必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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終わりは、殺陣で仕上げます(九)

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「こいつは、どういうわけだ?」

 巳の会の元締・蛇次は……想定外の事態を前に困惑し、首を捻っていた。
 彼の前には、書状がある。そこには、地図も付けられていた。先ほど、飛脚より届けられたものだ。



 蛇次の周囲では……ここ数日、立て続けに妙なことが起きていた。
 まずは、蛇次の愛人のひとりであるお駒が重傷を負わされた。両足をへし折られた上、首を絞められ気絶させられてしまう。さらに、彼女が女将をやっている出会い茶屋『辰巳屋』の金蔵が荒らされ、千両箱が奪われた。店番をしていた者たちも、全員が重傷を負わされ寝込んでいる始末だ。
 お駒に下手人を尋ねてみたが、誰にやられたのかわからないと言っている。いきなり後ろから首を絞められ、気がつくと両足を折られて放り出されていたのだと。奉行所も調べてはいるが、下手人の目星は付いていない。
 押し込み強盗にしては妙だ。やり方が、あまりにも手緩てぬるい。自分なら、お駒を気絶させたりしない。さっさと殺して金をいただくだろう。
 奇妙な出来事は、それで終わりではなかった。続いて、巳の会が仕切る賭場が何者かに荒らされ、金を奪われる。これまた、ひとりの死人も出ていない。
 さらに、蛇次が部下に経営させていた飲み屋が、空き巣に入られ金を盗まれたのだ。
 これは、もはや巳の会に対する宣戦布告と見るべきだろう。
 そして今しがた、書状が届いた。

 一連の騒動を集結させるため、話し合いを所望する。ついては明日の戌の刻、地図に書かれた場所に来られたし。なお、仕分人の方々にも同行を願う。もし来なかった場合、さらなる不幸が貴殿を襲う。

 このような内容のふみと、地図が同封されていた。

「一度殺さねえと、わからんらしいな。なら、行ってみるか」

 蛇次は、残忍な表情で呟いた。
 早速、腕の立つ手下を召集する。その数、ざっと二十人。本来なら、百人は集めたいところだが……あまり大人数で動くと、奉行所に目を付けられる恐れがある。いざという時の盾代わりだと思えばいい。
 また、仕分人の面々にも声をかけておいた。渡辺正太郎は、奥山新影流免許皆伝の腕前だ。役人でもある。いざという時、使い道は多い。



 亥の刻、彼らは指定された場所に到着する。松明たいまつ提灯ちょうちんを持った男たちは、油断なく辺りを見回した。さながら、戦国時代の戦場いくさばのごとき情景である。
 そこに、仕分人の政と勇吉が走って来た。彼らは事前に、罠がないか調べていたのである。

「蛇次さん、ここにゃ何もないです。ひととおり調べてみましたが、待ち伏せも罠もないですよ」

 勇吉が、得意げに報告する。
 確かに、ここでは罠も待ち伏せも無理だろう。何せ、今いるのはだだっ広い荒れ地である。「すすけ野原」なる異名が付いている場所なのだ。
 当然、身を隠すような場所はなどない。かつては、この場所に大勢の渡世人が集結し、いくさのような派手な斬り合いをしたこともあったらしい。つまり、戦いには向いているが話し合いには向いていない場所なのだ。
 勇吉の報告を聞いても、蛇次の違和感は消えない。それどころか、ますます大きくなっていった。

「わからねえな。待ち伏せも罠もない……となると、本当に話がしたいだけなのか?」

 誰にともなく呟いた時だった。

「おい、向こうから誰か来るぞ!」

 政が叫び、指をさす。皆の視線が、その方向に注がれた。
 月明かりの下、何者かが歩いて来るのが見える。視界を遮るものが何もないため、その姿はまる見えであった。
 見る限り、大柄な男らしい。しかも、たったひとりだ。上には何も着ておらず、下に膝までの長さの股引きを履いているだけ。髪は長くぼさぼさで、髷は結っていない。

「あいつ、気は確かなのかい」

 呟いたのは、お琴だ。
 居並ぶ者たちも、同じことを思っていた。蛇次たちの人数は、二十人を超している。しかも、その全員が数々の修羅場を潜ってきた強者だ。面構えを見ただけで、町の破落戸ごろつきなら退散していくだろう。
 そんな連中が物騒な得物を所持し、殺気立った表情を浮かべているのだ。まともな神経の持ち主なら、確実に避けて通るはずだった。
 しかし、この闖入者はまともな神経を持っていないらしい。大股で歩き、真っすぐ近づいて来る。
 男との距離が縮まり、顔が確認できる位置まで来た時だった。

「ご、権太……」

 呻いたのは、渡辺であった。
 そこに立っていたのは、間違いなく仕上屋の権太であった。青白い顔色で、体格も以前に比べて少し細くなっている。しかし、頑健そうな体つきは変わっていない。
 確かに、致命傷になる一太刀を浴びせたはずなのに。

「あいつ、権太じゃないのさ。仕留めたんじゃなかったっけ?」

 お琴の厭味とも取れる台詞に、渡辺は首を振る。

「いや、確かに斬ったはずだ。しかも、川に落ちたんだぞ……生きていられるはずがねえ」

「しようがねえなあ。普通の馬鹿は、一度死ねば治るんだがな……こいつは、並の馬鹿じゃないらしい。もういっぺん殺すしかねえだろ」

 言ったのは蛇次だ。と同時に、くっくっく……という不気味な笑い声が洩れ聞こえる。つられるかのように、周りの者たちも笑い出した。

「旦那、さっさと殺しますか?」

 政が合口あいくちを抜き、前に出て行こうとする。だが、蛇次が彼を制した。

「まあ、待て。話くらい聞いてやろうじゃねえか。なあ権太、今までの騒ぎは、お前がやったのか?」

「そうだ。お前は蛇だからな。こうでもしなけりゃ、穴から引っ張り出せない。それに、俺も完全に頭に来ちまった。お前ら全員、死んでもらう」

 淡々とした口調であった。そこには、力みも気負いも感じられない。

「お前、気は確かか? この状況で、俺たちを殺せると思ってんのか?」

 政が軽口を叩く。さらに、勇吉がやれやれという表情になった。

「権太さんよう、あんた頭打っておかしくなったみたいだな。せっかく命が助かったのに、わざわざ死にに来るとは馬鹿な話だよ。ひっそり暮らしてりゃ、生き延びることは出来たのに」

「なるほど、頭打ったのかい。んじゃあ、仕方ないね」

 お琴が真面目くさった顔でうんうん頷き、居並ぶ者たちがげらげら笑い出した。
 だが、渡辺は笑っていなかった。彼は覚えている。その手で、権太を斬ったのだ。あの感触からして、かなりの深傷ふかでを負わせたはずだ。
 なのに、権太の体には傷ひとつ残っていない。こんなことは、ありえないはずだ。
 その時、知人の蘭学者から聞いた話を思い出した……。

(南蛮には、恐ろしい鬼がいるという話だ。成長しきった熊でも引き裂く怪力と、銃で撃たれようが刀で斬られようが傷ひとつ付けられない不思議な肉体を持っている……と、書物に書かれていた)

 続けて、こう言っていた。

(その鬼に噛まれた人間も、鬼となってしまうらしい。人間と鬼とは全く同じ姿をしているが、見分ける方法はある。そのひとつが目の色だ。人を襲う時、鬼は瞳が紅くなる)

 聞いた時は、南蛮に伝わる迷信だろうと思っていた。そんなものが、存在するはずがない……と。
 しかし今、目の前にいる男の瞳には、紅い光が宿っていた。しかも、その光はどんどん強くなっている──

「お前らのせいで、お禄さんと蘭二が死んだ。俺にとって、あの二人はかけがえのない友であり仲間だった。お前らには、その命で償ってもらう」

 権太は、静かな口調で言い放った。その途端、蛇次の顔が歪む。

「お前は本当に、果てしない馬鹿なんだな。やっぱり、地獄に送らねえと駄目らしい」

 言った直後、手下たちの方を向く。

「いいぞ、さっさと始末しろ」

 にやりと笑いながら、命令を降した。これで、全員が一斉に襲いかかる……はずだった。
 ところが、誰ひとり動こうとしない。皆、驚愕の表情を浮かべている。
 蛇次は振り返ってみた。途端に、思わず後ずさる。
 権太の瞳が、紅く光っていた。闇の中、松明や提灯の明かりに照らされている彼の瞳は、異様な光を放っている。
 とても禍々まがまがしい光を──

 蛇次たちの心に、異様な思いが広がっていく……その時だった。

「こ、このくたばり損ないが!」

 喚いたのは、お琴だ。彼女は、懐から短筒を抜く。
 次の瞬間、銃声が轟いた──

 弾丸は、確かに権太の胸に命中した……はずだった。事実、胸に黒い点が付いている。弾丸が命中した傷痕だ。
 しかし、この男は微動だにしていない。鉄板すら貫く銃弾を受けたのに、何事もなかったかのような表情で立っているのだ。
 周囲の者たちが唖然としている中、権太の手が動いた。傷痕に指を突っ込み、何かを取り出す。
 取り出した物を、地面に投げ捨てる。それは、胸に撃ち込まれた弾丸だった。
 次の瞬間、傷痕に驚くべき変化が生じた。みるみるうちに、傷を肉がふさぎ皮膚が覆っていく。銃弾による傷が、一瞬で回復してしまったのだ──

「ば、化け物だ……」

 手下のひとりが、呻くように言った。すると、権太はにやりと笑う。

「そうだ、俺は化け物だよ。お前らを殺すため、地獄から蘇ったのさ」

 さらなる変化が、彼の肉体に生じていた。口から、鋭い犬歯が伸びている。猛獣の牙のようだ。さらに、手の爪も急激に伸び始めた。まるで、獣の鉤爪のように──

「お前ら全員、あの世でお禄さんと蘭二に詫びろ!」

 怒鳴ると同時に、権太は襲いかかる──

 それは、一方的な殺戮であった。
 権太が走り、鉤爪の付いた腕を振るうだけで、手下たちの首がちぎれ手足が吹き飛ぶ。その様は、荒れ狂う竜巻のようであった。厳つい男たちが、権太に打ち当たられると、四肢がもぎ取れ肉片と化して吹き飛んでいくのだ。
 男たちの流した血で、野原は真っ赤に染まっていった。肉片や臓物が撒き散らされる中、権太はなおも猛り狂う──

「な、なんだこれ……こんなの、聞いてねえよ……」

 渡辺は、恐ろしい惨劇を目の当たりにし、恐怖のあまり動くことさえ出来なかった。蛇に睨まれた蛙の如く、彼はその場に立ち尽くしていた。
 不意に、何かが足元に転がって来る。見ると、勇吉と政の首であった。
 その時になって、渡辺はようやく我に返る。もはや、逃げるしかない。 
 その時、後ろから肩を叩く者がいた。

「おまえ、ごんたをいじめた」

 おかしな発音の言葉だ。いったい何者だろう。蛇次の手下でないのは確かだ。
 しかし、渡辺は声の主が何者なのか、確かめることは出来なかった。恐怖のあまり、全身の筋肉が硬直していたのだ。

「おまえ、ごんたをきずつけた。おまえ、ぜったいゆるさない」

 その時になって、ようやく首が動くようになった。渡辺は、ぎこちない動きで後ろを振り返る。
 目の前には、金色の髪の女が立っている。肌は白く、顔の彫りが深い。南蛮人の顔だ。ただし、その瞳は紅く光っている。
 女の手が、さっと動く。その動きはあまりにも速く、渡辺は反応できない。何をされたのかさえ、わからなかった。
 次の瞬間、鉤爪の生えた手が、渡辺の心臓を貫いていた──



 蛇次とお琴は、どうにか脱出に成功していた。二人は、ひたすら道なりに走っていく。
 だが、蛇次は足を止めた。お琴も、慌てて立ち止まる。
 行く手に、提灯を持った女が立っているのだ。顔には布が巻かれているが、覗く瞳は蛇次たちを見つめている。
 その傍らには、杖を付いた坊主頭の男がいた。傷だらけの顔であるのが、闇の中でもはっきりわかる。

「手下ぁ見捨てて、てめえだけ逃げようってわけですかい」

 言葉の直後、二人はゆっくりと近づいて来る。その男の顔には、見覚えがあった。

「お前は……」
 
 蛇次は、顔を歪めた。
 その男の名は壱助。かつて、仕上屋の一員だった。ところが、両目を潰され片膝を砕かれ、もはや死んだも同然の身……のはずだった。
 しかし今、幽鬼のごとき姿で歩いている。杖を着きよろよろした足取りながらも、しっかりと近づいて来ている。

「こ、このぉ!」

 お琴が、凄まじい形相で短筒を抜いた。直後、轟く銃声──
 だが、倒れたのはお琴の方だった。短筒を握ったまま、ばたりと崩れ落ちる。

「この小娘が。あたしと銃で張り合おうなんざ、百年早いんだよ」

 吐き捨てるような口調で言ったのは、お美代だ。手にした猟銃からは、煙が上がっている。 
 その姿を見た時、蛇次の体が震え出した。半ば本能的な動きで、後ずさりしていく……そんなことをしたところで、銃からは逃げられないのに。
 もっとも、彼の相手はお美代ではなかった。

「逃げられませんぜ、蛇次さん。あんたの相手は、あっしです」 

 傍らから、声が聞こえた。びくりとなり、振り返る。
 いつの間に接近していたのか……蛇次のすぐ横に、壱助が立っていた。両目は焼かれ、耳たぶは削ぎ落とされていた。前歯はへし折られ、顔には多数の傷痕がある。
 闇夜に現れし妖怪のごとき顔で、にいと笑った。同時に、仕込み杖を抜く。

「う、うわああ!」

 叫んだ蛇次の腹に、刃が突き刺さる──

「へへへ、めくらのふりをしてる間に、目がなくても殺せるようになっちまいましたよ」

 囁きながら、壱助は刃を動かし腹をえぐっていく。その刃は、蛇次の内臓を容赦なく切り裂く。
 ごふっ、という声とともに、蛇次は大量の血を吐いた。
 直後、首ががくっと落ちた……。

「あんた、やったよ……あんたが、蛇次を仕留めたんだよ」

 お美代の声を聞き、壱助は空を仰いだ。

「お禄さん、蘭二さん……あなた方の仇は討ちましたぜ。安心して、あの世で夫婦めおとになってください」




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