだ。
「かつて私は、薬物に溺れる生活をしていました。今も治療を受けていますし、それを隠すつもりはありません」
その容貌と隻腕の体、そして薬物依存だった過去……そこに、プロモーターの住友顕也は目を付けた。彼は根っからの商売人であり、客を集めるためなら何でもする男だ。唯子のことをあちこちに売り込み、マスコミの注目を集めていく。
さらに彼女の対戦相手もまた、違った形で注目を集めていた。
前川茜は、二十歳の新鋭だ。パワーにものを言わせて突進していき、強烈なローキックを叩き込み、剛腕から繰り出されるフックで倒す……このスタイルで現在、三戦して三勝三KOという戦績の持ち主である。
この前川、唯子との試合が決まった直後、動画でこんなことを言っていたのだ。
(三十過ぎのババアで、しかも片手のないヤク中が対戦相手だってさ……あたしをナメてんの? 一ラウンドで終わっちゃうじゃん。こういうお涙ちょうだい企画、やめてくんないかなあ)
この発言により大炎上したが、本人は涼しい顔だ。もともと炎上狙いの動画を何本も投稿しており、今回の試合も自身の名前を売るチャンスとして捉えている。
そして今日の記者会見でも、ふてぶてしい表情で記者たちの前に現れる。マイクを渡されると、彼女はいかにも面倒くさそうな表情で答えた。
「あたしはさあ、お涙ちょうだいの感動ポルノとかって大嫌いなんだよね。何ちゃらテレビみたいなのは、特にね……悪いけど、そういうのに付き合う気ないから。一分以内に終わらせるよ。勝負にもなんないね。以上」
それに対し、唯子は怯むことなく答える。
「私も、感動ポルノと呼ばれるものは好きではありません。あくまでも、キックボクシングをやるためリングに上がります。もちろん、試合にも勝つつもりです」
すると、前川の目がつりあがる。
「はあ? 勝つ? 本気で言ってんの? ヤクで頭イカレちゃってんのかなあ?」
「ご心配なく、まだイカレてはいませんから。先ほども言った通り、感動ポルノ的な演出は必要ありません。遠慮などなさらず、倒すつもりで全力で来てください。もっとも、リング上で最後に立っているのは、この私ですけどね」
そう言って、唯子は余裕の表情で会釈する。前川の目つきが、さらに鋭さを増した。
「このババア、調子乗りやがって……キックボクシングなめんじゃないよ! あんた、二度とリングに上がれないようにしてやっから!」
・・・
そんな派手な記者会見を経て、ついに試合の日を迎えた。
この試合、パンチやキックだけでなく、首相撲からの膝蹴りや肘打ちもOKである。限りなくムエタイに近いルールだ。言うまでもなく、左手の使えない唯子にとっては不利である。特に、首相撲の攻防になったら……まず勝ち目はないだろう。
事実、ほとんどのマスコミが前川の一ラウンドKOを予想している。これはもはやキックボクシングではなく、単なる残酷ショーだ……と酷評する者までいたくらいだ。
にもかかわらず、唯子は不思議なくらい落ち着いていた。
「唯子、お前は必要なことを全てやってきた。何の心配もいらん。雑音は、全て無視しろ。奴は確かに強い。強靭な肉体を持っている。だが、もっとも強力な武器は人間の精神力だ。地獄からはい上がってきたお前の精神力は、誰よりも強い。作戦通りに動き、持てる力を発揮できれば、お前は必ず勝てる。いいか、余計なことは考えるな。持てる力を、全て出し切る……それだけに集中しろ」
コーチである黒崎健剛が、静かな声で激を飛ばす。彼は、一見すると頭のはげ上がった中年男だが、かつては最強の空手家といわれた男だ。今まで、唯子につきっきりでコーチしてきた。
そんな黒崎に、唯子は笑みを浮かべ頷いた。
「おっちゃん、ありがとう」
「礼を言うのは、まだ早い。奴を倒してからにしろ。さっさと片付けて、早く帰るぞ。何も知らんバカどもの予想を、一緒に覆してやろう」
そこで黒崎は、唯子の肩を叩く。
「さあ、パーティーの時間だ。ぶちのめして来い!」
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