必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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やさしさだけでは、生きていけません(一)

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「権太さん、どうかしたんですか? 今日は元気がないみたいですがね」

 壱助の言葉に、権太は苦笑した。

「いや、別に大したことねえんだ。それよりも……」

 言いながら、権太は視線を移した。そこには、蘭二がすました顔で座っている。

「蘭二、お前こんな所で油売ってていいのか?」

「いいんだよ。お禄さんがいつもやっていることだからね」



 蘭二と壱助は、権太の借りている長屋の一室に来ていた。今日は珍しく、お禄が店できちんと働いている。そのため、いつものお返しとばかりに蘭二が遊びに来ているのだ。

「なあ壱助さん、あんた初めて人を殺したのは、何歳の時だ?」

 不意に権太が、改まった様子で尋ねる。

「えっ、確か十五くらいの時だが……何でそんな事を聞くんですかい?」

 逆に聞き返す壱助に、権太はため息をついた。

「あの龍造ってのは、俺の知り合いだった。島にいた時、俺に武術を教えてくれたんだよ。確か、十三か十四くらいの時だ。そん時は、自分が殺し屋になるなんて思わなかったよ」

 そこで権太は言葉を切り、歪んだ笑みを浮かべる。

「龍造のおかげで、俺は強くなれた。強くなれたから、今まで生きて来られたんだ。なのに、向こうは俺の面も覚えていなかった。しかも、俺の手で奴は死んだ。皮肉な話だよ」

 そこで権太は、蘭二の方を向いた。

「前に、何とか言う医者を殺したよな。あいつは、お前の師匠だったのか?」

「いや、そういうわけじゃない。でも、凄い先生だったのは確かだ」

 答える蘭二。権太の口元が、僅かに歪んだ。

「そうか。生きるってのは、面倒だな。年をとると、くだらない思い出を引きずって歩くようになる」

 権太らしからぬ感傷的な言葉だった。すると、壱助が口を挟む。

「権太さん、あんたはまだまだ若いですよ。それに、あっしらはどんなに面倒でも、生きていかなきゃならないんです。でなきゃ……」

 そこで、壱助は口を閉じた。目をつぶったまま、戸口の方を顎で指し示す。
 権太と蘭二は、何の気なしに戸口の方を向いた。すると、障子戸に空いた穴から、何者かの着物のすそが見えていた。
 誰かが、外に立っている。いつからいたのか──
 直後、権太が動く。巨体に似合わぬ速さで立ち上がり、一瞬で戸を開ける。外にいる者の首根っこを掴み、鬼のごとき形相で睨みつける。
 だが、その表情が和らいだ。

「勇吉じゃねえか。お前、何やってんだ?」

 そこにいたのは、隣に住んでいる勇吉だった。怯えきった表情で権太の顔を見上げる。

「な、何すんの権太さん!? 遊びに来ただけなのに!」

「そうか。ところでお前、俺たちの話を、いつから聞いてたんだ?」 

「なんにも聞いちゃいないよ! 今来たばっかりなんだから!」

 震えながらも、勇吉は言葉を返した。
 権太は、勇吉の顔を見つめる。一瞬、ある考えが頭に浮かんだ。だが、すぐにその考えを否定する。この男は、馬鹿だが無害だ。問題はないだろう。

「そうか。悪いな。この辺りも物騒だからよ、てっきり押し込み強盗の下見でもいたのかと思ってな」

「何言ってんだよ。一番物騒なのは、権太さんじゃないか」 

 言いながら、勇吉は中を見回す。

「あれ、蘭二さんに壱助さんも来てんだ。ねえ、これからみんなで酒でも飲まない? 昨日、博打で買っちゃってさ。さっきまで吉原にいたんだけど、まだ金が余っちゃったから」 

「いや、悪いが私は店に戻るよ。そろそろ帰らないと、お禄さんに怒られるからね」

 そう言って、蘭二は立ち上がる。

「ちょっと、何それ? 俺のこと嫌いなの?」

 口を尖らせる勇吉に、蘭二は微笑んだ。

「そうじゃないよ。だかね、お禄さんは鬼より怖い。怒らせたくないからね。また今度、ご馳走してくれ」



 蘭二は、すぐに店に戻った。だが、店には彼を待つ者がいる。
 それは栗栖だった。行商人のような身なり、そして一段とやつれた顔つき……阿片を吸っている者に特有のやつれ方だ。蘭二の表情も堅くなる。
 だが、栗栖は彼の顔を見た途端に笑みを浮かべた。

「なあ蘭二、後で時間を作ってくれんか?」

 栗栖のそっと囁いた言葉に、蘭二は頷く。いったい何なのかは不明だが、その様子から察するに、まともな用事ではないだろう。



 その夜、蘭二と栗栖は町外れのあばら家にいた。ぼろぼろの畳の上に座り、酒を酌み交わしている。しかし、二人の目の奥には冷たい光がある。

「蘭二、俺はな……佐島さんを殺した奴を、ずっと探し続けていた」

 栗栖の発した言葉に、蘭二は口元を歪めた。と同時に、煙管を手にする。

「なるほど。で、下手人は見つかったのか?」

「ああ、見つかったよ。裏の連中は口が堅い。情報を貰うのには苦労したがな。ようやく、下手人が分かったよ」

「ほう」

 言いながら、蘭二は栗栖の顔を見る。その意図を確かめるために。
 だが栗栖の表情は虚ろで、何を考えているのか判断できない。

「ああ。佐島さんを殺したのは、仕上屋とかいう連中らしい」

 栗栖は、いったん言葉を止めた。蘭二の目をじっと見つめる。

「お前に聞きたい。誰が佐島さんを殺したのか、お前は知っているのではないか?」

「ああ、知っている。佐島さんを殺したのは、この私だ」

 なぜ、その場で正直に言ってしまったのか……蘭二には分からない。ただ、嘘を吐いて誤魔化すことなど考えもしなかった。その理由もまた、考えもしなかった。

「そうか、お前だったのか」

 栗栖の表情は変わらなかった。虚ろな顔つきで、じっと蘭二を見つめている。蘭二は不安を覚えた。己の身の安全に対して、ではない。栗栖の様子は、あまりにも異様だった。一切の感情が消え失せ、虚ろな瞳でこちらを見ている。まるで能面のようだ。 どうやら栗栖自身も、阿片に憑かれてしまったらしい。

「私を、殺すのか?」

 蘭二の問いに、栗栖は力なく笑う。

「今さら、そんな事をして何になる。お前を殺したところで、佐島さんは戻って来ない。それに、お前なら理解しているはずだ。あの人を喪ったことの重大さが、な」

「ああ、わかるよ。あの人は医者としては、日本一だった」

 しみじみと呟く蘭二。そう、佐島は医者としては日本でも類を見ない腕前であったろう。
 もっとも、人としての評価は?

「お前なら、自身の犯した罪の重さが理解できるだろう。佐島さんを殺した罪の重さに苦しみながら生き続ける……それが、お前の罰だ」

 一切の感情を交えず、淡々とした口調で言う栗栖。その言葉に嘘はなさそうである。栗栖には、佐島を殺した者に対する復讐心が消えてしまったらしい。

「蘭二、復讐など無意味なものだ。殺人も死も、空しいだけだよ……さらに言うなら、生きることも無意味で何の価値もない。何もかも、実に虚しいものだ」

 静かな口調で、言葉を続ける栗栖。蘭二は、彼の異様さに呑まれながらも口を開いた。

「ひとつ言っておくぞ。江戸の裏稼業の大物・弁天の小五郎は、阿片を酷く嫌っている。阿片を扱っていた者たちが、小五郎の命令により次々と始末されている。いずれ、お前も狙われる事になるかもしれん。命が惜しければ、今のうちに江戸を離れるのだ」

「ほう、そんな奴がいたのか。最近、俺の周りで立て続けに人が死んでいくのでな。妙だとは思っていたが、そういうことだったのか」

 投げやりな表情の栗栖。どうやら、自身の身の安全など欠片ほども考えていないらしい。
 この分では、栗栖の命ももう長くないだろう。そもそも、本人から生きる気力が感じられないのだ。

「頼むから、俺にお前を殺させるような真似だけはしないでくれ」

 去り際、思わずそんな言葉を吐いた。だが、栗栖は何も答えなかった。



 帰り道、蘭二は憂鬱な気分で歩いていた。
 栗栖はもはや、生きるための意思すら失っている。それが阿片のためか、あるいは無頼の生活ゆえかは分からない。ただひとつ言えるのは……こうした人間は、死神を招き寄せてしまうことがある。
 今の蘭二に出来ることは、己が彼の死に関わらずにいられるように祈ることだけだった。







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