舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月十六日 徳郁の告白

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 いつの間にか、眠ってしまったらしい。外は明るくなっていた。もう、昼になっただろうか。
 吉良徳郁は体を起こし、あたりを見回す。リビングは惨憺たるものだった。赤ペンキをぶちまけたかのように血まみれだ。その上、あちこちに肉片が飛び散っている。さながら地獄絵図のようだ。

「サンの奴、無茶苦茶しやがって……」

 苦笑しながら呟く。サンの怪力は凄まじい。あっという間に、数人を殺してしまった。生きたまま連れ去った者もいたようだ。しかも拳銃で撃たれたというのに、全く意に介していない。
 去り際に、彼女はこう言った。

(キラ、あなたにプレゼントがある。もう少し待って。もうじき、みんなで暮らせるから)

 サンのプレゼントとは、いったい何だろう。みんなで暮らせるから、ということは? クロベエとシロスケは今、サンと一緒にいるということか。
 彼女はいったい何をやっているのだろう? サプライズのプレゼントでも用意しているのだろうか?
 いずれにしても、サンは森のどこかで生きている。そのうち、また一緒に暮らせるのだ。
 そう、サンの姿がどんなものであろうと徳郁には関係ない。中身は変わっていないのだ。前と変わらず、自分を愛してくれている。
 徳郁自身も、今のサンを愛している。姿形など、どうでもいい。そもそも、自分は人間が嫌いだった。
 両親でさえも。



「誰のせいでもない。俺の脳ミソが腐りきっていた。ただ、それだけのことだよ」

 両親を殺した罪で逮捕され精神鑑定を受けた際、医者に向かい徳郁が放った言葉である。
 事件が起きた日、母親は思い詰めた表情で言ったのだ……お前は私たちを愛していないのかい? と。それに対し徳郁は、愛していないと答えた。
 すると母親は、涙を浮かべながら徳郁を抱きしめようとした。
 徳郁にとって、それは耐えがたい苦痛であった。思わず、母親を突き飛ばしていた。
 次の瞬間、激怒した父親が殴りかかって来た。

 気がついてみると、血の海の中に二人の死体が転がっていた。徳郁に殴り倒された父親が、包丁を持ち出して向かって来た。二人でもみ合っているうちに、父親の体に包丁が刺さってしまったのだ。
 母親は突き飛ばされた時に頭を強く打ち、病院で死亡。父親もまた、包丁による傷がもとで死亡した。
 徳郁は精神鑑定を受け、統合失調症と診断される。その後は医療少年院に送られ、そこで成宮亮と出会った。

 当時の徳郁には、言葉が足りなかった。
 母親のことを、愛していないのではない。徳郁は、誰のことも愛せないのだから。
 父親と母親のことは愛していなかったが、他の人間よりは好きだったのだ。
 ただ、自分に触れて欲しくなかっただけ。



「お父さん、お母さん、ごめんなさい」

 ひとり呟く。その目からは、涙がこぼれ落ちていた。
 彼は、ようやく理解したサンへの愛情を知り、徳郁は初めて両親を愛していたことを悟ったのだ。
 徳郁は声を殺し、膝を抱えひとりで泣いた。



 その時だった。不愉快な気配を察知する。これは、人間の気配に間違いない。
 またしても、サンを探しに来たのだろうか。徳郁は、苛ついた表情を浮かべて立ち上がる。その時、床の上に転がっている物が目に留まった。
 それを拾い上げ、表に出る。

「やあ、吉良くん。はじめまして。しかし、初対面でそんな物騒な物を持ち出すのは、賢い選択とは言えないな」

 落ち着きはらった声が聞こえる。穏やかで、敵意は感じられない。だが徳郁は、奇妙な訪問者をじっと睨みつけていた。こいつらは、善意ある客人ではない。
 徳郁の目の前には二人の人間がいる。片方は、不気味な中年男だ。背は低いが、肩幅は広くがっちりしている。年齢は四十代から五十代か。顔立ちからして外国人だろう。一見、知的な雰囲気を漂わせているが……全身から醸し出される空気は、野獣を連想させる。
 もう片方は、平凡な見た目の男であった。外国人よりは若く、二十代の前半か。中肉中背、ごく普通の成人男性に見える。
 徳郁の勘は告げている。二人とも、まともな人間ではない。昨日、この家に現れた者たちと同類であろう。

「さっさと失せろ。お前らに、サンは渡さない」

 言いながら、徳郁は拳銃を構える。昨日、押し入って来た連中が持っていた物だ。
 すると、若い男が口を開いた。

「お前、いったい何を考えているんだよ? サンってのは、あの女だろうが。あいつはな、人間じゃねえんだ。化け物なんだよ。人間を食らう化け物だ」

「んなこと、知ってるよ。だから何だ」

 徳郁は言葉を止め、ニヤリと笑った。

「俺はな、サンさえ居てくれればいい。他の人間が何人死のうが、俺の知ったことか。この世の中がどうなろうと、サンさえ居てくれればいい。サンのためなら、俺は戦う。何人でも殺してやる」

「てめえ、正気なのかよ? あんな化け物のために、命を張る気か? お前だって食われるかもしれねえんだぞ!?」

 若い男の言葉は、徳郁をさらに苛立たせた。

「お前らに何がわかる。俺はサンを愛してる。サンになら、食われても構わねえ」

「どうやら、てめえは本格的にイカレちまったようだな」

 その言葉を聞き、徳郁は怒りのあまり奥歯を噛み締めた。こんな奴らに、サンと自分のことを理解してもらおうとは思っていない。

「何とでも言え! 俺は死んでも彼女を守る! お前らを殺してな!」

 言うと同時に、徳郁は外国人の方を向き、銃口を向けた。彼の勘は告げている。こちらの方が遥かに手強い。まずは、この外国人を始末する──
 だが、視界の端で若い男が動くのが見えた。男は素早い動きで拳銃を抜く。
 ほぼ同時に、銃声が轟いた。

 銃弾が当たるまでの、一秒にも満たない僅かな時間……徳郁の中で、様々なものが走馬灯のように駆け巡る。自らの二十二年間の人生、そしてサンとの思い出──

 サン、ごめんな。
 プレゼント、受け取れなかったよ。
 クロベエとシロスケのこと、頼んだぜ。
 俺の分も生きてくれ。

 直後、高速の銃弾が彼の脳を破壊する。
 徳郁の意識は、闇に沈んでいった。

 ・・・

 洞窟の中。
 真田潤はじっと横たわったまま、天井を見つめていた。首から下は、いっさい動かすことが出来ない。どうやら、あの怪物の牙は麻痺の効果がある毒を注入させられるらしい。彼は体を動かすことはもちろん、痛みを感じることもなかった。
 さらに、動けない真田の目の前で、肉塊と化した部下が怪物に食われていった。いずれは、彼の番も来るのだろう。
 だが、真田は恐怖を感じていなかった。もはや、彼の精神は崩壊していたのだ。目の前で何が起きているのか、それすら理解できなくなっていた。
 真田は暗い洞窟の中、じっと天井を見上げていた。その口から、時おり不気味な笑い声が洩れる。
 そんな彼の横では、怪物が蠢いていた。忙しなげに動き回り、あちこち行ったり来たりしている。何をしているのか、真田にはわからなかった。そもそも、今の彼には理解することなど出来なかっただろうが。

「キラ……キラ!?」

 不意に、怪物が叫んだ。直後、凄まじい勢いで動く。まるで風のごとき速さで、怪物は姿を消した。
 洞窟の中、真田はひとり取り残された。彼はもはや、待つことしか出来ない。
 自身の命が尽き、この地獄から解放される時の訪れを。
 洞窟の中、真田はクスクス笑い続けていた。



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