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九月十三日 敦志の語らい
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「ごちそうさん」
そう言うと、立島敦志は空になった皿をキッチンに運ぼうとした。すると、マスターは首を振る。余計なことはするな、という意思表示だろうか。敦志は頷くと、そのまま座っていた。もうじき、ペドロが姿を現すはずだ。
敦志は一昨日から、喫茶店『怪奇屋』の二階にて寝泊まりしている。喫茶店に怪奇屋と名付けるセンスはどうなのだろうか……とは思うが、かつて超売れっ子のプロデューサーがオープンさせた『うんこや』なる名前の飲食店に比べれば、遥かにマシなネーミングだろう。
そんなことを考えながら、窓から外の景色を眺めていた。だが、その時に意外な人物を見かける。
店の前の道路を歩いているサラリーマン風の男がいた。それ自体は、なんら不思議な現象ではない。
問題なのは、そのサラリーマン風の男が住田健児であった。地味な紺色のスーツを着て、なに食わぬ顔で通りを歩いている。
「あいつ、こんな所で何してるんだ?」
思わず呟いた。住田は、表と裏の両方に顔が利く男だ。そんな男が、こんな田舎にわざわざ出向いて来たというのだろうか? 敦志は、思わず首を捻る。
だが当の住田は、敦志の存在には全く気づいていないらしい。とぼけた顔つきで、すたすたと遠ざかって行った。
眉をひそめ、その姿を見つめる。住田は、こんな場所に遊びに来るような人間ではない。確実に仕事のためだろう。
そもそも敦志は、住田の命令で白土市に来たのである。ペドロを探してくれ、ただし見つからなくても構わない。探すふりだけでもしてくれ……その命令を受け、白土市にやって来たのだ。結果、ペドロという怪物と接触に成功したが。
しかし、そんな事件のために、わざわざ白土市まで来るだろうか。住田は、公安とも繋がりのあるような人間だ。そんな人間が、ひとりの脱獄犯のために東京を離れて白土市まで──
「やあ敦志くん。待たせたね」
不意に声が聞こえ、敦志は思わず飛び上がりそうになった。振り向くと、ペドロが立っている。作業服らしきものを着て、顔には不気味な笑みを浮かべていた。
「驚かせるなよ。全く、いつの間に来たんだ」
言いながら、敦志はペドロを睨みつけた。この男は本当に神出鬼没だ。気配を消し去り、音も無く近づいて来た。まるで幽霊のように。
もっとも、考えてみれば……この男は幽霊にも等しい存在なのだ。社会的には完全に抹殺された存在である。アメリカの重警備刑務所から脱獄し、日本に潜伏している。ところが調べてみると、そんな事実は無いものとされているのだ。そもそもペドロの存在自体、無かったことにされているのだから。
「いや、すまなかったね。ところで、何か心配事でもあるのかい?」
そう言うと、ペドロは敦志の前の席に座る。
「いや、心配事ってほどのものじゃないよ」
「そうかね。まあ、何があったのかは知らないが……これから直面する出来事に比べれば、今の君を悩ませている問題など些末な事柄に過ぎないさ」
不意にペドロは笑い出した。クックック……という不気味な声が、静かな店内に響き渡る。
その声に、微かな苛立ちを感じた。ペドロにとって、敦志が危険な目に遭うことがよほど楽しいらしい。
「そうかい。さぞかし危険な任務なんだろうな。念のため言っておくが、この白土市に、住田健児って男が来ている。住田は公安とも繋がりのある男で、化け物みたいな人間さ。まあ、あんたほどの大物じゃないがね」
「ほう、それはそれは。評価してもらえるとは、光栄な話だね」
冗談めいた口調で言いながら、ペドロは視線をガラス窓に向ける。住田の姿は既に無く、その代わりに一匹の三毛猫が歩いている。三毛猫はのそのそ歩いていたかと思うと、不意に道端で立ち止まる。そして毛繕いを始めた。
「彼……いや彼女の目から見て、この街はどう映っているのだろうね」
突然、ペドロが口を開いた。
「彼女? 彼女って、猫のことかよ?」
敦志の問いに対し、ペドロはゆっくりと首を振った。
「いいや。彼女とは、我々が追っている者さ。彼女は放っておけば、どうなるんだろうね。人類の敵として、自身が狩り殺されるまで殺戮の限りを尽くすのか……あるいは森の奥で、一匹の獣として目立たないようひっそりと生活するのか。実に興味深い話ではあるが、しかし我々の仕事は彼女の死体を持ち帰ることなんだよ。非常に残念な話だ」
言いながら、ペドロは外にいる三毛猫を見つめている。
敦志は、思わず首を捻った。この男は、何を言っているのだろうか。
「何を言ってんだよ。俺たちだって、結局は人類の敵みたいなもんじゃねえか」
吐き捨てるような口調で言った。そう、敦志もペドロも裏社会に棲む人間なのだ。敦志でさえ、これまで十人近い人間の命を奪っている。ペドロに至っては、その数十倍だろうか。誰が何と言おうが、許されざる存在である。少なくとも、日本には殺し以外の生活の手段がいくらでもあるはずだ。
それなのに、犯罪を生業とし日常的に殺人を行う。自分たちの存在は、紛れもない悪だ。どう言い繕ったとしても、その事実だけは変わらない。
しかし、ペドロはにこやかな表情でかぶりを振った。
「その意見には、承服しかねるな。この世界を牛耳っているのは、俺たち二人など比較にならない悪人どもだよ。いや、そもそも悪人という考え方自体がおかしい。人間は皆、多かれ少なかれ悪の部分があるのだから」
「何が言いたい?」
「俺が何を言いたいか、君ならもう分かっているはずだよ。我々など、この世界における潤滑油のようなものだからね。そうは思わないかね?」
そう言いながらも、ペドロは視線を三毛猫に向けたままだ。つられて、敦志もそちらを見る。すると、三毛猫はいきなり起き上がった。何事も無かったかのように、とことこと歩いて行く。
そう言うと、立島敦志は空になった皿をキッチンに運ぼうとした。すると、マスターは首を振る。余計なことはするな、という意思表示だろうか。敦志は頷くと、そのまま座っていた。もうじき、ペドロが姿を現すはずだ。
敦志は一昨日から、喫茶店『怪奇屋』の二階にて寝泊まりしている。喫茶店に怪奇屋と名付けるセンスはどうなのだろうか……とは思うが、かつて超売れっ子のプロデューサーがオープンさせた『うんこや』なる名前の飲食店に比べれば、遥かにマシなネーミングだろう。
そんなことを考えながら、窓から外の景色を眺めていた。だが、その時に意外な人物を見かける。
店の前の道路を歩いているサラリーマン風の男がいた。それ自体は、なんら不思議な現象ではない。
問題なのは、そのサラリーマン風の男が住田健児であった。地味な紺色のスーツを着て、なに食わぬ顔で通りを歩いている。
「あいつ、こんな所で何してるんだ?」
思わず呟いた。住田は、表と裏の両方に顔が利く男だ。そんな男が、こんな田舎にわざわざ出向いて来たというのだろうか? 敦志は、思わず首を捻る。
だが当の住田は、敦志の存在には全く気づいていないらしい。とぼけた顔つきで、すたすたと遠ざかって行った。
眉をひそめ、その姿を見つめる。住田は、こんな場所に遊びに来るような人間ではない。確実に仕事のためだろう。
そもそも敦志は、住田の命令で白土市に来たのである。ペドロを探してくれ、ただし見つからなくても構わない。探すふりだけでもしてくれ……その命令を受け、白土市にやって来たのだ。結果、ペドロという怪物と接触に成功したが。
しかし、そんな事件のために、わざわざ白土市まで来るだろうか。住田は、公安とも繋がりのあるような人間だ。そんな人間が、ひとりの脱獄犯のために東京を離れて白土市まで──
「やあ敦志くん。待たせたね」
不意に声が聞こえ、敦志は思わず飛び上がりそうになった。振り向くと、ペドロが立っている。作業服らしきものを着て、顔には不気味な笑みを浮かべていた。
「驚かせるなよ。全く、いつの間に来たんだ」
言いながら、敦志はペドロを睨みつけた。この男は本当に神出鬼没だ。気配を消し去り、音も無く近づいて来た。まるで幽霊のように。
もっとも、考えてみれば……この男は幽霊にも等しい存在なのだ。社会的には完全に抹殺された存在である。アメリカの重警備刑務所から脱獄し、日本に潜伏している。ところが調べてみると、そんな事実は無いものとされているのだ。そもそもペドロの存在自体、無かったことにされているのだから。
「いや、すまなかったね。ところで、何か心配事でもあるのかい?」
そう言うと、ペドロは敦志の前の席に座る。
「いや、心配事ってほどのものじゃないよ」
「そうかね。まあ、何があったのかは知らないが……これから直面する出来事に比べれば、今の君を悩ませている問題など些末な事柄に過ぎないさ」
不意にペドロは笑い出した。クックック……という不気味な声が、静かな店内に響き渡る。
その声に、微かな苛立ちを感じた。ペドロにとって、敦志が危険な目に遭うことがよほど楽しいらしい。
「そうかい。さぞかし危険な任務なんだろうな。念のため言っておくが、この白土市に、住田健児って男が来ている。住田は公安とも繋がりのある男で、化け物みたいな人間さ。まあ、あんたほどの大物じゃないがね」
「ほう、それはそれは。評価してもらえるとは、光栄な話だね」
冗談めいた口調で言いながら、ペドロは視線をガラス窓に向ける。住田の姿は既に無く、その代わりに一匹の三毛猫が歩いている。三毛猫はのそのそ歩いていたかと思うと、不意に道端で立ち止まる。そして毛繕いを始めた。
「彼……いや彼女の目から見て、この街はどう映っているのだろうね」
突然、ペドロが口を開いた。
「彼女? 彼女って、猫のことかよ?」
敦志の問いに対し、ペドロはゆっくりと首を振った。
「いいや。彼女とは、我々が追っている者さ。彼女は放っておけば、どうなるんだろうね。人類の敵として、自身が狩り殺されるまで殺戮の限りを尽くすのか……あるいは森の奥で、一匹の獣として目立たないようひっそりと生活するのか。実に興味深い話ではあるが、しかし我々の仕事は彼女の死体を持ち帰ることなんだよ。非常に残念な話だ」
言いながら、ペドロは外にいる三毛猫を見つめている。
敦志は、思わず首を捻った。この男は、何を言っているのだろうか。
「何を言ってんだよ。俺たちだって、結局は人類の敵みたいなもんじゃねえか」
吐き捨てるような口調で言った。そう、敦志もペドロも裏社会に棲む人間なのだ。敦志でさえ、これまで十人近い人間の命を奪っている。ペドロに至っては、その数十倍だろうか。誰が何と言おうが、許されざる存在である。少なくとも、日本には殺し以外の生活の手段がいくらでもあるはずだ。
それなのに、犯罪を生業とし日常的に殺人を行う。自分たちの存在は、紛れもない悪だ。どう言い繕ったとしても、その事実だけは変わらない。
しかし、ペドロはにこやかな表情でかぶりを振った。
「その意見には、承服しかねるな。この世界を牛耳っているのは、俺たち二人など比較にならない悪人どもだよ。いや、そもそも悪人という考え方自体がおかしい。人間は皆、多かれ少なかれ悪の部分があるのだから」
「何が言いたい?」
「俺が何を言いたいか、君ならもう分かっているはずだよ。我々など、この世界における潤滑油のようなものだからね。そうは思わないかね?」
そう言いながらも、ペドロは視線を三毛猫に向けたままだ。つられて、敦志もそちらを見る。すると、三毛猫はいきなり起き上がった。何事も無かったかのように、とことこと歩いて行く。
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