胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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岸田真治という極めて不可解な男

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「岸田真治という男について語るには、まず白土市という地域の特異さについて説明しないといけないんだよな。ちょっと面倒くさいが、聞いてくれ」

 そう前置きすると、成宮亮は語り始めた。

 ・・・

 白土市は、四方を山に囲まれた地域である。そのため、昔は他の土地との交流や交易は難しかった。特に雪が降り積もる冬などは、余所との交流などまず不可能である。
 必然的に、白土で生まれ育った者同士の絆は強固なものになる。その結び付きは、傍から見れば異常であった。お上の命令より、土地の有力者の言葉の方が重い。村八分になった者を秘密裏に始末するなど、当たり前のことであった。白土から離れて住むことは出来ても、白土で育った者の匂いを消すことは出来ない……こんな言い伝えまであるくらいだ。
 そんな白土市で、古くから絶大なる権力を持っているのが神居カムイ家だ。かつて広大な土地を治めていた豪族の末裔であり、様々な人間と太いパイプを築いていた。かつて白土市では、神居家に従わざる者は人にあらず……とまで言われていたのだ。
 さすがに現在では、神居家の威光も以前ほどではない。それでも、各方面に未だ強い影響力を持つのも確かである。忖度そんたくという言葉は、神居家のためにあるようなものだ。法を破ってでも、神居家からの命令を果たす……こんな風に考えている者も少なからず存在する。影の支配者、などと呼ぶ者もいるくらいだ。
 そんな神居家の現当主である神居宗一郎カムイ ソウイチロウが。ロシア系ハーフの愛人に生ませた子供……それが、岸田真治である。



 完璧超人。
 学生時代、岸田に付けられたアダ名がそれだった。
 この男は幼い頃から、努力をした覚えがない。勉強、スポーツ、遊び、人間関係などなど、どんな分野も、人並み以上に上手くこなすことが出来た。学習面からいえば、成績は常にトップクラスである。自宅での勉強はしたことがなかったが、常に上位をキープしていられた。
 肉体面も同様だ。生まれつき腕力は強かったし、運動神経に優れ度胸もあった。素手の喧嘩には、負けたことがない。スポーツは、何をやっても人並み以上にこなせた。
 事実、中学に入ると同時に、岸田はあちこちの部から勧誘される。だが、岸田はその全てを断った。中にはその態度に腹を立て、岸田に殴りかかって行った者もいた。しかし、あっさりと返り討ちに遭い、すごすごと退散することとなった。
 それだけではない。父の宗一郎は、お世辞にもイケメンとは呼べないタイプである。母はロシア系の美女だが、父に似てしまえばブサメンのそしりを免れない……はずだった。
 ところが両者のDNAが奇妙な化学反応をおこしたのか、生まれた子供は稀にみる美しい顔であった。放っておいても女は寄ってくる。
 岸田の人生は、順調そのものであった。愛人の子とはいえ、神居家との繋がりもある。表の世界で富と力を手にしていた、はずだった。
 ところが、彼は裏の世界に足を踏み入れる。



 きっかけは、大学生の時だった。
 神居家の三男である神居公彦カムイ キミヒコが、町で外国人女に声をかける。その後の展開は早く、あれよあれよという間にホテルに連れ込むことに成功する。ところが、女はコロンビア人不良グループの一員だった。いわゆる美人局つつもたせにひっかかってしまったのである。ホテルを出た途端、待ち構えていたのは外国人の青年たちであった。
 その日のうちに、公彦はコロンビア人のチンピラに拉致されてしまう。彼らは、来日して間もなかった。白土市における神居家の影響力など、知るはずもない。
 その時、動いたのが岸田だった。どういうルートで知りえたかは不明だが、公彦の監禁された場所を一日も経たないうちに捜し当ててしまう。
 その後の対応は早かった。まず、トラックを調達した。もちろん盗難車である。次に、無人のトラックを猛スピードで走らせてコロンビア人アジトに突っ込ませた。荒事には慣れているはずのチンピラたちも、想定外の事態に対処できずオロオロするばかりだ。
 そこで、満を持して岸田が登場する。片腕である立花薫タチバナ カオルとともに乗り込んで行き、コロンビア人たちを全員叩きのめして公彦を救い出した。
 しかも、それだけで終わらせなかった。コロンビア人グループのリーダーと、公彦を誘惑した女を縛り上げた。直後、手下たちの見ている前でチェーンソーのスイッチを入れる。
 その後は、地獄のごとき光景が待っていた。岸田は、生きたままふたりの両足を切断したのだ。リーダーも女も、その場で激痛と大量出血によるショック症状を起こして死亡する。ふたりの苦痛の叫びは、獣の咆哮のようだったといわれている。
 見ていた手下たちは、全員が嘔吐していた。中には、失禁した者もいたくらいだ。現場は、大量の血液と糞尿と汚物にまみれていたという。生き残った者たちは、解放された翌日に全員が帰国した。
 そんなことをしでかした当の岸田はというと、返り血と飛び散った肉片を大量に浴びながら、チェーンソーを動かしていたという。ふたりの断末魔の悲鳴を聞きながら、鼻歌まじりで両足を切断していったのだ。
 そして「作業」が終わった時、その目はショック死した二人の顔に向けられていた。つまらないものでも見るかのような表情だったという──
 この一件で、岸田真治の名は白土市の裏社会に知れ渡る。あいつは完全に狂っている……と、ヤクザからも恐れられる存在と化した。付いたあだ名が、白土の狂犬である。もっとも、本人の前でそのあだ名を口にする者はいないが。
 以来、岸田は神居家のトラブルメイカーの座に収まった。神居家の表に出せない案件は、岸田が動くことになっている。

 ・・・

「てことは、岸田真治って男は、白土市の裏の世界を牛耳っている……というわけですか?」

 話を聞き終えた獅道が、おもむろに尋ねる。

「うーん、厳密には違うな。はっきり言うと、岸田はヤクザや半グレが何していようが、気にも留めないんだよ。あいつは単純に、その時その時の欲望のままに生きてる。今は、わけのわからん作品を創ることに没頭してるみたいだ。今の肩書は自称・芸術家だよ」

「何ですか、そりゃあ。となると、岸田は裏稼業にはさして興味ないってことですか?」

「そうさ。ただし、白土市で何かあれば奴は出てくる。血を見るのが大好きな男だからね。神居家の後ろ盾があるだけに、敵に回すと厄介だよ。だから、白土市でそっち関係の商売しようって連中は、必ず岸田もしくは立花に一言挨拶する。それが暗黙の掟なのさ」

 成宮が答えた時、レンが水の入ったコップを持って来る。成宮は頷き、水を一気に飲み干した。見ている獅道は、思わず微笑んだ。このレンという男、確かに常識はない。が、妙に気が回るところがある。今も、喋り続けて喉が渇いたのを見てとり、水を持って来たのだ。
 一息ついてから、成宮は再び語り出す。

「あいつは、単なる金持ちのボンボンじゃない。本物だよ。お前や伊達恭介や、レンと同類だ」

 その言葉に、横に控えているレンの表情が変わる。獅道もまた、険しい顔つきになっていた。だが、成宮は構わず語り続ける。

「岸田はな、裏の世界で初めて己を見出だしたんだよ。血みどろの修羅場の中で、生きる意味を知っちまったんだろうな。血を見るのが、好きで好きで仕方ないんだよ。あと、ボディーガードの立花ってのもヤバい。こいつも、白土市では有名な男さ。不死身の立花なんて二つ名まで持ってるような奴だよ」

「不死身の立花? なんとまあ、マンガチックなあだ名ですね」

「いや、それは大袈裟じゃないんだよ。昔、ヤクザ者の恨みをかってな、歩いているところを車で跳ね飛ばされたんだよ。それだけでは飽き足らず、倒れてる立花に、ピストルを五発撃ち込んだそうだ。にもかかわらず、奴は起き上がって相手を病院送りにしたんだよ。以来、立花は不死身だ……って評判になっちまった。白土市にいるヤクザも半グレも、立花には一目置いてる」

「なんか、舩坂弘みたいな奴ですね」

 獅道が軽口を叩いたが、成宮は舩坂弘を知らなかったらしい。反応せず話を続ける。

「それだけじゃない。白土の狂犬・岸田のリードを握っているのが、他ならぬ立花なんだよ。あの岸田の暴走に、ストップをかけられるのは立花だけだ。しかも、あいつは岸田と違い常識があって思慮深い。業界内の事情にも詳しい。白土市の裏社会における御意見番、といった存在だな」

「なるほど、思ったよりも面倒な男ですね」

 その時、ずっと黙っていたレンが口を開く。

「シド、ひとりで大丈夫なのか? 俺、手伝おうか?」

 真剣そのもの、といった表情だ。獅道は苦笑し、レンの肩をポンと叩く。

「お前は、ここでの仕事があるだろうが。大丈夫だよ。俺も、助っ人を呼んである。腕は確かだし、もうすぐ来るはずだ」

 言った後、再び成宮の方を向いた。

「そうだ。ついでに、白土市の主だった連中について教えてください。ヤクザや半グレの情報をね」

「それは構わないが、お前ホントに何する気だよ? 岸田真治だけじゃなく、他の連中の情報まで集めるとはな。白土市で戦争でも始める気か?」

「もちろん、第三次大戦です……と言いたいところですが、そこまで派手なもんじゃありませんよ。ちょっと大きなボヤ騒ぎで終える予定です」




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