獄界都市

板倉恭司

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奇跡

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 この日、来夢市は戦場と化した。
  トラック、自動小銃。ロケットランチャーといつた武器を使用し、大勢の犠牲者を出した通り魔事件。いや、ここまで来ると、テロと呼んだ方が適切かも知れない。大半の人間は田渕を非難したが、一方で「彼も被害者」「真の悪はラエム教」という意も見られた。
 警察は、まず田淵が武器を入手したルートを調べてはみたものの、全くのお手上げであった。手がかりひとつ見つからない。
 もっとも、田淵を射殺した教団関係者が使用した拳銃については別だ。入手経路から使用所持に至るまで、きっちりと解明した。逮捕者は十人を超えており、教団にとってダメージとなっている。事実、事件から一月も経たぬうちに、千人近い信者が脱会したという。
 しかも、これはまだ始まりでしかない。ラエム教を解散にまで追い込むため、警察はさらなる攻撃をかけるつもりだ。
 全ては、田淵が起こした事件が発端となっている。



 その田淵が、自動小銃を乱射していた頃。

 ペドロは、とあるビルの廊下を歩いていた。黒いTシャツにデニムパンツの中年男だ。身長はさほど高くないが、二の腕を覆う筋肉は目を見張るばかりだ。
 外では、大勢の若者たちが倒れていた。全員、だらしない表情で口を開けたまま伸びている。ペドロにやられたのだが、誰も通報ほしていない。この周辺の住民は皆、田淵の動向を固唾を呑んで見守っている。警察も救急車も、今は来ないであろう。

 ペドロは迷うことなく、暗い廊下の中を進んでいった。やがて、ひとつのドアの前で立ち止まる。
 ノブを捻ると、簡単に回った。ドアを開け、中にいる人物に恭しく頭を下げる。

「やあ、はじめまして。俺の名はペドロだ。何が起きたのか、だいたいは把握されているよね?」

 流暢な言葉で自己紹介するペドロに、静香は歪んだ表情で頷いた。 

「そうだよ。あなたが来た、ということは、剛田薫は死んだのね」

「彼の死を確認してはいない。だが、おそらく死んだと思うよ」

「そう……」

 静香は、目を逸らしうつむいた。その瞳からは、一筋の涙が溢れる。
 あの男が、本当に愛していたのは野口憲剛だった。しかし、野口が愛していたのは静香だった。そして静香は、小学生の時から剛田に思いを寄せていた。
 三人が三人とも、相手への気持ちを押し殺し友人として接していた。心のどこかに、この関係を崩したくないという気持ちがあったのだろう。
 だが、結果はこうなった。神は、静香をどこまで苦しめる気なのか。この世界は、ただただ残酷なだけだ。
 もう、どうなってもいい──

「ひとつ教えてくれないかな。君は、剛田氏が死ぬことを予知できていたはずだ。」

 むせび泣く静香に、ペドロは何のためらいもなく聞いてきた。お前の悲しみなど、俺の知ったことではないとでも言わんばかりの態度だ。
 静香は涙を拭い、ペドロを睨みつける。

「これは仕方ないことだよ。あいつは、これまで大勢の人間の命を奪ってきた。また、多くの人を壊してもきた。あいつはもう、あたしの知っている熊田剛士じゃない。身も心も、醜い化け物に成り果てていたんだよ。これ以上、化け物と化したあいつを見たくない」

 そう、剛田のやることや考え方に、最近の静香はついていけないものを感じていた。人の命を、虫けらのように奪っていった。彼が殺した数は、百では済まないだろう。
 さらには、顔をグチャグチャなものに整形し、檻に閉じ込めて嘲笑う……もはや、人とは思えない。
 剛田の死を予知した時、静香を襲ったのは悲しみと……解放感に近いものだった。

「あなたの目的は、私だったのね?」

「そう。君の能力は本物だった。ぜひとも会ってみたいという人物がいて、俺が雇われた。手段を問わず、極秘裏に傷ひとつ付けない状態で君を連れてきて欲しい……とね。ところが、剛田薫氏のガードは硬い。君を無傷で連れ出すのは非常に難しい。なにせ、彼は地域の支配者にも等しい存在だ」

 ペドロは、日本語で淀みなく語っていく。声にも力があり、耳障りがよい。静香は、おとなしく聞き入っていま。

「そこで俺は、加納春彦氏を動かすことにした。結果は大成功だよ。加納氏は、こちらの期待通りに動いてくれた。彼は、噂以上の男だよ。いずれ、相まみえることとなるかも知れない」

 そこで、ペドロはくすりと笑う。自分と邂逅した時の態度を思い出したのだ。
 加納は、ペドロが来夢市に現れた……という情報を掴み、自分も動く決意をした。だが、実際に情報を流したのほ、ペドロの方である。この情報により、加納は動き出す……と読んでいたのだ。
 その読みは、見事に当たった。

「ひとつだけ頼みがあるの。それさえ聞いてくれたら、あなたに協力する」

 静香の言葉に、ペドロは笑みを浮かべ聞き返す。

「ひょっとして、野口憲剛氏のことかな?」

「何でも知っているのね」

 思わず苦笑した静香。この外国人もまた、超能力者なのではないだろうか。
 剛田は、最後まで野口を見捨てず、彼への想いを貫き通した。この十五年、目を覚ますと信じて待ち続けた。
 また、剛田が静香の世話をしていたのは、結局のところ予知能力を利用するためである。だが、野口の愛した女だから……という部分もあったのかも知れない。
 もっとも、静香にとって、剛田との生活は地獄のような日々だった。初恋の相手が狂っていき、人間から化け物へと変わっていくのを間近で見なくてはならないのだ。
 最初のうちは、自分ならこの男を変えられるのではないか……という淡い期待を持っていた。だが、その期待は水の泡でしかなかった。剛田は、自分が何を言おうが生き方ややり方を曲げようとはしなかった。
 しかも、自分はその化け物に協力せざるを得ない。結果、剛田はさらに大きく醜くなっていく。
 同じ化け物なら、何の感情も抱いていないペドロの方がマシだった。 

「心配しなくてもいい。野口氏の入院費は、全て支払う。彼が亡くなるか、あるいは目が覚めるまで……ね」

 穏やかな口調で答えたペドロ。その言葉に、嘘は感じられない。静香は、もうひとつ尋ねる。

「憲剛は、目を覚ますと思う?」

「どうだろうね。俺は医者じゃないから断言は出来ないが、まず無理だと思う。奇跡でも起これば、話は別だがね」



 ふたりの会話が交わされるのと同じ頃、来夢市のとある病院にて奇跡が起きていた。
 ベッドの上にいた患者が、目を開けたのだ。同時に、体に繋がれている機器が今までとは違う反応
する──

「こ、こんなことかあるのか!?」

「信じられない! すぐ剛田さんに連絡しろ!」

「それが、さっきから連絡とれないままなんですよ!」

 医師や看護師たちが騒ぎ立てる中、ベッドの上にいる男は、うつろな表情であたりを見回した。

「ここは……どこだ?」



 その時、剛田薫は既に命を失っていた。運命の皮肉と言うべきか、彼が死んだのとほぼ同じタイミングで、野口憲剛の意識が戻ったのである。

 ・・・

 この計画……カイザー・グロウ作戦は次のようなものだった。
 小林は、剛田が真琴とナタリーに目を付けていることを知っていた。また、自身が剛田の部下に尾行されていることもわかっていた。さらに、加納らの盗聴器が仕掛けられていることも知る。
 かなり不利な状況である。だが小林は、その不利な状況を上手く利用した。



 まずは、真琴とナタリーには何も知らせず、そのまま剛田との接触を続行してもらった。ここで、ふたりにドタキャンなどされると、剛田にこちらの意図が感づかれるかも知れない。
 結果、真琴とナタリーは囚われの身となる。危険な状況に置かれるが、命までは奪われまい。
 続いて、プラスチック爆弾による自爆……を装った爆破である。小林が死んだことにより、加納と木俣は仲間を見捨てて逃げ出した……はずだった。現に、盗聴していた部屋からは、そのような会話が聞こえていたのだ。
 剛田はともかく、少なくとも街にいる手下たちの気が緩んでいたのは間違いない。

 ところが、ここから状況は急転直下した。どうやって調べたのか、剛田の根城を加納が訪問する。小林が加納に与えた情報だが、そんなことを剛田らは知る由もない。何の武器も持たず、たったひとりで現れた加納に、さすがの剛田も完全に意表を突かれた。
 さらに、街中では田淵が自動小銃を撃つはロケットランチャーぶっ放すはの大暴れである。剛田は、動ける部下のほとんどを、そちらに回さざるを得ない。
 直後に現れたのは木俣だ。剛田と真正面から殴り合い、ノックアウトしてしまったのである。剛田にとって、初めての敗北だ。
 剛田にとって、敗北の味はどんなものだったのだろう。優れた人間なら、その敗北を糧にし、さらなる飛躍のきっかけに出来る。だが、剛田にそんな時間は与えられなかった。
 続いて登場した小林は、容赦なくトドメを刺してしまった──


 来夢市の事件から、ちょうど一週間が経った頃。
 小林は、ヘラヘラした態度で加納の事務所へと入っていく。今回の件の報酬を受け取るためだ。しかし、途端に顔が引きつった。
 事務所には、加納と木俣、それに真琴とナタリーがいる。加納以外は、今にも人を殺しに行きそうな怖い表情を浮かべていた。その殺意を秘めた目線は、小林に向けられている。

「み、皆さん……どうかしましたか?」

 おずおずと聞いてみたところ、まず口火を切ったのは木俣だった。

「小林……悪いけどな、一発だけ殴らせてもらうぞ。顎を引いて歯を食いしばり、腕で顔面ガードしろ。それでも、腕は折れるかも知れねえけどな」

 言った直後、木俣は拳を振り上げた。その表情を見るに、本気で殴るつもりだ。
 小林ほ、慌ててかぶりを振る。

「待ってくださいよ! 死んだらどうすんですか? だいたい、なんで殴られなきゃいけないんですか?」

「俺たちまで騙しやがって! てめえを殴らねえと気が済まねえんだよ!」 

 吠えると同時に、木俣のパンチが放たれた。小林は咄嗟に顔をガードしたが、それでもブッ飛ばされた。床に倒れ、呻き声をあげる。
 それでも、木俣は収まらないらしい。

「てめえなあ、あんな作戦たてたなら前もって言えやぁ! 俺がどんな思いで電話きいてたかぁ! てめえわかってんかぁ!」

 吠える顔には、未だに包帯が巻かれ絆創膏が貼られている痛々しい姿だ。それでも、小林くらいなら簡単に殺せるだろう。

「す。すみませんでした」

 仰向けの状態ながら、慌てて謝る小林。だが、次の攻撃がきてしまった。

「あたしもだよぉ!」

 声と共に、飛び上がったのは真琴だ。次の瞬間、倒れている小林にヒップドロップが炸裂する。
 当たったのが顔面ならば、ある種の人々には御褒美になっていたのかも知れない。しかし、着地したのは腹だった。小林の口から、また呻き声が漏れ表情が歪んだ。かなり効いたのだろう。
 しかし、まだお仕置きは終わらない。真琴は馬乗りの体勢で、真琴は小林の襟首を掴み顔を近づけた。

「どんな神経してんだよぉ! あんたが死んだって聞かされて、あたしがどんな気持ちだったかわかってんのかよぉ! また同じことやったら、今度はタマ踏んづけるからな!」

 耳元で怒鳴った後、真琴は立ち上がる。

「木俣さん! すっげームカつくからパフェでも食べに行こ!」

「おう、食べに行くか」

 言ったかと思うと、ふたりは怒りも露わに出ていった。

「あいててて……それにしても、あのふたり、いつの間に仲良くなったんです?」

 顔をしかめ立ち上がる小林に、ナタリーが苦笑しつつ近づく。

「さあね。君という共通の敵が出来たことが、原因かもしれないな。ただ、君にもやり過ぎの感ほあったぞ」

 言いながら、小林の肩に軽くパンチを入れた。食らった林は、ペコリと頭を下げる。
 映画『ユーフォリア・サスペンス』に登場する伝説の悪党カイザーグロウ……だが映画のラストにて、そんな者は実在しないことが明らかになる。伝説も、詐欺師によって作られた話だった。この話題は、公園にて加納に話した際に出たものだ。木俣も隣にいたし、聞いていたはずだ。
 そして電話で小林は「飼い猫のカイザーグロウの世話を頼む」と言った。カイザーグロウは実在しない者である。つまりは、この話も全て嘘という意味を込めた。
 常人ならば、数日前の雑談に出てきた映画の登場人物の名など、いちいち覚えていないだろう。ましてや、あの短い時間でこちらの意図を完璧に読み取り、それに合わせた演技など不可能だ。
 しかし、小林は加納を信じた。あの男なら、必ずやってくれる……と。そして加納は、小林の期待完璧に応えてみせた。

「ところで……あの騒ぎだが、まさか君が仕組んだことではあるまいね?」

 不意にナタリーは、低い声で聞いてきた。同時に、表情も変わっている。目には、冷ややかな殺意が浮かんでいた。室内の空気が、一瞬で変わる。
 あの騒ぎとは、もちろん田淵のことである。彼女は、ああいった無差別テロが何より嫌いなのだ。あの騒ぎを仕組んだのが君なら、今すぐ殺すという意思表示だ──

「いいえ、違いますよ。私は、せいぜい端役ですね。この台本を書いたのは、ペドロです」

 言いながら、小林はすぐさま飛び退いた。
 ナタリーは、戦闘モードを崩さず睨みつけている。が、迷いもあるのは明らかだ。彼の言ったことが本当なのか、計りかねている。
 その時、加納が口を挟む。 

「あの時、僕と木俣も来夢市でペドロと名乗る人物にした。僕も、あいつが糸を引いていた気がする」

 穏やかな口調で言いながら、両者の間にさり気なく体を入れる。
 すると、ナタリーほ目を逸らしソファーに座る。どうやら、戦闘モードは解除されたらしい。小林はホッとしつう、加納に向かい口を開く。

「もう、ラエム教は終わりですよ。田淵を拳銃で射殺したシーンが、スマホで撮影されちまいましたからね。しかも、剛田の所にいた奴隷たちも解放されました。あいつのやったことは、全て明るみに出ています。今、ラエム教は信者からのクレームやマスコミからの取材対応に追われていますよ。もう、長くはないでしょう」

「では、君の念願も叶ったわけだね」

「そうですね。出来ることなら、猪狩寛水のドテッ腹に銃弾をぶち込んでやりたかったですが、その必要もなさそうです」

「そうだね。まあ、今さら君が手を降すまでもないよ」

 言った後、加納は物憂げな表情で溜息を吐いた。

「それにしても、あのペドロという男……出来ることなら、もう一度会ってみたいものだね」



 




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