必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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石が流れて、木の葉が沈みます(三)

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、蘭二は栗栖と共に歩いていた。
 蘭二の顔には、緊張感が漂っている。だが、それも当然であろう。これから、人を生きたまま切り刻む医者と対面しなくてはならないのだ。
 彼の中には、複雑な気持ちがある。佐島なる医者に対する怒り、そして好奇心が。



 やがて二人は、林の中の一軒家に辿り着いた。栗栖が進み出て、戸を叩く。

「俺だ、栗栖だよ。今日は客を連れてきた。佐島さんに会わせたいんだ」

 ややあって、戸が開く。中から、背は異様に高いが痩せた男が現れた。作務依を着ているが、その服には血と肉片らしきものがこびりついている。顔色は青白く、目付きは鋭い。
 男は冷たい表情を浮かべ、口を開いた。

「栗栖さん、この人は信用できるんですか?」

「ああ、大丈夫だよ玄達さん。この男は近藤という名だが、訳あって今は蘭二と名乗っている。かつては、俺と一緒に蘭学を学んだ男だ。あんたらを役人に売るような真似は絶対にしない」

 玄達げんたつという男は頷き、二人を手招きする。

「栗栖さんがそこまで言うのなら、信用しないわけにはいきませんね。入ってください」



 それは、凄惨な光景だった。
 まだ十歳にもなっていないような幼子が、床で仰向けになっている。眠っているかのように、目を瞑り動こうとしない。
 その腹は、綺麗に切り開かれていた。骨や内臓が、目の前で剥き出しになっているのだ。しかも、まだ命はあるらしく、微かにぴくぴくと動いている。その様を三人の男たちが、嬉々とした表情で眺めているのだ。
 蘭二は異様なものを感じながらも、床に横たわる幼子の体から目が離せなかった。

「みんな見ろ、心の臓はまだ動いている。だが、もうじき動きを止めるだろう。一日経つと、腐敗が始まる。面白いと思わんか? こうして見る限り、人間もまた他の動物と何ら変わらん。肉があり骨があり、そして内臓がある。まず、それらの構造をきちんと知らなくてはならん。でなければ、人を治すことなど出来んぞ」

 髪を後ろに撫で付けた中年男が、他の二人の若者に向かい、身振り手振りを添えて語る。若者たちは、緊張した面持ちで頷いた。
 やがて、中年男がこちらを向いた。

「やあ栗栖さん。そちらが、前に言っていたご友人かな?」

「はい。この男は蘭二という名で、かつては私と共に蘭学の研究に励んでいました。死体を掘り起こすのを手伝ってもらったこともありますし、一緒に腑分けをしたこともあります」

 そう言った後、栗栖は蘭二の方を向く。

「蘭二、よく見てみろ。この少年の心の臓は、まだ動いているのだ。他の臓器も綺麗なままだよ。死人の腐りかけた臓器とは、まるで違う。これを、直に見るだけでも大きな進歩だ」

 熱く語る栗栖。しかし、蘭二の目は少年の体を見ていた。

「佐島さん、この子は一体?」

 震える声で尋ねる蘭二。この少年は、もう助からないだろう。あとは死を待つだけだ。阿片が効いているため痛みも苦しみもないことだけが、せめてもの慰めだ。

「この子は、貧しい家で生まれた。その後、口減らしのために売られたのだよ。しかも体は弱く、放っておいても長くは生きられないのだ。そんな残り少ない命を、私が有効に活用してあげたのだよ。この子の命は、医術の発展のための捨て石となったのだ」

 佐島もまた、熱く語っている。それに対し、蘭二は何も言えなかった。佐島は、これまでに仕上屋が仕留めてきた悪党とは、まるで違う。私利私欲のために、こんな事をしているのではない。純粋に、医術の進歩と発展のためなのだ。
 いや、厳密に言うなら私利私欲なのだろう。日本の医術に夜明けをもたらす……その思いが私利私欲でない、と言えば、それは嘘になる。佐島もまた、私利私欲で動いているのだ。
 ただ、それは世間一般の悪党共の行動と同列に考えていいものではない。佐島の私利私欲の行き着くところ、それが世の中に何をもたらすのか? たくさんの人々の笑顔ではないのだろうか。
 少なくとも、佐島は紛れもなく一流の医者なのだ。己の権力を守ることにのみ精を出し、ろくに研究もしようとしないような江戸の医師たちに比べれば、佐島こそ真の医師と呼べる存在なのではないか。
 迷う蘭二に対し、佐島は言葉を続ける。

「君もわかるだろう? 今の日本が、西洋の国々と比べてどれだけ遅れているかを。私は、日本の医術を西洋に追いつかせたいのだ。そして、大勢の人間を救いたい。そのためには、彼らのような犠牲を払うことは避けて通れんのだ」

「そうですね」

 顔を歪めながらも、蘭二は頷いた。そもそも、自分は人殺しなのだ。金を受け取り、人を殺す。そんな自分に、彼らを裁く資格などない。

 ・・・

 それから数日後のことである。
 お禄は、いつもの如く町をぶらついていた。あちこちの店を覗きながら、裏路地へと入って行く。
 やがて、物置小屋の前で腰を降ろした。

「お歌、いるかい」

 さりげなく声を発した。傍から見れば、ひとり言を言っているようにしか見えない。

「はい、いますよ。姐さん、仕事です」

 壁越しに聞こえてきた声の主は、大道芸人のお歌である。かつては学者だったが、凶状持ちの男と共に、江戸に逃げて来たのだ。今は素性を隠して芸人をやりつつ、お禄の密偵としても動いている。

「相手は?」

「佐島章軒という男です」

「何者だい?」

「町外れに住んでる医者ですよ……表の顔は」

「じゃあ、裏の顔は何なんだい?」

「あちこちから人をさらって、切り刻んでるって話です。人を治すより、殺す方が専門なんじゃないかって言われてるくらいですよ。金に困ってる家族から子供を買い取ってるらしいんだけど、子供は必ず行方不明になってるか事故で死ぬ、とも聞いてます。それに、阿片も売ってるらしいです」

「阿片?」

 お禄は、思わず顔をしかめた。人を切り刻むだけでなく、ご禁制の麻薬である阿片まで売りさばくとは。聞けば聞くほど、とんでもない悪党である。

「ええ、阿片です。どこからか大量に買い込んでは、あちこちに流してるみたいですね。阿片欲しさに、子供を差し出す奴までいるとか。しかも最近では、人の肝や陰茎や睾丸まで売ってるらしんですよ」

 お歌の声からは、嫌悪の情が感じられる。

「い、陰茎だって? 陰茎って、男のあれだよね?」

 思わず、素っ頓狂な声で尋ねるお禄。だが、お歌は冷静だった。

「それですよ。死んだばかりの男のあれを、薬として売ってるって話です」

「ええ……何だいそれは……」

 お禄は、さらに顔を歪める。陰茎を切り取り、薬にする……そんなもの、金積まれても飲みたくない。

「それが、精力剤として裏の世界で出回っているらしいんですよ。若くして死んだ男の陰茎と睾丸を煎じて飲むと、年寄りでも勃ちが良くなるとかいう噂です」

「ったく、男って奴は……本当に馬鹿だね」





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