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八月二十日 村からの脱出
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ナタリーを先頭に、少年少女たちは村の中を進んでいく。
時刻は八時を過ぎていた。周囲は闇に覆われており、明かりといえば星の光と月明かりだけである。都会育ちの少年たちは、数十センチ先がかろうじて見えている有様だ。
そんな中を、先頭にいるナタリーは慎重に進んでいく。彼女は、闇の中でも目が利くらしい。また、村の地形も熟知しているようだ。迷うことなく進んでいる。
少年少女たちは、全員が手を繋ぎ合い、ナタリーの後を付いて歩いている。これは、ナタリーの指示だ。彼女の手を大翔が握り、大翔の手を草野が握り……という状態で、一列に並び進んでいる。闇の中、ひとりもはぐれることのないように……という配慮だ。間抜けな姿ではあるが、反抗的だった千葉や石野も、黙って指示に従っている。
ムカデ競争のような状態で、のろのろと歩いていた時だった。不意に、ナタリーが口を開く。
「いいか、このまま静かに歩く。駐車場までは、あと一分も歩けば到着する。あるのは軽トラだから、運転席には二人しか乗れないがな」
彼女の言葉に、素早く反応したのは千葉だった。
「じゃ、じゃあ、他の奴はどうすんだよ?」
「どうするって、そりゃあんた荷台に乗るしかないでしょうが。千葉ちゃんさあ、デカい図体してっけど怖いの? 見かけ倒しなの?」
軽口を叩く譲治を、千葉はきっと睨みつけた。
「何を言ってんだ! 怖いわけないだろ!」
その怒鳴り声に、ナタリーが振り返る。
「大声を出すな。気付かれるぞ──」
彼女が言い終える前に、懐中電灯の明かりが一行を照らす。次いで、パーンという乾いた音が響いた。その音に合わせるように、千葉の体がガクンと揺れる。
直後、闇をつんざくような声が聞こえた。
「ちょっと! 何をやってるんですか!」
明らかに、このメンバーのものではない声だ。ほぼ同時に、ナタリーが叫んだ。
「全員伏せろ!」
声と同時に、真っ先に動いたのは譲治だ。その腕力で、隣にいた伽耶を無理やり伏せさせる。ナタリーはというと、すぐ後ろにいた大翔を押し倒すような体勢で地面に伏せていた。無言で付いて来ていた草野も、地面に伏せる。
後方に、懐中電灯の明かりが見える。立ったままの千葉に、電灯の明かりは向けられていた。うっすらとではあるが、数人の男たちの姿も見える。
ひとりの男が、こちらに向け手を伸ばしているのも見えた。その手には、何かが握られている。
次の瞬間、立て続けに音が聞こえてきた。乾いたパンパンという音が数回響く。
音に合わせるかのように、千葉の体もガクガク揺れる。彼の胸のあたりには、いつのまにか赤い染みが付いていた。
胸の赤い染みは、みるみるうちに大きくなっていく。さらに彼の顔からは、表情が消えていた。
その姿を、呆然となり凝視している者がいた。
「な、何よこれ……」
石野は、立ったまま呟いていた。ナタリーの指示にもかかわらず、彼女だけは伏せていなかったのだ。足がすくみ、動けないのか。
ナタリーの表情が歪む。
「伏せろと言ってるだろ! わからないのか!」
叫ぶと同時に、ナタリーは匍匐前進《ほふくぜんしん》で彼女に近づく。しかし遅かった。懐中電灯の明かりが、今度は彼女へと向けられる。
またしても、パーンという音が響く。それも、数回。
直後、千葉がバタリと倒れた。
続いて、石野も崩れ落ちる。その口から、血が漏れ出た。間違いなく、銃弾により絶命したのだ。
ナタリーは、チッと舌打ちした。譲治はというと、伽耶を押さえ込むような体勢で周囲を見回している。
「駐車場はすぐそこだ。姿勢を低くして行くぞ。奴らはプロではない。突っ立っていなければ当たる確率は低い」
低い声で囁くように言うと、ナタリーは再び動き出した。伏せたまま異様な早さで移動し、木製の塀に囲まれた駐車場へと入っていく。譲治らも、どうにか彼女の後を付いていく。
直後、一行は愕然となる──
「車がない」
ナタリーが、ぽつりと呟いた。駐車場に停まっていた軽トラは、跡形もなく消えている。いつ移動されたのだろうか……頼みの綱だった脱出手段が、消えてしまったのだ。
さらに、喚き声が聞こえて来た。
「だから、拳銃はヤバいですよ!」
「るせえ! バレちまった以上、ここで全員殺すしかねえだろうが!」
男の声だ。ナタリーが塀の隙間からちらりと覗くと、向こうから懐中電灯を手にした何者かが進んで来る姿が見えた。暗くてはっきりとは見えないが、確実に数人がこちらに接近してきている。うちひとりは、拳銃を構えていた。
「ど、どうすんですか!」
大翔が、悲鳴に近い声をあげる。だが、返ってきたのはナタリーの吐き捨てるような言葉だ。もっとも外国語のため、その場にいる者には何と言ったのかわからなかったが。
次の瞬間、ナタリーはジャケットのポケットから何かを取り出す。
それは、拳銃だった──
闇の中、乾いた音が響き渡る。ナタリーの威嚇射撃だ。そして彼女は怒鳴る。
「こっちにも銃はあるんだ! 我々に近づいたら殺すぞ!」
途端に、男たちの動きが止まる。罵るような声をあげながら、すぐさま物陰に隠れた。
その時、ナタリーに囁く者がいた。
「姐御、どうしますきゃ? いっそ、突っ込んで行って奴ら皆殺しにした方が早くね?」
譲治である。この少年は、今にも飛び出して行きそうな勢いだ。相手が拳銃を持っていることなど、意に介していないらしい。
しかし、ナタリーは彼の腕を掴む。
「君なら、それも可能かもしれない。だがな、他の者たちも戦いの巻き添えになる。全員死ぬかもしれないそ。そうなっていいのか?」
「いや、それダメ」
「だったら、私の言う通りにしろ。こうなったら、計画変更だ。全員、私の言う通りに動け。いいな?」
「オッケー牧場」
とぼけた口調で返答した譲治に、ナタリーは顔をしかめた。もっとも、恐怖に震えているよりはありがたい。今の窮地を脱するには、この少年の腕力と度胸が頼りなのだ。
ナタリーは油断なく周囲を見回しつつ、リュックを開けた。
中から新聞紙とジッポオイル、さらに液体の入った瓶を取り出す。
新聞紙にオイルをかけながら、瓶を譲治に突き出す。
「この瓶を投げて、あの小屋に当ててくれ。瓶が割れるように当ててくれると助かる」
小声で囁きながら、十メートルほど先にある木造の小屋を指差した。
「割れるように投げんのね。りょおーかい」
とぼけた声で答えた譲治は、瓶を受け取った。直後、伏せたままの体勢で指示された小屋めがけ投げつける。瓶は高速で飛んで行き、小屋のすぐ傍にぶつかる。
ガシャンという音とともに、瓶が割れた。中の液体が飛び散り、小屋の壁にかかる。
その瞬間、ナタリーも動いた。オイルのかかった新聞紙に石を詰めた。丸めて、ライターで火をつける。新聞紙は瞬時に燃え上がった
燃え上がる新聞紙を、小屋めがけ投げつける。
今度は、小屋に火がついた。液体のかかった壁が、激しく燃え上がる──
「クソが! 奴ら火をつけやがった!」
喚く声が聞こえた。男たちの右往左往する様子が、闇の中でうっすらと見える。火を消しに行きたいのだろう。だが、下手に姿を見せれば撃たれる──
その時、ナタリーが動いた。しゃがんだ体勢のまま、拳銃を空中に向け発砲する。
男たちは、すぐに物陰に隠れた。その間にも、小屋は燃えている。
「今のうちだ。付いて来い」
皆に言った直後、彼女は腰を浮かす。しかし、震える声が聞こえてきた。
「駄目です……動けない」
ナタリーは振り向いた。その途端、顔をしかめる。
大翔が尻餅をついた姿勢で、ガタガタ震えている。闇の中でも、彼の顔が蒼白になっているのはわかった。恐怖のあまり腰が抜け、力が入らないのだ。
チッと舌打ちした彼女は、譲治の方を向く。
「君なら、彼を担いだまま走れるか?」
言いながら、大翔を指差した。
「まあ、出来ないこたぁないのん」
「じゃあ、担いでくれ。他の者は歩けるな」
ナタリーの言葉に、伽耶と草野は頷いた。どちらも、大翔と同じくらい顔色が悪い。だが、なんとか歩けそうだ。
「だったら私に付いて来い」
言った直後、ナタリーは姿勢を低くして、森の中へと進み出した。草野と伽耶が、後に続く。
譲治は無言のまま、ひょいと大翔を担ぎ上げた。彼女たちの後を、静かに付いて行く。
小屋は、さらに激しく燃え上がった。男たちは、想定外の事態にてんやわんやだ。ナタリーたちを追うことも出来ず、火事を消すことに気を取られている。
そのため、ナタリーたちは難なく村から脱出した。
ナタリーは、森の中を進んでいく。暗い上に足場も悪いが、苦もなく歩いている。草野と伽耶は、後を付いていくのがやっとだ。夜の森の中を歩くのは、想像以上の辛さだった。愚痴る元気すらない。息を切らせ、途中で何度もつまづきながら、かろうじて進んでいた。
二人の後からは、譲治が無言で付いて行く。時おり後ろを振り返り、追跡されていないかをチェックする。いつものような軽口こそないものの、その表情には緊迫感がない。にやにや笑いながら、彼女らの後を付いて歩いていた。むしろ、彼に背負われている大翔の方が泣きそうな顔だった。
どのくらい歩いただろうか……突然、ナタリーが足を止めた。
「今夜はここに泊まり、夜が明けるのを待つ。朝になったら、山を降りよう。だから、しっかり休むんだ」
その言葉に、少女たちはホッと息をつき、目の前にある建物を見上げた。
彼女らの前には、コンクリート製の大きな施設がある。四階建てで、横に広い造りだ。窓も多く、周囲を木製の塀で囲まれている。
門には『鬼灯小中学校』と彫られていた。その文字を指差しながら、ナタリーは皆の顔を見回す。
「ここは、かつて学校だった。今は廃校になっており、いずれ取り壊される予定になっているそうだ。水も電気も通っていないが、我々が泊まるのに支障はないはずだ」
「へへへ、なんかガキん時を思い出すね。寮で、みんな一緒に寝てたんだよな」
言葉を返せたのは、譲治だけだった。他の者たちは、口を開くことも出来ないくらい疲れていた。
廃墟と化した校舎は、異様な雰囲気に満ちていた。
中は真っ暗闇で、ほとんど見えない。しかし、虫や小動物のものらしいカサコソという音が、あちこちから聞こえてくる。また、得体の知れない匂いに満ちていた。その上、床のタイルは時おり妙な音が鳴る。古くなったせいだろうか。
そんな異様な校舎内を、ナタリーは慎重に進んでいた。彼女は伽耶の手を握り、先頭に立って歩いている。伽耶は草野の手を握り、草野は譲治の手を握り……ここでも、一列になり進んでいく。大翔はどうにか歩けるようになり、譲治の手を握り足を引きずりながらも進んでいく。
階段を上がり、廊下とおぼしき所を進む。教室の前で立ち止まった。
戸を開け、中に入っていく。
「ここで泊まろう。皆、休んでいいぞ」
その声を聞いた途端、伽耶たちは床にへたり込む。虚ろな目で、中を見回した。
教室の中も、外とさほど変わらない状況であった。椅子や机は全て撤去されており、ガランとしたスペースがそこにあるだけだ。明かりといえば、窓から入って来る月の光のみである。もっとも、皆の目も闇に慣れてきていた。そのため、先ほどまでよりは幾分マシになってはいる。
全員、その場に座り込んだ……かと思いきや、譲治だけは立ったままナタリーの方を向いた。
「念のため、こん中ちょいと見回ってくるわ。万が一、変なのが潜んでたらヤバいからにゃ。姐御、あとはよろしく」
そう言うと、譲治は背中を向け出ていこうとする。しかし、伽耶が口を開いた。
「ちょっと待ってよ。ひとりで行く気?」
「んー、そうだよ」
事もなげに答えた譲治に、伽耶の表情が険しくなる。
「何考えてんの。ひとりじゃ危険だよ。ナタリーさんと一緒に行かないと──」
「ちょいちょいちょい。そしたら、伽耶ちゃんたち誰が守んの?」
口調は冗談めいていたが、彼の表情は真剣そのものだった。さらに、ナタリーも口を開く。
「譲治の言う通りだ。この中でまともに戦えるのは、私と譲治だけ。その二人が同時にここを離れたら、残されたみんなはどうなる? 万一、襲撃を受けたら終わりだ」
伽耶は、何も言えずに黙り込む。ナタリーの言う通りだ。
さらに、譲治もウンウンと頷く。
「そうそう。とにかく、俺はこの中を見て回るからさ。伽耶ちゃんは、ここで待ってて」
言った後、今度はナタリーの方を向く。
「姐御は、伽耶ちゃんたちをよろしくね」
「待て、これを持っていくか?」
ナタリーが差し出したのは、拳銃だった。しかし、譲治は首を横に振る。
「いいよ、そんな物騒なもん。だいいち、俺は拳銃の使い方なんか知らんから。んなもん持ってたら、間違えて自分の頭かなんか撃ちそうだよ」
「だったら、ざっと使い方を教える。簡単だよ」
ナタリーは拳銃を指差し、説明を始めようとした。だが、譲治はそれを押し止める。
「ちょいちょいちょい。俺、足し算も引き算も上手く出来ないのよ。あとね、昔『ユージュアル・サスペクツ』って映画を三回も観たけど、結局オチがわからんかったのよね。カイザー・ソゼとかいう犯人が誰だか、伽耶ちゃんに教えてもらうまでわからんかったのよ。そんなバカが、拳銃の撃ち方なんて覚えられるわけないってばよう」
身振り手振りを交えながら語る譲治。その姿を見て、全員の表情が緩む。
緊迫した状況のはずなのに、皆が笑っていた。あのナタリーまでもが、クスリと笑っていた。
「そうか。まあ、君なら素手でも問題ないだろう。ただ、気をつけていけよ。奴らは本気だからな」
「任せんしゃい。じゃ、行ってくるわ」
時刻は八時を過ぎていた。周囲は闇に覆われており、明かりといえば星の光と月明かりだけである。都会育ちの少年たちは、数十センチ先がかろうじて見えている有様だ。
そんな中を、先頭にいるナタリーは慎重に進んでいく。彼女は、闇の中でも目が利くらしい。また、村の地形も熟知しているようだ。迷うことなく進んでいる。
少年少女たちは、全員が手を繋ぎ合い、ナタリーの後を付いて歩いている。これは、ナタリーの指示だ。彼女の手を大翔が握り、大翔の手を草野が握り……という状態で、一列に並び進んでいる。闇の中、ひとりもはぐれることのないように……という配慮だ。間抜けな姿ではあるが、反抗的だった千葉や石野も、黙って指示に従っている。
ムカデ競争のような状態で、のろのろと歩いていた時だった。不意に、ナタリーが口を開く。
「いいか、このまま静かに歩く。駐車場までは、あと一分も歩けば到着する。あるのは軽トラだから、運転席には二人しか乗れないがな」
彼女の言葉に、素早く反応したのは千葉だった。
「じゃ、じゃあ、他の奴はどうすんだよ?」
「どうするって、そりゃあんた荷台に乗るしかないでしょうが。千葉ちゃんさあ、デカい図体してっけど怖いの? 見かけ倒しなの?」
軽口を叩く譲治を、千葉はきっと睨みつけた。
「何を言ってんだ! 怖いわけないだろ!」
その怒鳴り声に、ナタリーが振り返る。
「大声を出すな。気付かれるぞ──」
彼女が言い終える前に、懐中電灯の明かりが一行を照らす。次いで、パーンという乾いた音が響いた。その音に合わせるように、千葉の体がガクンと揺れる。
直後、闇をつんざくような声が聞こえた。
「ちょっと! 何をやってるんですか!」
明らかに、このメンバーのものではない声だ。ほぼ同時に、ナタリーが叫んだ。
「全員伏せろ!」
声と同時に、真っ先に動いたのは譲治だ。その腕力で、隣にいた伽耶を無理やり伏せさせる。ナタリーはというと、すぐ後ろにいた大翔を押し倒すような体勢で地面に伏せていた。無言で付いて来ていた草野も、地面に伏せる。
後方に、懐中電灯の明かりが見える。立ったままの千葉に、電灯の明かりは向けられていた。うっすらとではあるが、数人の男たちの姿も見える。
ひとりの男が、こちらに向け手を伸ばしているのも見えた。その手には、何かが握られている。
次の瞬間、立て続けに音が聞こえてきた。乾いたパンパンという音が数回響く。
音に合わせるかのように、千葉の体もガクガク揺れる。彼の胸のあたりには、いつのまにか赤い染みが付いていた。
胸の赤い染みは、みるみるうちに大きくなっていく。さらに彼の顔からは、表情が消えていた。
その姿を、呆然となり凝視している者がいた。
「な、何よこれ……」
石野は、立ったまま呟いていた。ナタリーの指示にもかかわらず、彼女だけは伏せていなかったのだ。足がすくみ、動けないのか。
ナタリーの表情が歪む。
「伏せろと言ってるだろ! わからないのか!」
叫ぶと同時に、ナタリーは匍匐前進《ほふくぜんしん》で彼女に近づく。しかし遅かった。懐中電灯の明かりが、今度は彼女へと向けられる。
またしても、パーンという音が響く。それも、数回。
直後、千葉がバタリと倒れた。
続いて、石野も崩れ落ちる。その口から、血が漏れ出た。間違いなく、銃弾により絶命したのだ。
ナタリーは、チッと舌打ちした。譲治はというと、伽耶を押さえ込むような体勢で周囲を見回している。
「駐車場はすぐそこだ。姿勢を低くして行くぞ。奴らはプロではない。突っ立っていなければ当たる確率は低い」
低い声で囁くように言うと、ナタリーは再び動き出した。伏せたまま異様な早さで移動し、木製の塀に囲まれた駐車場へと入っていく。譲治らも、どうにか彼女の後を付いていく。
直後、一行は愕然となる──
「車がない」
ナタリーが、ぽつりと呟いた。駐車場に停まっていた軽トラは、跡形もなく消えている。いつ移動されたのだろうか……頼みの綱だった脱出手段が、消えてしまったのだ。
さらに、喚き声が聞こえて来た。
「だから、拳銃はヤバいですよ!」
「るせえ! バレちまった以上、ここで全員殺すしかねえだろうが!」
男の声だ。ナタリーが塀の隙間からちらりと覗くと、向こうから懐中電灯を手にした何者かが進んで来る姿が見えた。暗くてはっきりとは見えないが、確実に数人がこちらに接近してきている。うちひとりは、拳銃を構えていた。
「ど、どうすんですか!」
大翔が、悲鳴に近い声をあげる。だが、返ってきたのはナタリーの吐き捨てるような言葉だ。もっとも外国語のため、その場にいる者には何と言ったのかわからなかったが。
次の瞬間、ナタリーはジャケットのポケットから何かを取り出す。
それは、拳銃だった──
闇の中、乾いた音が響き渡る。ナタリーの威嚇射撃だ。そして彼女は怒鳴る。
「こっちにも銃はあるんだ! 我々に近づいたら殺すぞ!」
途端に、男たちの動きが止まる。罵るような声をあげながら、すぐさま物陰に隠れた。
その時、ナタリーに囁く者がいた。
「姐御、どうしますきゃ? いっそ、突っ込んで行って奴ら皆殺しにした方が早くね?」
譲治である。この少年は、今にも飛び出して行きそうな勢いだ。相手が拳銃を持っていることなど、意に介していないらしい。
しかし、ナタリーは彼の腕を掴む。
「君なら、それも可能かもしれない。だがな、他の者たちも戦いの巻き添えになる。全員死ぬかもしれないそ。そうなっていいのか?」
「いや、それダメ」
「だったら、私の言う通りにしろ。こうなったら、計画変更だ。全員、私の言う通りに動け。いいな?」
「オッケー牧場」
とぼけた口調で返答した譲治に、ナタリーは顔をしかめた。もっとも、恐怖に震えているよりはありがたい。今の窮地を脱するには、この少年の腕力と度胸が頼りなのだ。
ナタリーは油断なく周囲を見回しつつ、リュックを開けた。
中から新聞紙とジッポオイル、さらに液体の入った瓶を取り出す。
新聞紙にオイルをかけながら、瓶を譲治に突き出す。
「この瓶を投げて、あの小屋に当ててくれ。瓶が割れるように当ててくれると助かる」
小声で囁きながら、十メートルほど先にある木造の小屋を指差した。
「割れるように投げんのね。りょおーかい」
とぼけた声で答えた譲治は、瓶を受け取った。直後、伏せたままの体勢で指示された小屋めがけ投げつける。瓶は高速で飛んで行き、小屋のすぐ傍にぶつかる。
ガシャンという音とともに、瓶が割れた。中の液体が飛び散り、小屋の壁にかかる。
その瞬間、ナタリーも動いた。オイルのかかった新聞紙に石を詰めた。丸めて、ライターで火をつける。新聞紙は瞬時に燃え上がった
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喚く声が聞こえた。男たちの右往左往する様子が、闇の中でうっすらと見える。火を消しに行きたいのだろう。だが、下手に姿を見せれば撃たれる──
その時、ナタリーが動いた。しゃがんだ体勢のまま、拳銃を空中に向け発砲する。
男たちは、すぐに物陰に隠れた。その間にも、小屋は燃えている。
「今のうちだ。付いて来い」
皆に言った直後、彼女は腰を浮かす。しかし、震える声が聞こえてきた。
「駄目です……動けない」
ナタリーは振り向いた。その途端、顔をしかめる。
大翔が尻餅をついた姿勢で、ガタガタ震えている。闇の中でも、彼の顔が蒼白になっているのはわかった。恐怖のあまり腰が抜け、力が入らないのだ。
チッと舌打ちした彼女は、譲治の方を向く。
「君なら、彼を担いだまま走れるか?」
言いながら、大翔を指差した。
「まあ、出来ないこたぁないのん」
「じゃあ、担いでくれ。他の者は歩けるな」
ナタリーの言葉に、伽耶と草野は頷いた。どちらも、大翔と同じくらい顔色が悪い。だが、なんとか歩けそうだ。
「だったら私に付いて来い」
言った直後、ナタリーは姿勢を低くして、森の中へと進み出した。草野と伽耶が、後に続く。
譲治は無言のまま、ひょいと大翔を担ぎ上げた。彼女たちの後を、静かに付いて行く。
小屋は、さらに激しく燃え上がった。男たちは、想定外の事態にてんやわんやだ。ナタリーたちを追うことも出来ず、火事を消すことに気を取られている。
そのため、ナタリーたちは難なく村から脱出した。
ナタリーは、森の中を進んでいく。暗い上に足場も悪いが、苦もなく歩いている。草野と伽耶は、後を付いていくのがやっとだ。夜の森の中を歩くのは、想像以上の辛さだった。愚痴る元気すらない。息を切らせ、途中で何度もつまづきながら、かろうじて進んでいた。
二人の後からは、譲治が無言で付いて行く。時おり後ろを振り返り、追跡されていないかをチェックする。いつものような軽口こそないものの、その表情には緊迫感がない。にやにや笑いながら、彼女らの後を付いて歩いていた。むしろ、彼に背負われている大翔の方が泣きそうな顔だった。
どのくらい歩いただろうか……突然、ナタリーが足を止めた。
「今夜はここに泊まり、夜が明けるのを待つ。朝になったら、山を降りよう。だから、しっかり休むんだ」
その言葉に、少女たちはホッと息をつき、目の前にある建物を見上げた。
彼女らの前には、コンクリート製の大きな施設がある。四階建てで、横に広い造りだ。窓も多く、周囲を木製の塀で囲まれている。
門には『鬼灯小中学校』と彫られていた。その文字を指差しながら、ナタリーは皆の顔を見回す。
「ここは、かつて学校だった。今は廃校になっており、いずれ取り壊される予定になっているそうだ。水も電気も通っていないが、我々が泊まるのに支障はないはずだ」
「へへへ、なんかガキん時を思い出すね。寮で、みんな一緒に寝てたんだよな」
言葉を返せたのは、譲治だけだった。他の者たちは、口を開くことも出来ないくらい疲れていた。
廃墟と化した校舎は、異様な雰囲気に満ちていた。
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「ここで泊まろう。皆、休んでいいぞ」
その声を聞いた途端、伽耶たちは床にへたり込む。虚ろな目で、中を見回した。
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「念のため、こん中ちょいと見回ってくるわ。万が一、変なのが潜んでたらヤバいからにゃ。姐御、あとはよろしく」
そう言うと、譲治は背中を向け出ていこうとする。しかし、伽耶が口を開いた。
「ちょっと待ってよ。ひとりで行く気?」
「んー、そうだよ」
事もなげに答えた譲治に、伽耶の表情が険しくなる。
「何考えてんの。ひとりじゃ危険だよ。ナタリーさんと一緒に行かないと──」
「ちょいちょいちょい。そしたら、伽耶ちゃんたち誰が守んの?」
口調は冗談めいていたが、彼の表情は真剣そのものだった。さらに、ナタリーも口を開く。
「譲治の言う通りだ。この中でまともに戦えるのは、私と譲治だけ。その二人が同時にここを離れたら、残されたみんなはどうなる? 万一、襲撃を受けたら終わりだ」
伽耶は、何も言えずに黙り込む。ナタリーの言う通りだ。
さらに、譲治もウンウンと頷く。
「そうそう。とにかく、俺はこの中を見て回るからさ。伽耶ちゃんは、ここで待ってて」
言った後、今度はナタリーの方を向く。
「姐御は、伽耶ちゃんたちをよろしくね」
「待て、これを持っていくか?」
ナタリーが差し出したのは、拳銃だった。しかし、譲治は首を横に振る。
「いいよ、そんな物騒なもん。だいいち、俺は拳銃の使い方なんか知らんから。んなもん持ってたら、間違えて自分の頭かなんか撃ちそうだよ」
「だったら、ざっと使い方を教える。簡単だよ」
ナタリーは拳銃を指差し、説明を始めようとした。だが、譲治はそれを押し止める。
「ちょいちょいちょい。俺、足し算も引き算も上手く出来ないのよ。あとね、昔『ユージュアル・サスペクツ』って映画を三回も観たけど、結局オチがわからんかったのよね。カイザー・ソゼとかいう犯人が誰だか、伽耶ちゃんに教えてもらうまでわからんかったのよ。そんなバカが、拳銃の撃ち方なんて覚えられるわけないってばよう」
身振り手振りを交えながら語る譲治。その姿を見て、全員の表情が緩む。
緊迫した状況のはずなのに、皆が笑っていた。あのナタリーまでもが、クスリと笑っていた。
「そうか。まあ、君なら素手でも問題ないだろう。ただ、気をつけていけよ。奴らは本気だからな」
「任せんしゃい。じゃ、行ってくるわ」
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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