胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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抗争という極めて愚かな行為の始まり

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「まず、最初に言っておく。お前らの事務所を襲ったのはウチの人間じゃねえ」 

 大塚啓一の言葉を、中谷雅司ナカヤ マサシは鼻で笑った。 

「ほう、そうですか。そう言われて、はい了解しました、と引き下がるとでも思っているんですか」

 明らかにバカにした口調だ。大塚の後ろにいる者たちの表情が、一気に険しくなる。
 その時、奥の席に座っていた立花薫が口を開く。

「おい中谷、俺がわざわざ来てやったのは、手打ちを見届けるためだぞ。ここで大塚さんに喧嘩売るってことは、俺にも喧嘩を売るのと同じことなんだよ。わかってんのか?」

 静かな口調ではある。だが、立花の目は鋭い。さすがの中谷も、引かざるを得なかった。

「いえ、そんな気はありません」

 


 士想会の幹部である大塚と、白土市を根城にしている半グレ集団『白土連盟』のナンバー2にあたる中谷。 
 この二大組織の大物が顔を合わせているのは、白土市内にある高級料亭の一室だ。お互いの後ろには、数人の構成員が控えている。双方は目を合わせないようにしてはいるが、殺伐とした空気が流れているのは間違いない。まさに一触即発であり、ちょっとした弾みで殺し合いを始めそうな雰囲気だ。 
 それも当然だろう。先日、士想会の組員である松山が何者かに拉致され、麻酔薬で昏睡状態にさせられる。眠っている間に、顔を変形させられるほどの暴行を受けた。しかも、きつく縛られた性器は壊死していたのだ。そのため、切断せざるを得なくなった。
 直後、今度は白土連盟の事務所が襲われた。それも、立て続けに二カ所だ。五人の構成員が拳銃で殺害され、現金が奪われる。さらに監禁されていた女たちが逃亡し警察に駆け込み、幹部と数人の構成員が逮捕される。
 こちらの事件は、士想会の報復だという噂が流れている。両組織の抗争の始まりだ、という噂も流れている。
 もっとも、大塚に心当たりはない。こんな命令を下した覚えはないし、ここまで手際よく襲撃を実行できるような子分はいない。士想会にしてみれば、迷惑以外の何物でもないのだ。この御時世、抗争などしても何の得にもならない。
 抗争を避けるため、大塚が中谷に連絡を取り、今回の会談と相成った。さらに白土市の裏社会における御意見番の立花にも連絡を取り、立会人として同席してもらった。
 本来なら、和やかムードの夕食会とならなくてはいけないのだが、完全に殺伐ムードである。既に午後八時を過ぎ、酒を飲んでも問題ない時間帯のはずだが、誰も手を付けていない。それどころか、居並ぶ者たちは水すら口にしていなかった。



「ウチの松山は、どっかのアホにえらい目に遭わされた。だがな、俺たちはそっちの仕業だなんて思ってねえよ」

 大塚の言葉に、中谷は口元を歪める。
 話題に上がっている松山純一マツヤマ ジュンイチは、白土市の裏社会では有名な男である。その顔とスタイルと口のうまさを駆使し、女たちに金を貢がせていた。白土市で商売をする士想会組員の中でも、五本の指に入る稼ぎ手だった。
 その分、トラブルも多かった。一月ほど前には、白土連盟に所属している男の彼女を寝取ったとかで、両組織の末端の者たちが小競り合いを起こしたこともある。
 その際にも、立花が間に入り手打ちをしたことにより、本格的な抗争は避けられた。だが、白土連盟の構成員たちの間では、今もくすぶるものがあるとの噂だ。士想会の構成員たちも、そのあたりの事情は知っていた。
 そんな白土連盟の幹部である中谷は、若干ではあるが不快そうな表情で口を開く。

「もちろん、松山さんに手を出したのはウチの人間じゃありません。ただ、今の大塚さんの言葉は、ちょっとおかしくないですかね?」

 言った後、ニイと薄ら笑いを浮かべた。この中谷は、まだ二十五歳だ。一見すると、夜な夜な繁華街を徘徊しているバカガキ、といった外見である。金色に染めた髪と白い肌と彫りの深い顔立ちは、女性の目を引きそうだ。少なくとも、頭のキレる印象を受けない。
 言うまでもなく、この男はただのバカではない。間違いなく頭はキレる。犯罪者という人種は、基本的に低学歴な者がほとんどだ。中卒が珍しくない業界である。だが、中谷は大学を卒業していた。その上、度胸もあるし人望もある。商才もなかなかのものだ。ヤクザの面子や古いしきたりなどにとらわれることなく、利益のみを考えて動ける男だった。業界内でも、一目置かれている。
 とはいえ、大塚から見れば若造であることに間違いない。年下の不良青年に笑われて、黙っているほど温厚ではなかった。

「何がおかしいんだ? 俺の言ったことに、笑えるようなところがあったのか?」

 大塚の表情も険しくなる。だが、中谷は怯まない。

「あのねえ、松山さんは顔をボコボコにされてチンポなくしただけですよね。あの人の今までやって来たこと考えてくださいよ。命がある分、まだマシじゃないですか」 

 その言葉に、後ろにいる白土連盟の若者たちが反応する。下卑た表情で、くすくす笑い出した。 

「女泣かせで有名な松山さんも、シノギの道が断たれちゃいましたね」 

「あの人も、女を転がせなくなっちゃあ終わりですねえ」 

 勝手なことを言っている彼らの顔には、露骨な悪意があった。
 それも仕方ない話なのだ。松山は、はっきり言って評判はよくなかった。同門である士想会にも、彼を良く言う者はいない。女に貢がせるしか能がない癖に態度のでかい奴……というのが、彼に対する評価である。もっとも、その大半が嫉妬から来ているものなのは間違いないが。
 ましてや他組織となると、松山に対しては悪口以外の言葉は聞かれなかった。特に白土連盟の構成員の中には、いつか殺ってやると息巻く者もいたくらいだ。そんな彼らにとって、今回の松山が受けた仕打ちは笑い話でしかない。
 もっとも大塚にしてみれば、白土連盟の者たちの言葉は聞きのがせなかった。彼は五十近い年齢だが、昔ながらのヤクザ気質は変わっていない。顔には数箇所、癒えることのない傷痕がある。かつて、武闘派としてならした若かりし時代の名残だ。

「お前ら、ナメてんのか? 松山は、ウチの人間なんだよ。あいつをバカにするってことは、士想会に喧嘩を売るってことなんだよ。その覚悟があって言ってんのか?」

 大塚の凄みの利いた言葉に、白土連盟の若者たちは押し黙った。すると、中谷はペこりと頭を下げる。

「お気に触ったなら謝りますよ。ただね、こっちはそれどころじゃないんですよね。そっちは松山さんひとり、しかも命を失ったわけじゃありません。ウチはね、五人も殺られてんですよ。今、その犯人を全力で捜させてます。見つけ次第、生まれてきたことを後悔させてやりますよ」 

 そこで、中谷は言葉を止めた。乾いた表情で、ニヤリと笑う。
 少しの間を置き、再び語り出した。

「そいつが、どこのヤクザもんだろうが関係ないです。必ずケジメ取らせますよ。生まれて来ない方がよかった、って思わせてやりますから」

 すると、大塚の目がスッと細くなる。 

「おい、そいつはどういう意味だ? ウチがやったとでも言いたいのか?」

「そうは言ってないですよ。ただね、相手が誰だろうが、きっちりケジメは取ります。でなきゃ、ウチもやっていけませんからね」

 そう言うと、中谷は立ち上がった。立花の方を向き、ペこりと頭を下げる。

「まあ、今回は立会人である立花さんの顔を立てますよ。ウチの連中には、バカはさせません。ただし、そちらの若い人たちも、きっちり押さえといてくださいよ。ウチの連中、みんなピリピリしてます。ちょっとしたことでも、大爆発を起こしそうですからね」

 ・・・

 松山純一のスマホには、ひっきりなしにメッセージが来ている。 
 無論、こうなる前にもメッセージは絶えなかった。だが、当時のメッセージの大半は女からのものだった。 
 今は違う。誰かもわからない相手から、数分おきにメッセージが来るのだ。 

(松山さん、男じゃなくなった気分はどうですか?) 

(いやあ、災難でしたね。いっそ、そのままニューハーフになったらどすか?) 

(手術の手間が省けて、良かったっすね!) 

 こんなふざけたメッセージが、何度も届くのだ。スマホを変えても、どうやって調べたのか、しつこくメッセージが続く。そのせいで、スマホの電源は切りっぱなしになっていた。 
 その上、彼は数日前から覚醒剤に手を出していた。ドラッグで、絶望感をまぎらわせるようになっていた。周囲には、ゴミを入れたビニール袋が散乱している。変形し見るも無惨な顔を見られたくないがために、外出もしていない。食事は、もっぱら出前だ。家に設置されていた鏡は、全て叩き割られている。ナルシストの彼にとって、醜く変わってしまった己の顔など見たくないからだ。ここしばらく、風呂にも入っていない。髪は伸び放題で、髭も剃っていなかった。 
 数日前までは、チリひとつ落ちていなかった彼の家だが、今ではゴミ屋敷に近い状態であった。周囲の者たちも、あいつは終わったと噂していた。

  
 その日も、松山は覚醒剤をやっていた。注射器を手に、自身の静脈へと針を突き刺す。うまく刺さったら、薬を注入していく。
 薬のもたらす束の間の快感で、どうにか気分を落ち着ける……つもりだった。 だが、実のところ気持ちは落ち着いていない。ドラッグにより思考能力や感覚を狂わせていただけだった。むしろ、以前より落ち着きはなくなっている。感情の起伏は激しくなっており、ちょっとしたことで爆発する状態になっていたのだ。 
 突然、玄関からガタンという音がした。松山は、ビクンとなる。もう、午後八時を過ぎている。宅配便の来る時間にしては遅い。そもそも、今日この時間帯に何か届くような予定もない。

「誰だ!」 

 喚くと同時に、引きだしにしまっておいた拳銃を取り出す。あれ以来、松山は拳銃を手放さない。 常に手の届く場所に置いている。
 そっと玄関に歩いて行った。最近、この部屋を訪れるのは出前の配達員と覚醒剤の売人だけだ。かつて彼に群がっていた女たちは、完全に手のひらを返してしまった。
 ドアポストを見てみる。入っていたのは、白い封筒だった。誰かが投げ込んでいったらしい。
 首を捻りながら、封筒の中身を見てみた。USBメモリと折り畳んだ紙切れが入っている。 
 紙切れを開いて見てみる。と、表情が一変した。 

(君をこんな目に遭わせた犯人が映っている) 

 松山は、震える手でメモリをテレビに差し入れた。

 画面には、派手な化粧の女が映し出されている。どこかの事務所だろうか。
 いや……松山は、この場所に見覚えがある。確か、白土連盟の田上明タガミ アキラが経営しているデリヘルだ。一度、ここの女に手を出して事務所に連れ込まれたことがある。その時は、士想会の名刺を出して事なきを得た。
 まさか田上が? 呆然となる松山の前で、女が口を開いた。

「ホントに? あんたが、松山の顔をボコボコにしたの?」 

 女は、いかにも驚いた表情を浮かべている。すると、田上は画面の方を向いた。カメラ目線でニヤリと笑う。 

「ああ、そうだよ。あのバカ、調子こいてんじゃん。だから去勢してやったよ。これで、あいつも終わりだな」 

 そう言って、田上はゲラゲラ笑った。 



 それだけで充分だった。松山は血走った目で拳銃を握り、すぐさま部屋を出ていく。 
 もし、彼が冷静な目でもう一度画面を見れば、おかしな点に気づけただろう。キャバ嬢と田上の口の動きと喋っている言葉が、明らかに違うのだ。 
 松山は頭に血が昇りやすいタイプだが、バカではない。普段なら、雑なフェイク動画であることに、すぐ気づけたはずだった。 
 しかし、ドラッグをキメていたことが、彼の運命を決定付けてしまった。 
 松山は、拳銃と大量の弾丸を用意し車に乗り込む。行く先は、先ほどのデリヘルだ。そこに行けば、田上はいるはず。いなかったら、事務所にいる下っ端を脅して吐かせるだけだ。 



 翌日、松山純一の名前は大きく報道された──
 ニュースによれば、松山は車をデリヘル事務所に突っ込ませた。さらに事務所の中に乗り込むと、拳銃を乱射する。中にいた田上明ら数人の男女を射殺した。その全員が、白土連盟に何かしらの関係がある者たちだ。 
 松山は、駆けつけた警官の説得にも応じず事務所に立てこもり、拳銃を撃ち続ける。説得は不可能と判断し、射殺の命令が下る。結果、特殊部隊のスナイパーが松山を射殺した。
 死体を調べてみると、大量の薬物反応があった。薬物の影響により、完全に正気を失っていたものと見られている。





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