必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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春には、春の花が咲きます(三)

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 その翌日、お禄はいつものように町をぶらついていた。あちこちを歩き回り、裏の世界に関する情報を集めている。
 近頃、おかしな雲行きになっている……そんな気がしていた。口では上手く言えないが、江戸に妙な空気が漂っているように感じるのだ。彼女は今日も、遊び人仲間の立ち寄りそうな場所をうろついていた。
 だが、そんなお禄に声をかける者がいた。

「お禄さん、ちょいといいですかい」

 お禄が振り向くと、そこには捨三が立っていた。何やら、思いつめたような表情である。
 
「何だい捨三さん、どうかしたのかい?」

 お禄が尋ねると、捨三は用心深くあたりを見回しながら、そっと手招きする。
 彼女は不吉なものを感じた。これは間違いなく、裏の仕事の話であろう。出来ることなら、蛇次の絡む話は勘弁願いたいのだが。 だが、無視するわけにもいかない。お禄は、仕方なく近づいて行った。

「お禄さん、あんた猪之助を知ってますかい? 近頃、亥の会なんてのを作ってる奴なんですが……」

 捨三は、声をひそめて聞いてきた。

「ああ、名前だけは知ってるよ。まだ会った事はないけどな。そいつがどうかしたのかい?」

 口ではそう言ったが、お禄には既にこの先の展開が読めていた。

「猪之助の奴、最近はすっかり図に乗ってやがるんですよ。あの亥の会ってのも、蛇次さんの巳の会に対抗してのものでさぁ。そろそろ叩いておかないと、あとあと厄介なことになりますぜ」

 言いながら、捨三は意味ありげな笑みを浮かべる。対照的に、お禄の表情は堅くなっていった。
 
「捨三さん、もっとはっきり言ってくれないかな。あたしら仕上屋に猪之助を殺してくれと、そう言いたいのかい?」

「だとしたら、あなたはどうしますか?」

 逆に聞き返してくる捨三。お禄は目を逸らし、空を見上げた。

「さあてねえ。あたしも、これからは本業に身を入れないといけないからさ。やるとも言えないし、やらないとも言えない」

「なるほど、それがお禄さんの気持ちですか。よくわかりました」

 そう言うと、捨三はじっと見つめた。氷のような冷たい目だ。
 しかし、お禄は平然と受け流す。蛇次に対抗できる者がいてくれるのは、お禄としてもありがたい話だ。このまま行けば、蛇次は江戸の裏社会を牛耳るような存在になるかもしれない。
 それは避けたいところだ。

「なるほど、わかりました。ただね、蛇次さんを敵に回しても得はしません。そのあたりを、考えておいてください」

 そう言うと、捨三は去って行った。


 お禄は、再び歩き始めた。
 どうやら、猪之助という男は蛇次の怒りを買っているようだ。亥の会については、よくは知らない。ただ、近頃めきめき頭角を現してきている……とは聞いている。もっとも、今のところ仕上屋とは全く接点がない。したがって、特に気にも留めていなかった。
 ただし、巳の会の対抗勢力となると話は別だ。蛇次を牽制してくれる存在なら、ありがたい話だ。

「姐さん、ちょっといいですか?」

 不意に、後ろからそっと声をかけて来た者がいる。振り向かなくても、誰かはわかった。女掏摸のお丁だ。お禄は立ち止まり。そっと周りを見回す。周囲に人はいるが、二人に注意を払う者はいない。

「どうしたんだい、こんな所で」

 お禄は、さりげなく声を発した。お丁が、町中で声をかけて来るのは珍しい。よほど急ぎの用事なのだろうか。
 
「姐さん、妙なんですよ。あの渡辺正太郎が、仕上屋について調べています」

「はあ? 渡辺正太郎?」

 その名前は知っている。南町の昼行灯ひるあんどんとの異名を持つ同心だ。お禄も顔は知っているが、特に注意を払うような存在ではない。

「はい。あの昼行灯、密かに仕上屋の情報を探ってるんですよ。河原者や夜鷹なんかに銭をばら撒いて、何かわかったら教えてくれ……なんて言ってるそうです」

「えっ? あの渡辺がかい?」

 思わず、大声で聞き返していた。あの、袖の下をもらうことだけに力を注いでいる渡辺が、金をばら撒くとは……確かに、おかしな話ではある。

「あと、もうひとつ気になることがあるんですよ。最近、仕分人の連中が派手に動いていますね。今までは、ひっそりと闇に紛れて、目立たないように仕事をしていたみたいなんですが……どうも、きな臭い匂いがしますよ」

 言いながら、お丁は顔をしかめた。
 それに合わせて、お禄も顔をしかめる。やはり、自分の勘は外れていなかった。闇に潜んでいたはずの仕分人が、表に出てこようとしている。
 その場合、自分たちの敵になるのだろうか?

「まあ、渡辺の方はともかくとして……仕分人には気をつけな。何かわかったら、すぐに知らせとくれ」

 その言葉に、お丁は頷いた。

「わかりました。任せてください。姐さんの方も、充分に気をつけてください。あたしの勘だと、近々とんでもないことが起きそうな気ががしますんで」

 お丁の話を聞いた後、お禄は急いで店に戻った。その姿に、蘭二は何かを感じたらしい。案じるような表情で、顔を近づけて来た。

「ちょっと、どうしたんだい?」

「渡辺正太郎が、あたしたちのことを嗅ぎ回っているらしいよ。まあ、それはいいとして……最近、仕分人が派手に動いているんだってさ。こりゃあ、しばらく気をつけないといけないかもね」

 ・・・

 草木も眠る丑三つ時。
 猪の会の元締である猪之助は、用心棒の龍造と子分の伝八を連れ、川沿いを歩いていた。

「あの夜鷹め、渋りやがって。さっさと出せば、痛い目見なくてすんだのによ」

 片手で提灯をかざし、ぼやきながら歩く伝八。この男、先ほど亥の会の縄張りで商売をしている夜鷹をさんざん殴りつけ、みかじめ料を強引に頂戴したのだ。

「伝八、あまりやり過ぎるな。奴らだって、顔を傷つけられたら商売にならん」

 猪乃助は、低い声でたしなめる。もっとも、言っても無駄なのはわかっていた。この伝八、女を殴るのが好きで仕方ないのだ。さっきは、女を殴りながら恍惚とした表情を浮かべていたのだ。
 一方、殴られ続けた夜鷹は、顔が完全に変形してしまっていた。血まみれになった顔を歪め、泣きながらなけなしの金銭を差し出したのだ。伝八は、嬉しそうにその金を受け取っていた。
 この男、人としては最低最悪である。しかし、荒事には欠かせない。



 その時、龍造が足を止めた。

「猪乃助さん、気をつけてください。変なのが来ますよ」

 その声の直後、五人の男が草むらから姿を現した。黒い着物姿で、黒い布を顔に巻いている。

「猪乃助、死んでもらう」

 ひとりが声を発した直後、五人は一斉に襲いかかる──

「伝八! 猪乃助さんを守れ!」

 怒鳴った直後、龍造は一気に間合いを詰めた。もっとも手近にいた男に、強烈な正拳を叩きこむ──
 龍造の拳に、鼻骨が折れる感触が伝わってきた。同時に、折れた歯が飛び散る。だが、龍造の動きは止まらない。襟首を掴み、思い切り投げる。
 相手の体は、地面に叩きつけられた。ごふっという声を放ち、絶命する……投げられた衝撃で、首が折れたのだ。
 この一瞬の早業に、襲撃者たちの動きが止まった。彼らは、龍造が自分たちの手に負えるような相手でないのを理解したのだ。
 一方、龍造の動きは止まらない。残る男たちに、凄まじい勢いで襲いかかっていった──


 戦いは、すぐに終わった。
 猪乃助たちは、横たわる襲撃者たちを見下ろしている。彼らは無傷であり、龍造に至っては息も乱していない。

「こいつら、巳の会の連中でしょうかね?」

 死体を乱暴に蹴飛ばしながら、伝八が尋ねた。

「さあな。いずれ、蛇次の野郎にじっくり聞いてみるとしようぜ」

 猪乃助は、冷酷な表情で夜空を見上げた。








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