舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月十四日 敦志の再会

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 喫茶店・怪奇屋。
 そこに、珍しく客が来ていた。地味なスーツ姿に、ほどよい長さで切り揃えられた髪。背は高からず低からず、顔つきも締まりがない。軽薄な表情で、じっと立島敦志を見つめている。
 住田は数分前、突然この店に入って来たのだ。キョロキョロ店内を見回したが、窓際の席でコーヒーを飲んでいた敦志と目が合う。
 その途端、満面の笑みを浮かべて近づいて来た。

「やあアッちゃん! 久しぶりじゃない!」

 言うと同時に、すっと動き敦志の前に座る。

「ねえアッちゃん、ちょっと水くさいんじゃない? この店に住んでいるならさあ、連絡くらいよこしてもいいんじゃない?」

 住田の態度はヘラヘラしている。一見すると、ただの若く適当なサラリーマンにしか見えないだろう。
 だが、敦志の表情は堅いものだった。

「住田さん、いったい何の用です?」

「そんなに怖い顔しないでよ。俺は何も、アッちゃんを責めてる訳じゃないんだからさ。むしろ、俺は嬉しいんだよ」

 言いながら、ニヤニヤ笑う。だが、敦志は少しも笑えなかった。ふと横を見ると、あの不気味な雰囲気のマスターがじっと住田を見つめている。もし、ここで住田が妙な動きをしたとしたら、マスターはどうするのだろうか。

「俺はペドロ氏の命令で、ここに住んでるだけです。そもそも、ペドロと接触し彼に同行しろと言ったのは、あなたですよ。俺は、その通りにしているだけです。その過程で起きた出来事を、いちいち報告する必要もないかと思いましてね」

 敦志の言葉に、住田は口元を歪める。

「おやおや、今日はご機嫌斜めのようだね。まあ、俺は大体のことは知ってるけどね。アッちゃんとペドロ氏が、ここで何をしているかはわかってるよ。まあ、それはいいや。アッちゃんのパートナーに、是非とも伝えて欲しいことがあるんだよね」

「パートナー?」

「そうさ。ペドロ氏に、こう伝えて欲しいんだ。やるのは構わないが、二日だけ待ってくれと」

 そう言うと、住田は笑みを浮かべた。

「どういう意味です?」

「この件はね……もう、どうしようもないんだよ。我々としては、無かった事にするしかないんだ」

 そこで言葉を止めた。そして、大げさな溜息を吐く。

「ひとつ昔話をさせてもらうよ。俺はね、三日月村事件の直後に現場にいたんだ。あれは、実にひどかった。あっちこっちで、ミンチと化した死体が何十体も転がっていたんだ。そんな中、あの市松勇次は平然と佇んでいたんだよ。そして、俺たちにこう言ったんだ……やったのは自分です、とね」

「その言葉を、住田さんは信じるんですか?」

 敦志の問いに、住田は笑いながら首を振った。

「んなバカな話、信じる訳ないじゃない。UFOがビームを発射したとか妖怪が暴れたとかいう話の方が、まだ信憑性があるよ。しかも、市松くんは狂っていた。彼がなぜ生き延びたかは不明だが、正気を失っていたのは、誰の目にも明らかだったよ。しかも、何を聞いても会話にならないんだ。自分がやった、としか言わないし」

「なぜ、そんな奴を犯人にしたんです──」

「まあまあ、黙って俺の話を最後まで聞いてよ。当時の現場は混乱していたんだ。原発事故の方がマシなんじゃないか、ってくらいにね。だから、あの市松くんに犯人になってもらうしかなかったんだよ」

「なるほどねえ」

 皮肉を込めた口調で頷いた。有り得る話だ。ここまで極端ではないにしろ、裏社会に生きていれば似たような話は嫌でも耳に入ってくる。
 この世で一番怖いのは、ヤクザでもエイリアンでも幽霊でもない。国家権力なのだ。敦志は、そのことをよく知っている。

「さらに、あの場所を詳しく調べたら……日本、いや世界のどこにも存在しないはずの生物のDNAが検出された。後はもう、言わなくても分かるよね?」

「ええ。なんとなく、ですが」

 曖昧な返事で、その場を誤魔化す。これ以上は聞きたくなかったし、聞く必要もなかった。真実は闇に葬られる……よくある話だ。

「アッちゃん、この国のバランスを保つのが俺たちの仕事だ。俺たちはね、全てを無かったことにしたんだよ。あそこで、本当は何があったか……なんてことはどうでもいいんだ。大切なのは、この国のバランスを保つことだよ。たとえ偽りであったとしても、平和に見えてさえいればいいんだ。ほつれは、俺のような人間が修繕していく訳だからね。だから、市松くんには全てを被って死んでもらったわけだ」

 淀みなく喋り続ける。敦志は相づちを打ちながらも、目の前にいる男の意図が理解できず戸惑っていた。自分のような人間に、そんな話を聞かせてどうしようというのだろう。そもそも、住田がこの店に来た目的は? ひょっとして、ペドロと接触するのが目的なのだろうか。
 だとしたら、住田は恐ろしい度胸の持ち主であるか、あるいはとんでもない大バカだ。それとも、ペドロの怖さを理解していないのか。
 そんな敦志の思いをよそに、住田は語り続けた。

「俺は今から、白土市で多くの人間に頭を下げる。そして、ここで起きた事件を無かったことにしてもらう。全てを丸く収めるためにね。だから、アッちゃんとペドロ氏にも協力してもらいたいんだよ」

「協力、ですか?」

 訝しげな表情を浮かべる敦志に、住田は頷く。

「そう。どうやら、あれは目覚めてしまったらしい……本来の力を取り戻した姿を、森の中で目撃されている。実験では、どうやっても変化しなかったはずの恐ろしい姿にね。もう、ヤクザやチンピラの手に負える代物じゃない。かといって、警察や自衛隊を介入させるわけにもいかないんだ。アッちゃんとペドロ氏に秘密裏に始末してもらう、それが一番だよ」

 住田がそこまで話した時、不意に店の扉が開いた。

「敦志くん、こちらの紳士はどなたかな?」

 その声を聞き、振り向く敦志。そこに立っていた者は、言うまでもなくペドロである。地味なスーツ姿で、住田をじっと見つめていた。その瞳には、一片の感情も浮かんでいない。
 すると、住田の顔色が変わる。

「はじめまして。私は住田健児といいます。ここにいる立島敦志くんには、以前から色々とお世話になっていまして」

「なるほど。こちらこそ、敦志くんには助けてもらっていますよ」

 にこやかな表情で語るペドロ。だが、彼の目は笑っていない。冷酷な光を湛え、住田をじっと見つめているのだ。
 さらに、店の中の空気もどんどん変化している。平和そのものだった店内の雰囲気が、重苦しく濃密なものへと変わっているのだ。数々の修羅場を潜ってきていたはずの敦志ですら、息がつまりそうな錯覚に襲われた。住田の額からも、一筋の汗が流れ落ちる。

「は、ははは……まあ、ここで会ったのも何かの縁。今後とも、よろしくお願いします」

 そう言うと、住田は立ち上がった。ペドロに右手を差し出す。言うまでもなく、握手を求める仕草だ。
 ペドロは笑みを浮かべ、その手を握った。
 だが次の瞬間、住田は悲鳴を上げる──

「住田くん……俺は本来、こういう手段は好きではない。だがね、ひとつ警告しておこう。もし、君の存在が敦志くんの負担になるようなら、俺は君を殺す。君が何者であろうが、俺の知ったことではない。いいね」

 ・・・

(おい成宮、そいつは本当なんだろうな?)

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、知性など欠片も感じられない言葉だ。成宮亮は、思わず顔をしかめる。

「少なくとも、俺はそう聞きました。今、教えた場所にサンという少女が匿われている、とね。後は、自分で行って確かめてみてはどうです?」

 亮は、投げ遣りな口調で答える。本来なら、こんなバカどもには現在の時刻すら教えたくはないのだが。

(んだと? おい成宮、てめえ誰に向かってンな口利いてんだ!)

 予想通り、相手はキレている。チンピラ丸出しの口調だ。もっとも、亮は全く怖さを感じなかった。受話器の向こうにいる者は、暴力だけが取り柄の、どうしようもないバカの集まりである。いざとなったら、潰すのも簡単だ。知り合いの刑事に電話をするだけで済む。

「気に障ったなら謝ります。ただね、この情報は誰も知らないはずですよ。その誰も知らないはずの情報を、俺は真っ先にあなた方に教えたんです。それも、ただでね。その点をお忘れなく」

(あ、ああ……分かってる)

 相手は口ごもっている。ここぞとばかりに、亮は畳み掛けた。

「とにかく、この情報をデマと判断して無視するか、あるいは本物かどうか自分の目で確かめてみるか……決めるのは、あなたです」

 電話を切った後、亮はため息をついた。今、話した連中は大物ではないし、頭もよくない。徳郁が油断さえしていなければ、上手く逃げおおせることは可能だ。
 それでも念のため、亮は自身の携帯電話を手に取る。徳郁の携帯電話に掛けてみたが、出る気配がない。

「何やってんだよ、ノリちゃん……」

 亮は低い声で呟いた。既に逃げていてくれればいいのだが……万一、二人して家にいたなら、とんでもないことになるだろう。
 徳郁は、そこまでバカではないと信じたい。だが、徳郁は不器用な男だ。あの家に、まだ残っているかもしれない。

「ノリちゃん、命は大切にしてくれよ」

 呼び出し音だけが空しく鳴っている携帯電話に向かい、亮は語りかけた。






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