舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月十六日 敦志の死闘

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「こいつは、本気でサンとかいう化け物を愛していたのか?」

 死体と化した徳郁を見つめ、呟くような声で尋ねた立島敦志。
 そう、彼には理解できなかった。ペドロから聞いた話によれば……初めは人間の女の姿をしていた者は、今や人間とはかけ離れた形へと変貌しているらしい。
 そんな怪物を守るために、徳郁は戦おうとしていた。さらに、敦志の前ではっきりと言ったのだ。

(お前らに何がわかる。俺はサンを愛してる。サンになら、食われても構わねえ)

「お前、やっぱり狂ってやがったのか?」

 死体を見下ろし、またも呟いていた。すると、ペドロが口を開く。

「自分に理解できない考えや思想は全て、狂っているの一言で片付ける……それは、誉められた態度とは言えないな。その悪しき姿勢について、君とじっくり話し合いたいところだが、今はそんな場合ではないらしい。見たまえ、あれを」

 そう言うと、ペドロは森の方を見つめる。今や、敦志の耳にもはっきりと聞こえてきた。異常な速さでここに向かって来る、巨大な生き物の立てる音だ。

 やがて、怪物が姿を現した。
 怪物は、想像していたほど大きくはなかった。身長そのものは百八十センチ強、といったところか。黒い毛に覆われた顔の半分近くを占めているのは、巨大な目であった。人間の瞳とは根本的に異なる、昆虫の複眼のような目が付いているのだ。腕は六本あり、全身を黒い毛で覆われている。まるでタランチュラのようだ。
 怪物の目は、一点を見つめていた。
 死体と化した徳郁を──

「キ、ラ?」

 怪物は、悲しげな声を発して立ち尽くしていた。呆然とした様子である、ように見える。徳郁の死に、ショックを受けているようにも見えた。
 その姿を見た敦志は、なぜか目を背けていた。怪物は今、悲しんでいる。徳郁が死んだことに対し、深い悲しみを露にしているのだ。
 これまでに何人もの人間を殺し、数々の修羅場を潜り抜けてきたはずの敦志だったが、今は動揺していた。
 こんな、得体の知れない怪物が実在する事に。
 その得体の知れない怪物が、人の死を前にして悲しみをあらわにしている光景に。
 次の瞬間、怪物は奇怪な叫び声を上げた。たとえようの無い深い悲しみと、激しい怒りに満ちた叫びだ。
 その奇怪な瞳が、こちらに向けられる。
 怪物は巨体を踊らせ、敦志に襲いかかってきた──

 敦志は、咄嗟に拳銃を構えた。怪物めがけ、トリガーを引く。
 轟く銃声。発射された弾丸は、狙い通りに怪物の体を貫いた。
 だが、怪物は止まらない。凄まじい勢いで、敦志に突進していく──
 その瞬間、敦志は地面を転がった。からくも突進を躱す。
 地面を転がり、間合いを離した。その時、恐ろしい光景が目に飛び込む。
 怪物の背中によじ登り、巨大な刃物で切りつける者がいたのだ。
 ペドロである──
 怪物は吠え、ペドロを振り落とそうと暴れる。しかし、彼は軽やかな動きで宙を舞い着地した。まるで、体操選手の演技のようだ。
 と同時に叫んだ。

「見たまえ! これこそが、人類に取って代わるかもしれない生命体だよ! 我々は今、歴史に残るかもしれない存在と対面しているんだ!」

 恍惚とした表情で叫ぶ。その体には、緑色の何かが大量に付着している。怪物の血液だろうか。その右手には、湾曲した形の奇妙なナイフが握られている。
 それはグルカナイフだ。ネパール人の兵士が、白兵戦で用いていた武器である。あんな物を、どこに隠し持っていたのか。
 圧倒されている敦志の目の前で、二匹の怪物の闘いが始まった──

 その光景に、敦志は我を忘れ見とれていた。
 凄まじい勢いで、怪物が突進していく。その六本の腕で、矢継ぎ早に攻撃を仕掛けて行く。
 六本の腕から繰り出される、予測不能な変幻自在の打撃……どんな武術の達人であっても、この攻撃を見切るのは不可能であろう。
 その誰にも見切れないはずの攻撃を、ペドロは最小限の動きで躱しているのだ。六本の腕の軌道を完璧に見極め、ミリ単位の動きで避けている。しかも、カウンターの攻撃を叩きこんでいる──
 それは、もはや人間の技ではなかった。

 動き回るペドロに苛立ったのか、怪物は吠えた。直後、口から何かを吐き出す──
 粘液のような何かが、ペドロめがけて吐かれた。しかし、ペドロはそれも躱す。地面に落ちた液体は、ジュッと音を立てた。土を溶かし、嫌な匂いを放つ。
 それで終わりではなかった。次の瞬間、薙ぎ払うような腕の一撃がペドロに炸裂した。
 ペドロは、軽々と飛ばされる。数メートル先の地面に叩きつけられた。
 その時になって、敦志はようやく我に返る。手にしているグロックの銃口を怪物に向け、トリガーを引く──
 銃声が轟き、火薬と硝煙の匂いが立ち込める。続けざまに三発撃った。その全てが、怪物に命中している。
 にもかかわらず、怪物に怯む様子はない。何のダメージも受けていないようなのだ。
 ギリリ、と奥歯を噛み締める。さらにトリガーを引く。弾倉が空になるまで、トリガーを引き続けた──
 弾丸は全て命中した。サイやカバのような大型の動物でも、これだけの弾丸を食らえば只では済まない。小口径のグロックから放たれた銃弾でも、かなりの手傷を負わせられたはずだ。
 しかし、怪物は平然としている。ゆっくりとした動きで、敦志の方に向き直った。
 奇怪な声を上げ、突進してきた──
 敦志は、躊躇なく逃げた。凄まじい勢いで走り、家の中に飛び込む。素早くドアを閉め、鍵をかけた。
 顔をしかめながら、もうひとつの武器を取り出す。
 その時、ドアが一瞬にして破られた。鍵のかかったドアが、まるで布切れか何かのように軽々と飛ばされる。
 直後、怪物がのっそりと入って来た。
 と同時に、またしても銃声が轟いた。次いで、強烈な衝撃が怪物を襲う。耐え切れず、その場でのけ反った──

 敦志は、巨大な拳銃を握りしめ怪物を睨みつける。先日、ペドロが殺したヤクザが持っていたデザートイーグルだ。一発の威力に関する限り、最強クラスの拳銃である。まともに当たれば、人間などひとたまりもない。
 しかし、一発で終わるほど甘い相手ではないのはわかっていた。彼は、さらにトリガーを引く。
 激しい反動が両腕を襲った。しかし、その衝撃に見合うだけの威力はある。強烈なエネルギーを秘めた銃弾が、怪物の体に炸裂する。巨体が、ぐらりと揺れた。
 だが、怪物は立ち続けている──

 敦志は、全身の毛が逆立つような恐怖を感じた。これだけの銃弾を受けながらも、まだ生きているというのか。無意識のうちに、体が震え出した。恐怖が、全身を蝕んでいく。
 その時、外から喚くような声が聞こえてきた。怒鳴りつけるようなスペイン語だ。何を言っているのか全くわからない。だが、その言わんとするところは理解できた。
 怪物にも、その言葉は通じたようた。向きを変え、声の主の方を見る。
 その瞬間、怪物は吠えた──

 いつの間に切り取ったのか……ペドロは、徳郁の首を片手に持っていた。緑色に染まった体で、首を高々と掲げて怪物を睨みつけている。
 ペドロはさらに、足元に転がっている徳郁の死体を蹴飛ばした。あたかも、怪物を挑発するかのように──
 すると怪物は、恐ろしい声で吠える。怒りと悲しみの入り混じった咆哮だ。
 直後、凄まじい勢いでペドロに突進して行く。

 敦志は、震える手でデザートイーグルを握る。足の震えが止まらない。並の人間なら、とっくに発狂しているか、戦意を喪失して腑抜けになっていただろう。目の前にいる怪物は、あまりにも常識はずれであった。こんな存在を前に戦い続けるなど、まともな人間には不可能だ。
 だが、敦志はまともではなかった。数多くの人間と殺し合い、その死体を始末してきたのだ。自らの意思でボーダーラインの外に出た人間であり、狂気の世界に身を置いてきた者である。だからこそ、この状況下でも動き続けることが出来たのだ。
 さらに、目の前にはペドロもいる。ペドロは怪物を相手に、怯むことなく戦い続けていた。その姿こそが、恐怖を和らげてくれていたのだ。この状況において、ペドロ以上に頼もしい仲間など存在しないであろう。
 敦志は震える体で、どうにか立ち上がった。両手でデザートイーグルを構え、突進する怪物に狙いをつける。
 その時、ペドロが生首を放り投げた。まるでボールでも投げるかのように、徳郁の首をあらぬ方向に投げる──
 怪物は吠え、首の転がる方向に走った。そちらに狙いをつけ、敦志はトリガーを引く──
 強力な銃弾が、怪物の体を貫いた。だが、敦志はそれだけでは終わらせない。立て続けにトリガーを引いた。放たれた銃弾は、怪物の体に次々と炸裂していく。
 弾丸の一発が頭を貫き、怪物は倒れた……と同時に、デザートイーグルの弾丸も尽きる。

 それでも怪物は動きを止めなかった。六本の腕を動かし、なおも這っていく。
 徳郁の生首を拾い上げた。
 いとおしそうに頬擦りする。

「キ、ラ……キラ」

 怪物は、声を発した。流暢な言葉だ。その声の奥には深い悲しみがある。
 さらに驚くべきことが起きた。怪物は徳郁の首を抱え、空に向かい泣きだしたのだ。
 敦志は恐怖も興奮も忘れ、その場に立ち尽くしていた。科学によって生み出された、恐ろしい怪物……しかし天を仰ぎ慟哭している姿は、あまりにも哀れなものであった。その巨大な目からは、涙らしきものすら流れている。
 その慟哭は、唐突に終わりを告げた。怪物に後ろから近づき、グルカナイフを構える者がいる。彼はまがまがしい形の刃を振り上げ、一気に叩きつけた──

 全身に数十発の弾丸を受け、さらにグルカナイフで刺され、もはや反撃することは出来なかった。怪物は、首を抱えたまま動かなくなる
 怪物の流した緑色の血を全身に浴びながら、グルカナイフで止めを刺したペドロ。その姿からは、人間らしさなど微塵も感じられない。
 徳郁の首を抱え慟哭していた哀れなる怪物よりも、ペドロの方がずっと禍々しい存在に見えた。
 まさに、地獄の悪魔そのものだ──






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