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伊達恭介という極めて恐ろしい裏社会の住人
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「おい瀬川、これはどういうことだ?」
大塚は、隣にいる部下に尋ねる。いや、尋ねるというより詰問という方が正確だろう。
しかし瀬川は、困惑した様子でかぶりを振った。
「わかりません。自分は、大塚さんとここに来いとだけ言われたので……」
ふたりは今、白志館学園の地下教室にいる。大塚が、ルミの肉体を貪る時に使用している部屋だ。
無論、瀬川はそんな事情は知らない。大塚とて、こんな場所に来たくはなかった。しかし、今回ばかりは断ることも出来なかった。
なぜなら、呼び出したのは神居家の人間だからだ。
不意に、足音が聞こえてきた。大塚は、表情を堅くする。
やがて、教室にふたりの男が入ってきた。
片方は、ブランド物のスーツに身を固めている。中肉中背で地味な風貌だが、自信に溢れた表情である。いかつい大塚を目の前にしても、怯む様子がない。むしろ、取るに足らない者を見るかのような表情だ。
この男は、神居家の現当主である神居宗一郎の長男・神居秀康《カムイ ヒデヤス》だ。現在四十歳、次期当主の最有力候補と目されている人物である。本来なら、こんな所にひとりで出向く男ではない。
その隣には、奇妙な男がいる。年齢は二十代から三十代前半。肌は浅黒く、顔の造りからして純粋な日本人とは思えない。中肉中背で髪は短め、安物のスーツ姿だ。中小企業の若手社員といった雰囲気である。
「大塚さん、よく来てくれたね。実は、こちらの伊達恭介《ダテ キョウスケ》くんが我々に話があるそうなんだよ。ちょっと聞いてみようじゃないか」
会話の口火を切ったのは、秀康であった。次いで、恭介が口を開く。
「大塚さん、あんたはこの白志館学園に足しげく通っていたな。ボディーガードも連れず、何をしてたんだ?」
「ちょっと、いろいろあってな。それより、お前はどこの何者なんだ? 俺に、そんな口きけるような御身分のお方なのか?」
大塚の表情が変わっていた。秀康の前ではあるが、この青年の態度は許せない。
しかし、恭介は彼の言葉を無視し語り続ける。
「この白志館学園の理事長補佐をしている樫本はな、クラッシュっていう新種のドラッグを売りさばいてた。確か、士想会ではドラッグは御法度だったはずだ。先代の神居家当主である神居公純《カムイ キミズミ》氏も、士想会のその姿勢を評価していた。だからこそ、士想会には商売を許した。そうですよね秀康さん?」
恭介の言葉に、秀康は頷いた。
一方、大塚の顔色はまたしても変化する。彼は、樫本の商売を知ってはいた。だが、ずっと黙認していたのだ。
「そんなあんたが、薬物をさばいてた樫本とツルんでた……これは、マズいよね?」
からかうような口調の恭介を、大塚は睨みつける。彼とてヤクザの幹部だ。こんな局面は、何度も経験している。
「それは、お前の勝手な推測だよな。証拠はあるのか? まずは、証拠を持ってきてもらおうか」
低い声で凄んだが、目の前の若者は意に介さず語り続ける。
「それだけじゃねえ。昨日、岸田真治さんの死体が発見された。これ、あんたの仕業だろ?」
全く予期せぬ言葉だった。大塚にとって、岸田が死んだというニュース自体が初耳だ。彼は完全に混乱し、うろたえつつも怒鳴った。
「は、はあ!? バカ言ってんじゃねえ! なんで俺が──」
「岸田さんは、あんたのお気に入りのルミを連れ去った。それに怒ったあんたは、岸田さんの隠れ家に乗り込み、ボディガードの立花さんと岸田を射殺した」
そこで、恭介は呆れたような顔で首を振る。
「大塚さん、やっちまったなあ。あんた、もうおしまいだよ」
「ふざけるな! 俺は知らねえって言ってんだろうが!」
怒鳴り、恭介に詰め寄る大塚。が、その表情が硬直した。いつのまにか、腹に硬いものが押し付けられていたのだ。それが何か、わざわざ確認するまでもない。銃口である。
しかし、大塚の態度は見事なものだった。
「てめえ、どういうつもりだ。俺は士想会の大塚だぞ。そいつをぶっ放したら、てめえは生まれてきたことを後悔することになるぜ」
拳銃を腹に押し付けられているというのに、この男はまだハッタリをかましているのだ。怖くないはずがないのに、恐怖を完璧に隠し相手を睨みつけている。
並のチンピラだったら、引いていただろう。しかし、恭介は引かなかった。それどころか、クスリと笑ってみせたのだ。
「面白い。だったら後悔させてみてくれ」
言った直後、トリガーを引く──
銃弾が腹を貫き、大塚の顔が歪む。だが、それでも最後の意地を見せた。恭介の襟首を掴み、殴りかかっていった──
抵抗はそこまでだった。続いて放たれた銃弾は、大塚の眉間を正確に貫く。
銃弾は、大塚の意識を刈り取った。
帰り際、車に乗り込む秀康に向かい、恭介は深々と一礼した。
「これで、全てケリがつきました。白土市にいる士想会の仕切りは、あの瀬川に任せて問題ありません。後は俺に任せてください」
「わかった。岸田は、本当に厄介者だったよ。最近は、手がつけられなくなっていた。まさか、あんなに簡単に片付けてくれるとはな」
そう、最近の岸田は、やることがどんどんエスカレートしていた。神居家としても、この男のしでかしたことの後始末にはいささかうんざりしていたのだ。
しかも、この男にも神居家の財産の相続権がある。あんな男には、ビタ一文渡したくない……それが、現当主の宗一郎を除く神居一族の偽らざる本音であった。
そんな時、恭介が接触してきた。
(うちの人間が、岸田さんと揉めることになりそうです。この際、いっそ始末しませんか?)
秀康は、この提案を飲んだ。
そして今、白土市に吹き荒れた暴力の嵐は終わりを告げた。岸田真治はトチ狂った大塚啓一に殺され、伊達恭介がその仇を討った……という形で幕を閉じる。
終わりを見届け車に乗り込んだ秀康に向かい、恭介はニヤリと笑ってみせた。
「俺は、シドを信じていましたよ。奴は、俺と一緒に地獄を生き延びた男ですからね。この学園のことは、俺に任せてください。まともな学校に戻します。士想会と白土連盟の件も、明日には手打ちさせますから」
「そうか。これからは、君が岸田の後継者だ。頼んだよ」
その言葉を残し、秀康の乗る車は走り去っていった。
続いて、恭介も自身の車に乗り込む。運転席にいるのは瀬川だ。恭介の隣には、顔を包帯でぐるぐる巻きにした男が座っている。
恭介は、その男の肩をポンポン叩いた。馴れ馴れしい態度だが、相手はビクリとしている。
「樫本さんよう、これからは俺のために働いてもらうぜ。シドの奴は、今もあんたを殺したがってる。俺がいなかったら、あんた確実に死んでたぜ。感謝してくれよ」
そう、この男は樫本である。本来なら、獅道の手で殺されるはずだった。しかし、恭介が間に入り身柄を預かったのである。
恭介は、樫本の手腕を高く買っている。さらに、この男が白土市で築いた人脈も侮れない。だからこそ、部下として利用することにしたのだ。
もっとも、それはほんの一時のことである。恭介はいずれ、樫本が白土市で築き上げてきたものを根こそぎ奪う。
その後は、とある女に身柄を渡すつもりだ──
「あ、ありがとうございます」
「俺はな、岸田みたいに甘くはないぜ。この借りは、きっちり返してもらうからな」
「はい、わかりました」
神妙な態度で、樫本は返事をする。
すると、助手席にいる者がニヤリと笑う。片方の目に眼帯を付け、マスクで口を隠している女だ。
春山礼奈である。この女もまた、恭介に拾われた。己の人生を狂わせた樫本に、一生かけて復讐するつもりなのだ──
・・・
「この病院に入れておけるのは一ヶ月だ。あとは、お前が面倒をみなくちゃならねえ。つらいだろうが、頑張れよ」
「は、はい」
獅道の言葉に、希望は神妙な顔つきで頷いた。傍らにはナタリーがいる。少年を、複雑な表情で見つめていた。
彼らの前には、高い塀に囲まれた白い建物がある。周囲に民家はなく、広い野原の中にぽつんと巨大な建物がある光景は異様だった。
それも仕方ない話だった。なにせ、ここは精神科の閉鎖病棟なのだから……。
獅道ら三人は、真幌市に来ている。伊達恭介のはからいで、しばらく唯子を入院させることとなった。この病院は恭介の息がかかっており、存在しないはずの人間にも手厚い看護をしてくれる。
もっとも、それは期限付きである。この先も入院するなら、多額の金を支払うことになる。希望には、それは不可能だった。
複雑な表情で、病棟を見上げる希望。その時、獅道が分厚い封筒を彼に手渡した。
「百万ある。少ないが、何かの足しにはなるだろう」
だが、希望はかぶりを振った。
「いりません。その代わり、お願いがあります」
「なんだ? 俺に出来ることならやってやる」
聞き返しながらも、獅道は封筒を引っ込めようとはしていない。その顔には、穏やかな表情が浮かんでいた。
だが、その顔つきは一変する──
「ぼ、僕を、あなたの下で働かせてください!」
獅道は一瞬、相手が何を言っているのかわからなかった。唖然となり、目の前の少年を見つめる。一方、傍らにいるナタリーは、ふうと息を吐いた。まるで、この展開を予期していたかのように。
ややあって、事態を把握した獅道はようやく口を開いた。
「お前、何を言っているんだ?」
「僕は、あなたと一緒に仕事がしたいんです! あなたの下で働かせてください!」
少年の顔は、真剣そのものだった。獅道は、何かの冗談ではないかと彼の顔をじっくり見つめる。
やがて、獅道の表情が歪んだ。
「ふざけるな!」
怒鳴りつけ、希望の襟首を掴む──
「俺の仕事はな、甘いもんじゃねえ。人間をやめる覚悟が必要なんだよ。お前に、その覚悟があるのか?」
「か、構いません!」
持ち上げられ、体が半ば浮いている状態でありながらも、希望は言い返した。怯む素振りがない。
その態度に、獅道の方が怯んでいた。だが、すぐに次の一撃を放つ。
「いいか、俺の仕事じゃ変態との接触は日時茶飯事だ。石原みたいな奴とヤらなきゃならないことだってあるんだよ。お前、俺のために変態オヤジとヤれるか?」
これなら、希望とて引くだろう……と、咄嗟に思いついた言葉だった。少年の心の傷をえぐることになるが、それも致し方ない。
希望は今、どうかしている。通常ではありえない体験をし、何もかも失い、挙げ句にこちらの世界に足を踏み入れる……獅道の辿ってきた道と、全く同じだ。それだけは避けなくてはならない。そのためなら、傷つけるのもやむを得ない。
ところが、獅道の予期せぬ答えが返ってきた。
「や、やれます! 高村さんがしろというなら、何でもします!」
希望は、必死の形相であった。絶対に屈しない、自分の思いを貫く……その強い意志が、ひ弱な少年に得体の知れぬ力を与えていたのだ。
では、希望の意志の根底にあるものは?
そこに思い至った時、さすがの獅道も愕然となる。だが、それは一瞬だった。希望を、強引に突き飛ばす。
希望は倒れ、地面に尻餅をついた。それでも引く気配はなく、きっと睨み返す。その目は、絶対に諦めないと言っている──
「うるせえ! 絶対にダメだ! お前みたいな足手まといなんかいらねえ! この金持って、とっとと消えろ!」
言いながら、しゃがみ込むと強引に封筒を押し付ける。すると、希望はその腕を掴んだ。美しい顔を歪め、涙を浮かべ訴えてくる。
「嫌です! こんな金いりません! あなたのそばにいさせてください!」
その時だった。横から、手がすっと伸びてくる。封筒を掴み、瞬時に奪い取った。
「はいはい。では、こうしよう。私が、この金を今回のギャラ代わりにいただく。で、シドはこの少年を雇う。これでどうだ?」
ナタリーだった。彼女は、ひとり冷静な態度で封筒をデニムの尻ポケットに突っ込む。
すると、獅道の怒りの矛先はナタリーへと移った。
「はあ? お前、何を言って──」
「まさか、こんな哀れな少年を無一文で放り出したりはしないよな? 生活するには金がいる。ならば、君の下で働かせるしかあるまい」
その言葉に、獅道は顔を歪めた。ナタリーを睨みつけるが、彼女の方も引く気配がない。冷めた表情で、じっと彼の視線を受け止めている。
無言のやり取りの末、獅道はチッと舌打ちした。負けを認めたのだ。立ち上がり、ぷいと横を向く。
「わかったよ。好きにしろ」
その言葉は、ナタリーと希望の双方に向けられたものだったろう。
途端に、希望は勢いよく立ち上がる。
「ありがとうございます! 僕、絶対にあなたの役に立って見せます!」
次いで、少年はナタリーへと目を向けた。
「ナタリーさんも、ありがとうございます」
言った後、ぺこりと頭を下げる。だが、彼女を見る希望の目には奇妙な感情があった。羨望と嫉妬の入り混じった複雑なものだ。
ナタリーは、それに気付かぬふりをした。
大塚は、隣にいる部下に尋ねる。いや、尋ねるというより詰問という方が正確だろう。
しかし瀬川は、困惑した様子でかぶりを振った。
「わかりません。自分は、大塚さんとここに来いとだけ言われたので……」
ふたりは今、白志館学園の地下教室にいる。大塚が、ルミの肉体を貪る時に使用している部屋だ。
無論、瀬川はそんな事情は知らない。大塚とて、こんな場所に来たくはなかった。しかし、今回ばかりは断ることも出来なかった。
なぜなら、呼び出したのは神居家の人間だからだ。
不意に、足音が聞こえてきた。大塚は、表情を堅くする。
やがて、教室にふたりの男が入ってきた。
片方は、ブランド物のスーツに身を固めている。中肉中背で地味な風貌だが、自信に溢れた表情である。いかつい大塚を目の前にしても、怯む様子がない。むしろ、取るに足らない者を見るかのような表情だ。
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その隣には、奇妙な男がいる。年齢は二十代から三十代前半。肌は浅黒く、顔の造りからして純粋な日本人とは思えない。中肉中背で髪は短め、安物のスーツ姿だ。中小企業の若手社員といった雰囲気である。
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「大塚さん、あんたはこの白志館学園に足しげく通っていたな。ボディーガードも連れず、何をしてたんだ?」
「ちょっと、いろいろあってな。それより、お前はどこの何者なんだ? 俺に、そんな口きけるような御身分のお方なのか?」
大塚の表情が変わっていた。秀康の前ではあるが、この青年の態度は許せない。
しかし、恭介は彼の言葉を無視し語り続ける。
「この白志館学園の理事長補佐をしている樫本はな、クラッシュっていう新種のドラッグを売りさばいてた。確か、士想会ではドラッグは御法度だったはずだ。先代の神居家当主である神居公純《カムイ キミズミ》氏も、士想会のその姿勢を評価していた。だからこそ、士想会には商売を許した。そうですよね秀康さん?」
恭介の言葉に、秀康は頷いた。
一方、大塚の顔色はまたしても変化する。彼は、樫本の商売を知ってはいた。だが、ずっと黙認していたのだ。
「そんなあんたが、薬物をさばいてた樫本とツルんでた……これは、マズいよね?」
からかうような口調の恭介を、大塚は睨みつける。彼とてヤクザの幹部だ。こんな局面は、何度も経験している。
「それは、お前の勝手な推測だよな。証拠はあるのか? まずは、証拠を持ってきてもらおうか」
低い声で凄んだが、目の前の若者は意に介さず語り続ける。
「それだけじゃねえ。昨日、岸田真治さんの死体が発見された。これ、あんたの仕業だろ?」
全く予期せぬ言葉だった。大塚にとって、岸田が死んだというニュース自体が初耳だ。彼は完全に混乱し、うろたえつつも怒鳴った。
「は、はあ!? バカ言ってんじゃねえ! なんで俺が──」
「岸田さんは、あんたのお気に入りのルミを連れ去った。それに怒ったあんたは、岸田さんの隠れ家に乗り込み、ボディガードの立花さんと岸田を射殺した」
そこで、恭介は呆れたような顔で首を振る。
「大塚さん、やっちまったなあ。あんた、もうおしまいだよ」
「ふざけるな! 俺は知らねえって言ってんだろうが!」
怒鳴り、恭介に詰め寄る大塚。が、その表情が硬直した。いつのまにか、腹に硬いものが押し付けられていたのだ。それが何か、わざわざ確認するまでもない。銃口である。
しかし、大塚の態度は見事なものだった。
「てめえ、どういうつもりだ。俺は士想会の大塚だぞ。そいつをぶっ放したら、てめえは生まれてきたことを後悔することになるぜ」
拳銃を腹に押し付けられているというのに、この男はまだハッタリをかましているのだ。怖くないはずがないのに、恐怖を完璧に隠し相手を睨みつけている。
並のチンピラだったら、引いていただろう。しかし、恭介は引かなかった。それどころか、クスリと笑ってみせたのだ。
「面白い。だったら後悔させてみてくれ」
言った直後、トリガーを引く──
銃弾が腹を貫き、大塚の顔が歪む。だが、それでも最後の意地を見せた。恭介の襟首を掴み、殴りかかっていった──
抵抗はそこまでだった。続いて放たれた銃弾は、大塚の眉間を正確に貫く。
銃弾は、大塚の意識を刈り取った。
帰り際、車に乗り込む秀康に向かい、恭介は深々と一礼した。
「これで、全てケリがつきました。白土市にいる士想会の仕切りは、あの瀬川に任せて問題ありません。後は俺に任せてください」
「わかった。岸田は、本当に厄介者だったよ。最近は、手がつけられなくなっていた。まさか、あんなに簡単に片付けてくれるとはな」
そう、最近の岸田は、やることがどんどんエスカレートしていた。神居家としても、この男のしでかしたことの後始末にはいささかうんざりしていたのだ。
しかも、この男にも神居家の財産の相続権がある。あんな男には、ビタ一文渡したくない……それが、現当主の宗一郎を除く神居一族の偽らざる本音であった。
そんな時、恭介が接触してきた。
(うちの人間が、岸田さんと揉めることになりそうです。この際、いっそ始末しませんか?)
秀康は、この提案を飲んだ。
そして今、白土市に吹き荒れた暴力の嵐は終わりを告げた。岸田真治はトチ狂った大塚啓一に殺され、伊達恭介がその仇を討った……という形で幕を閉じる。
終わりを見届け車に乗り込んだ秀康に向かい、恭介はニヤリと笑ってみせた。
「俺は、シドを信じていましたよ。奴は、俺と一緒に地獄を生き延びた男ですからね。この学園のことは、俺に任せてください。まともな学校に戻します。士想会と白土連盟の件も、明日には手打ちさせますから」
「そうか。これからは、君が岸田の後継者だ。頼んだよ」
その言葉を残し、秀康の乗る車は走り去っていった。
続いて、恭介も自身の車に乗り込む。運転席にいるのは瀬川だ。恭介の隣には、顔を包帯でぐるぐる巻きにした男が座っている。
恭介は、その男の肩をポンポン叩いた。馴れ馴れしい態度だが、相手はビクリとしている。
「樫本さんよう、これからは俺のために働いてもらうぜ。シドの奴は、今もあんたを殺したがってる。俺がいなかったら、あんた確実に死んでたぜ。感謝してくれよ」
そう、この男は樫本である。本来なら、獅道の手で殺されるはずだった。しかし、恭介が間に入り身柄を預かったのである。
恭介は、樫本の手腕を高く買っている。さらに、この男が白土市で築いた人脈も侮れない。だからこそ、部下として利用することにしたのだ。
もっとも、それはほんの一時のことである。恭介はいずれ、樫本が白土市で築き上げてきたものを根こそぎ奪う。
その後は、とある女に身柄を渡すつもりだ──
「あ、ありがとうございます」
「俺はな、岸田みたいに甘くはないぜ。この借りは、きっちり返してもらうからな」
「はい、わかりました」
神妙な態度で、樫本は返事をする。
すると、助手席にいる者がニヤリと笑う。片方の目に眼帯を付け、マスクで口を隠している女だ。
春山礼奈である。この女もまた、恭介に拾われた。己の人生を狂わせた樫本に、一生かけて復讐するつもりなのだ──
・・・
「この病院に入れておけるのは一ヶ月だ。あとは、お前が面倒をみなくちゃならねえ。つらいだろうが、頑張れよ」
「は、はい」
獅道の言葉に、希望は神妙な顔つきで頷いた。傍らにはナタリーがいる。少年を、複雑な表情で見つめていた。
彼らの前には、高い塀に囲まれた白い建物がある。周囲に民家はなく、広い野原の中にぽつんと巨大な建物がある光景は異様だった。
それも仕方ない話だった。なにせ、ここは精神科の閉鎖病棟なのだから……。
獅道ら三人は、真幌市に来ている。伊達恭介のはからいで、しばらく唯子を入院させることとなった。この病院は恭介の息がかかっており、存在しないはずの人間にも手厚い看護をしてくれる。
もっとも、それは期限付きである。この先も入院するなら、多額の金を支払うことになる。希望には、それは不可能だった。
複雑な表情で、病棟を見上げる希望。その時、獅道が分厚い封筒を彼に手渡した。
「百万ある。少ないが、何かの足しにはなるだろう」
だが、希望はかぶりを振った。
「いりません。その代わり、お願いがあります」
「なんだ? 俺に出来ることならやってやる」
聞き返しながらも、獅道は封筒を引っ込めようとはしていない。その顔には、穏やかな表情が浮かんでいた。
だが、その顔つきは一変する──
「ぼ、僕を、あなたの下で働かせてください!」
獅道は一瞬、相手が何を言っているのかわからなかった。唖然となり、目の前の少年を見つめる。一方、傍らにいるナタリーは、ふうと息を吐いた。まるで、この展開を予期していたかのように。
ややあって、事態を把握した獅道はようやく口を開いた。
「お前、何を言っているんだ?」
「僕は、あなたと一緒に仕事がしたいんです! あなたの下で働かせてください!」
少年の顔は、真剣そのものだった。獅道は、何かの冗談ではないかと彼の顔をじっくり見つめる。
やがて、獅道の表情が歪んだ。
「ふざけるな!」
怒鳴りつけ、希望の襟首を掴む──
「俺の仕事はな、甘いもんじゃねえ。人間をやめる覚悟が必要なんだよ。お前に、その覚悟があるのか?」
「か、構いません!」
持ち上げられ、体が半ば浮いている状態でありながらも、希望は言い返した。怯む素振りがない。
その態度に、獅道の方が怯んでいた。だが、すぐに次の一撃を放つ。
「いいか、俺の仕事じゃ変態との接触は日時茶飯事だ。石原みたいな奴とヤらなきゃならないことだってあるんだよ。お前、俺のために変態オヤジとヤれるか?」
これなら、希望とて引くだろう……と、咄嗟に思いついた言葉だった。少年の心の傷をえぐることになるが、それも致し方ない。
希望は今、どうかしている。通常ではありえない体験をし、何もかも失い、挙げ句にこちらの世界に足を踏み入れる……獅道の辿ってきた道と、全く同じだ。それだけは避けなくてはならない。そのためなら、傷つけるのもやむを得ない。
ところが、獅道の予期せぬ答えが返ってきた。
「や、やれます! 高村さんがしろというなら、何でもします!」
希望は、必死の形相であった。絶対に屈しない、自分の思いを貫く……その強い意志が、ひ弱な少年に得体の知れぬ力を与えていたのだ。
では、希望の意志の根底にあるものは?
そこに思い至った時、さすがの獅道も愕然となる。だが、それは一瞬だった。希望を、強引に突き飛ばす。
希望は倒れ、地面に尻餅をついた。それでも引く気配はなく、きっと睨み返す。その目は、絶対に諦めないと言っている──
「うるせえ! 絶対にダメだ! お前みたいな足手まといなんかいらねえ! この金持って、とっとと消えろ!」
言いながら、しゃがみ込むと強引に封筒を押し付ける。すると、希望はその腕を掴んだ。美しい顔を歪め、涙を浮かべ訴えてくる。
「嫌です! こんな金いりません! あなたのそばにいさせてください!」
その時だった。横から、手がすっと伸びてくる。封筒を掴み、瞬時に奪い取った。
「はいはい。では、こうしよう。私が、この金を今回のギャラ代わりにいただく。で、シドはこの少年を雇う。これでどうだ?」
ナタリーだった。彼女は、ひとり冷静な態度で封筒をデニムの尻ポケットに突っ込む。
すると、獅道の怒りの矛先はナタリーへと移った。
「はあ? お前、何を言って──」
「まさか、こんな哀れな少年を無一文で放り出したりはしないよな? 生活するには金がいる。ならば、君の下で働かせるしかあるまい」
その言葉に、獅道は顔を歪めた。ナタリーを睨みつけるが、彼女の方も引く気配がない。冷めた表情で、じっと彼の視線を受け止めている。
無言のやり取りの末、獅道はチッと舌打ちした。負けを認めたのだ。立ち上がり、ぷいと横を向く。
「わかったよ。好きにしろ」
その言葉は、ナタリーと希望の双方に向けられたものだったろう。
途端に、希望は勢いよく立ち上がる。
「ありがとうございます! 僕、絶対にあなたの役に立って見せます!」
次いで、少年はナタリーへと目を向けた。
「ナタリーさんも、ありがとうございます」
言った後、ぺこりと頭を下げる。だが、彼女を見る希望の目には奇妙な感情があった。羨望と嫉妬の入り混じった複雑なものだ。
ナタリーは、それに気付かぬふりをした。
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