鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 ふたりの目覚め(2)

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「うぐっ!」

 腹に強烈な膝蹴りを受け、ナタリーは崩れ落ちる。その様を、ゲイリーは冷酷な目で見下ろしていた。
 直後、彼は奇声を発した。喜怒哀楽、どの感情による声かはわからない。ただただ異様な声だ。ナタリーは、思わず顔をしかめる。やはり、この男は異常だ。
 直後に、ゲイリーはつかつかと近づいて来た。彼女の両手を背中に回す。その体勢から、ガチャリと手錠をかける。
 立ち上がると、ナタリーの襟首を掴んだ。引きずるようにして歩き、階段に到着した。満身創痍の彼女は抵抗もできず、されるがままだ。
 だが、その足が止まる。異変に気付いたのだ。
 やがて、異変の源が出現する。階段を上がる音に続き、とぼけた声が聞こえてきた。

「ナタリー女王さま、ご無事ですかにゃ?」

 ふざけたセリフとともに、階段を上がって来たのは譲治だ。ヘラヘラした態度で、二人に近づいていく。
 ゲイリーの顔が歪んだ。もともと白い顔が、さらに白くなる。

「お前、リード兄弟をっちまったのか?」

 流暢な日本語に、譲治は面食らったような表情を浮かべる。だが、それは一瞬だった。

「リード兄弟? ああ、黒人の三馬鹿トリオかい。奴らなら、今ごろ地獄の入口じゃねえの。あいつらも、すげえ強かったな。半端なかったよ。けどね、僕ちんのは脳みそと引き換えに得たナチュラルパワーなんよ。ヤクに頼って戦う連中とは、全然ちゃうのよね」

 拳を突き上げ勝ち誇った表情で言うと、譲治は階段を上がる。一見すると、細身の小柄な少年にしか見えないだろう。
 だが、ゲイリーとて裏の世界で数々の修羅場をくぐり抜けて来た男である。目の前の少年がどんな人物なのか、即座に見抜いたらしい。
 次の瞬間、懐から拳銃を抜く──

「こいつはな、使わないつもりだったよ。万一、流れ弾丸だまがナタリーに当たったらヤバいからな。けど、そうも言ってられねえ。お前みたいな化け物がいるんじゃ、仕方ないな」

 言いながら、ゲイリーは譲治に銃口を向ける。
 譲治は動きを止めた。もっとも、拳銃を恐れる様子はない。ニヤニヤ笑いながら口を開いた。

「拳銃かい。一度、撃たれてみたかったんよね。さあ、撃ってきんしゃい」

 言いながら、くいっくいっと手招きする。直後、獣のように低い姿勢で身構えた──
 その時、ナタリーが口を開いた。

「譲治、私のことはいい。君が守るのは、伽耶だ。私ではないだろう。伽耶のところに行ってやれ」

 言った時だった。突然、別の声が割って入る。

「ナタリーさんを離せ!」

 怒鳴ったのは大翔だ。月明かりに照らされた廊下にて、返り血を大量に浴びた姿で、ゲイリーを睨みながら歩いて来る。ここに来るまでのひ弱な印象は、完全に消え去っていた。凄まじい形相で、つかつか歩いて来る。
 だが、ナタリーが声を発した。

「大翔……止まるんだ」

 その声で、大翔は立ち止まった。歪んだ表情で彼女を見つめる。
 ナタリーは、荒い息を吐きながら訴える。

「さっきも言っただろうが。いざとなったら私を見捨てろ、と。君たちは、さっさと逃げてくれ。私には、この騒ぎの責任がある──」

「嫌ですね。私は、あなたを置いて逃げたくありません」

 その声は、伽耶のものだった。彼女は拳銃を構え、ゆっくりと近づいて来る。
 
「ちょっと! 何考えてるんですか!?」

「伽耶ちゃん!」

 譲治と大翔が、同時に叫ぶ。しかし、伽耶はその声を無視し近づいていく。その瞳と銃口は、ゲイリーへと向けられていた。
 ゲイリーは、チッと舌打ちした。

「動くんじゃねえ! でないと、全員殺すぞ!」

 声の直後、彼はトリガーを引いた。銃声とともに発射された弾丸は、譲治の足元を掠める。さすがの譲治も、顔をしかめ後ずさった。だが、その瞳から戦意は失われていない。隙あらば、すぐに襲いかかるつもりなのだ。
 その時、口を開いたのは伽耶だった。

「譲治も大翔も、おとなしくしてて……ところで殺し屋さん、あなたに提案があります。ナタリーさんを離して、さっさと消えてください。でないと、あなたを殺します」

 落ち着いた声だった。表情からも、怯えている様子が感じられない。ゲイリーから数メートルほど離れた距離で立ち止まり、堂々とした態度で向き合っている。

「悪いけどな、そうはいかないんだよ。こっちも仕事でね。このナタリーちゃんを依頼主に引き渡すのが、俺の仕事さ。本当なら、目撃者は全員殺すんだけどな、今回は特別だ。ここからさっさと消えれば、命だけは助ける。でなきゃ、全員撃ち殺す。俺はプロだぜ、この距離なら外しはしない。お前ら三人くらい、三秒以内で皆殺しにできる。試してみるか?」

 対するゲイリーも、落ち着き払っていた。彼の言葉は伽耶へと向けられているが、視線と銃口は譲治に向けられている。この中で、もっとも手強いのが譲治であることを見抜いているのだ。
 しかし、伽耶も引かなかった。

「状況は、あなたの方が圧倒的に不利なんですよ。あなたが譲治を撃てば、私があなたを撃ちます。私の撃った弾丸たまは、ナタリーさんに当たるかもしれませんよ。そうなったら、あなたの仕事は失敗です。しかも、敵は私だけじゃない。大翔もいます。彼は、さっき草野さんを殴り殺しました。今の大翔なら、死ぬ気であなたに飛びかかっていくでしょう」

 冷静な表情だった。淡々と綴られていく言葉には、恐怖も怒りも感じられない。あのナタリーですら、何も言えず聴き入っていた。
 伽耶は、さらに語り続ける。

「あなたが私を撃てば、銃口が逸れた瞬間に譲治が襲いかかります。あなたは三秒で私たちを皆殺しにできるそうですが、譲治は一秒で人間の首をへし折れるんですよ。嘘だと思うなら、試してみますか?」

 その時、ゲイリーは顔をしかめた。

「なるほど。で、君は何がしたいんだ?」

「ここは、拳銃をしまって休戦といきませんか? 今殺し合っても、お互い何の得もありませんよ。それより、逃げる方が先です。いずれ警察も来ます。鬼灯村の関係者も来るでしょう。この状況下で私たち全員を殺し、ひとりでナタリーさんを連れて、誰にも見つからずに下山できますか? 無理でしょう。私たちも、あなたがナタリーさんを置いて逃げてくれるなら何もしません。今は、拳銃をしまって逃げる方が、お互いにとって得でしょう」

「それは厳しいな。その場合、俺は依頼主に前金を返さなきゃならない。しかもだ、違約金まで発生する。こっちとしては大損なんだよ」

 ゲイリーの口調は変化していた。このやり取りを、楽しんでいるかのようにも思える。
 そして伽耶の口調も、僅かながら変わっていた。

「大損? 死ぬこと以上の大損がありますか? あなたならわかるでしょう。命と金、どっちが大事ですか?」

 彼女の問いに、ゲイリーは口元を歪める。顔から殺気は消え、代わりに奇妙な感情が浮かんでいた。

「金だよ、と言いたいところだがね……負けたよ。君の言う通りだ。ここは、休戦といこうか」

 そこで、大きく息を吐いた。それに合わせるかのように、場を支配していた緊迫感が、急激に消えていく。
 不思議な瞬間だった。先ほどまでは、粉塵爆発でも起きそうな危険な空気に支配されていたのだ。ところが、その空気は一瞬で消えてしまった。今では、五人全員の中に奇妙な感情が生まれている。伽耶の声が、空気を変えてしまったのだ。
 そんな中、ゲイリーは苦笑しつつ口を開く。

「いやはや、大したお嬢さんだよ。この状況で、俺に取り引きを持ちかけるとは恐れ入ったね。ナタリーは解放する。代わりに、君の名前を聞かせてくれないかな?」

「山村伽耶です」

「ヤマムラカヤさんだね。覚えておくよ。君はクサノなんかよりも、よっぽど有能だし度胸もある。こっちの世界に来なよ。俺のパートナーになって欲しいね」

 ふざけた口調で言いながら、ナタリーを突き飛ばした。彼女はよろけて、床に倒れそうになる。だが、譲治が素早く受け止めた。
 ゲイリーは続いて、鍵を放り投げる。

「ほら、手錠の鍵だよ。君たちのことは、忘れないからね。落ち着いたら、スカウトしに行くよ。次は、君ら四人とチームを組みたいね」

 そう言うと、拳銃をこちらに向けたまま後ずさっていく。伽耶もまた、拳銃を構えたまま不敵な表情を浮かべた。

「私は、二度と会いたくないですね」

「それはどうかな。君たちは、こっちの世界に足を踏み入れてしまったんだよ。もう、戻れないと思うよ。まあ、気が変わったら連絡をくれたまえ。では、また会おう」

 不吉な言葉を残し、ゲイリーは姿を消した。



 階段を下りていく足音が響く。やがて、聞こえなくなった。
 途端に、伽耶はへなへなと崩れ落ちる。譲治は、慌てて抱き起こした。

「ちょうちょうちょう! 大丈夫かい!?」

「うん、大丈夫。はあ……怖かったよ」

 息も絶え絶えの状態で、囁くように言った伽耶。その顔は、死人のように青くなっていた。

「何考えてるんですか。本当にビビりましたよ。大した人だ」
 
 横から言ったのは大翔だ。彼はナタリーの手錠を外し、苦笑しつつ伽耶の方を向いている。
 やがて、ナタリーが歩いてきた。伽耶の傍らにしゃがみ込むと、握られている拳銃を見つめた。

「血まみれだな。もしかして、草野の血か?」

「ええ、大翔がやったんです。弾丸が無くなったんで、拳銃でぶん殴ったんですよ。本当にまいりました。無茶するから……」

 苦笑しつつ語る伽耶だったが、話を聞いたナタリーは目を丸くした。

「ちょっと待て! 弾丸は入ってなかったのか!? 君は弾丸の入ってない銃で、あのゲイリーと交渉したのか!?」

「えっ、ええ、まあ」

 いたずらが見つかった子供のような表情の伽耶を見て、ナタリーは天を仰いだ。

「君は、この中で一番の常識人かと思っていたんだがな。恐ろしい度胸だよ。選んだ言葉も、あの場で思いついたにしては上出来だ。裏社会でも、あんなに落ち着いたやり取りが出来る人間は少ないよ」

「必死だったんです。ああいう人種を動かすには、メリットとデメリットしかないってわかったんで」

 その言葉に、ナタリーはふうと息を吐いた。

「大したものだ。まあ、それくらいでなければ、譲治の彼女は務まらないのかもしれないな」

 言いながら、呆れたように頭を振る。だが、彼女の言葉には畏敬の念も感じられた。
 伽耶は照れ臭そうに笑ったが、その瞳には疲れがある。大翔もまた、疲れきった表情を浮かべていた。顔は青く、死人のようだ。
 無理もない。ふたりは今日、凄まじい体験をしたのだ。初めて拳銃を撃ち、人を殺した。さらに、拳銃を構えた殺し屋と空の拳銃で交渉した──
 大人でも泣いて逃げ出すであろう修羅場を、見事にくぐり抜けたのだ。その疲れは、ふたりの肉体と精神に限界を迎えさせた。

「とりあえず、室内に入ろう。君たちは、休むといい」

 言いながら、ナタリーは大翔の手を引く。譲治は、ひょいと伽耶の体を抱き上げた。

「ちょ、ちょっと……」

 恥ずかしそうに俯く伽耶だったが、譲治はお構いなしだ。お姫さま抱っこの体勢で運んでいき、教室内で静かに降ろす。

「お姫さま、どうぞ眠ってくださいにゃ」

 ふざけた口調だったが、今の伽耶には突っ込む気力は残されていなかった。こくんと頷き、目をつぶる。その近くで、大翔も横になっていた。
 やがて、寝息が聞こえて来る。すると、譲治も限界を迎えたらしい。しゃがみ込んだ姿勢で、目を閉じる。
 目を開けているのは、ナタリーだけだった。彼女は闇の中、眠っている少年たちを見ていた。その顔には、複雑な表情が浮かんでいる。


 
 どのくらいの時間が経過したのだろう。
 不意に、譲治が動いた。すっと立ち上がり、窓へと歩いていく。

「どうかしたのか?」

 ただならぬ気配に、ナタリーが尋ねる。すると、譲治は呟くような声で答えた。

「村が燃えてるよ」

「ゲイリーの仕業だろう。村の人間を皆殺しにした後、時間差で火がつくように細工していたのかもしれない。山火事が起き、殺人の証拠が消え去る……よくある手口さ」

 譲治の言葉に、反応したのはナタリーだけだった。他のふたりは、目を開けただけだった。その顔には、何の感情も浮かんでいない。
 ナタリーは立ち上がると、窓際に行った。燃え上がる村を睨みつける。
 ややあって、振り向いた。

「君たちも、警察の取り調べを受けることになるだろう。だが、余計なことは一言も喋るな。火事が起きたから山の中に逃げた、とでも言っておくんだ」

「わかってるってばよう」

 ナタリーの言葉に、返答したのは譲治だけだった。伽耶と大翔に、言葉を返す気力は残っていなかった。頭を動かすことすら、億劫おっくうだったらしい。ただただ、疲れきった顔で床を見つめるだけだった。
 そんなふたりを見て、ナタリーの表情が歪む。直後、誰にともなく口を開いた。

「私のせいだ」

 ぼそっと呟いた声を聞き、譲治は顔をしかめた。彼女の方を見て何か言いかけたが、言葉は出なかった。
 
「私が来たせいで、こんなことになってしまったのだな。君たちにも、すまないことをした」

 ナタリーは、虚ろな表情でもう一度呟く。その目は、燃え上がる村をじっと見つめていた。

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