ザイニンタチノマツロ

板倉恭司

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六月十日 隆司、新たな道ヘ踏み出す

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「お前、本気か? 本気で桑原さんの世話になる気なのか?」

 木戸清治は、真剣な面持ちで訪ねる。対する佐藤隆司もまた、真剣な顔で頷いた。

「ええ。もう、俺には何も残されちゃいません。こうなった以上、裏街道を歩いて行きますよ。今の俺には、それくらいしか出来そうにないんです」



 隆司と木戸は今、真幌駅の近くにある喫茶店に来ていた。店は小さく、六人ほどが入れば満員であろう。雰囲気は薄暗く、内装もお洒落とは言えない。
 しかも、店のマスターは人相が悪い上に、愛想の無い男である。先ほどから、ニコリともせずに立っている。果たして、これから現れる男たちを目の当たりにしても、今のような態度でいられるのだろうか。

 やがて、桑原徳馬が姿を現した。前に会った時と同じく、地味な紺色のスーツ姿に七三分けの髪型だ。掴みどころのない飄々とした態度で、のっそりと店に入って来る。
 その後ろからは、角刈りの大男が付いて来ている。小山のような体格で、スーツが窮屈そうだ。
 さらにもうひとり、小柄な痩せた男が入って来た。こちらもスーツ姿で、妙に不健康そうな顔つきだ。鼻は曲がり、耳も僅かながら潰れている。背は低く体も細いが、ムチのように鋭い雰囲気を漂わせていた。

「よう木戸、久しぶりだな。そして、お前は佐藤隆司だったな」

 桑原ほそう言うなり、隆司の前の席にどっかと腰を降ろす。その目は、隆司をじっと見据えている。全てを射抜いてしまうかのような鋭い視線だ。

「で、佐藤……俺に何の用だ?」

 不気味な笑みを浮かべて尋ねる。すると、木戸が口を挟んだ。

「ですから、こいつは桑原さんの下で働きたいと言って──」

「黙ってろ。俺はお前には聞いてねえ」

 凄みのある桑原の声に、木戸は一瞬で口を閉じた。一方、桑原は喋り続ける。

「佐藤よう、お前の口から直接聞きたいんだよ。俺に、何の用があるんだ?」

 その時、隆司は初めて畏怖の念というものを感じた。目の前にいる者が本物の怪物であることを、ようやく理解したのだ。
 隆司は刑務所に居た時、多くの犯罪者を見てきた。中には自分と同じく、人を殺してしまった者もいた。自称ヤクザもいたし、プロの犯罪者もいた。
 桑原は、そういった者たちとは根本的に違う。七三に分けた髪と眼鏡、安物のスーツ姿。一見すると、うだつの上がらない中年サラリーマンだ。自分を大きく見せようという意識が全く感じられない。
 だが、これは桑原の擬態なのだ。己の本性を隠し、近づいてきた者を食い殺す……あたかも食虫植物のように。桑原には虚勢を張る必要がないのだ。自らに対する圧倒的な自信……それが、彼を支えている。
 だからこそ、隆司はこの男を選んだ。

「桑原さん、俺をあなたの下で働かせてください。お願いします」

 そう言うと、隆司は頭を下げた。
 桑原は無言のまま、じっと隆司を見つめる。その瞳は冷たいままだ。一方、隆司の隣にいる木戸は、落ち着かない様子でキョロキョロしている。

「別に、うちは来る者は拒まねえよ。入りたきゃ入ればいい」

 桑原の発した言葉を聞き、隆司は顔を上げた。桑原の表情は、先ほどと全く変わっていない。

「だがな、ひとつ言っておくぞ。俺ん所は甘くねえし、また甘いことは言わねえ。俺が行けと言ったら、何でもやらなきゃならねえんだ。それに、俺の子分の中にはバラバラ死体になって発見された奴までいる。お前に、その覚悟はあるのか?」

 冷酷な表情を浮かべ、尋ねる桑原。横に座っている木戸は、思わず顔をひきつらせる。
 だが、隆司は表情ひとつ変えなかった。

「俺はもう、何もかも失いました。失うことの出来るものは、命くらいしか残されちゃいません。こんな命、今さら惜しくもありません」

 淡々とした口調で答える。そう、隆司は何もかも失ってしまった。もはや、この世に未練などない。生きているのは、ただ死にたくないからだ。生きるための理由など、どこにも無い。
 いったい、自分の人生とは何だったのだろうか。ごく普通に表街道を歩いていたはずなのに、いつの間にか道から大きく外れていた。

 なぜ、こんなことになってしまった?

 その問いに答えられる者など、どこにもいないのだろう。隆司にわかるのは、このやりきれない気分を埋めるには、何かに打ち込むしかないという事実だけだった。
 ならば、自分は悪党になる。もう、まともな社会では生きられない。

「そうか。ついでに、もうひとつ聞かせてくれや。なぜ俺の所を選んだ? 同じヤクザでも、銀星会やら士想会やら、他にいくらでもあっただろうが。なぜ、俺を選んだ?」

 なおも尋ねる桑原に、隆司は即答する。

「あなたは他のヤクザと違い、真実を言う人だからです」

(世間はな、前科者には厳しいんだよ。特に人殺しにはな……お前にどんな理由があろうと、世間は人殺しとしてしか見ない。お前がどんなに頑張って真っ当に生きたとしても、お前の人殺しというレッテルは消えやしないんだよ)

(渡る世間にはな、鬼しかいやしねえんだ。同じ鬼でも、俺たちみたいなヤクザもんの方が、お前の気持ちをわかってやれる分だけマシかもしれねえぞ)

 初めて会った日、桑原の発した言葉だ。
 その言葉は、確かに真実であった。残酷なくらいに……口ではどんなに綺麗事を言おうとも、自分の娘を殺人犯と結婚させようと思う父親など、この世にはいないのだから。

 すると、桑原はニヤリと笑った。

「わかった。地獄を見る覚悟があるなら付いてきな」






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