必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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仕事に生きるは、くたびれます(一)

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「わざわざ、こんなものまで届けてくれるとはね。毎度のこととはいえ、あんた本当に律儀だ。ご苦労さん。ほら、後金あときんだよ」

 言いながら、お禄は机に二分金を置く。言葉とは裏腹に、その表情は歪んでいた。
 それも当然だろう。彼女の目の前には、塩漬けになった人の首が置かれているのだから。
 一方、その首を持って来た権太の態度は素っ気ないものだった。机の上にある金子を掴み取り、挨拶もせずに地下室を出て行く。
 残されたお禄は、ため息を吐いた。

「あいつにも、困ったもんだねえ。まあ、死体が見つからない方が、こっちとしてもありがたいんだけど」

 その言葉を聞き、横にいた蘭二は苦笑した。



 上手蕎麦を出た権太は、脇目も振らず歩いて行く。己の住みかであるはずの弥勒長屋を通り過ぎ、さらに進んで行った。
 歩くにつれ、どんどん民家が少なくなり、代わりに木や草の方が目立つようになってきた。そんな中、ずんずん進んで行った権太は、やがて奇妙な場所にたどり着く。
 そこには、古びた小屋が建っていた。一見すると、木製の物置のような造りである。ただし窓らしきものはなく、隙間が全て塞がれている。外からでは、中の様子が全く見えない。
 権太は、その奇妙な小屋の前で立ち止まった。

「俺だ。帰ったぞ」

 声をかけると、中から物音がした。ややあって、戸が開く。

「おかえり、なさい。ごはん、たけてる。さかな、やけてる。きのこ、とれてる」

 奇妙な片言の言葉で喋りながら姿を現したのは、不思議な女だった。高い鼻、彫りの深い顔立ち、白い肌、青い瞳、金色の髪……南蛮人に特有の容貌である。
 権太はにこりともせず、暗い小屋の中に入って行った。

 ・・・

 江戸の片隅に、数人の同心が立っていた。妙に殺風景な場所であり、同心たちの顔つきも神妙である。昼間であるにもかかわらず、どこか不気味な空気が漂っていた。
 それも仕方ないだろう。ここは、刑場なのである。しかも、今から斬首刑が執行されようとしているのだ。


 同心の中に、ひときわ異彩を放つ者がいた。青白く不健康そうな顔立ち。だが、それとは不釣り合いな逞しい体つき。死んだ魚のような虚ろな目で、じっと虚空を見つめている。
 彼こそは、首斬り役である池田左馬之介いけだ さまのすけなのだ。抜き身の刀を持ち、身じろぎもせずに立っている。
 そこに、打ち首になる罪人が引っ立てられて来た。

「た、助けてくれえ! まだ死にたくない! おっかあ! 俺はまだ死にたくねえよ! おっかあに一目会わせてくれ!」

 涙と鼻水を垂れ流しながら、罪人は泣き叫ぶ。年齢はまだ若く、二十歳になるかならないか。その着物は、既に漏らした糞尿で汚れてしまっている。処刑に対する恐怖ゆえ、もはや恥の意識すらないのだろう。その匂いがあたりにたちこめ、押さえつけている者たちも嫌悪感を隠せないでいた。
 だが、左馬之介は平然としている。表情ひとつ変えない。冷たい目で、罪人を見下ろしていた。
 やがて左馬之介は、無言のまま刀を振り上げる。
 次の瞬間、罪人の首が転がった──

「いやあ池田殿、本日もご苦労様でした。いつもながら、見事な腕前ですな」

 そう言って左馬之介に近づいて行ったのは、渡辺正太郎だ。
 すると、左馬之介の表情に変化が生じた。

「渡辺……貴様、恥ずかしくはないのか。道場の中でも、俺とまともに勝負できたのは、先生とお前だけだったのだぞ。そんなお前が、昼行灯などという二つ名に甘んじているとは──」

「昔の話は無しにしましょうよ。それじゃあ、私はこの辺で」

 そう言って、渡辺は軽く頭を下げ足早に去って行った。
 左馬之介は、その後ろ姿をじっと見つめる。

 殺せ

 耳元に聞こえてきた声。左馬之介は、眉をひそめてそれを無視した。いつものことだ。数年前から時おり、その場に居もしない者の声が聞こえてくる。誰の声かは知らないし、聞き覚えもない。さらに言うと、彼の耳にだけ聞こえるようなのだ。
 自分は、気が触れているのだろうか。
 あるいは、過去に首をはねた者が亡霊と化し、耳元で囁いているのか。
 まあ、どちらでも構わない。知ったことではないのだ。左馬之介は、声を無視して歩き出す。

「旦那、ちょいと耳に入れたい話があるんですがね」

 道を歩いていた左馬之介に、いきなり話しかけてきた者がいる。誰かと思えば、目明かしの岩蔵だった。

「何だ岩蔵、俺に用か?」

「旦那、ちょいと面倒なことを耳にしましてね。こないだ、あっしが捕まえた奴が、気になることを言ってたんですよ」

 言いながら、岩蔵は顔を近づけて来た。一応、敬語を使ってはいる。だが、その態度はあまりにも無礼なものだった。
 左馬之介の目に、殺気が宿る。

「その汚い顔を、それ以上近づけるな」

「すいませんね。面が汚いのは生まれつきでさあ。それよりも……昨日、あなたに似た人が河原に居たそうなんですがね。河原者の住みかを、うろうろしていたとか」

「知らんな。見間違いだろう」

 左馬之介は言い放つ。その時、またしても声が聞こえてきた──

 奴を殺せ
 早く殺せ
 今すぐ殺せ

 苛ついた表情になる左馬之介。だが、岩蔵はお構い無しだ。一方的に喋り続ける。

「あっしの耳には、いろんな情報が入ってくるんでさあ。近頃じゃあ、旦那が妙な女と一緒に歩いているのを見たって奴も──」

 その瞬間、空気を切り裂く音。
 左馬之介の手には、刀が握られていた。抜く手も見せない抜刀術。常人なら、その一太刀で斬り殺されていたことだろう。
 だが、岩蔵は避けていた。いかつい体躯に似合わぬ素早い動きで、左馬之介の鋭い太刀を躱したのだ。
 左馬之介の表情が、またしても変化する。

「ほう、やるな。鬼の岩蔵の二つ名は、伊達ではないらしい」

「へっ、舐めてもらっちゃ困りますぜ。こちとら、刃向かって来る悪党どもと殺り合ってるんですよ。くぐった修羅場の数は、それなりにあるんでさあ。動かない罪人の首を落とせば終わり、のあんたとは違うんですよ」

 言いながら、岩蔵は十手を抜く。一方、左馬之介は不気味な笑みを浮かべながら刀を構える。
 両者の間の空気が、一瞬にして変化した。二人は、殺気に満ちた表情でじっと睨み合う。だが、その空気を読まない者が現れた。

「岩蔵、大変だよ。早く来て手伝ってくれ……おいおい、お前何やってんだよ」

 とぼけた声を発しながら現れ、両者の間に割って入ったのは渡辺だ。岩蔵の腕を掴み、半ば強引に引きずって行く。

「渡辺の旦那! こっちは今、それどころじゃねえんですよ!」

 岩蔵は、思わず怒鳴りつける。だが、渡辺は聞く耳を持たない。彼の腕を引っぱり、その場を離れて行った。
 去っていく二人を、左馬之介は暗い目でじっと見つめていた。
 岩蔵という男、本当に強い。数々の修羅場をくぐってきた、という言葉に嘘偽りは感じられなかった。本気で殺り合えば、自分でも負けるかもしれない。

 あの岩蔵ならば、この地獄を終わらせてくれたのだろうか?

 ふと、そんな疑問が浮かぶ。だが、生きるも地獄、死ぬも地獄なのだ。死んだところで、本物の地獄が待ち受けているだけであろう。
 今の自分に出来ることは、この地獄を忘れさせてくれるような、束の間の快楽を追い求めることだけだ。

 お前が死んでも、誰も悲しまない
 お前が死んだら、笑う人間が大勢いる

 またしても、耳元に聞こえてきた声。だが、左馬之介はそれを無視した。足早に、その場を離れる。
 今はただ、何もかも忘れたかった。




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