必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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石が流れて、木の葉が沈みます(五)

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「先生、今日は、これだけしかないんですよ……足りますか?」
 
 ぼろぼろの古い長屋の前で、僅かな金子を手に、何度も頭を下げる中年女。その顔は日に焼け、長年の労苦によりやつれていた。不安そうな表情で、じっと立っている。
 だが佐島章軒は、にこやかな表情で頷いて見せた。

「案ずることはない。それで大丈夫だ」

「本当ですか? ありがとうございます……」

 そう言って、女は何度も頭を下げる。
 
「いやいや。医術は人を助けるためにある。困った時はお互い様じゃないか。もし、子供がまた苦しむような時には、この薬を飲ませるといい」

 そう言って、佐島は紙の袋を渡した。 女はその紙袋を受け取り、もう一度頭を下げる。

「先生、本当にありがとうございました」

 佐島は笑みを浮かべると、向きを変えて歩いて行った。
 だが、彼の後を尾行する者がいた。



 その頃、林の中にある一軒家では──
 戸が開き、作務依を着た二人の男が出てきた。二人は、家の中から藁に包まれた大きな何かを運び出している。
 それは、腑分けが終わった後の死体だった。この家屋は、佐島の手術場であり実験場でもある。多い時には、一日で数人を切り刻むこともあるのだ。
 だが、その死体をいつまでも放置しておくわけにはいかない。そこで佐島の弟子たちが、死体を藁に包み運んでいくのだ。林の奥で深い穴を掘り、死体を埋める……それが、彼らの日課であった。
 しかし今日は、いつもとは勝手が違っていた。

「そこのお人、ちょいと待ってくだせえ。道に迷っちまったんでさぁ。哀れなめくらを、お助けくだせえ」

 不意に声をかけられた二人は、腰を抜かさんばかりの表情で振り返る。
 だが、そこにいたのは座頭風の男であった。杖を突きながら、こちらによたよたと歩いて来る。
 二人の顔に、安堵の表情が浮かんだ。

「あんた、こんな所にいったい何の用だ?」

 言いながら、ひとりが近づいて行く。相手は盲人である。警戒する必要はない。



 ひとりの男が、こちらに近づいて来る。油断しきった表情だ。壱助は仕込み杖の柄を握る。
 次の瞬間、鞘から抜く。
 男の腹に、刃を突き立てる。全体重をかけ、深く抉った──

「う、うわあぁぁぁ!」

 その様を見て、もうひとりの男は悲鳴を上げた。恐怖の表情を浮かべ、後ずさって行く。
 だが、背後に現れた者がいた。お美代だ。彼女は音も無く近寄り、竹筒を構えた。
 次の瞬間、銃声が轟く──
 美代の竹筒で後頭部を撃ち抜かれ、男は絶命した。



 その頃、小屋には玄達がひとり残っていた。
 だが、異変を感じとり立ち上がる。彼は痩せてはいるが、身長は六尺四寸(約百九十四センチ)ある。しかも、医術だけでなく武術の心得もある。大抵の者に引けは取らない。いわば、佐島の用心棒の役割も担っているのだ。
 玄達は、ゆっくりと戸を開ける。
 外には誰もいない。しんと静まりかえっている。
 玄達は、辺りを見回す。その時、木の陰から男が姿を現した。大柄で、がっちりした体格だ。男は殺気に満ちた瞳で、玄達をじっと見つめていた。
 権太である。

「お前、佐島章軒の仲間だな」

 そう言うと、権太は身構える。以前に闘った雲衛門に比べれば小さいが、それでも背は高い。しかも……こいつは力ずくでない、頭を使った闘い方を出来る男だ。腕の方も立つ。
 権太は、じりじりと間合いを詰めていく。しかし、玄達は動こうとしない。突っ立ったまま、じっと権太を睨んでいる。その手に武器らしき物はない。
 先に仕掛けたのは権太だ。一気に間合いを詰める。
 その刹那、玄達の足が飛んでくる。前蹴りを放ったのだ。
 異様に長い足が、鋭く伸びてくる。想定外からの距離の攻撃に、権太の反応が遅れた。
 直後、爪先が権太の腹に突き刺さる。分厚い腹筋に覆われてはいるが、それをも貫くほどの威力だ。思わず顔をしかめる。
 今度は、玄達の手が伸びる。権太の髪の毛を掴んだ。次の瞬間、権太の顔めがけて膝蹴りが放たれた。まともに食らえば、権太といえども耐えられないだろう。
 だが、権太は腕で顔を防御する。強烈な膝蹴りを、とっさに片腕で受け止めた。と同時に、もう片方の手を伸ばす。相手の腰に組み付き、凄まじい勢いで押し込んでいく。
 玄達は、完全に不意を突かれた。腰に組み付いてくる権太を押し戻そうとする。だが、組み技では権太の方に分がある。腕力も、権太の方が上だ。玄達はなす術なく、ずるずると押されていった。
 権太の両腕が、玄達の長い両足に巻き付いていく。さらに、その両足を引き倒しにかかる。両足の自由を奪われては、さすがの玄達も抵抗できない。派手な音ともに、背中から倒れた。
 だが、権太の動きは止まらない。すぐさま体勢を変える。馬乗りになると同時に、その太く強靭な前腕を玄達の喉に押し付け、喉を潰していく。
 玄達は必死でもがくが、権太の体を引き離せない。全体重をかけた腕が、喉に食い込んでいく──
 やがて、玄達は気道を押し潰された。

 息を荒げ、権太は立ち上がる。玄達の死体を担ぎ上げようとした。が、その手を止める。
 何を思ったか、彼は家へと入って行った。

 家の中は、血生臭い匂いに満ちている。臓物らしきものの一部や、肉片なども床に転がっていた。
 そんな中、権太は注意深く室内を見ていく。やがて、ある物を見つけた。
 人の血の入った瓶だ。放っておけば、固まってしまうだろう。そんな物をなぜ瓶に入れておくのかは不明だ。何かの実験に使うつもりだったのか。
 もっとも、権太にとって理由などどうでもいい。彼は、その瓶を小脇に抱える。
 さらに玄達の死体も担ぎ上げ、家を出て行った。



「な、何だこれは? 何が起きたんだ?」

 そう言ったきり、佐島は呆然とした表情で立ち尽くしていた。
 忠実な部下であった玄達の姿が消えているのだ。今まで、こんなことはなかったのに。

「何かあったのか?」

 佐島は、思わず首を捻る。その時だった。

「佐島さん、申し訳ないんだが死んでもらうよ」

 背後から聞こえてきた声。それと共に、蘭二が姿を現した。

「ら、蘭二さん? 何を言っている?」

「あんたと、あんたの仲間たちを殺してくれという依頼を受けた。申し訳ないんだが、死んでもらう」

 蘭二は表情の消えた顔で煙管をくわえ、ゆっくりと歩いていく。

「ま、待ってくれ。私を……私を殺したら、日本の医術はどうなる? 今の日本には、私以上の知識と腕を持っている者はいないのだぞ!」

 その言葉を聞き、蘭二の動きが止まった。彼の顔に、苦渋の表情が浮かぶ。
 一方、佐島はなおも言葉を続ける。

「あんたならわかるはずだ。日本の医術に、私は必要な人間なのだ。私ほど、多くの人間を切り開いた医者はいない。これは決して嘘偽りではないし、また過言でもない。あんたなら、わかるだろう?」

「ああ、わかるよ。あんたの言っていることは間違いじゃない。あんたのやったことも、間違いじゃないと私は思っている」

 顔を歪めながら、蘭二は答える。

「だ、だったら……助けてくれ。私はまだ、死ぬ訳にはいかないんだ。やらなければならないことがある。私の持てる知識を、若い医者に伝えなくてはならないんだ。それに、まだ試していないこともある。だから頼む、見逃してくれ」

 そう言うと、佐島は地面に膝を着いた。額を地面に擦り付ける。

「蘭二さん……頼む……」

 蘭二は無言のまま、佐島をじっと見下ろしていた。煙管に仕込まれていた針を抜く。

「佐島さん、あんたは間違ったことはしていないと思う。あんたは善人とは言えない。しかし、私はあんたを嫌いにはなれない。むしろ尊敬しているよ」

 そう言いながら、蘭二はしゃがみこんだ。

「だがね、今の私は仕上屋なんだよ。あんたを殺す、それが仕事だ。許してくれ、とは言わないよ。私を憎み、呪いながらあの世に逝ってくれ」

 その言葉を聞き、驚愕の表情を浮かべる佐島。だが次の瞬間、彼の延髄を針が刺し貫く。
 佐島は抵抗する暇もなく、一瞬にして絶命した。 

「すまなかった、とは言わないよ。今度は地獄で会おう。私もすぐに、そっちに行くよ」

 ・・・

 権太は、死体を担ぎ林の中へと入って行った。
 やがて、古びた小屋の前で立ち止まる。

「俺だ。帰ったぞ」

 声をかけると、少しの間を置き戸が開く。顔を出したのは、南蛮人のような顔の女だった。

「おかえり、なさい」

 女は、嬉しそうに微笑む。権太は玄達の死体を担いだまま、ずかずかと中に入っていった。
 小屋の奥にある棚からなたを取り出すと、死体を床に横たえる。
 次の瞬間、鉈を振り上げる──
 権太は、玄達の首を一撃で切り落とした。さらに死体を持ち上げ、流れ出る血を、部屋の隅にある壷に注ぎ込む。
 それを見た瞬間、女の顔つきが変わる……いや、顔そのものが変貌したのだ。青い瞳は、赤へと変わった。さらに口からは、鋭い犬歯が伸びる。まるで猛獣の牙のようだ。
 直後、女は死体に飛びついた。流れ出る血を、貪るようにすする──

「ナナイ、こっちから先に飲め」

 言いながら、権太は瓶を指さした。佐島の家にあった物であり、これも中に血液が入っている。
 女は、少し不服そうな顔をしながらも頷く。瓶を手にして、中のものを飲み始めた。




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