鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 戦闘開始

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「桐山くん、入ってもいいかな? 食事を持って来たんだが」

 ノックの後、声が聞こえてきた。あの女のものだ。

「いいよん」

 譲治が答えると、鉄製の扉がきしみながら開かれた。
 この反省室は、ひとりを収容する部屋としては狭くはないだろう。六メートル四方はある。窓には鉄格子が付いており、天井には強化ガラスに覆われた照明が設置されている。あとは、洗面所と小さな仕切り壁のトイレがあるだけだ。部屋の隅には、布団と枕が畳まれた状態で積まれていた。
 まるで、刑務所の独房のようである。そんな部屋で、譲治はのんきに寝転んでいた。硬い床の上ではあるが、気にしていないようだ。
 ナタリーは、食事を乗せたお盆を床に置く。プラスチックの容器に入ったご飯とわかめの味噌汁、同じくプラスチックの皿に入った魚のフライと野菜サラダ、半分に切ったグレープフルーツといったメニューだ。その横には、割り箸が添えられていた。
 食事の乗ったお盆を、譲治はちらりと見る。特に興味もなさそうだった。

「君に話がある。構わないかい?」

 聞いてきたナタリーに対し、譲治は上体を起こした。

「お話、ね。いいよ、俺もあんたとは話がしてみたかったし」

「そうか。先に食べるかい? それとも、食べる前にするかい?」

 言いながら、ナタリーは盆を指差す。だが、譲治は首を横に振った。

「いいや、食事は後にするよ」

 言いながら、譲治はその場であぐらをかいた。ナタリーを見上げる顔には、ふざけた雰囲気は感じられない。

「居心地はどうだい?」

 ナタリーに聞かれ、譲治は肩をすくめる。

「はっきり言って悪いね。でも、入院させられてた時に比べりゃマシかな」

「それは申し訳ない。でも、明日には出られるだろうさ」

 そう言うと、ナタリーはその場にしゃがみ込む。直後、その顔から柔らかい表情が消えた。

「いきなりで恐縮だが、単刀直入に聞こう。君は、十二歳の時に同級生を殺害したそうだね。なぜだ? なぜ同級生を殺した?」

 真剣な顔つきからの問いに、譲治はふふふと笑った。

「やっぱ知ってたんだね。ま、知らないわきゃないだろうけどね」

「そう、君のしたことを我々は全員知っている。私に教えてくれないか? 君は、なぜあんなことをしたのだ?」

 なおも尋ねてくるナタリー。興味本位で聞いているのでないのは、彼女の目を見ればわかった。その美しい瞳には、射るような光が宿っている。
 譲治は目を逸らし、天井を睨みつけた。憎い何者かが、そこにいるかのように。

「それはね……あのバカタレが、蕎麦を無理やり食わせたからだよん」

「蕎麦?」

 眉をひそめるナタリーに、譲治は頷いた。

「そ。あいつは、その前から伽耶ちゃんに嫌がらせをしていた。でも、俺は我慢してたんだよ。高岡先生と約束してたからね。他人に暴力は振るわない、ってさ」

 そこで、譲治は笑った。おかしくて笑った、という雰囲気ではない。自嘲の笑みのように見えた。
 ナタリーの方は、にこりともしていない。無言のまま、彼を見つめていた。その瞳の光は消えていない。
 そんな彼女に向かい、譲治はまた語り出した。

「けどね、あの日はやっちゃいけないことをやったんだよ。伽耶ちゃんに、蕎麦を無理やり食わせようとしてたのよね。だから、首をへし折ってやったのよん」

「伽耶ちゃんとは、山村伽耶さんのことだね。彼女は、蕎麦アレルギーだと聞いている」

「そだよ。伽耶ちゃんは、蕎麦アレルギーだった。蕎麦を食ったら、死ぬかもしんないって聞いてた。なのに、あのバカタレは無理やり食わせたんだよ。だから、俺はあいつを殺した。俺が殺さなきゃ、伽耶ちゃんが死んでたかもしんないんだよ。はっきり言って、後悔はしてない。もちろん、反省なんかするわけない。もっと早いうちに殺しときゃよかった、って思ってるくらいさ」

 譲治は、飄々とした態度で語った。本当に、欠片ほどの反省の念も感じられなかった。
 そんな彼の態度に、ナタリーの表情がまた変化する。 

「当日、山村さんが病院に運ばれたことも知っている。君の言ったことは真実なのだろう。君が止めなかったら、山村さんは死んでいたのかもしれないな」

 そこで、ナタリーの目つきが鋭くなった。譲治を睨みながら、ゆっくりと語り出す。

「君の言い分も、わからなくはない。だがな、殺す必要はあったのか? 君なら、痛めつけて退散させることくらい簡単だったろうが」

 問いの奥には、怒気があった。人殺しである譲治を前にして、恐れる様子もない。しかし、譲治の方も平然とした様子で言葉を返す。

「んーなことよりさ、お姉さんのことを聞かせてちょうよ。あんた、あの柔道のおっさんより強いでしょうが。それどころか、血の匂いもするよ。ここに来る前、よっぽどヤバいことしてたんでしょうが。ねえ、そこんとこ話してよ」

「君は何を言っているんだ? そんなはずはないだろう。私は、ただのボランティアだよ」

 ナタリーは、首を横に振る。すると、譲治の表情が変わった。彼女から目を逸らす。

「あっそ、お姉さんたら、シラをきるんだ。そりゃあ、とぼしい話だね。シオシオのフォーだよ。シラきるような奴とは話しません。話したくもありません。はい、退場。ほら、退場」

 意味不明なことを言いながら、譲治はドアを指差す。ナタリーが何か言いかけた時、譲治の表情がまたしても変化する。

「おいおい……またです、きゃ?」

 面倒くさそうな顔つきで呟いた時、バタバタという足音が聞こえてきた。複数のものだ。次いで、ドアが勢いよく開かれる。
 最初に入って来たのは、灰色のジャージ上下を着た男だった。年齢は三十代から四十代だろうか、髪は五分刈りで、口の周りにはヒゲを生やしている。若田ほどではないが、筋肉量の多いがっちりした体格だ。身長は百七十五センチから百八十センチといったところか。いかつい拳にはタコがあり、鼻は少し曲がっている。また、額にも線のような傷痕があった。
 どう見ても、青少年の更生に力を尽くす団体の職員には見えない。ヤクザ映画のエキストラでもやっている方が似合うだろう。そんな男が、入って来るなり口を開いた。

「ナタリーさん、あなたはここで何やってるんですか? 夕食を運ぶことと鍵のチェックをお願いしましたが、それ以外のことは頼んでいないはずですよ」

 言いながら、ナタリーを睨みつける。しかし、彼女は怯まない。

「ちょっと、彼と話をしていました。それより、これはどういうことです?」

 眉間に皺を寄せ、ナタリーは尋ねた。その目つきは鋭くなっている。
 それも当然だろう。ジャージ男の後から、さらに四人の若者が室内に入ってきたのだ。みな作業着のような服を着ており、髪型や背格好はまちまちだ。だが、共通の匂いを漂わせている。全員、堅気ではない雰囲気だ。目つきは鋭く、好戦的な顔つきである。
 しかも、うちひとりは白い拘束衣を持っていた。凶暴な人間の動きを封じるために着せる服だ。本来なら、精神科の病院や刑務所などで使われているものである。

「桐山譲治は危険なため、拘束衣を着せ別室に移すことにしたのですよ」

 ジャージの男は、にべもなく言い放つ。すると、ナタリーの表情が険しくなった。

「私は、そんな話は聞いていません。それに桐山くんは、拘束衣を着せて移動させなくてはならないほどの危険人物には思えませんが」

「ボランティアのあなたに、いちいち話す必要はありません。それに、桐山にはやってもらうことがあります。だから、別室に移動するのですよ」

「はい? 拘束衣で動きを封じた人間に、何をやらせるというのです? 答えてくださいよ、山崎ヤマザキさん」

 鋭い表情で問いただすナタリー。だが、山崎と呼ばれたジャージの男は、不快そうな表情で言い返した。

「もう一度言います。ボランティアのあなたには関係ありません。これは決定事項なんですよ。邪魔ですから、早く出ていってください。でないと、力ずくで追い出しますよ」

 言葉遣いは丁寧だが、態度は恫喝している者のそれだ。後ろの若者たちも、威嚇するような視線を彼女に向けていた。それに気づいたナタリーの目が、スッと細くなる。
 その時だった。

「ちょいちょいちょい、そっちで勝手に盛り上がんないでくれるかな。あんたらの相手は、この僕ちんでしょうが。ちなみに、僕ちんはそんな格好悪いの着たくないかんね。どうしても着せたいなら、力ずくできんしゃい。ま、あんたらじゃ無理だろうけどにゃ」

 脳天気な口調で横から口を挟んだのは、言うまでもなく譲治だ。ニヤニヤ笑いながら、スッと立ち上がる。首を左右に振り、肩をぐるぐる回し出した。まるで、ストレッチでもしているかのようだ。
 すると、作業着の若者たちの顔色が変わった。

「上等だよ。このガキ、きっちりボコった後で着せてやる。山崎さん、ケガさせますけどいいっスよね」

 ひとりの若者が、そんなことを言いながらつかつか近づいてくる。チンピラに有りがちな態度で、譲治の襟首を掴もうとした。
 だが、それは大きな過ちだった。譲治は、伸びてきた相手の腕を掴む。その手首を、思い切り握りしめた。
 その途端、ボキリという音がした。一拍遅れて、悲鳴があがる。若者の手首は、人間離れした握力により一瞬にして砕かれてしまったのだ。
 直後、譲治は力任せに引き寄せる。強烈な頭突きを顔面へと見舞った。
 鈍い音が響く。若者の鼻骨は折れ、脳が揺れる。一瞬の間を置き、ゆっくりと崩れ落ちた──
 室内の空気は凍りついていた。若者たちは皆、唖然となっている。何が起きたのか、把握できていないのだ。
 譲治の方は、涼しい表情である。ニイと笑うと、山崎に視線を向けた。

「ヒゲモグラのオッサン、あんたが来なよ。偉そうに命令ばっかしてないでさ」

 すると山崎は、若者たちを怒鳴る。

「お前ら、何をしてる! さっさとガキを捕まえろ! ケガくらいさせても構わん!」

 その声に、若者たちはようやく我に返った。譲治めがけ、一斉に襲いかかる。
 だが、譲治は余裕の表情だ。若者たちの目の前で、いきなり飛び上がる。
 常人離れした跳躍力で、横の壁に飛びついた。かと思った瞬間、壁を蹴り手近な若者めがけ飛んでいく。空手の三角飛びだ。ただし、実戦で使える者などいないはずの技である。
 直後、譲治の蹴りが相手の顔面を打ち抜く。例えるなら、五十キロを超える鉄球が高速で炸裂したような衝撃であろう。耐えられるはずもなく、顔面を覆って倒れる。

「このガキが!」

 吠えながら、別の若者が殴りかかる。着地した譲治めがけ、大振りのパンチを放つ。
 だが譲治は、何の苦もなくしゃがみ込んで躱した。同時に、相手の足首を掴む。
 直後、一瞬で引き倒した──
 若者は反応できなかった。派手な動きで倒れる。その拍子に、後頭部を硬い床に打ち付けた。
 だが譲治は、倒しただけでは済まさなかった。相手の片足首を両手で掴んだまま、ハンマー投げのような形でグルンと一回転した。
 直後、まだ無傷の若者めがけ人体を放り投げる。野獣なみの腕力で、ゴミ袋でも放るように無造作にブン投げたのだ。
 人体が高速で宙を飛び、若者は受け止められず下敷きになる。その拍子に、床に頭を打ち気絶した。
 残るは、あと二人。譲治は迷うことなく、山崎に突進していく。
 山崎は唸った。両拳を構えると、凄まじい形相で左ストレートを放つ。速く、キレのあるパンチだ。常人では、避けることも受けることも出来ないだろう。
 だが譲治は、その拳をあっさりと躱してのける。上体を軽く捻っただけで、簡単に避けて見せたのだ。しかも、顔には余裕の表情が浮かんでいる。
 間髪を入れず、右のストレートが飛んできた。体の回転を利かせ、全体重を拳に乗せたパンチだ。当たれば倒せるだけの威力はあるだろう。
 譲治は、その右の拳もひょいと躱して見せる。と同時に、山崎の右手首をいとも簡単に掴んだ。
 予想外の展開に、山崎の顔が歪む。なりふり構わず、残った左拳を振り上げる。
 だが、その拳を当てることは出来なかった。

「次は、こっちの番なのん」
 
 言った直後、譲治は己の手を思いきり握りしめる。
 山崎の口から悲鳴があがった。彼の右手首は、一瞬で砕かれてしまったのだ。
 直後、譲治は飛び上がる。強烈な頭突きを、山崎の顔面に叩き込む。
 その一発で、山崎は崩れ落ちた──

 室内は、惨憺たるものだった。五人の男が、床に倒れている。意識のない者がほとんどだが、倒れたまま呻き声をあげている若者もいた。ただし、意識はあっても戦意はない。
 さらに、ナタリーの運んできた食事は、闘いの巻き添えとなり全てが床にぶちまけられていた。
 だが、譲治に気にする素振りはない。彼は、残るひとりの方を向いた。
 ナタリーは立ったまま、腕を組み壁にもたれかかっている。今のところ、逃げようという気配も戦おうという気配もない。譲治に向ける顔にも、特に敵意は感じられない。
 だが、譲治の勘は告げている。この女こそ、最強の相手なのだ。今の戦いを冷めきった表情で見ていたのが、何よりの証拠だ。

「残るは、あんただけだよ。どうすんの? やんの? やんないの?」

 ニヤリと笑う譲治。すると、ナタリーは両手を挙げた。ホールドアップの体勢だ。

「今、君と争う気はない。私は、彼らとは違う」

 言いながら、彼女は倒れている山崎たちを指差す。

「私は、本当にただのボランティアとして派遣されたんだ。このイベントの運営を手伝うように言われて来た」

「ただのボランティア? それは信用できないね。あんたは──」

「待て、今は他にやることがあるだろう。こいつらが何をする気か聞き出さないと。下手をすれば、伽耶さんにも被害が及ぶかもしれないのだぞ」

 ナタリーに言われ、譲治は顔をしかめた。

「そっか、そりゃマズイのよね。どうしよう?」

 とぼけた言葉に、ナタリーはくすりと笑った。だが、その笑みはすぐに消える。彼女は、倒れている男たちに近づいていった。
 山崎のそばにしゃがみ込むと、彼の頬を平手で叩いた。

「教えてもらおうか。君たちは、ここで何をする気だ?」





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