鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十一日 戦いの終わり、想いの始まり

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 鬼灯村は、激しく燃えている。
 今では、教室内にいる大翔や伽耶の目にも、燃え上がる炎がはっきりと見えていた。さらに、ヘリコプターの音も聞こえてきた。やがて、消防士たちが駆けつけるだろう。
 にもかかわらず、彼らの表情は虚ろであった。全員、肉体的にも精神的にも疲れ果てていた。
 マフィアが雇った殺し屋たちとの死闘。その体験は、あまりにも凄まじいものだった。皆から、気力を完全に奪い去っていた。大翔の顔面は、今も蒼白のままである。伽耶も壁に背中を付け、青い顔でしゃがみ込んでいた。僅かな時間の睡眠では、疲労を取り去ることなど出来ない。
 かといって、眠る気にもなれなかった。

「姐御、これからどうすんの?」

 沈黙を破ったのは、譲治だった。超人的な闘いぶりを見せた彼も、さすがに疲労の色を隠せない。

「この付近には、もういられないのは確かだな。私は、姿を消すよ。みんな、迷惑をかけて本当にすまなかった。もし、後で奴らの死体が発見され取り調べを受けたら、全て私のやったことだと言ってくれ。ナタリー藤岡というボランティアが殺しました、とね。連中の死体を始末する時間はなさそうだからな」

 投げやりな口調で言うと、ナタリーは燃え上がる鬼灯村に視線を移す。炎は周囲に広がっており、山火事にまで発展するかもしれない。
 その時、譲治がまた声をかけた。

「ちょいちょいちょい。ねえ姐御、姿を消す前に聞いてよ」

 その声に、ナタリーは振り向いた。

「なんだ?」

「あんたが俺のことどう思ってっか知らんけどさ、俺はあんたのこと好きだよ……伽耶ちゃんの次くらいにね。姐御がいなきゃ、どうなってたことか。お陰で助かったよ。あとさ、生まれて初めて自分の体に感謝したのよね。こんな体じゃなかったら、みんなを守れなかったかもしんないのにゃ。幽霊になって、学校の怪談みたく校舎内をうろうろしてたかもしれないのん。だから、ありがとさん」

 言った後、深々と頭を下げる。言葉と行動は支離滅裂だが、声からは真剣さが感じられた。自らのつたない語彙で、どうにか感謝の想いを伝えようとしている……そのことは、周りにいる者たちにも伝わってきていた。
 頭を上げると、譲治は再び口を開く。

「なあ、教えてちょうよ。世界には、あんな奴らが他にもいるんかい?」

「ああ、まだまだいるよ。メキシコには、奴らよりも恐ろしい怪物がいたそうだ。天才的な頭脳と超人的な腕力の持ち主で、ひとつの街をまるごと消し去ったそうだ。裏の世界では、伝説になっている男だよ。私は絶対に会いたくないがね」

「おおお、そりゃあ楽しみだね。いつか、そんなバケモンと殺り合ってみたいのん。ワラサワラサって感じだね。俺、生きる目標が出来たよ」

 相も変わらず意味不明なことを言った後、ニヤリと笑う。ナタリーも、思わず苦笑した。暗い顔つきが、少しだけ変化する。
 その時、伽耶が立ち上がった。足元をふらつかせながらも、どうにか歩いていく。ポケットから紙切れを取り出し、ナタリーに差し出した。

「私の連絡先です。もし何か困ったことがあったら、ここに電話なりLINEなりしてください。私と譲治が、いつでも駆けつけます。出来ることなら、何でもしますから」

「いや、これ以上は迷惑を──」

「いいから、受け取ってください」

 言いながら、伽耶は無理やりメモを握らせる。直後、その目から涙がこぼれた。
 声を詰まらせながら、伽耶は語り続ける。

「あなたは、私たちの命を救ってくれたんです。命の恩人です。私たちでよければ、話し相手にもなります。ですから、いつでも連絡をください。あなたは、ひとりじゃありません。私たちは、あなたの友だちです。これからも、ずっと……」

 訴える彼女の目から、さらに涙が流れていく。しかし、ナタリーは目を逸らした。

「恩人? それは違う。君たちの方こそ、私の命の恩人だよ。生き延びる値打ちなど、私にはないのにな」

 淡々とした口調で答える。その視線は、燃え盛る鬼灯村に向けられている。暗い目で、村を見つめたまま言葉を続けた。

「私が鬼灯村に来たせいで、大勢の人間が死んだ。そのうちの何人かは、死んで当然な人間だったのかも知れないな。だが、死ななくてよかった人間もいたのかも知れない。中には、善人と呼べる者もいたのかもしれない。みんな殺されてしまったよ」

「それは、あなたのせいじゃない。私はナタリーさんと出会えて、本当によかったって思ってる」

 伽耶が涙とともに出した言葉も、ナタリーには響かなかったらしい。かぶりを振り、くすりと笑った。

「ありがとう。君は、本当に優しいな。だがね、私は過去に大勢の人間を殺した。今は私のせいで、大勢の人間が死んだ。この事実だけは、何人たりとも変えられない。そんな疫病神のような人間に、生きる値打ちがあるのかな」

 そこで、伽耶をじっと見つめた。

「どうだろうね。私には、生きる値打ちがあるのかな」

「あります!」

 答えたのは、伽耶ではなく大翔だった。直後、よろよろしながら立ち上がる。

「なんだ? 私に、どんな値打ちがあるんだい?」

 そんな大翔を見るナタリーの表情は、冷めたものだった。だが、その顔つきが変わる──

「僕が……僕があなたに、生きて欲しいと心から願っているからです! あなたが生きていてくれることが、僕の何よりの幸せだからです!」

 真っ青な顔で、大翔は叫んだ。顔色は死人のようであるが、目は真剣そのものである。あまりにも率直で純粋な想いをぶつけられ、さすがのナタリーも動揺しているように見えた。

「き、君は、何を言っているんだ?」

「僕は、あなたに生きて欲しい! 生きて、幸せになって欲しいんです! そのためなら、僕は何でもします!」

 叫んだ直後、大翔は憑かれたような表情でナタリーに近づいていく。

「お願いです! 僕を……僕を一緒に連れて行ってください! 足手まといにはなりません! だから、そばに居させてください!」

 その瞬間、ナタリーは動いた。瞬時に間合いを詰め、いきなり拳を振るう──
 拳は、大翔の腹にめり込んだ。直後、彼の表情が歪む。一瞬遅れて、ゆっくりと崩れ落ちた。腹を押さえて床にうずくまる。

「ちょいちょいちょい。姐御、何やってんのよう」

 譲治が声をかけたが、ナタリーはそれには答えない。彼女の視線は、倒れている大翔へと注がれていた。冷たい表情で口を開く。

「今のは、手加減したつもりだよ。この程度で倒れるようでは、完全に足手まといだ。悪いが、君を連れていくことは出来ないな」

 すると、大翔は顔を上げた。何か言おうとしたが、顔をしかめる。腹に受けた一撃のダメージで、声が出せないのだ。
 少しの間を置き、ナタリーは語り出した。

「私はさっき、妹がマフィアに殺されたと言った。だが、それは嘘だ。妹を殺したのは、私なんだよ」

 その言葉に、皆の顔色が変わる。譲治ですら唖然としていた。だが、ナタリーはお構いなしに語り続けた。

「妹は、私とは違い真っ当に生きていたんだ。平凡な家庭にもらわれていき、ごく普通の人生を歩んでいた。私は、それが嬉しかった。妹は、このまま平穏に生きてくれるのだと信じていた」

 語りながら、優しい笑みを浮かべた。思い出を懐かしむかのような表情だ。しかし、その表情は一瞬だけであった。

「ある日、妹に彼氏が出来た。相手は、フレンチマフィアの構成員のチンピラだった。それも、最低で最悪のチンピラだったよ。妹をヤク中にした挙げ句、マフィアの仕切る売春宿に叩き売った。しかも、まともなセックスに飽きてしまったような変態が集まる店にな」

 先ほどの優しい表情は、完全に消え失せていた。深い憎しみを吐き出すかのように、再び語り出した。

「私はね、知り合いの日本人と一緒にその売春宿を襲撃した。店にいたマフィアの兵隊を皆殺しにして、妹の囚われている部屋に行ったよ。ところが、妹は……」

 不意に言葉が止まった。下を向き、恐ろしい目で床を睨みつける。そこに、彼女が何を見ていたのか……それは、本人でなければわからなかった。
 ややあって、ナタリーは語り出す。それは、衝撃的な内容だった──

「妹は……アンナは地下の檻に入れられ、両手両足を切断されていた。体のあちこちから管が伸び、得体の知れない薬品の入った袋に繋がっていたよ。しかもドラッグ漬けにされ、思考力を完全に失っていた。目の前にいる私のことすら、わからない有様だったよ。どんよりとした目で、くすくす笑っていた。半開きの口からは、同じセリフが延々と繰り返されていたんだ。安くしとくよ、あたし安いよ……ってね」

 突然、ナタリーは外国語で喚いた。呻き声とも、悲鳴ともつかない異様な声だった。
 直後、拳を振り上げ壁を殴りつけた。ゴスッという重い音が響き渡る。その瞳には、未だ消えぬ激しい怒りがあった。
 荒い息を吐きながら、どうにか言葉を絞り出す。
 
「私は、その場でアンナを射殺した。一発で死んだよ。苦しむ間もなかった。安楽死のつもりだった。ドラッグで完全に狂っていたあの子にとって、一番マシな選択だと思ったからだ」

「もう、いい……もう、何も言わなくていいから……」

 伽耶が、震える声で口を挟む。涙を浮かべながら、ナタリーの肩にそっと触れる。
 だが、話は終わらなかった。

「いや、最後まで話させてくれ。それから、私は日本に来た。ボランティアを始めて、様々な人間と接してきた。障害を持っている人もいたし、不治の病に侵されている人もいた。みんな、一生懸命に生きていたよ」

 ナタリーは表情を歪める。一瞬、言葉が止まった。

「私は間違っていた。何より優先すべきは、アンナの意思だったんだよ。あの子は、もっともっと生きたかったかもしれない。にもかかわらず、勝手な思いで妹を殺してしまった。選択の余地すら与えずにな。結局、私には……変わり果てたアンナと向き合う勇気と、共に人生を生きる覚悟がなかった。一番、簡単なやり方に逃げてしまったんだよ」

 そこで、ナタリーの顔は大翔に向けられる。その瞳から、大粒の涙がこぼれた。先ほどは、鬼神のごとき勢いで戦っていた彼女。だが、今はひどく頼りなげに見えた。

「私は、そんな人間なんだよ。実の妹を安楽死の名目で殺した、どうしようもないクズだ。君の気持ちは嬉しいよ。だがね、君には未来がある。私なんかよりも相応しい相手が、必ず現れるはずだ」

 言いながら、ナタリーはしゃがみ込んだ。どうにか笑顔を作り、未だ立ち上がることの出来ない大翔の肩に手を触れる。

「君は、まだ若い。私のような人間に付いて来てはいけない。まして、私のような人間には、なってはいけないんだ。ここで起きたことは忘れて、まともな人生を歩むんだ。全て、悪い夢だったと思って──」

「忘れられません! あなたを忘れることなんか、出来るわけない!」

 ナタリーの言葉を遮り、大翔は叫んだ……いや、吠えた。
 直後、彼は凄まじい形相になり、よろけながらも立ち上がる──

「あなたがどこに行こうが、僕は必ず捜しだします。あなたのためなら、どんな罪も背負います。だから……僕にも、あなたの苦しみを一緒に背負わせてください。あなたを守り、同じ道を歩んで行きたいんです。それが、僕の生き延びる理由です」

 声を震わせながら訴える大翔を、譲治が横からつついた。

「ちょいちょいちょい、それじゃストーカーじゃんかよう」

 言った途端、伽耶に耳たぶを引っ張られる。

「いいから、あんたは引っ込んでなさい」

 小声で、譲治に囁く伽耶。一方、大翔はなおも訴え続ける。

「僕に、もう一度チャンスをください。その時は、生まれ変わった姿をお見せします……あなたを守り幸せに出来るような、強い人間に必ずなります! だから生きてください! 生きて、生きて、生き抜いてください!」

 ナタリーの顔に、不思議な感情が浮かぶ。少年の訴えに戸惑っているようにも、呆れているようにも見えた。しかし、心が揺れているようにも見える。彼女は、大翔から目を逸らした。
 一瞬の間を置き、ナタリーは口を開く。 

「ありがとう。だがね、君はわかっていないんだ。君の今後の人生は、ある意味では私よりつらいかもしれないんだよ」

 言った後、視線を譲治へと向ける。

「譲治、すまないが後のことは頼んだよ。山を下りたら、大翔に教えてあげてくれ……彼がなぜ狙われたのかを、な」

 ・・・

 鬼灯村で起きた火災は、建物のほとんどを燃やし尽くした。焼け跡からは、五十人以上の焼死体が発見される。死者の身許については、未だはっきりわかっていない状態だ。鬼灯親交会に参加した千葉拓也と石野怜香の二人は、死亡が確認された。
 その二日後、桐山譲治が警察に出頭した。事情聴取をしたが、何も見ていないと話すだけであった。鬼灯親交会の参加者である山村伽耶と三村大翔と草野亜美の三人は、事件から半年が経過した今も行方不明のままだ。
 後に警察は、鬼灯村火災を火の不始末による事故と発表した。ボランティアによる、タバコの火の消し忘れの可能性が高い……とのことである。
 また、イベントを主催していた社団福祉法人『ガリラヤの地』は、この事態を重く見て今後は鬼灯親交会を取りやめると発表した。





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