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終わりは、殺陣で仕上げます(六)
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権太は橋の欄干に背中をもたれさせ、荒い息をつく。
彼の周りには、数人の男たちが倒れていた。意識を失っている者。あばら骨を折られ呻いている者。さらには、首をへし折られ絶命している者もいた。
もっとも、権太の方も無傷ではない。全身に、様々な種類の傷を負っている。さらに、彼の体から流れ落ちた血が、足元に水溜まりを作っていた。息も上がっている。果たして、あと何人を仕留められるか……。
権太を包囲している男たちは、ざっと十人ほどか。権太を睨みながらも、その強さを警戒し近づいては来ない。
それも、長くは続かない。いつかは、しびれを切らし襲いかかって来るだろう。もっとも、殺されるのは承知の上だ。壱助と、お美代さえ逃がせればいい。
不意に、冷めた声が聞こえてきた。
「たったひとりを相手に、何をしているんだよ。お前ら、使えねえなあ」
声と同時に、前に出てきた者。それは、見覚えのある男だった。若い同心で背は高く、色白でなかなかの色男である。普段はやる気のなさそうな表情を浮かべていたが、今は違っていた。
渡辺正太郎は、冷酷な表情を浮かべ前に出てきた。彼の隣には、若い職人風の男がいる。
その顔にも、見覚えがあった──
「勇吉? お前、まさか……」
傷の痛みも忘れ、権太は呟いた。そう、長屋にて隣の部屋に住んでいた勇吉だ。普段、何かと権太の部屋を訪問していた。権太も、この若者には警戒心を抱いていなかったのだ。
「そのまさかだよ、権太さん。俺はね、仕分人の一員だったのさ。ずっと、あんたら仕上屋の様子を探ってたんだよ」
勇吉の顔には、勝ち誇ったような表情が浮かんでいた。
「仕分人だと……」
驚愕の表情で、勇吉を見つめる権太。まさか、この男が仕分人だったとは。
となると、渡辺もか?
「そういうわけだよ。お前には、死んでもらうぜ」
言った直後、渡辺が刀を抜く。その目には、冷ややかな殺意があった。
「じゃ、じゃあ、お前も仕分人なのか……」
権太が、呆然となりながら呟く。
「そういうことだ。ついでに言うと、俺たち仕分人は巳の会と組むことにした。お前ら仕上屋はな、組む相手を間違えたんだよ。巳の会に逆らったら、江戸じゃやっていけねえんだ。恨むなら、蛇次に逆らったお禄を恨め」
言った直後、渡辺は一気に間合いを詰めてきた。
刀を振り上げ、斬り付ける──
渡辺の太刀は、権太の胸のあたりを正確に切り裂いた。大量の血がほとばしる。
次の瞬間、権太の体がぐらりと揺れた。欄干を越え、川へと落下していく──
「なんだあいつ、川に落ちやがったよ」
言いながら、勇吉は川を見下ろす。権太の体は、川底へと沈んでいく。
やがて、皆の視界から完全に消えた……。
「あいつは死んだ。あれで生き延びられるとしたら、人間じゃねえよ。あと残るは、お禄と蘭二だ。仕上屋は、もう終わりさ」
答えた渡辺に、勇吉は不安そうな顔で言う。
「でもさ、まだ鉄砲の使い手が残ってるんだろ。大丈夫かなあ」
「大丈夫さ。どんな奴だろうが、ひとりじゃ何も出来ないよ。頭さえ潰せば、江戸から消えるだろうさ」
そんな渡辺たちを、離れた場所からじっと見ていた者がいる。
女掏摸のお丁だった。彼女は切なげな表情で、沈んでいく権太の姿を見ていた……。
・・・
その翌日。
お丁から話を聞かされたお禄は、険しい表情で舌打ちした。
「権太の奴、勝手なまねしやがって……」
その言葉を聞いた蘭二は、鋭い表情でお禄を睨む。
「その言い方はないんじゃないのかな……あの人は、壱助さんとお美代さんを逃がすために命を捨てたんだよ。見事な死に様だ。私は仲間のために、命を投げうつことなんか出来ない」
静かな口調ではあるが、言葉の奥底には強い感情が込められている。
だが、お禄の態度は素っ気ないものだった。
「そうかい。で、その壱助とお美代はどうなったんだい?」
「わかりません」
申し訳なさそうに、お丁が答える。すると、蘭二が立ち上がった。
「探してみるよ。この上、あの二人まで死なせはしない」
険しい表情で言うと、彼は階段を上がって行った。
その後ろ姿を見ながら、お禄はため息を吐く。
「どいつもこいつも、勝手なことばかりしやがって……」
呟くような口調で言った後、お丁の方を向いた。
「ご苦労だったね。あんた、しばらくはおとなしくしてな。巳の会の連中に、目を付けられないように用心するんだよ」
「わかりました。姐さんも、気をつけて」
・・・
店を出た蘭二は、思い詰めた表情で歩き出す。目指すは、壱助がねぐらにしていた廃寺だ。彼は、早足で進んで行く。
やがて廃寺に到着すると、まずは周囲を見回してみた。
人の気配はない。今のところ、付けられてはいないらしい。ただ、境内からも人の気配が感じられないのが不安だが……。
「お美代さん、いるかい」
そっと声をかけてみた。
しばらく待ってみたが、返事はない。もう一度、声をかけてみる。
「私だ、蘭二だよ。もしいるなら、返事だけでもしてくれないか──」
「いますよ。入って来てください」
奥から、声が聞こえてきた。女のものだ。蘭二は、ほっと胸を撫で下ろす。とにかく、二人は助かったらしい。権太の犠牲も、無駄にはならなかったのだ……。
もう一度、辺りを見回した。人目がないことを確認すると、そっと入って行った。
「これはひどいな」
壱助の体を一通り見た後、蘭二が最初に放った言葉がそれだった。
「へへっ、ざまあないですよ。めくらのふりをしていたあっしが、本物のめくらにされちまったんですからね」
自嘲気味に言ってのけ、壱助は口元を歪めた。
「後で、食べ物と薬を持って来るから──」
「権太さんはどうなったの? あんた、知らないかい?」
蘭二の言葉を遮り、お美代が聞いてきた。
その問いに、蘭二は顔をしかめる。出来ることなら、告げたくはない。
だが、二人は知らなくてはならないのだ。権太という男の最期を。
「あの人は……渡辺正太郎に斬られて、川に落ちたらしい」
「じゃあ、死んだのかい?」
「おそらくは」
蘭二が答えた途端、お美代の口から嗚咽が洩れる。彼女は崩れ落ち、体を震わせて号泣していた。壱助も、体を震わせ拳を握りしめている……。
そんな二人の姿を、蘭二は虚ろな表情で眺めていた。
「権太さん……あんた、何やってんだよ。そんな柄じゃないだろ」
ぽつりと呟く。
思えば、出会った頃の権太は、本当に仲間意識の薄い男だった。必要なこと以外ほとんど話さないような間柄だったし、時には殺り合いそうになったこともあった。他の面子とは一定の距離を置き、それ以上は踏み込まない……それが権太という男だった。
そんな権太が、仲間を助けるために命を落とすとは……。
やがて、壱助が顔を上げた。
「権太さん……あんた、本当に馬鹿だ。俺みてえなめくらのために、死ぬことはなかったんだよ」
「それは仕方ないよ。元気な権太さんが残り、連中の目を引き付ける。壱助さんたちを逃がした後、権太さんも隙を見つけて離脱する……あの場で、みんなが助かる手段は、それしかなかったんだよ。残念ながら、上手くいかなかったがね……」
蘭二は、静かな口調で語った。もちろん、慰めにしかならないだろうことはわかっている。それでも、言わずにはいられなかった。
だが、壱助はなおも訴える。
「馬鹿野郎、俺なんかのために……地獄で会ったら、ぶっ殺してやる!」
その言葉は蘭二ではなく、権太へと向けられているのは明白だった。虚空に向かい、言葉を搾り出す壱助の姿はあまりにも痛々しい。蘭二は目を逸らし、そっと立ち上がり出て行った。
・・・
闇が空を覆い、月明かりが地を照らし出す頃。
川沿いを、白い着物をまとう女が歩いていた。長い髪は腰まで伸びており、しかも金色であった。肌の色は白く、鼻は高い。瞳は大きく、青い色をしていた。
そんな奇妙な女が、川沿いをふらふらと歩いているのだ。
「ごんた、どこ?」
呟きながら、女は草むらをかきわけ、川に沿って進んでいく。その光景は異様だった。弁士が語る物の怪が、現実の世界に現れたかのようであった。
憑かれたような様子で、女は川岸を歩いていった……。
彼の周りには、数人の男たちが倒れていた。意識を失っている者。あばら骨を折られ呻いている者。さらには、首をへし折られ絶命している者もいた。
もっとも、権太の方も無傷ではない。全身に、様々な種類の傷を負っている。さらに、彼の体から流れ落ちた血が、足元に水溜まりを作っていた。息も上がっている。果たして、あと何人を仕留められるか……。
権太を包囲している男たちは、ざっと十人ほどか。権太を睨みながらも、その強さを警戒し近づいては来ない。
それも、長くは続かない。いつかは、しびれを切らし襲いかかって来るだろう。もっとも、殺されるのは承知の上だ。壱助と、お美代さえ逃がせればいい。
不意に、冷めた声が聞こえてきた。
「たったひとりを相手に、何をしているんだよ。お前ら、使えねえなあ」
声と同時に、前に出てきた者。それは、見覚えのある男だった。若い同心で背は高く、色白でなかなかの色男である。普段はやる気のなさそうな表情を浮かべていたが、今は違っていた。
渡辺正太郎は、冷酷な表情を浮かべ前に出てきた。彼の隣には、若い職人風の男がいる。
その顔にも、見覚えがあった──
「勇吉? お前、まさか……」
傷の痛みも忘れ、権太は呟いた。そう、長屋にて隣の部屋に住んでいた勇吉だ。普段、何かと権太の部屋を訪問していた。権太も、この若者には警戒心を抱いていなかったのだ。
「そのまさかだよ、権太さん。俺はね、仕分人の一員だったのさ。ずっと、あんたら仕上屋の様子を探ってたんだよ」
勇吉の顔には、勝ち誇ったような表情が浮かんでいた。
「仕分人だと……」
驚愕の表情で、勇吉を見つめる権太。まさか、この男が仕分人だったとは。
となると、渡辺もか?
「そういうわけだよ。お前には、死んでもらうぜ」
言った直後、渡辺が刀を抜く。その目には、冷ややかな殺意があった。
「じゃ、じゃあ、お前も仕分人なのか……」
権太が、呆然となりながら呟く。
「そういうことだ。ついでに言うと、俺たち仕分人は巳の会と組むことにした。お前ら仕上屋はな、組む相手を間違えたんだよ。巳の会に逆らったら、江戸じゃやっていけねえんだ。恨むなら、蛇次に逆らったお禄を恨め」
言った直後、渡辺は一気に間合いを詰めてきた。
刀を振り上げ、斬り付ける──
渡辺の太刀は、権太の胸のあたりを正確に切り裂いた。大量の血がほとばしる。
次の瞬間、権太の体がぐらりと揺れた。欄干を越え、川へと落下していく──
「なんだあいつ、川に落ちやがったよ」
言いながら、勇吉は川を見下ろす。権太の体は、川底へと沈んでいく。
やがて、皆の視界から完全に消えた……。
「あいつは死んだ。あれで生き延びられるとしたら、人間じゃねえよ。あと残るは、お禄と蘭二だ。仕上屋は、もう終わりさ」
答えた渡辺に、勇吉は不安そうな顔で言う。
「でもさ、まだ鉄砲の使い手が残ってるんだろ。大丈夫かなあ」
「大丈夫さ。どんな奴だろうが、ひとりじゃ何も出来ないよ。頭さえ潰せば、江戸から消えるだろうさ」
そんな渡辺たちを、離れた場所からじっと見ていた者がいる。
女掏摸のお丁だった。彼女は切なげな表情で、沈んでいく権太の姿を見ていた……。
・・・
その翌日。
お丁から話を聞かされたお禄は、険しい表情で舌打ちした。
「権太の奴、勝手なまねしやがって……」
その言葉を聞いた蘭二は、鋭い表情でお禄を睨む。
「その言い方はないんじゃないのかな……あの人は、壱助さんとお美代さんを逃がすために命を捨てたんだよ。見事な死に様だ。私は仲間のために、命を投げうつことなんか出来ない」
静かな口調ではあるが、言葉の奥底には強い感情が込められている。
だが、お禄の態度は素っ気ないものだった。
「そうかい。で、その壱助とお美代はどうなったんだい?」
「わかりません」
申し訳なさそうに、お丁が答える。すると、蘭二が立ち上がった。
「探してみるよ。この上、あの二人まで死なせはしない」
険しい表情で言うと、彼は階段を上がって行った。
その後ろ姿を見ながら、お禄はため息を吐く。
「どいつもこいつも、勝手なことばかりしやがって……」
呟くような口調で言った後、お丁の方を向いた。
「ご苦労だったね。あんた、しばらくはおとなしくしてな。巳の会の連中に、目を付けられないように用心するんだよ」
「わかりました。姐さんも、気をつけて」
・・・
店を出た蘭二は、思い詰めた表情で歩き出す。目指すは、壱助がねぐらにしていた廃寺だ。彼は、早足で進んで行く。
やがて廃寺に到着すると、まずは周囲を見回してみた。
人の気配はない。今のところ、付けられてはいないらしい。ただ、境内からも人の気配が感じられないのが不安だが……。
「お美代さん、いるかい」
そっと声をかけてみた。
しばらく待ってみたが、返事はない。もう一度、声をかけてみる。
「私だ、蘭二だよ。もしいるなら、返事だけでもしてくれないか──」
「いますよ。入って来てください」
奥から、声が聞こえてきた。女のものだ。蘭二は、ほっと胸を撫で下ろす。とにかく、二人は助かったらしい。権太の犠牲も、無駄にはならなかったのだ……。
もう一度、辺りを見回した。人目がないことを確認すると、そっと入って行った。
「これはひどいな」
壱助の体を一通り見た後、蘭二が最初に放った言葉がそれだった。
「へへっ、ざまあないですよ。めくらのふりをしていたあっしが、本物のめくらにされちまったんですからね」
自嘲気味に言ってのけ、壱助は口元を歪めた。
「後で、食べ物と薬を持って来るから──」
「権太さんはどうなったの? あんた、知らないかい?」
蘭二の言葉を遮り、お美代が聞いてきた。
その問いに、蘭二は顔をしかめる。出来ることなら、告げたくはない。
だが、二人は知らなくてはならないのだ。権太という男の最期を。
「あの人は……渡辺正太郎に斬られて、川に落ちたらしい」
「じゃあ、死んだのかい?」
「おそらくは」
蘭二が答えた途端、お美代の口から嗚咽が洩れる。彼女は崩れ落ち、体を震わせて号泣していた。壱助も、体を震わせ拳を握りしめている……。
そんな二人の姿を、蘭二は虚ろな表情で眺めていた。
「権太さん……あんた、何やってんだよ。そんな柄じゃないだろ」
ぽつりと呟く。
思えば、出会った頃の権太は、本当に仲間意識の薄い男だった。必要なこと以外ほとんど話さないような間柄だったし、時には殺り合いそうになったこともあった。他の面子とは一定の距離を置き、それ以上は踏み込まない……それが権太という男だった。
そんな権太が、仲間を助けるために命を落とすとは……。
やがて、壱助が顔を上げた。
「権太さん……あんた、本当に馬鹿だ。俺みてえなめくらのために、死ぬことはなかったんだよ」
「それは仕方ないよ。元気な権太さんが残り、連中の目を引き付ける。壱助さんたちを逃がした後、権太さんも隙を見つけて離脱する……あの場で、みんなが助かる手段は、それしかなかったんだよ。残念ながら、上手くいかなかったがね……」
蘭二は、静かな口調で語った。もちろん、慰めにしかならないだろうことはわかっている。それでも、言わずにはいられなかった。
だが、壱助はなおも訴える。
「馬鹿野郎、俺なんかのために……地獄で会ったら、ぶっ殺してやる!」
その言葉は蘭二ではなく、権太へと向けられているのは明白だった。虚空に向かい、言葉を搾り出す壱助の姿はあまりにも痛々しい。蘭二は目を逸らし、そっと立ち上がり出て行った。
・・・
闇が空を覆い、月明かりが地を照らし出す頃。
川沿いを、白い着物をまとう女が歩いていた。長い髪は腰まで伸びており、しかも金色であった。肌の色は白く、鼻は高い。瞳は大きく、青い色をしていた。
そんな奇妙な女が、川沿いをふらふらと歩いているのだ。
「ごんた、どこ?」
呟きながら、女は草むらをかきわけ、川に沿って進んでいく。その光景は異様だった。弁士が語る物の怪が、現実の世界に現れたかのようであった。
憑かれたような様子で、女は川岸を歩いていった……。
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