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六月八日 隆司、さらに理不尽な目に遭う
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気がついてみると、既に昼間になっていた。陽は高く昇り、部屋の中に射している。
佐藤隆司はむっくりと起き上がり、テレビの電源を入れる。同居人の芦田美礼は、既に仕事に行っていた。刑務所で叩き込まれていたはずの、早起きの習慣。しかし今は、昼まで眠る習慣がとって替わろうとしている。
テレビの画面に映し出されているものを何となしに見ながら、隆司は溜息をついた。何もかもが嫌になってきたのだ。いくら調べても、自分の過去を密告した者の正体は分からない。もっとも、最初から見つかることに期待していなかった。警察でも探偵でもない自分が、どうやったら見つけられるというのだろう。
ひょっとしたら、企業の人間が偶然に佐藤隆司という名前を調べてしまい……その結果、前科がある事が判明してしまったのかも知れないのだ。
今時、誰かが何かの弾みで知り合いの名前を調べたとしても不思議ではない。結果、自分の過去の事件を知ってしまったとしたら……その場合、何が起きるかは容易に想像がつく。
「おい、今度うちの会社にバイトで入った佐藤隆司って奴な、実は殺人犯らしいぜ!」
「マジかよ! とんでもねえ野郎だな! LINEでみんなに教えなきゃ!」
こんな会話が、社員たちの間で飛び交う事になるだろう。その結果、隆司の前科を大勢の人間が知ることとなるのだ。
もちろん、社員に悪意はない。自分が会社勤めをしていた時代に、同じことに遭遇していたなら、まず間違いなしに他の社員に触れ回っていただろう。
結局、前科者はどこまで行っても、前科の烙印からは逃れられないのだ。
(世間はな、前科者には厳しいんだよ。特に人殺しにはな……お前にどんな理由があろうと、世間は人殺しとしてしか見ない。お前がどんなに頑張って真っ当に生きたとしても、お前の人殺しというレッテルは消えやしないんだよ)
数日前に出会ったヤクザの言葉が、またしても脳裏に甦る。自分がいったい、何をしたと言うのだろうか。仮に、あの場で本田たちに言葉による説得を試みていたとしたら、連中は引いてくれたのだろうか?
いや、絶対に引かなかっただろう。奴らは美礼を拉致するかのような勢いだったのだ。自分が何を言おうが、奴らは止まらなかった。飢えた獣に、説得など通じない。
かといって、美礼を見捨てて逃げることも出来なかった。もし仮に、美礼をそのままにして逃げていたとしたら、自分は前科者にならずに済んだのだ。
隆司は、虚ろな表情で立ち上がった。気晴らしに、外を歩いてみよう。これ以上、家の中にこもっていたら、負の感情に押し潰されてしまいそうだ。
隆司は、のんびりと外を歩いた。考えてみれば、昨日から家にこもり、ずっと考え込んでいたのだ。外の空気を吸う、これは大事なことだ。
「そこのお前、佐藤隆司だな?」
不意に、後ろから声が聞こえてきた。隆司は、はっとなって振り返る。
そこに立っていたのは、黒いパーカーを着た男であった。身長はやや高く、肩幅は広い。パーカー越しにも、鍛えられた体なのが見てとれる。フードを目深にかぶっているため、顔は見えない。
「あんたこそ、誰だよ?」
言いながら、隆司は辺りを見回す。だが、人の姿はなかった。いつの間にか、人気の無い裏通りに来ていたらしい。
「俺が誰だろうと、てめえには関係ないだろうが……この人殺しが」
男は、低い声で凄む。すると、隆司の表情が変わった。
「何だと!?」
「人殺しのくせに、外を出歩いてんじゃねえよ。おう、人殺しが」
嘲るような口調で、言葉を繰り返す男。隆司は我を忘れた。自分の事情を知らないであろう人間に、何故こんなことを言われなくてはならない?
「てめえ!」
凄むと同時に、隆司は男に詰め寄って行く。だが次の瞬間、顔面に拳が飛んできた──
反射的に顔を逸らしたものの、速く強烈なパンチを二発もらってしまう。たまらず後ろに下がる。すると、今度は左足に重い一撃が炸裂した。
それは、まるで金属バットでフルスイングされたかのような衝撃だった。太ももに強烈な痛みが走り、たまらず隆司は崩れ落ちる。
「何だよ……人殺しのくせにヤワだな」
吐き捨てるように言い、さらに唾を吐くパーカーの男。隆司は足の痛みをこらえ、なおも立ち上がろうとする。
今度は、腹に強烈な一撃を食らった。息がつまりそうなショックを感じ、隆司はその場で悶絶した。
「人殺しが……だがな、今日はこのくらいにしておいてやるよ」
どのくらいの時間が経ったのだろう。
隆司は立ち上がった。殴られ蹴られ、そして倒れた自分……いかに人通りが少ない裏通りとはいえ、その光景を見ていた通行人もいたはずだった。にもかかわらず、誰も警察や救急車などを呼んでくれなかったらしい。
壁に手を突き、どうにか歩き出した。その時、不意に笑いがこみ上げてきた。
いったい何なのだろうか。なぜ、こんな目に遭わなくてはならないのか。確かに、自分は人殺しだ。だが、それに対する罰は受けたはず。刑務所の中で不自由な環境に耐えながら生活し、七年という刑期を終えて出所したのだ。
それなのに、バイトはクビになり、さらに今は見知らぬ男に叩きのめされたのだ。
人殺し、と罵られながら……見ず知らずの男に殴られ、そして蹴飛ばされた。
何もかも、俺ひとりが悪いのか?
全てが俺の責任で、俺はこの仕打ちを甘んじて受け入れなくてはならないのか?
どんな理不尽な目に遭おうとも……。
不意に、笑いがこみ上げてくる。隆司は、その場で笑った。笑うしかなかったのだ……この世界は、どこまで自分をいたぶれば気が済むのだろうか。
あの日から、自分の人生は完全に狂ってしまった。世間の人は言うだろう……罪を犯したお前が悪いのだ、と。
では、あの場でどうすれば良かったのだ?
美礼を見捨てて、ひとりで逃げれば良かったのか?
それとも、アクション映画の主人公のように、素手で三人を制圧すれば良かったのか?
そのどちらも、当時の自分には不可能だった。
いや、今さら過去を悔やんでも仕方ない。考えなくてはならないのは、見ず知らずの人間が自分を狙ってきたという事実だ。バイトをクビになった件もそうだが、明らかに何者かが自分を狙っているとしか思えない。
自分はこれから、どうすればいいのだろうか?
佐藤隆司はむっくりと起き上がり、テレビの電源を入れる。同居人の芦田美礼は、既に仕事に行っていた。刑務所で叩き込まれていたはずの、早起きの習慣。しかし今は、昼まで眠る習慣がとって替わろうとしている。
テレビの画面に映し出されているものを何となしに見ながら、隆司は溜息をついた。何もかもが嫌になってきたのだ。いくら調べても、自分の過去を密告した者の正体は分からない。もっとも、最初から見つかることに期待していなかった。警察でも探偵でもない自分が、どうやったら見つけられるというのだろう。
ひょっとしたら、企業の人間が偶然に佐藤隆司という名前を調べてしまい……その結果、前科がある事が判明してしまったのかも知れないのだ。
今時、誰かが何かの弾みで知り合いの名前を調べたとしても不思議ではない。結果、自分の過去の事件を知ってしまったとしたら……その場合、何が起きるかは容易に想像がつく。
「おい、今度うちの会社にバイトで入った佐藤隆司って奴な、実は殺人犯らしいぜ!」
「マジかよ! とんでもねえ野郎だな! LINEでみんなに教えなきゃ!」
こんな会話が、社員たちの間で飛び交う事になるだろう。その結果、隆司の前科を大勢の人間が知ることとなるのだ。
もちろん、社員に悪意はない。自分が会社勤めをしていた時代に、同じことに遭遇していたなら、まず間違いなしに他の社員に触れ回っていただろう。
結局、前科者はどこまで行っても、前科の烙印からは逃れられないのだ。
(世間はな、前科者には厳しいんだよ。特に人殺しにはな……お前にどんな理由があろうと、世間は人殺しとしてしか見ない。お前がどんなに頑張って真っ当に生きたとしても、お前の人殺しというレッテルは消えやしないんだよ)
数日前に出会ったヤクザの言葉が、またしても脳裏に甦る。自分がいったい、何をしたと言うのだろうか。仮に、あの場で本田たちに言葉による説得を試みていたとしたら、連中は引いてくれたのだろうか?
いや、絶対に引かなかっただろう。奴らは美礼を拉致するかのような勢いだったのだ。自分が何を言おうが、奴らは止まらなかった。飢えた獣に、説得など通じない。
かといって、美礼を見捨てて逃げることも出来なかった。もし仮に、美礼をそのままにして逃げていたとしたら、自分は前科者にならずに済んだのだ。
隆司は、虚ろな表情で立ち上がった。気晴らしに、外を歩いてみよう。これ以上、家の中にこもっていたら、負の感情に押し潰されてしまいそうだ。
隆司は、のんびりと外を歩いた。考えてみれば、昨日から家にこもり、ずっと考え込んでいたのだ。外の空気を吸う、これは大事なことだ。
「そこのお前、佐藤隆司だな?」
不意に、後ろから声が聞こえてきた。隆司は、はっとなって振り返る。
そこに立っていたのは、黒いパーカーを着た男であった。身長はやや高く、肩幅は広い。パーカー越しにも、鍛えられた体なのが見てとれる。フードを目深にかぶっているため、顔は見えない。
「あんたこそ、誰だよ?」
言いながら、隆司は辺りを見回す。だが、人の姿はなかった。いつの間にか、人気の無い裏通りに来ていたらしい。
「俺が誰だろうと、てめえには関係ないだろうが……この人殺しが」
男は、低い声で凄む。すると、隆司の表情が変わった。
「何だと!?」
「人殺しのくせに、外を出歩いてんじゃねえよ。おう、人殺しが」
嘲るような口調で、言葉を繰り返す男。隆司は我を忘れた。自分の事情を知らないであろう人間に、何故こんなことを言われなくてはならない?
「てめえ!」
凄むと同時に、隆司は男に詰め寄って行く。だが次の瞬間、顔面に拳が飛んできた──
反射的に顔を逸らしたものの、速く強烈なパンチを二発もらってしまう。たまらず後ろに下がる。すると、今度は左足に重い一撃が炸裂した。
それは、まるで金属バットでフルスイングされたかのような衝撃だった。太ももに強烈な痛みが走り、たまらず隆司は崩れ落ちる。
「何だよ……人殺しのくせにヤワだな」
吐き捨てるように言い、さらに唾を吐くパーカーの男。隆司は足の痛みをこらえ、なおも立ち上がろうとする。
今度は、腹に強烈な一撃を食らった。息がつまりそうなショックを感じ、隆司はその場で悶絶した。
「人殺しが……だがな、今日はこのくらいにしておいてやるよ」
どのくらいの時間が経ったのだろう。
隆司は立ち上がった。殴られ蹴られ、そして倒れた自分……いかに人通りが少ない裏通りとはいえ、その光景を見ていた通行人もいたはずだった。にもかかわらず、誰も警察や救急車などを呼んでくれなかったらしい。
壁に手を突き、どうにか歩き出した。その時、不意に笑いがこみ上げてきた。
いったい何なのだろうか。なぜ、こんな目に遭わなくてはならないのか。確かに、自分は人殺しだ。だが、それに対する罰は受けたはず。刑務所の中で不自由な環境に耐えながら生活し、七年という刑期を終えて出所したのだ。
それなのに、バイトはクビになり、さらに今は見知らぬ男に叩きのめされたのだ。
人殺し、と罵られながら……見ず知らずの男に殴られ、そして蹴飛ばされた。
何もかも、俺ひとりが悪いのか?
全てが俺の責任で、俺はこの仕打ちを甘んじて受け入れなくてはならないのか?
どんな理不尽な目に遭おうとも……。
不意に、笑いがこみ上げてくる。隆司は、その場で笑った。笑うしかなかったのだ……この世界は、どこまで自分をいたぶれば気が済むのだろうか。
あの日から、自分の人生は完全に狂ってしまった。世間の人は言うだろう……罪を犯したお前が悪いのだ、と。
では、あの場でどうすれば良かったのだ?
美礼を見捨てて、ひとりで逃げれば良かったのか?
それとも、アクション映画の主人公のように、素手で三人を制圧すれば良かったのか?
そのどちらも、当時の自分には不可能だった。
いや、今さら過去を悔やんでも仕方ない。考えなくてはならないのは、見ず知らずの人間が自分を狙ってきたという事実だ。バイトをクビになった件もそうだが、明らかに何者かが自分を狙っているとしか思えない。
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