鬼人たちの挽歌

板倉恭司

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八月二十日 バスの中

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 八月二十日、午後三時。
 大型バスが、昼の山道を走っていた。もっとも山道とは名ばかりで、急なものではない。周囲は緑に覆われているが、道路そのものはきちんと整備されている。見通しも良く、急なカーブもない。事実、この道路で今までに事故が起きたことはなかった。
 バスの中には、十人が乗っている。うち六人は、十代の少年少女だ。あとは、社団福祉法人『ガリラヤの地』に所属する職員とバスの運転手である。職員も運転手も男だ。
 乗っている少年少女たちは皆『鬼灯ほおずき親交会』の参加者である。それぞれに事情を抱えており、この会に参加することとなったのだが、中の空気は殺伐としている。ほとんどの者がバラバラに座っており、お互いを完全に無視している。
 それも仕方ないだろう。彼らのほとんどが、両親により半強制的に参加させられた者である。気分がいいわけがない。自らの意思で参加したのは、二人だけなのだ。
 その奇特な二人の片割れが、桐山譲治である。黒いTシャツと、ポケットがたくさん付いたカーゴパンツ姿だ。

「ねえ伽耶ちゃん、向こうに着いたら何して遊ぼうか」

 ヘラヘラ笑いながら、譲治は隣に座っている少女に話しかける。
 だが、話しかけられた山村伽耶は渋い表情だ。

「あのさ、さっきから何度も言ってるじゃん。遊びに来たわけじゃないんだよ」

 そう言って、じろりと譲治を睨む。彼女こそ、自らの意思で参加した奇特な二人のもう片方である。その視線の先には窓があり、豊かな自然が広がっている。人工的な建造物は全く見えない。それどころか、走る車とも遭遇していない。
 そんな風景を見ている伽耶に、譲治は馴れ馴れしい態度で語りかける。

「何言ってんのよ。俺は、伽耶ちゃんがいるから参加したのん。でなきゃ、こんなとこ来ないのよう。ねえ、この素晴らしい大自然の中で、お互い全裸マッパになって、獣のように激しく愛しあうってのはどう? すっげえ燃えると思うよ」

 言いながら、譲治は顔を近づけて来る。伽耶は、露骨に嫌そうな表情で睨んだ。

「絶対に嫌。あんた、やっぱりおかしい」

 ボソリと呟く。すると、譲治は悲しそうな表情を浮かべて顔を遠ざけた。

「伽耶ちゃんも、そんなこと言うんだ。確かに、俺は脳がイカレてるから、おかしいのは間違いないけどさあ──」

「ち、違うから! そういう意味で言ったんじゃないよ!」

 言葉を遮り、怒鳴る伽耶。譲治を睨みつけている彼女の顔はなかなか可愛らしいが、右側には紫色の痣があった。目の下から口元にかけ、矢印のような形の大きな痣だ。髪がショートカットのため、なおさら痣が目立つ。

「冗談だってばよう。マジにならないのん」

 譲治は、にやけた表情で片目をつぶる。その時、前の方の座席に座っていた少年が、凶悪な目つきでこちらを向いた。

「おい、てめえらうるせえぞ。静かにしろや」

 言葉の奥には、苛立ちがある。譲治は、面倒くさそうにちらりと見た。
 相手は座っている上、席をいくつか挟んでいるため判断は難しいが、かなりの高身長に見える。肩幅は広くガッチリした体格で、ソフトモヒカンの髪は茶色く染まっていた。両耳にはピアス付きで、面構えは凶悪そのものである。Tシャツから覗く太い腕には、タトゥーが見えた。喧嘩にも、相当の自信がありそうだ。
 この少年を一言で言い表すなら、チンピラという単語で済むであろう。こちらを睨む目には、露骨な敵意があった。
 だが、譲治に怯む気配はない。

「あー、ごめんちゃいね」

 ヘラヘラした表情で、頭を下げる。謝っている気持ちが、全く感じられない態度だ。
 その謝罪は、チンピラの怒りを収める役には立たなかった。かえって、怒りの炎に油を注ぐことになってしまった。

「んだと……てめえ、死にてえようだな」

 低い声で言いながら、チンピラは立ち上がった。百八十センチを超えていそうな長身だ。バスの中に、緊張が走る。
 その時、先頭の座席に座っていた男が動いた。走るバスの中を苦もなく動き、チンピラの横に立った。肩を軽く叩く。

「まあまあ、みんな仲良くやりましょう。これからは、しばらく共同生活をすることになるのですからね」

 にこやかな表情で、男は言った。この男、名前を若田和彦ワカタ カズヒコといい、イベントを主催した団体『ガリラヤの地』の職員である。
 チンピラより背は低いが、腕は太く胸板も厚い。Tシャツから覗く腕には、こぶのような筋肉の隆起がある。身長は百七十センチほどだが、分厚い筋肉に覆われた体は百キロはありそうだ。角刈りの頭と潰れた耳から察するに、柔道のような激しいコンタクトスポーツをみっちりやっていたのだろう。口元には笑みが浮かんでいるが、細い目は笑っていない。その体全体から、圧倒的な自信が窺える。
 さすがのチンピラも、こんな筋肉男が相手では引き下がらざるを得なかった。ちっと舌打ちし、座席に座る。
 すると若田は、満足げに頷いた。

千葉チバくん、今の君に必要なものは、自身の怒りをコントロールすることです。怒りを感じたら、深呼吸して五秒数えましょう。いいですね」

 いかつい体格に似合わない、丁寧な口調で語りかける。だが、千葉と呼ばれたチンピラは返事をしない。ふて腐れたような表情を浮かべつつ、窓の方を向いている。
 譲治の方はというと、ヘラヘラした態度で二人のやり取りを見ていた。
 やがて、バスの中をゆっくりと見回す。前の方の席に座っているのが、先ほど絡んで来た千葉だ。さらに、化粧の濃い金髪の少女がひとり、陰気なオタクっぽい少年がひとり、やたら存在感の薄い女がひとり。あとは、今の若田という男を始めとしたガリラヤの地の職員が三人、それと運転手。
 どうにもパッとしない面々だ。現地で野生のイノシシかヒグマでも出れば、気分は違ってくるのにい……などと思いながら、彼は伽耶の耳元に顔を近づけた。
 そっと囁く。

「なんかさあ、ロクな奴がいないねえ。俺、もう帰りたくなってきたよ。昔、野生の猿の群れの真ん中で、バナナ食った時の方がよっぽど面白かったのん」

 その言葉に、伽耶はきっとなって譲治を睨む。すると、譲治はニイと笑った。

「いっそのこと、こいつら全員殺しちゃおうか。そうすりゃ、早く帰れるかんね」 

「な、何を言ってるの……」

 伽耶の表情が歪み、体がわなわな震え出す。すると、譲治はクスリと笑った。

「冗談よ。冗談だってばよう」

「あんたが言うと、冗談にならないから。そういうの、本当にやめてよ」

 きつい表情で、伽耶は譲治を睨む。
 その時、別の座席に座っていた少女がこちらを向いた。目鼻立ちがはっきりしており、髪は金色で眉毛は細く、派手な化粧をしている。特にアイメイクには気合いが入っており、ピンク色のキャミソール姿と相まって品行方正で真面目なタイプではなさそうな印象を受ける。
 もっとも、美しい顔と綺麗なスタイルに絶大の自信がある彼女には、品行方正という評価は必要ないのだろう。人通りの多い場所で立っていれば、数分後には下心のある男から声をかけられるはずだ。いや、数秒後かもしれない。
 そんな彼女の美しい顔には、不快そうな表情が浮かんでいた。譲治と伽耶たちを睨みながら口を開く。

「あんたらさあ、空気読めないの? さっきから、あんたらがずっとイチャイチャしてっから、みんなムカついてんだよ」
 
「べ、別にイチャイチャなんかしてないから!」

 伽耶は立ち上がり、慌てた様子で叫んだ。すると、少女は伽耶の顔を……いや、痣をまじまじと見つめる。

「ああ、そんな顔じゃまともな男とイチャイチャ出来ないよね。ごめんごめん、貴重な機会を奪っちゃって。いいよ、好きにして」

 一応、謝罪の言葉を述べてはいるが、その顔には侮蔑の表情が浮かんでいた。優越感に満ちた瞳で伽耶に一瞥をくれると、少女はゆっくりと顔の向きを変える。
 直後、譲治が囁いた。

「俺さあ、山ん中であいつをバラバラに解体して、腎臓にアップルソースかけて食ってやりてえな。もう一度ふざけたこと言ったら、マジでるからね」

 伽耶は、歪んだ表情で譲治の方を向く。彼の顔を、まじまじと見つめた。
 傍から見れば、普段と同じく締まりのない表情でヘラヘラ笑っているようだった。だが、普段とは違う点もある。今の譲治の瞳には、本物の殺意が浮かんでいる。事実、彼は本気だった。
 その時、伽耶が譲治の手を掴む。

「お願いだから、やめて」

 声を震わせながら、彼女は囁いた。だが、譲治は首を横に振る。

「やめるかやめないかは、俺の決めることじゃないにゃん。あいつ次第なのん」

 とぼけた口調だが、譲治は人ひとりくらい簡単に殺す。その事実を、伽耶は間近で見て知っているのだ。彼女は、真剣な表情で囁いた。

「どうしても人を殺したいなら、まずあたしを殺して。あたしの命なら、いつでもあげるから」

 その途端、譲治の表情が変化した。梅干しを食べた直後のような悲しげな顔で、伽耶の方を向いた。

「ちょっとお、そういうのやめようよ。ンなこといわれたら、俺はどうすればいいのさあ。遊園地に入ったと思ったら、東京デスティニーランドだったような気分だよ」

 譲治の言葉の最後の部分は、伽耶には理解不能なものだったかもしれない。だが、返すべき言葉はわかったようだ。

「わかった。あたしはやめる。だから、あんたもやめて」

 強い口調である。伽耶の意思を感じさせる言葉だ。譲治は、ホールドアップの体勢のように両手を挙げて前を向いた。こう出られては、引くしかない。
 だが、すぐに彼女の方に向き直る。

「ねえ、着いたら何して遊ぼっか?」

「だから、遊びに来たんじゃないんだよ」

 不機嫌そうに、伽耶は言葉を返した。すると、譲治はカーゴパンツのポケットから、何かを取り出す。
 それは、ハンドグリップだった。ただし、かなり大きな物だ。譲治は、その大きなハンドグリップをカチャカチャ開閉させながら、懲りずに話しかける。

「山の中だったらさ、ターザンごっことか出来るかな。バンジーもやれるといいな。あ、泥に擬態するランボー2ごっこもいけるかも。一回、やってみたかったんだよね。ランボー2観たことある?」

「観たことない。だいたい、ランボー2ごっこって何なの。子供じゃないんだから」

 そう言うと、伽耶はハンドグリップをちらりと見た。

「あんた、本当にそれ好きだね」

「うん。なんか、これやってると落ち着くんだよね。高岡先生に言われたんだ、退屈したら体を動かせって」

 その途端、伽耶は笑みを浮かべた。

「高岡先生か。懐かしいね」

「うん。もう一度、会いたいのん。ま、向こうは俺みたいな人殺しには会いたくないだろうけどにゃ」

 ヘラヘラ笑いながら、譲治はハンドグリップを動かす。今度は、左手で握っていた。しかし、伽耶の表情は暗くなっていた。

「それやってる間は、おとなしくしててよ」

 言った後、伽耶は窓から見える風景に視線を移す。悲しげな瞳で、山道をじっと眺めていた。
 譲治はといえば、素直にハンドグリップを握っていた。軽々と開けたり閉めたりしている。
 だが実のところ、このハンドグリップは特注品なのである。キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズという、知る人ぞ知る品なのだ。同種の器具の中でもトップクラスの強度を誇る、世界的にも有名なブランドのハンドグリップである。しかも、譲治が握っているのは、シリーズでも最高の強度を誇るナンバー4である。
 このハンドグリップにはいくつか種類があるが、初心者向けといわれるナンバー1ですら、閉じるには握力が六十キロ以上必要だと言われている。ましてナンバー4は、常人では両腕の腕力を使っても閉じることは出来ないのだ。一説によると、握力が百六十キロ以上ないと閉じることは出来ない、といわれている。このナンバー4を閉じた……とアイアンマインド社より正式に認定された者は、世界でも数人しかいない。
 そんなハンドグリップを、譲治はヘラヘラ笑いながら開閉させている……わかる者が見れば、腰を抜かしてしまうような光景なのだ。少なくとも彼が、全人類でもトップクラスに入れる握力であるのは間違いない。
 非常に残念なことに、譲治が世界に誇りうるレベルの握力の持ち主であることには、誰も気づいていなかった。
 そう、バスの中にいる者のほとんどが、譲治の恐ろしさをわかっていなかったのだ。

 ・・・

 三村ミムラ大翔ハルトは、恐る恐る周囲を見回した。
 バスの中は、嫌な空気が漂っている。先ほどは大柄なヤンキーみたいな男と、小柄で軽薄な感じの男が喧嘩しそうになり、ゴリラのような体格の職員が止めに入っていた。さらに、化粧の濃い女と顔に痣のある女も、何やら険悪な雰囲気である。
 中学の時にいじめに遭い、以来ずっと引きこもっていた大翔。バスに乗るのも久しぶりだ。他人との共同生活に至っては、生まれて初めての体験である。
 言うまでもなく、彼は自ら望んで参加したわけではない。両親が勝手に参加させ、強制的にバスに乗せられたのだ。そんな彼にとって、険悪な空気に満ちたバスに乗っているのは、毛皮のコートを着てサウナに入っているような気分である。
 ふう、と溜息を吐いた。両親の考えはわかっている。地方議員である父の三村一樹ミムラ カズキは、来年の四月には知事選に打って出るつもりなのだ。次男である大翔が引きこもりニートであるという事実は、知事を目指す男にとってはマイナスでしかない。
 いや、知事どころではない。父の年齢は四十一歳、政治の世界ではまだ若手の部類だ。野心もある。県知事で満足するような男ではない。三村一樹の狙いは、更なる高みである。最終的には、総理大臣の椅子に座ることが目標なのだ。
 まずは統一地方選挙までに、何が何でも大翔を引きこもりニートから脱却させる。それこそが、両親の狙いだ。
 そして、今の自分には選択肢がない──


 


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