鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 譲治の覚醒(1)

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 窓ガラスをぶち破り、教室に降り立った侵入者。登場は派手だったが、突っ立ったまま身じろぎもしない。
 あまりに異様な状況であった。ほとんど音を立てずに校舎の外壁をよじ登り、窓ガラスを体当たりで割って教室に侵入する……そんな光景を現実で目撃するのは、UMAに遭遇するよりも低い確率だろう。
 異次元に迷い込んだような空気の中、真っ先に声を発したのはナタリーだった。

「みんな! この部屋を出ろ!」

 叫ぶと同時に、彼女は拳銃を構える。だが、一瞬早く譲治が動いていた。侵入者に、軽やかな動きで接近しつつ飛び蹴りを放つ。
 侵入者は、それを異様な動きで躱した。同時に、さらなる侵入者が窓から飛び込んでくる──

「姐御! 二人連れて逃げろ!」

 叫ぶ譲治。声と同時に、ナタリーは伽耶と大翔を連れ、部屋から飛び出る。廊下を走る足音が響いた。
 侵入者のひとりが後を追おうと動くが、ほぼ同時に、譲治は床で前転していた。間合いを詰め、ナタリーたちを追おうとした者の足をすくいにかかる。
 しかし、その男は回転するような動きで躱す。ダンスのターンのような動きだ。間合いを離し、低い姿勢で身構えた。
 譲治は改めて、敵の人相を確かめる。相手は全部で三人。全員、ドレッドヘアの黒人だ。武器らしき物は持っていない。三人とも、分厚い防弾ベストを素肌に直接着ている。身長は高く、全員が百八十センチを超えているだろう。ベストから覗く肩と腕は、彫刻のような見事な筋肉に覆われている。ただし、動きの邪魔になるような付き方はしていない。マフィアというよりは、面倒くさそうな日本人女性歌手の後ろて踊っているダンサー、といった風貌だ。

「何なのよ。お前ら。出稼ぎしに来たんかい。だったら、ステージで踊っててちょうよ」

 軽口を叩く譲治だったが、内心では舌を巻いていた。先ほどの動きといい、立ち姿から感じられる闘気といい、尋常なものではない。普通の人間でないのはもちろんだが、限界まで鍛え上げた人間でも辿りつけない領域……そんな匂いがする。
 黒人トリオはというと、全員が顔を見合わせた。彼らは日本語はわからないようだが、譲治という人間の動きを見て何かを感じ取ったらしい。
 一瞬の間が空き、三人がニイと笑う。嬉しくてたまらない、という感じの笑顔だ。
 
「おい黒人ABC、悪いけど他の仕事を当たってくれよ。こっちは、あんたらみたいなバケモンを相手にしたくねえんだ。だいたい、ナタリーの姐御ひとりをわざわざ日本まで追いかけてくんなっつーの。お前らワールドワイドなストーカーかい」

 とぼけた言葉を投げつつ、反応を窺う。だが、彼らに表情の変化はない。やはり、日本語はわかっていないらしい。
 その時、譲治は異変に気づいた。黒人たちは全員、電池でも切れたかのように固まっている。その場で突っ立ったまま、あらぬ方角を見ていた。譲治など、完全に視界に入っていないようだ。
 それどころか、体の動きが完全に止まっている。細部の動きすらなく、呼吸の気配まで感じられない。一瞬にして、彫像になってしまったかのようだ。
 さすがの譲治も困惑した。相手の狙いが、まるで読めない。この状況で動きを停止させる意味がわからない。
 三人が動きを止めていたのは、時間にしてほんの二、三秒だっただろう。だが、譲治にはそれが数分にも感じられた。一瞬ではあるが、意識に空白が生まれ気が緩む。
 その瞬間、黒人トリオは一斉に動く。先ほどまで死んでいたかのようだったのに、そこから一瞬で切り替わったのだ。しかも、動作の起こりは全く見えなかった。獣なみの反射神経を持つ譲治だったが、意識の空白と相まって反応が遅れてしまった。
 この闘いでは、一瞬の反応の遅れは命取りである。黒人Aの放った飛び蹴りが、譲治の顔面に炸裂する……はずだった。しかし譲治は、躱せないと判断するや、とっさに背後に倒れる。飛び蹴りは、額を掠めただけに終わった。
 黒人たちの攻撃は終わらない。倒れた譲治めがけ、黒人Bが足を振り上げる。顔面を踏み潰そうというのだ。どうにか反応できた譲治は、顔面を腕でガードしつつ横に転がる。一瞬遅れて、譲治の顔面があったはずの場所に足が振り下ろされた。
 また追撃が来る。今度は、黒人Cの蹴りだ。サッカーボールを蹴るように、足をぶんと振って来る。
 その一撃は躱しきれなかった。蹴りを喰らい、譲治は軽々と吹っ飛ばされる。廊下まで転がっていったが、どうにか立ち上がった。とんでもない脚力だ。
 譲治は、密かに胸を撫で下ろしていた。今のは、運に救われた。黒人Bの踏み付けから頭部を守るため、半ば本能的に両腕で顔面を覆っていた……そのガードがなかったら、サッカーボールキックで顔面に爪先が入っていたかもしれない。入っていたなら、その時点で勝負は決していただろう。とっさに後ろに飛んで、ダメージを和らげたのも救いだった。でなければ、腕は折れていたはずだ。
 一方、立ち上がった譲治を見た黒人トリオは、一斉に狂ったような声をあげた。スポーツの応援でもしているかのような声だ。譲治の戦いぶりに、歓声を送っているようも思える。もっとも、どこの国の言葉かは全くわからない。英語なのかもしれないが、あいにく譲治の知識の中にあるのは、ほとんどが和製英語だ。

「お前ら、嬉しそうに戦ってんにゃ。だったら、殺し屋やめて戦隊ものにでも出てろい。サンバカカンとか、ウケるかもしれないのん」

 またしても軽口を叩いた譲治だったが、背中には嫌な汗をかいていた。この三人の強さは異次元だ。動きも思考もまるで読めない上、身体能力は桁外れである。先ほど感じた、限界まで鍛えあげても辿りつけない領域……この表現でも生温いかもしれない。
 世の中には、こんな怪物がいるのか──
 譲治のうちに、二つの感情が湧き上がってくる。ひとつは恐怖だ。小学生の時に上原香澄を殺害して以来、ずっと無縁だったもの。殺されるかもしれないという思いだ。
 同時に、これまで感じたことのない熱い何か……その熱いものが、譲治の中に生まれていた。

 突然、黒人トリオが一斉に吠えた。Aが開いた扉から、続いてBが同じルートで廊下に出る。低い姿勢で身構え、威嚇のような動作をする。二人の顔には笑顔が浮かんでおり、楽しくて仕方ないという様子だ。
 譲治は、二人を睨みつける。彼には、笑える余裕などない。この男たちにとって、自分など楽しめる獲物でしかないのか……という絶望感が、徐々に心を蝕んでいく。
 突然、教室の扉が吹っ飛んだ。続いて黒人Cが、扉を蹴破った勢いそのままで突っ込んで来る──
 かろうじて躱したものの、続いて二人が襲いかかる。譲治は、向きを変え廊下を走り出した。距離を空けようと試みたが、距離は開かない。黒人トリオは、狂気めいた奇声を発しながら、ダンスのごとき動きで追いかけて来ている。
 このトリオなら、素人の数十人くらいは素手で片付けるだろう。恐ろしい強さだ。あのナタリーを捕らえるため、海外から派遣されるのもわかる。
 正直、勝ち目は薄い。砂浜で落とした小銭を見つけるような困難さかもしれないが、黒人トリオだけは刺し違えてでも全滅させなくてはならないのだ。
 この黒人をひとりでも生かしておいたら、確実に誰かが殺される。

 譲治は走った。原付バイク並の速さで廊下をダッシュし、勢いそのままに階段を飛び下りた。黒人トリオも、すぐさま追って来る。獣なみの身体能力の譲治に、きっちり付いて来ている。
 必死で逃げながらも、譲治は瞬時に考えを巡らせる。奴らの狙いはナタリーのはず。にもかかわらず、自分を三人がかりで追いかけて来る。目撃者を残したくないのかも知れないが、ならば三人で追う必要はない。
 つまり、こいつらはナタリーのようなプロではないのかもしれない。あるいは、プロ意識に欠けるのか。ならば、少しは勝ちの目がある。本当に少しだが。
 その時、上の階からドスンという鈍い音が聞こえた。誰かが壁に蹴りを入れた、そんな音だ。何が起きているかはわからないが、別の場所でも戦いが始まっていたらしい。
 さらに、怒鳴るような声が聞こえた。ナタリーの声だ。彼女も今、戦っているのだ──
 となると、これ以上の時間はかけたくない。もしナタリーが殺られたら、伽耶も大翔も確実に生きていない。
 そう思った瞬間、体が動いていた。このままでは、奴らからの攻撃は受けないが、こちらもほとんど何も出来ない。時間ばかりが経過していく。
 瞬時に自身の向きを変える。と同時に、地面に伏せた。
 直後、地を這うような超低空タックルを放つ──

 譲治は焦っていた。このタックルにしても、狙って放ったものではない。打つ手が思いつがず、苦し紛れの一撃である。そんなものが通用するほど甘い相手てはない。
 黒人トリオは、すぐに反応した。先頭にいた黒人Aは、高く飛び上がって譲治のタックルを躱す。格闘技の試合では、まず有り得ない対処法だ。
 次いで、黒人Bと黒人Cが同時に攻撃を放つ。これまた、高く跳躍しての踏み付けというデタラメなものだ。どの武術や拳法にも無い動きであろう。なぜなら、人間にはほぼ不可能な動きだからだ。この獣と同レベルの黒人だからこそ可能な技である。
 だが、技を受ける譲治の方も野獣である。黒人BとCの予測不可能な技を、これまた理解不能な野生の勘により躱す。同時に、素早く体勢を立て直した。
 そこに、黒人Aの放った飛び蹴りに襲われる。さしもの譲治も、こればかりは避けられなかった。足裏が譲治の額に炸裂する。
 派手に吹っ飛び、床に倒れる──
 その途端、黒人トリオは動きを止めた。天を仰ぎ、一斉に叫ぶ。獣の雄叫びのような奇怪な声である。続いて、三人でハイタッチだ。
 一方、譲治は仰向けに倒れていた。奥歯がぐらつき頭はふらつくが、意識はまだしっかりしている。今の飛び蹴りが顔面にクリーンヒットしていたら、確実に死んでいた。
 上体を起こし、苦々しい表情で三人の姿を眺める。黒人トリオのはしゃぎようは、贔屓ひいきのチームが得点を決めた時のフーリガンのように見えた。彼らにとっては、譲治との戦いはゲームでしかないらしい。
 譲治の、己に対し抱いていた圧倒的な自信が揺らいでいた。初めて直面した、敗北の可能性……後に待つのは、確実な死。

 俺は、ここで死ぬのか?

 その時、脳裏にひとつの映像がよぎる。
 動けない体、頭に突き刺さった硬く大きな何か、顔にぶちまけられた血と臓物。
 そして、あの日の誓い──

 てめえの決めたことには、絶対に従わねえ。

 譲治は、スッと立ち上がった。五体を、熱いものが駆け巡っている。恐らく、生まれて初めて味わう感覚であろう。同時に、先ほどまで体を捉えていた恐怖が、徐々に消えていく。

「くだらねえことを思い出させやがって。てめえら全員、必ず殺す」

 低い声で毒づく。かつて感じた怒りと悲しみ、さらに目の前の男たちへの強烈な殺意が、彼の痛みと恐怖を完璧に消し去っていた。





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