23 / 41
六月六日 将太、思考の迷路にはまる
しおりを挟む
ふと気がつくと、既に夕方になっていた。
今日もまた、バイトを休んでしまっている。これで、二日目の無断欠勤だ。もはや、強制的にクビになってしまっているのではないだろうか。仮にクビになっていないとしても、どの面下げて出勤すればいいのやら……もう、バイトは辞めざるを得ないだろう。桜田将太は、思わず溜息をついた。
これから、どうすればいいのだろうか?
やがて、将太は立ち上がった。そして、部屋の中を歩き回る。まずは今、自分の身に何が起きているのか……それを知らなくてはならない。
昨日は、ポストの中に紙切れが入っていた。中には、あなたの家の近所には、殺人犯が住んでいます……と書かれていた。ノートのページを破り、そこにボールペンで書いてポストに直接放り込んだように見える。しかし、誰が何のために、こんなことをしたのだろう。
今朝、またしても奇妙な紙切れが入っていた。
(あなたの家のすぐ近くには、佐藤隆司という名の殺人犯が住んでいます)
佐藤隆司とは、いったい何者なのだろうか。まったく聞き覚えの無い名前だが、本当に殺人犯なのだろうか……将太は念のため、佐藤隆司という名前をネットで検索してみた。だが、ヒットした件数はあまりにも多過ぎる。軽く一万件を超えてしまっているのだ……いくら何でも、これでは埒があかない。
そこで今度は「佐藤隆司 逮捕」で検索してみた。すると、ひとつの事件が浮かび上がってきたのだ。
今から八年ほど前のことだ。路上で数人の若者と口論になり、落ちていた角材を振り回してひとりを殴り殺し、ふたりに怪我を負わせた男がいたらしい。男は駆けつけた警官に、傷害致死の現行犯で逮捕されたとのことである。その男の名前が、佐藤隆司だった。
となると、その佐藤隆司が刑務所を出所し、この真幌市に住んでいるのだろうか?
それにしても、人を殺しておいて十年も経たずに出て来るというのは……いくら何でも、刑が軽過ぎないだろうか。ひとりの人間を角材で殴り殺したような男が、僅か数年の刑で自由の身となり、この周辺をのうのうと出歩いていていいはずがない。
もし、そいつを見つけたら……。
俺がきっちり痛めつけてやる。
将太は、本気でそう思っていた。当の自分も人殺しであることなど、彼はすっかり失念している。将太にとって、闘いの末に人を死なせたことと殺人とは、また別のものなのだ。
これは将太に限らず、アンダーグラウンドの世界に生きる者たちに共通の意識でもある。彼らは皆、法律よりも彼らの中での掟を重んずるのだ。彼らにとって、自分たちの掟に反する者こそが悪なのである。
その掟に反する者には、個人的な形での制裁を加える。それが、彼らのやり方なのだ。暴走族やギャングといった連中も、ヤクザやマフィアのような集団も、その点に関しては変わらない。
その時、つけっぱなしだったテレビから、アナウンサーの声が聴こえてきた。
(昨夜、真幌市にて、またしても絞殺死体が発見されました。被害者は真幌市在住、十九歳の大学生である麻木洋子さんです。麻木さんはひとり暮らしをしており、自宅のリビングにて紐のようなもので首を絞められて殺害されていました。さらに現場には、灰色のネクタイが残されていた、とのことです。真幌市では、若い女性が絞殺される事件が相次いでおり、警察では関連を調べております……)
将太は、テレビの画面をじっと眺めた。そこに映し出されている情報に目を通していく。
どうやら、また絞殺魔の犠牲者が出たらしい。数日前から、真幌の絞殺魔などとマスコミが騒いでいる。しかし二日か三日ほど前に、怪しい男が警察に事情聴取を受けているという報道を聞いた気がするのだが……してみると、真犯人は別にいるのだろうか。
まあいい。今の自分には関係ないことだ。もし真犯人が目の前にいたら、確実に仕留めてやるのだが……それは無理な話である。
それよりも、この手紙のような紙切れを自分の家のポストに放り込んでいく者の目的は、いったい何なのだろうか。これで二度目である。もっとも、今の自分にはそれを知る術はないのだが。
いや、ちょっと待てよ。
その時ふと、将太の頭に妙な考えが浮かんだ。ひょっとしたら、その佐藤隆司こそが絞殺事件の真犯人なのではないだろうか。このメッセージを書いた者は、佐藤隆司の凶行を止めるために、自分に手紙という形で知らせているのではないのか?
しかし、将太は首を振った。いくら何でも、それはあり得ない。考え過ぎだ。そもそも、こんな回りくどい方法を使う必要などないだろう。
自分はどうかしている。こんな狭い部屋にじっと閉じ籠り、座ったまま考えてばかりいた。そのせいで、思考がおかしな方向に向いている。
やがて、将太は立ち上がった。両足を肩幅くらいに開き、左足を前に出す。次いで、両拳を顔の位置まで上げて構える。
その構えから、虚空めがけてパンチを繰り出す。鋭く早い左ジャブ、腰の回転を利かせた右ストレート、さらに体重を乗せた左フック……目に見えない何かに向かい、パンチを次々と繰り出す。
次第に、体が温まってきた。額には汗が滲んできている。それとともに、心のモヤモヤもすっきりしてくる。将太は頭の中に次々と湧いてくる雑念を、体を動かすことで振り払おうと考えたのだ。このままでは拉致があかない。今の自分は思考の迷宮にはまりこんでしまっている……まずは、気分を変えよう。
シャドーボクシングを続けているうち、全身から汗が滴り落ちていた。それでも、将太は動くことを止めない。虚空に向かい、拳を打ち出す。左ジャブ、右ストレート、左フック……多彩なパンチのコンビネーションを放っていく。体を動かし汗を流しながら、己の心の中で蠢いているものと真正面から向き合い、その声に耳を傾ける。
今さら、じたばたしても仕方ねえ。
まずは、相手の出方を窺うとするか。
ここはまず、様子見だ。普段通りに生活しよう。
そこまで考えた時、将太はある事実に気づいた。自分は恐らく、バイトをクビになっているはずだ。となると、この先の生活費をどうやって稼げばいいのだろう?
将太は動きを止めた。汗を拭き、水を飲む。こうなったら仕方ない。まずは、職探しに集中しよう。仕事が見つかるまでは、夜のトレーニングはお預けだ。当分の間、おとなしくしているとしよう。
今日もまた、バイトを休んでしまっている。これで、二日目の無断欠勤だ。もはや、強制的にクビになってしまっているのではないだろうか。仮にクビになっていないとしても、どの面下げて出勤すればいいのやら……もう、バイトは辞めざるを得ないだろう。桜田将太は、思わず溜息をついた。
これから、どうすればいいのだろうか?
やがて、将太は立ち上がった。そして、部屋の中を歩き回る。まずは今、自分の身に何が起きているのか……それを知らなくてはならない。
昨日は、ポストの中に紙切れが入っていた。中には、あなたの家の近所には、殺人犯が住んでいます……と書かれていた。ノートのページを破り、そこにボールペンで書いてポストに直接放り込んだように見える。しかし、誰が何のために、こんなことをしたのだろう。
今朝、またしても奇妙な紙切れが入っていた。
(あなたの家のすぐ近くには、佐藤隆司という名の殺人犯が住んでいます)
佐藤隆司とは、いったい何者なのだろうか。まったく聞き覚えの無い名前だが、本当に殺人犯なのだろうか……将太は念のため、佐藤隆司という名前をネットで検索してみた。だが、ヒットした件数はあまりにも多過ぎる。軽く一万件を超えてしまっているのだ……いくら何でも、これでは埒があかない。
そこで今度は「佐藤隆司 逮捕」で検索してみた。すると、ひとつの事件が浮かび上がってきたのだ。
今から八年ほど前のことだ。路上で数人の若者と口論になり、落ちていた角材を振り回してひとりを殴り殺し、ふたりに怪我を負わせた男がいたらしい。男は駆けつけた警官に、傷害致死の現行犯で逮捕されたとのことである。その男の名前が、佐藤隆司だった。
となると、その佐藤隆司が刑務所を出所し、この真幌市に住んでいるのだろうか?
それにしても、人を殺しておいて十年も経たずに出て来るというのは……いくら何でも、刑が軽過ぎないだろうか。ひとりの人間を角材で殴り殺したような男が、僅か数年の刑で自由の身となり、この周辺をのうのうと出歩いていていいはずがない。
もし、そいつを見つけたら……。
俺がきっちり痛めつけてやる。
将太は、本気でそう思っていた。当の自分も人殺しであることなど、彼はすっかり失念している。将太にとって、闘いの末に人を死なせたことと殺人とは、また別のものなのだ。
これは将太に限らず、アンダーグラウンドの世界に生きる者たちに共通の意識でもある。彼らは皆、法律よりも彼らの中での掟を重んずるのだ。彼らにとって、自分たちの掟に反する者こそが悪なのである。
その掟に反する者には、個人的な形での制裁を加える。それが、彼らのやり方なのだ。暴走族やギャングといった連中も、ヤクザやマフィアのような集団も、その点に関しては変わらない。
その時、つけっぱなしだったテレビから、アナウンサーの声が聴こえてきた。
(昨夜、真幌市にて、またしても絞殺死体が発見されました。被害者は真幌市在住、十九歳の大学生である麻木洋子さんです。麻木さんはひとり暮らしをしており、自宅のリビングにて紐のようなもので首を絞められて殺害されていました。さらに現場には、灰色のネクタイが残されていた、とのことです。真幌市では、若い女性が絞殺される事件が相次いでおり、警察では関連を調べております……)
将太は、テレビの画面をじっと眺めた。そこに映し出されている情報に目を通していく。
どうやら、また絞殺魔の犠牲者が出たらしい。数日前から、真幌の絞殺魔などとマスコミが騒いでいる。しかし二日か三日ほど前に、怪しい男が警察に事情聴取を受けているという報道を聞いた気がするのだが……してみると、真犯人は別にいるのだろうか。
まあいい。今の自分には関係ないことだ。もし真犯人が目の前にいたら、確実に仕留めてやるのだが……それは無理な話である。
それよりも、この手紙のような紙切れを自分の家のポストに放り込んでいく者の目的は、いったい何なのだろうか。これで二度目である。もっとも、今の自分にはそれを知る術はないのだが。
いや、ちょっと待てよ。
その時ふと、将太の頭に妙な考えが浮かんだ。ひょっとしたら、その佐藤隆司こそが絞殺事件の真犯人なのではないだろうか。このメッセージを書いた者は、佐藤隆司の凶行を止めるために、自分に手紙という形で知らせているのではないのか?
しかし、将太は首を振った。いくら何でも、それはあり得ない。考え過ぎだ。そもそも、こんな回りくどい方法を使う必要などないだろう。
自分はどうかしている。こんな狭い部屋にじっと閉じ籠り、座ったまま考えてばかりいた。そのせいで、思考がおかしな方向に向いている。
やがて、将太は立ち上がった。両足を肩幅くらいに開き、左足を前に出す。次いで、両拳を顔の位置まで上げて構える。
その構えから、虚空めがけてパンチを繰り出す。鋭く早い左ジャブ、腰の回転を利かせた右ストレート、さらに体重を乗せた左フック……目に見えない何かに向かい、パンチを次々と繰り出す。
次第に、体が温まってきた。額には汗が滲んできている。それとともに、心のモヤモヤもすっきりしてくる。将太は頭の中に次々と湧いてくる雑念を、体を動かすことで振り払おうと考えたのだ。このままでは拉致があかない。今の自分は思考の迷宮にはまりこんでしまっている……まずは、気分を変えよう。
シャドーボクシングを続けているうち、全身から汗が滴り落ちていた。それでも、将太は動くことを止めない。虚空に向かい、拳を打ち出す。左ジャブ、右ストレート、左フック……多彩なパンチのコンビネーションを放っていく。体を動かし汗を流しながら、己の心の中で蠢いているものと真正面から向き合い、その声に耳を傾ける。
今さら、じたばたしても仕方ねえ。
まずは、相手の出方を窺うとするか。
ここはまず、様子見だ。普段通りに生活しよう。
そこまで考えた時、将太はある事実に気づいた。自分は恐らく、バイトをクビになっているはずだ。となると、この先の生活費をどうやって稼げばいいのだろう?
将太は動きを止めた。汗を拭き、水を飲む。こうなったら仕方ない。まずは、職探しに集中しよう。仕事が見つかるまでは、夜のトレーニングはお預けだ。当分の間、おとなしくしているとしよう。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
悪魔との取り引き
板倉恭司
ミステリー
スマホも通じない山奥に存在している奇妙なコミュニティー・御手洗村。ここに住むのは、様々な問題を抱えた四つの家族。彼らの生活を手助けするのは、高木和馬という資産家と西野昭夫という青年である。皆は、世間と隔絶し閉ざされた世界の中で平和に暮らしていた。
そんな村に、奇妙な男が訪れる。彼は、強靭な肉体と全てを見通す目を持つ最凶最悪の怪物であった──
※残酷な描写、胸糞な展開があります。また、ハッピーエンドと呼べる終わり方ではありません。
さらば真友よ
板倉恭司
ミステリー
ある日、警察は野口明彦という男を逮捕する。彼の容疑は、正当な理由なくスタンガンと手錠を持ち歩いていた軽犯罪法違反だ。しかし、警察の真の狙いは別にあった。二十日間の拘留中に証拠固めと自供を狙う警察と、別件逮捕を盾に逃げ切りを狙う野口の攻防……その合間に、ひとりの少年が怪物と化すまでの半生を描いた推理作品。
※物語の半ばから、グロいシーンが出る予定です。苦手な方は注意してください。
凶気の呼び声~狭間の世界にうごめく者~
板倉恭司
ミステリー
少年は小説家を目指し作品を書き続けていたが、誰も彼の作品を読まなかった。ある日、少年は恐ろしい男に出会ってしまう……悪魔の気まぐれにより、運命が交錯する四人の男たち。非日常に憧れる少年。裏の世界で生きる仕事人。異様な生活を送るサラリーマン。復讐のため堕ちていく青年。彼らの人生は複雑に絡み合い、やがて恐ろしい事件へ──
RoomNunmber「000」
誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。
そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて……
丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。
二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか?
※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。
※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
木野友則の悪意
水沢ながる
ミステリー
世界観を同じくする連作の十話目。これ単独でも楽しめると思います。
災害により、学校の敷地内に閉じ込められた生徒達。その中で起きたのは、殺人事件だった。
芦田風太郎先生が顧問を務める、演劇部の生徒達の登場編。
この作品は、他サイトでも公開しています。
復讐の旋律
北川 悠
ミステリー
昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。
復讐の旋律 あらすじ
田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。
県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。
事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?
まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです……
よかったら読んでみてください。
ダブルネーム
しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する!
四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる