鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 ふたりの目覚め(1)

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 ナタリーがいなくなってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
 突然、廊下から凄まじい音が聞こえてきた。ナタリーの怒鳴る声に続き、壁から伝わる振動……何が起きているのかは明白だ。ついに、この階でも戦いが始まった。
 大翔は、伽耶とともに震えながら伏せていた。怖くて仕方ない。体が完全にすくみ、動くことなど出来なかった。

 怖い──

 血も凍るような恐怖が、大翔の全身を蝕んでいた。戦うことはもちろん、逃げることも出来ない。このまま隠れていれば、誰かが助けに来てくれる……それしか、彼の頭にはなかった。ナタリーの身を案ずる余裕などない。かろうじて、隣にいる伽耶の存在だけが心の支えだった。ひとりだったら、確実におかしくなっていただろう。
 不意に、窓の開く音がした。大翔は、震えながら音のした方向を見る。
 人間の手が、窓のふちを掴んでいるのが見えた。直後、誰かの上半身がぬっと入ってきた。暗くて、よく見えない。大翔は、ポケットに入れた拳銃を握る。
 一方、入って来た者は、身軽な動きで室内に降り立った。周りを見回し、口を開く。
 
「いるんでしょ? 助けに来たよ。早く逃げよう」

 その声には聞き覚えがある。大翔は、驚愕の表情を浮かべた。
 入ってきた者は、いなくなったはずの草野亜美だった。窓際に立ち、ふたりの隠れている場所に顔を向けている。部屋の暗さにもかかわらず、こちらの位置が見えているらしい。
 大翔は、強烈な違和感を覚えた。先ほどまでと比べ、彼女の服装も髪型も変わっていない。だが、声は明らかに違っていた。自己紹介の時の、おどおどした雰囲気は完全に消え失せている。その口調は、己に対する圧倒的なまでの自信を感じさせた。
 その変わりようは、ある人物に似ている。地方議員である父・一樹の近くにいた男だ。父の前では、微笑みながら丁寧な口調で話していた。が、スマホで部下に指示を出す時は表情が一変し「殺すぞてめえ!」などと口汚く罵る。かと思うと一瞬後には、にこやかな表情で父と話していた。
 間違いない。草野もまた、あの男と同類なのだ。つまりは、裏の人間──

「く、草野さんなの? どうやってここに?」

 言ったのは伽耶だ。彼女は立ち上がり、草野に近づいていく。すると、草野は微笑む。

「んなこと、どうでもいいじゃん。ここから逃げなきゃ、奴らに殺されるんだよ。早く逃げよう」

 言いながら、手を伸ばしてきた。その時、大翔が弾かれように立ち上がる。伽耶の腕を掴み引き戻した。

「こいつは、奴らの仲間だ……」
 
 呟くような大翔の言葉に、草野はクスリと笑った。

「へえ、ひ弱ないじめられっ子かと思ってたけど、意外と鋭いね。そうさ、あたしは奴らの仲間だよ。あの女を捕まえるため、あんたらに紛れてたってわけ。まさか、こんな展開になるとは思わなかったけどね」
 
 言い放つ草野の顔つきは変わっていた。引きこもりの仮面が剥がれ落ち、裏の世界の住人の素顔が剥き出しになっている。

「あたしたちの仕事はね、ナタリーをさらうことだけだったんだよ。村のバカ共を殺すつもりはなかった。けど、あいつら邪魔してくるから……宗教団体が、聞いて呆れるね」

 その言葉に、伽耶はハッとなった。

「ちょっと待ってよ。じゃあ、村の人たちはどうなったの?」

「あたしの仲間が、みな殺しにしたってさ。まあ、仕方ないよ。あいつらも、こっちの世界の住人だしね。邪魔だから殺したんだよ」

 ヘラヘラした態度で、草野は答える。その態度に、伽耶は顔を歪めた。

「あんた、人間じゃないよ」

「フフフ、なんとでも言いなよ。これが、あたしたちの生きてる世界なの。目撃者は殺す、それだけ。あんたらは、頼みもしないのにウチらの世界に入ってきた。人間が、ライオンの檻に入ってきたらどうなる? 食われるのがオチでしょ。それと同じだよ」

「ふざけんじゃないよ!」

 怒鳴り、草野に詰め寄る伽耶。だが突然、草野の右拳が動く。キレのある速い右ストレートが、何の前触れもなく放たれたのだ。拳は伽耶の顔に炸裂し、彼女はばたりと倒れた。

「伽耶ちゃん、あんたって本当に面倒くさい奴だね。まあいいや、ここで死ぬんだし」

 不敵な表情で、草野は言い放つ。直後、彼女の目は大翔を捉えた。

「そういうことだから。悪いけど、顔を見られた以上は死んでもらうよ。恨むなら、ナタリーを恨むんだね」

 楽しげな口調だった。この女は、本当に人殺しが好きなのだ。ナタリーとは違う。
 次の瞬間、大翔は拳銃を抜いた。これで追い払うしかない。拳銃なら、相手も怯むだろう。
 すると、草野の表情が変わる。もっとも、大翔の期待したものとは違っていた。

「へえ、そんなもん持ってたんだ。あのナタリー、本当に果てしないバカだね。あたしなら、拳銃をあんたらには渡さない。それ持って、さっさと逃げてるけどね。あいつ甘すぎ。ま、そんなことはどうでもいいや」

 言い放つ顔には、怖がっている様子は微塵もない。むしろ楽しそうだ。
 そんな彼女の態度に、大翔は混乱し思わず後ずさる。どういうことだ? なぜ、奴は恐れない? 映画やドラマなら、拳銃を見れば動きを止めるはずなのに。

「ほ、本当に撃つぞ!」

 叫んだが、草野はせせら笑うだけだった。

「撃てるもんなら、撃ってみな。あたしはね、あんたらとは違うんだよ。あんたが部屋で引きこもってる頃、こっちは裏の世界で殺し合いしてたんだ」

「くっ……」

 大翔は呻き、顔を歪めた。駄目だ。こんな奴には勝てない。

「今まで、こんな状況を何度も経験してきた。だから、わかるんだよ。あんたは、絶対に撃てないタイプ。目を見ればわかるから。それどころか、いざとなったら小便もらして泣きながら許しを乞うタイプだね。間違いないよ」

 言いながら、草野はくすくす笑った。銃口を前にしているのに、余裕の表情だ。撃てないことを確信しきっているらしい。
 大翔の方は、完全に怯えきっていた。さらに後ずさっていく。顔は下を向き、体はガタガタ震えていた。銃口も、下に逸れている。
 すると、草野が動き出した。少しずつ間合いを詰めて来る。

「あんたはね、しょせんザコキャラなんだよ。ザコはザコらしく、さっさとくたばるんだね。苦しまないよう、すぐに殺してあげるからさ」

 言いながら、ニヤリと笑う。だが大翔は、何も言えなかった。今まで、人を殴ったことすらない。人を撃つことなど、出来るはずがなかった。
 かつて、いじめられていた時の記憶が蘇る。一方的に殴られ蹴られ、それでも何も出来なかった。その時と同じことが、彼の身に起きている。このままだと殺されることはわかっていた。にもかかわらず動けない。恐怖が全身を蝕み、硬直している──
 
「あんたも、運が悪かったと思って諦めな。悪いのは、全部ナタリーなんだよ。あの女は、これから死ぬより辛い目に遭わされるのは間違いないね。殺してください、って泣きながらお願いすることになるよ。だから、安心して死にな」

 言い放ち、手を伸ばしてきた草野。その時、大翔の中で何かが弾け飛んだ。

 ザコ、か。
 確かに僕は、物語の主人公になるタイプじゃないよ。
 でも、ザコにはザコの役割がある。
 今は僕が、お前に立ち向かわなきゃならないんだよ。
 あの人を守るために──

 不意に、大翔は顔を上げた。彼の目には、異様な光が宿っている。顔つきも変化していた。目の前の女を睨みつけ、再び拳銃を構える。
 草野の動きが止まった。大翔の変化を感じ取ったのだ。口を閉ざし、目の前の少年を凝視している。

「あの人には、絶対に手出しさせない。僕が、守るんだ」

 大翔は、憑かれたような声で囁く。草野にというより、自身に言い聞かせているようだった。

「お前を……殺す」

 直後、トリガーを引く──
 最初の銃弾は、草野の顔を掠めただけだった。だが、大翔は止まらない。さらにトリガーを引く。続いて放たれた銃弾は、彼女の胸に炸裂した。
 顔をしかめ、よろける草野。大翔は、憑かれたような表情でなおもトリガーを引く。銃声とともに放たれた弾丸は、草野の体を貫いていった──

「この、クソガキ……」

 凄まじい形相で、草野は進んでいく。その胸は、命中した銃弾により赤く染まっていた。にもかかわらず倒れない。もともと二十二口径の小さな拳銃であり、殺傷力は低い。当たりどころも悪かった。
 無論、当たった銃弾は致命傷になっている。胸の骨を砕き、内臓を傷付けていた。あと数分もすれば、草野は死体になっているだろう。だが、今はまだ生きていた。手を伸ばし、掴みかかってくる──
 大翔は焦った表情で、さらにトリガーを引く。だが、拳銃はカチカチ鳴るだけだ。

弾丸たまぎれだよ、クソガキ……お前だけは殺す」

 不気味な声で呻きながら、草野は大翔の首に手をかける。彼女の顔には、凄まじい憎しみがあった。少年が、これまで生きてきた中で見たこともないくらい、恐ろしい表情だ。
 さっきまでの大翔なら、恐怖のあまりされるがままになっていただろう。だが、今の彼は怯まなかった。吠えると同時に拳銃を振り上げ、目の前の顔に叩きつける。
 ぐしゃっという感触が、手を通じて伝わってきた。それでも大翔は止まらない。なおも拳銃を振り上げ、ハンマーのように叩きつける──

 あの人には、手出しさせない。
 お前を殺す。
 絶対に殺す!

「ぶっ殺してやる!」

 狂ったように喚きながら、草野の顔面に拳銃を振り下ろす。彼女の顔面は潰れ、血と肉片が飛び散った。草野は悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちる。しかし、大翔は止まらない。

「あの人に……ナタリーさんに手出しさせるか!」

 吠えながら、なおも拳銃で殴りつける。もはや、どこを殴っているのかわかっていなかった。人を殴っているという意識すらない。
 たた、目の前の物を破壊する。ナタリーに害をなそうとする者を徹底的に破壊し、この世から消し去る……その思いが、彼を凶行に駆り立てていた──

「もうやめて!」

 声が聞こえる。誰の声だろうか。だが関係ない。こいつだけは、確実に消し去ってやる──

「大翔! もういいから! この人は死んでる!」

 その声に、大翔はハッとなった。
 目の前には、真っ赤に染まった何かがある。いったい何だろう。肉と、骨と、髪の毛がある。
 これは人間だ。いや、かつて人間だったもの──

 次の瞬間、大翔は吐いた。胃の中のものを、全てぶちまける。嘔吐しながら、自身の手が何かを握りしめているのに気づいた。
 何だろう……視線を落とすと、そこには赤く染まった拳銃があった。拳銃には、血と肉片がこびりついている。
 悲鳴をあげ、拳銃を放り投げた。体が、がたがた震え出す。
 様々な思いが頭を駆け巡った。人を殺してしまった。僕は人殺しだ。警察に捕まる。そうなったら終わりだ。もう、家には帰れない。永遠に犯罪者だ──
 その時、誰かに腕を掴まれる。

「しっかりしなよ! まだ終わってないんだから! 譲治もナタリーさんも、まだ戦ってるんだよ!」

 その声に、大翔は我に返った。そっと横を向く。
 伽耶の顔があった。唇から血を流し、痛みに顔をしかめながらも、強い意思を感じさせる瞳をこちらに向けている。

「よくわかったよ。あいつらは人間じゃない。話し合いも出来ないし、そもそも人の心がない。そんな連中と譲治は戦ってる。ナタリーさんも戦ってるんだよ。私たちのためにね。ビビってる場合じゃない。二人を助けよう」

 伽耶の言葉は、大翔のうちに染み入っていった。心を縛り付けていた恐怖が消えていき、体内に力がみなぎる。

 そうだよ。
 あの人は、まだ戦ってる。
 僕たちを守るために、戦ってくれてるんじゃないか。
 今度は、僕が戦う番だ。
 あの人のためなら、どんな罪でも背負う──


 
 
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