必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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人の一生は、旅に似ています(二)

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 神谷右近はかつて、南町奉行所の同心であった。
 仕事熱心で、悪党に対しては冷酷非情であり、南町の虎と呼ばれるほどである。斬り殺した悪党は数知れず、獄門台に送った悪党もまた数え切れないだろう。
 しかし、右近を憎む悪党も数知れなかった。
 ある日、彼は悪党たちの仕掛けた罠にはめられてしまう。材木置き場にて盗賊を追っていた時、虎ばさみの罠に足を取られたのだ。その上、動けなくなったところに大量の材木を落とされる──
 何とか一命を取り留めたものの、右近の両足の骨は粉々に砕けていた。二度と動かなくなってしまったのだ。



 体の自由を失い、同心として働けなくなった右近を待っていたのは悲惨な日々であった。奉行所は、僅か一両の見舞金で彼を放り出す。これまで江戸の平和に尽くしてきた右近。だが、その働きへの報いは、あまりにも冷たいものだった。
 さらに右近は、住んでいる屋敷からも追い出された。彼は妻のはなと共に、流浪の身となってしまったのだ。
 そんな右近と花を、悪党は放っておいてくれなかった。悪党たちは皆、右近に強い恨みを抱いている。また悪党でなくても、親兄弟や連れ合いを斬り殺されたり、獄門台に送られたりした者も少なくない。
 これまでは同心であるがゆえに、右近には手を出すことが出来なかったが……今の彼は、ただの浪人である。それも、満足に動く事も出来ない体だ。
 やがて、徹底的な嫌がらせが始まった。住んでいる長屋にごみを放り込まれたり、石を投げられたり、集団から殴る蹴るの暴行を受けたり……右近にとって、生き地獄のような日々が続く。だが、それはまだ序の口であった。
 しまいに妻の花が、彼の目の前で悪党たちに乱暴されてしまったのだ。しかし、体の動かない右近には助けることが出来ない。
 ついに二人は耐えきれなくなり、江戸を離れることとなった。
 だが、右近の悪党たちを憎む気持ちは消えていなかったのだ。胸の奥に燻っていたその気持ちは、妻への乱暴をきっかけに気違いじみた執念と化した。
 やがて執念は、ひとつの奇跡を生む──
 右近と花は、旅の賞金稼ぎとなったのである。逃げている悪党を捕らえ、役所に突き出す。場合によっては殺す……そんな修羅の世界に、夫婦は身を投じて行ったのだ。

 ・・・

「えっ、足が動かないのに賞金稼ぎですかい……どうやって凶状持ちを捕まえるんですか?」

 亀吉は、不思議そうに尋ねる。すると、渡辺は険しい表情で答えた。

「あの神谷さんは、同心の中でも一番の凄腕だった。刀、槍、手裏剣、そして捕縛術。武芸に関しては、あの人の右に出る者はいなかったんだよ。奥方が、右近さんの足の代わりをしてるんだろうな……」

「やけに詳しいですね。あの右近と、知り合いなんですか?」

 亀吉の問いに、渡辺は頷いた。いつもと違い、神妙な面持ちで口を開く。

「俺に同心のいろはを叩き込んだのが、あの右近さんなのさ」

「えっ? そりゃ本当ですかい?」

「ああ。南町の虎と恐れられた男が、南町の昼行灯を指導してたんだよ。何とも間抜けな話だよ。可笑しくてたまんねえよな」

 そう言って、笑って見せる渡辺。だが、その目は笑っていない。むしろ、深い哀しみの色がある。

「俺はな、神谷さんへの処分がどうしても納得いかなかったんだよ。あれだけ江戸の平和のために尽くして来た人が、たった一両の見舞金でお払い箱だぜ。ちょっと酷すぎるだろ。俺はな、上の人間に直訴したんだ。その結果、出世の道は閉ざされちまったってわけさ。お上に楯突きゃ、そういう事になるわな」

「あっしは、全く知りませんでした。そんな事があったんですか」

「そうさ。俺はそれ以来、真面目にやってるのが馬鹿らしくなったんだよ。どんなに手柄を立てようが、いったん上から睨まれた以上、出世は無理だ。長いものには巻かれる、それが正解なんだよ」

 冗談めいた口調で言いながら、渡辺は右近らの去って行った方角を見つめた。
 今の渡辺なら、何となく事情は理解できる。神谷右近という同心は、くそ真面目な堅物だった。酒も飲まないし女も買わない。博打も打たない。賄賂などもっての他だ。同僚に対する態度も、ぶっきらぼうなものだった。愛想など欠片もない。彼の唯一の生き甲斐……それは、悪党を捕らえる事だったのだ。
 そのため周囲からは、仕事は出来るが付き合いが悪く、空気の読めない男だと評価されていた。
 さらに、右近は相手が何者であろうが手加減しなかった。有力者の息子を拷問し、罪を自白させた事もある。
 そんな右近の存在を煙たがる者も、当時は少なくなかったはずだ。公務の最中の事故で一生歩けない体にされたというのに、たった一両の見舞金しか出ない……これは、明らかに異常である。当時まだ若かった渡辺は納得できず、上の人間に食ってかかった。
 だが、今ならわかる。右近は、もう少し上手くやるべきだったのだ。空気を読んだ行動さえ出来れば、足が動かなくなった時の処遇も違っていたかも知れない。
 だが、右近は真っ直ぐ過ぎる男だった。その不器用な生き方が、己と妻の花を不幸にした。



 渡辺は、改めて運命の皮肉を感じた。南町の虎と恐れられた同心が、今では賞金稼ぎとなってしまった。
 一方、その南町の虎に同心のいろはを叩き込まれた自分は?

 ・・・

 右近と花そして銀次郎の三人は、町外れのあばら家にて一息ついていた。ここは、かつて屋敷を追い出された神谷夫妻が、一時的に身を寄せていた空き家である。もっとも、今では虫や鼠の住み家となっているが。

「神谷さん、あの同心はお知り合いですかい?」

 銀次郎の問いに、右近は口元を歪める。

「ああ、俺のかつての後輩だ。奴だけだよ、俺のために骨を折ってくれたのは……なあ、花」

「そうでしたね。渡辺さんは、いい人でした」

 花が、昔を懐かしむかのような表情で言った。

「そうですかい。それはともかく、今度の相手は、熊次と寅三の兄弟でさあ。もし、あの同心が仕事の邪魔をするようでしたら、どうしなさるんです?」

 尋ねる銀次郎。すると、右近は間髪入れずに言葉を返す。

「その時は、奴を消すだけだ」







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