必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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さよならだけが、人生です(五)

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「ええと、それはどういう事なんです?」

 お禄は、困惑した表情で尋ねた。彼女の目の前には、弁天の小五郎が立っている。むすっとした表情で、ゆっくりと言葉を繰り返した。

「もう一度言うよ。お禄さん、黒波一家の親分である留介……そして子分たちを殺してくれ」



 昼過ぎ、店を蘭二に任せて町中を歩いていたお禄。彼女は、昨日現れた仕分人を名乗る女のことが気にかかっていた。蘭二には、ほっとくよ……と言っていたが、完全に無視しているわけにもいかない。
 そんな時に突然、小五郎に呼び止められた。しかも、この出会い茶屋に連れ込まれたのだ。一瞬、口説かれるのかと誤解してしまったくらいである。
 だが、小五郎の口から出たのは、色気とは無縁の言葉だった。

「ちょいと頼みがある。黒波一家を潰してくれ」

 お禄は首を捻る。黒波一家といえば、最近になって頭角を現してきたやくざであるらしい。しかし、小五郎ほどの男が動くような相手なのだろうか。
 いや、それ以前に……なぜ自分たちに依頼するのかが分からない。弁天の小五郎と言えば、巳の会を率いる蛇次と並ぶ裏社会の大物である。その気になれば、黒波一家など潰すのは訳ないはずだ。
 そんな思いをよそに、彼の言葉は続く。

「黒波一家の留介と清吉はな、ちょいとばかりやり過ぎだよ。あの馬鹿、女を次々とかたわに変えてやがる」

「はい?」

 お禄が聞き返すと、小五郎は顔をしかめる。

「女の両手両足をぶった切ったり、目を潰したりして客を取らせるんだ。しかも、それだけじゃねえ……女たちに阿片まで吸わせてやがるんだよ。奴らは本物の外道だ。生かしちゃおけねえ」

 吐き捨てるような言葉を聞いた時、ようやく合点がいった。小五郎は阿片を異常に嫌っている。何でも、かつて馴染みの女郎が阿片により命を落としたらしい。以来、子分たちにも阿片だけは扱わせないのだ。

「なるほど、分かりました。引き受けましょう」



 その日の夜、例によって店の地下室に仕掛屋の面々が集まっていた。
 お禄は皆の顔を見回した後、おもむろに話を切り出す。

「殺るのは黒波一家の親分である留介と子分の清吉、そして用心棒の市村武三の三人。金はひとりあたり十両だ。どうする?」

「断る理由はないですね。だったら……あっしとお美代の二人で、その腕の立つ用心棒を殺りましょうかね」

 言いながら、真っ先に小判に手を伸ばしたのは壱助だ。お禄は頷き、突き出された手のひらに小判を十枚乗せる。

「俺もやるよ。清吉の奴は俺が仕留める」

 言いながら、五両を掴み取る権太。すると、蘭二が口を開いた。

「となると、私にも出番はありそうだね」

 ・・・・

 数日後、留介は用心棒の市村を連れ、夜道を歩いていた。この辺りは、食い詰め者が多い。堅気の人間が夜にうろうろしていたら、身ぐるみ剥がれてしまうだろう。
 もっとも、黒波一家の親分である留介を襲うような愚か者は、まずいないだろうが。

「捨三の奴、ふざけやがって」

 不意に、留介が吐き捨てるような口調で言った。その顔には、不快そうな表情が浮かんでいる。
 怒りの原因は、昼過ぎに捨三が店に現れたことだ。店の料金体系や客の入りなどを、やたら細かく聞いてきた挙げ句に、また来ますよ……という一言を残し去って行った。
 彼の目的は明らかである。こちらから、どれだけ金を搾り取れるか……その吟味だ。帰ったら、蛇次に報告するつもりであろう。いずれ、蛇次から何か言ってくるはずだ。

「いっそ、今度来たら切り捨てますか」

 軽い口調で言った市村に、留介は血相を変えた。

「馬鹿なことを言うな。あいつは、腐っても巳の会だ。下手に手を出すと、ただでは済まないぞ」

 留介がそう言った次の瞬間、前から坊主頭の男が現れた。みすぼらしい着物を着て、杖を突きながらこちらに歩いて来る。

「もし、そこの旦那さま。哀れなめくらに、お恵みを……」

 言いながら、男はこちらに近づいて来た。留介は、思わず顔をしかめる。

「おい、あいつを追っ払ってくれ。面倒なら、斬っても構わん」

 留介の言葉に、市村は頷いた。

「わかりました。では、斬ってやりますよ」

 そう言って、男に近づいて行く。だが、不意に足を止めた。

「留介さん、妙ですね。この男、血の匂いがします。ただの乞食じゃ無さそうですよ」

 言うと同時に、市村は刀を抜いた。

 ・・・

 目の前で、刀を抜いた市村。
 壱助は、思わず舌打ちをした。この侍は、人斬りが好きで好きでたまらない気違いだと聞いている。だが、その分だけ勘も鋭いのかもしれない。仕込み杖を握り、じりじりと下がっていく。
 その姿を見て、市村の顔に笑みが浮かんだ。

「あんた、やっぱり血の匂いがするよ。面白い」

 徐々に間合いを詰めて来る市村。
 壱助も仕込み杖を抜き、構える。思った通り、こいつは腕がたつ。仕留めるには、もう少し引き付けないとならない。
 しかし、市村は足を止めた。

「どういう訳だい。さっさと斬り合おうじゃないか。それとも、こいつは罠なのかな?」

 やはり、この男は勘が鋭い。こうなったら、乱戦に持ち込むしかないのか。

「おい! 何をやっている! さっさと斬れ!」

 留介の喚く声が聞こえてきた。だが、そんなものに構ってはいられない。壱助は仕込み杖を構える。

「留介さん、気をつけてください。どうやら、私たちは嵌められたようです」

 市村は、冷静な態度を崩さない。刀を構え、油断なく辺りを見回している。壱助を見る目は落ち着いたものだ。見下している訳でも恐れている訳でもない。
 その時だった。

「おやおや、いったい何事ですか?」

 のんびりした言葉とともに、そこに現れたのは蘭二だ。煙管をくわえ、とぼけた様子で留介に近づいて行く。

「あ、あんた! すまないが助けてくれ! 殺し屋が──」

 だが、留介の言葉はそこで途切れた。蘭二は彼に近づき、煙管に仕込まれた針を抜いた。
 背後に廻り、延髄に突き刺す──

「なに!?」

 思わず声を上げる市村。一瞬ではあるが、壱助から視線が逸れた。その刹那、壱助は斬りかかっていく──
 でたらめに仕込み杖を振り回し、市村に向かって行く壱助。それに対し、市村は飛び退いて間合いを離した。刀を振り上げ、反撃しようとする。
 だが次の瞬間、草むらから立ち上がる者がいた……お美代だ。彼女は竹筒を構えた。
 直後、銃声が轟く──
 僅かに遅れて、市村が倒れた。

「短筒だと……卑怯者めが……」

 いまわの際、声を絞り出す市村。それに対し、壱助はにやりと笑った。

「馬鹿野郎、卑怯も糞もあるかい。死んだ奴が負けなんだよ」

 ・・・

 その頃、清吉は店を閉めるための準備をしていた。
 だが、後ろから音も無く忍び寄って来た者がいる。清吉の背後から、首に腕を廻した──
 抵抗すら出来ず、一瞬にして絞め落とされた清吉。だが、それでも腕は外れない。
 清吉は首をへし折られ、その場に崩れ落ちる。何が起きたのか、そして何者が自分を殺めたのか……それすら知らぬまま、清吉は死んでしまった。



 権太は無言のまま、死んだ清吉を見下ろしていた。ややあって、ぽつりと呟く。

「じゃあな、清吉。地獄で会おうぜ」




 その翌日、権太は上手蕎麦を訪れた。後金を貰うためである。既に日は沈み、空には星が出ていた。
 地下室に降りると、壱助も来ていた。もちろん、お禄と蘭二もいる。室内には、妙に重苦しい空気が漂っていた。

「どうかしたのか?」

 権太が尋ねると、お禄が口を開いた。

「追加の仕事だよ。あの店にいた女を、全員始末しろとさ」

「何だと……」

 さすがの権太も、二の句が告げなかった。一方、お禄は冷めた表情で言葉を続ける。

「あの店にいた女たちはね、みんな阿片でおかしくなっちまってた。しかも全員、かたわにされてる。苦しまないようにあの世に送ってやれ、だとさ」

「そうか」

 権太には、事情が理解できた。彼はかつて、阿片で身も心もぼろぼろにされ、生ける屍と化した者たちを見たことがあった。まともに動くことも出来ず、ただ生きているだけの存在だ。ひとりでは、生きていくことすら出来ない。
 だからこそ、ひと思いに殺せというのだろう。

 「私たちが留介たちを殺さなければ、女たちは生きていられたんだよね」

 蘭二が、ぽつりと呟く。すると、お禄が鋭い視線を向けた。

「仕方ないだろう。放っておいたら、もっと酷い目に遭った女たちが出たかもしれないんだよ」

 その言葉に、蘭二はうつむいた。
 静まり返る地下室。やりきれない空気が、その場を支配していた。
 だが、権太が口を開く。

「お前らの気が乗らないなら、俺が殺る。全員、苦しまないように殺してやる。それでいいな?」

「いや、あんただけに押し付けられないよ。みんなで殺るんだ。いいね?」

 お禄の言葉に、全員が頷いた。






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