鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 自己紹介

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 建物内に入ると、一行は食堂と思われる部屋に案内される。長机が三組と、パイプ椅子がそれぞれ八脚ずつセットされている。壁には、様々な写真や絵画が飾られていた。また、部屋の隅には花の入った花瓶が置かれている。

「皆さん、まずはこちらにお座りください。男性はこちらの列、女性は反対側です」

 若田の指示に従い、全員が同じテーブルに着く。譲治は一番端で、隣にいるのは千葉だ。向かいの席に座っているのは伽耶である。譲治はニコニコ笑ってみせたが、彼女はすぐに目を逸らした。

「では、簡単な自己紹介をしましょう。簡単なもので結構です。この先、触れ合うことにより、お互いのことをもっと深く知ることができるでしょうから。まずは、三村さんから」

 にこやかな表情で、若田は一番端の席にいた陰気なオタク風の少年を指名する。先ほど譲治と睨み合っていた時の、人ひとりくらい簡単に殺しかねない凶暴な雰囲気は、見事に消え失せていた。

「ぼ、僕は三村大翔ミムラ ハルトです。そ、その、よろしくお願いします」

 おどおどした態度で立ち上がり、挨拶した大翔。背は百七十センチ前後、かなり痩せている。顔の造りそのものは悪くないが肌は青白く、不健康そうだ。ここ数年、外出していなかったのだろう。また自分に対する自信のなさが、顔つきと態度に出ている。

「次は、草野さんに自己紹介をお願いします」

 若田が言った途端、がたんという音とともに立ち上がった者がいる。参加してから、一言も発していない女性だ。年齢は十代のはずなのだが、二十歳前後に見える。髪は短く服装も顔の造りも地味であり、一見すると男女どちらなのかわかりにくいタイプである。

「く、草野亜美クサノ アミ、です。あの、その、えーと……よ、よろしくお願いします!」

 こちらも、おどおどした態度だ。聴いている側を見もせず、ずっと下を向いたまま早口で挨拶し、すぐに席に座る。
 クスクス笑う声が聞こえた。若田は、ぎろりと笑い声の主を睨む。

「千葉くん、次は君の番です。笑っている場合ではありません」

 言われた千葉は、面倒くさそうに立ち上がる。いかにも大物ぶった態度で語り出した。

「あー、どうも。凶悪で凶暴で凶器大好きと三拍子そろった駄目人間だけど、地元じゃ負け知らずで有名な千葉拓也チバ タクヤくんです。先日、ちょっとヤンチャが過ぎてパクられました。ここには年少行きを避けるためだけに来ましたので、皆さんと仲良くする気はありません。以上」

 言い終えると、満足げな表情で椅子に腰かけた。言ってやったぜ、とでもいいたげな様子だ。すると、タイミングを計っていたかのようにスッと立ち上がったのは、あの化粧の濃い少女だ。

石野怜香イシノ レイカ。申し訳ないけど、あたしもあんたらと触れ合う気はないから。だから、あたしにはかかわんないで」

 冷めきった口調で言うと、すぐ席に腰掛けた。他の者など知ったことではない、という態度である。

「次は、桐山くんです」

 若田の言葉に、譲治はウンウンと頷き立ち上がる。

「あ、どもども。僕ちんは桐山譲治です。ちっちゃい時に事故に遭っちゃいまして、たまーに脳が痛くなる障害があります。あと、計算が出来ません。足し算も引き算も上手く出来ないし、数をかぞえるのも苦手ですんでよろしく」

 そう言って、ぺこりと頭を下げ椅子に座る。すると、千葉がプッと吹き出した。

「何だお前、ガイジなのかよ。道理で、空気読めねえわけだ」

「ん? ああ、そうそう。僕ちんはガイジなのよね」

 譲治は、すました表情で言葉を返す。千葉の恐ろしく失礼な言葉を、気にも留めていないらしい。そのやり取りがおかしかったのか、他にもくすりと笑った者がいた。
 だが、違うことを感じた者もいた。

「ねえ、ガイジって何?」

 声を発したのは、伽耶だった。鋭い視線を千葉に向けている。

「はあ?」

 千葉は、面倒くさそうな表情を向ける。しかし、伽耶は怯まない。

「聞こえないの? ねえ、ガイジって何かって聞いてんだけど?」

 怒気を含んだ口調で、なおも尋ねる。千葉は、露骨に不快な表情になった。

「あのな、ガイジってのは障害児のことだよ。こいつみたいな奴をガイジって呼ぶんだよ。んなことも知らねえのか」 

 言いながら、譲治の方を指差す千葉。すると、伽耶の表情が険しくなる。

「そういうの、やめようよ。あんた恥ずかしくないの?」

「ああン? 何いってんだよ、てめえは?」

 千葉は威嚇の言葉を投げつけてきたが、伽耶は怯まない。

「私たちは、なんでここにいるの!? 世間一般のレールから外れたから、ここに来たんでしょ!? 違うの!?」

 先ほどまで行儀よくして伽耶だったが、今は凄まじい勢いで千葉を怒鳴りつけている。その剣幕に、千葉は怯んでいた。だが、彼にも面子がある。クールな表情で、言葉を返した。

「あのう、何いってんのか全然わかんないんだけど」

 言いながら嘲笑する。だが、伽耶はその程度で引くほどヤワではなかった。

「私たちはみんな、群れからはぐれてここに来た。今まで、世間の人たちからさんざんバカにされてきたんじゃないの? そんな差別されてきた側の私たちが、計算の出来ない人をガイジって呼んで差別する……これってさあ、凄くみっともないことなんじゃないの?」

「あー、面倒くさ。そういう面倒くさいの、勘弁してくんないかな」

 横から口を挟んできたのは、石野だった。小馬鹿にしたような視線を伽耶に向けつつ、冷ややかな口調で言い続ける。

「だいたいさ、偉そうなこと言う前に、まずは顔の痣なんとかしなよ。レーザー治療とかも、今なら安いのあるからさ──」

「消さない」

 伽耶は、鋭い口調で答えた。その途端、石野が口元を歪めた。

「は?」

「この世界には、いろんな人間がいていいはずだよ。顔に痣があっても、計算が出来なくても、その人のあるがままを受け止め共生していくのが、理想の社会だって……私はそう思ってる。だから、この痣は絶対に消さない。このまま生きていく」

 語る伽耶の表情は静かなものだった。少なくとも、喧嘩を売るような態度ではない。だが、石野は不快な思いを抱いたらしい。チッと舌打ちした。

「ホントに面倒くさい奴だね。勝手にすれば。でもね、あたしが朝起きてあんたの顔になってたら、その場で自殺するね。そんな痣を抱えて生きていくなんて──」

 その時に室内で何が起きたのか、正確に把握していた者はいなかっただろう。まず譲治の体が、ふわりと浮き上がった……ほとんどの者の目には、そうとしか見えていなかった。
 次の瞬間、譲治はテーブルの上に乗っていた。椅子に座った体勢から、一瞬のうちに高く跳躍し石野の目の前に着地していたのだ。しゃがみこんだ体勢で、鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけ、異様な目つきで石野を見つめている。歯を剥きだしている表情は、威嚇している野獣のようだ。
 一方、異様な少年を前にした石野は、目の前の事態を理解できず呆然となっていた。口を半開きにし体を硬直させたまま、譲治を見つめているだけだ。蛇に睨まれた蛙のような心境だっただろう。
 そんな彼女の背後には、ナタリーが立っていた。片方の手を伸ばし、譲治の肩に触れている。彼を止めようという気らしい。もう片方の手は、石野のキャミソールをわしづかみにしている。これまた、いつの間に移動したのか、誰にもわからなかった。
 異様な空気の中、ナタリーはにっこり微笑む。

「桐山くん、落ち着くんだ。ここで争っても、誰も得しない」

 静まりかえった室内に、落ち着いた声が響いた。ナタリーのものである。
 譲治は、声の主を睨みつける。だが、ナタリーは笑みを浮かべたまま目を逸らさない。それどころか、微笑みながら石野を後方へとどけてしまった。足を使い、石野を座る椅子ごと後ろにずらしたのだ。同時に、ナタリーもさっと体を入れ替え前に出る。
 真正面から対峙する形になった譲治とナタリー。だが、先に折れたのは譲治だった。目を逸らし口を開く。

「まあ、あんたの言う通りなのよね」

 直後、石野に視線を戻す。

「だけど、あんたにはひとつだけ言っておく。もう一度、伽耶ちゃんにふざけたことを言ったら、その自慢のお顔を修復不可能なレベルまでぶっ壊すのん。ピカソの『泣く女』みたいな顔にしちゃうからね」

「そんなことしなくていい! 誰も頼んでないでしょ!」

 叫んだのは伽耶だった。今にも泣きそうな顔で、譲治を睨んでいる。
 その時、室内に乱入してきた者たちがいた。作業着姿の若者が四人、どかどかと入って来る。みな体格がよく、人相が悪い。髪型は坊主だが、僧侶よりは反社会的集団のような印象の方が強い。
 彼らは入って来るなり、譲治を睨みつけた。

「若田さん、こいつが桐山っスよね。面倒くせえから、ボコって反省室にぶち込みますか?」

 ひとりの若者が譲治を指差しながら、残忍な表情で尋ねる。チンピラそのものの態度だ。
 その途端、若田の両手が伸びた。

「君はバカですか? 状況に応じた言葉の遣い方を勉強してください」

 若田は、優しい表情で注意する。その両手は、若者の襟首を掴んでいた。
 直後、両襟を一気に絞め上げた。柔道の絞め技の変形である。服の襟が首の動脈を絞め上げるのだ。若者の表情はみるみるうちに変わり、苦しそうにもがく。
 だが、数秒で絞め落とされてしまった。若田は、面倒くさそうに若者の体を放る。他の若者たちが、慌てて受け止めた。
 その時、伽耶が立ち上がった。

「あなたたちは何なんですか? もし譲治に暴力を振るう気なら、今すぐ出ていってください! でないと、私はあなたたちを訴えます!」

 体を震わせながらも、男たちに怒鳴りつける。すると、若田は満足げに頷いた。

「山村さん、大丈夫です。我々は、必要がない限り桐山くんに暴力を振るったりはしません。それにしても、あなたは素晴らしい人だ。先ほどのあなたの言葉、私は感動しましたよ」

 その言葉はお世辞でも皮肉でもなく、本気で言っているようだった。
 次に若田は、テーブルの上であぐらをかいて座りこんでいる譲治を睨みつける。こんな状況だというのに、焦る様子もなくテーブルに座ったままヘラヘラ笑っているのだ。
 そんな譲治に向かい、おもむろに口を開く。

「桐山くん、君には反省室に入ってもらいます。さっさと下りてください」

 言われた譲治は、無言のままスッと立ち上がる。
 直後、ひょいと飛び上がった。くるりと一回転し、静かに着地する。体操選手のように見事な動きだ。
 だが、見事な動きも若田の心を動かすには至らなかった。

「君は一度、じっくり反省する機会が必要です。今夜は、自分のしてきたことを考えてみてください」

 冷たい口調で言い放った若田に、譲治はヘラヘラしながら話しかけた。

「あんた強いね。さっきは、一瞬で絞め落としてたし」

 そう言われ、若田の表情が僅かだが和らいだ。しかし、譲治はさらに言葉を続ける。

「だけど、あんたはこの中じゃあ二番目なのん」

 すました表情でふざけた台詞を吐いた譲治に、若田は尋ねた。

「では、一番は誰なのです?」

 その問いに、譲治はニヤリと笑った。若田の目の前で人差し指を立てたかと思うと、自身の顔を指差す。

「もちろん、僕ちん」

 若田の目つきが鋭くなった。ぎりぎりと奥歯を噛み締めつつも、怒りをこらえ言葉を搾り出す。

「そうですか。では明日、その一番の強さを披露していただくとしましょう。私がお相手します」

 殺気すら感じさせる声だったが、譲治は余裕の笑顔を崩さない。

「いやあ、そりゃあ楽しみなのね……あっ、ごめんちゃい。あんた二番目じゃないわ、三番目だ」

「は?」

 若田の眉間に皺が寄る。

「この中には、僕ちんより強いかもしんないのがいるのよね。だから、あんた三番だわ」

 そう言った時、ナタリーが動いた。音もなく接近し、彼の腕を掴む。

「若田さん、私が桐山さんを反省室に連れていきますので」

 にっこり微笑み、頭を下げる。若田が何か言いかけた時、ナタリーは譲治の手を引き奥へと入っていく。譲治も、何の抵抗もせず素直に従っている。
 そんな二人を、若田は凄まじい形相で眺めていた。

 ・・・

 今の、何!?

 三村大翔は、呆然となっていた。
 もともと彼は、人見知りの引っ込み思案な性格である。人と争うことは好まない。他人を殴ったこともない。そんな性格が災いし、いじめに遭い不登校になってしまったのである。
 そんな大翔にとって、目の前で起きた一連の出来事は……彼の理解できるキャパシティを完全に超えていた。映画のアクションシーンも真っ青な場面を、実際に目撃してしまったのだから。
 とんでもないところに来ちゃったよ……と大翔は不安を覚えながらも、その目はナタリーの後ろ姿をそっと見送っていた。
 あんな女性《ひと》を見たのは初めてだ。メディアに登場する一山いくらのアイドルやモデルなど、比較にならない。顔の美しさはもちろん、言葉や行動に見られる大人の余裕。さらに、あの異様な少年に真っ向から対峙できる頼もしさ。
 確かに、とんでもない場所ではある。だが、ナタリーと出会うことが出来た……それだけが、唯一の収穫だ。



 大翔は、何もわかっていなかった。
 これから彼らの身に起きることは、「とんでもない」などという生易しい言葉で語れるものではなかったのだ。




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