舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月十二日 敦志の学習

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 何なんだよ、こいつは……。

 立島敦志は、ただただ唖然とするばかりだった。
 今朝、いきなりペドロに電話で呼び出された。不審に思いながらも、向かった場所には……二人の男の死体が転がっている。スーツ姿で、どちらも人相が悪い。生きていた頃は、きっと大勢の人間から恐れられていたのだろう。
 今では、違う意味で見る者を怖がらせる存在になってしまった。まるで巨大なゴリラか何かに襲われたように、全身の骨をバラバラに砕かれた状態で道路脇に放置されている。こんなものを見れば、たいていの人間は顔をしかめて目を逸らすだろう。
 その横では、ペドロがすました表情でタバコを吸っていた。

「急に呼び出してすまないね。成り行きで、こんなことになってしまった」

「ペドロ……あんた一体、何を考えてるんだよ?」

 敦志は死体を見下ろしながら、呟くように言った。目の前でタバコを吸っている怪人は、いったい何人殺せば気が済むのだろうか。自分の知っているだけでも、既に四人殺しているのだ。
 しかし、ペドロは平然としている。

「君は忘れっぽいな。昨日も言ったように、これは妨害工作なんだよ。万が一にも、彼女の羽化を邪魔されないようにね」

 そう言って、ペドロは満足そうな笑みを浮かべる。
 敦志は顔を歪めながら、口を開いた。

「そうかい、大した悪党だな。で、俺は今から何をすればいいんだよ? 死体の始末かい?」

「いいや、その必要はないよ。この死体を残しておくのも仕事のうちさ。それより、ちょっと帰りを送って行ってくれないか」

「俺は運転手かよ。まあ、いいよ。さっさと行こうぜ」



 二人の乗った車は、田舎道を走って行く。
 今の敦志は、ペドロの異常行動に対し何も言う気になれなかった。言ったところで、無駄であろう。この男は、何を言おうが聞く耳は持たない。その中身は、自分とは大きく異なっている人間なのだ。
 敦志は知っている。世の中には、ひとつの境界線があるのだ。常人と、そうでない者とを分ける境界線が存在している。
 若い時に、敦志はその境界線を越えた。つまらない喧嘩で人を殺し、その死体を山に埋めたのだ。
 今では、完全に「あちら側の世界」で生きている。暴力と謀略とに満ちた世界。常人から見れば、まさに異世界であろう。その異世界の住人として、これまで生き抜いてきたのだ。人を殺し、死体をこの世から消し去る……そんな仕事も、今では普通にこなしている。良心など、とうの昔に別れを告げた。
 しかしペドロのような存在は、全くの想定外であった。そう、全てにおいて規格外……まるでマンガにでも登場するような怪物なのだ。敦志は、ここまでの怪物は見たことがない。
 ひょっとしたら、この世にはもうひとつの境界線があるのかもしれない。人間と、怪物とを分ける境界線が。ペドロは、その境界線を渡ってしまったのではないだろうか。人間を辞めて、怪物へと。
 何より奇妙なのは……そんな想定外の怪物であるペドロを、今の自分は受け入れてしまっていることだ。いや、受け入れるどころか、ペドロに惹き付けられる何かを感じている。
 常人離れした腕力と卓越した知性とを持ち、目の前でいとも簡単に人を殺してのけた男。正直に言えば、敦志はペドロが怖い。
 だが、恐れだけでペドロと行動を共にしている訳ではない。住田健児に命令されたから、というわけでもなかった。

「敦志くん、君は二十五歳だったね」

 不意に、ペドロが話しかけてきた。

「ああ、そうだよ」

「俺がメキシコのゲレロ刑務所にいた年齢が、ちょうど二十五歳だった。実に懐かしいね」

 その声には、珍しく感情がこもっている。敦志はビクリとして、横目でペドロの表情を盗み見た。
 だが、ペドロの表情はいつもと変わらない。

「俺が自身の進むべき道を見つけたのは、十歳の時だった。戦争ごっこの時に実弾を使ったよ」

 その言葉を聞いた瞬間、敦志はプッと吹き出した。幼い頃のペドロが、半ズボンを履いて無邪気に走り回る姿を思い浮かべ、おかしくなったのだ。
 しかし、次の瞬間にその表情は凍りついた。

「おかしいかい? まあ、おかしいよね。俺はその場にいた哀れなる知人たちを、全員射殺したんだ。子供だった俺にとって、あれは実に奇妙な光景だったよ。さっきまで楽しそうに遊んでいた者たちが、一発の銃弾により肉の塊へと変わる訳だからね。俺は多数の死体が横たわる中、目をこらし耳をすませた。ひょっとしたら、彼らを迎えに来る何者かと接触できるのではないかと思ってね……だが、何も現れなかった。子供というのは、無知で愚かな存在だよ。しかし、無知で愚かであるがゆえに、感受性も高い」

 そう言うと、ペドロは笑い出した。クックック……という不気味な声が響き渡る。だが、敦志は笑うことが出来なかった。あまりにも恐ろしい話だ。ペドロという怪物を生み出した理由のひとつが、その出来事なのかもしれない。
 少しの間を置き、ペドロはふたたび語り始める。

「人間は死を知った瞬間に、子供ではいられなくなる。俺は十歳にして、大人の仲間入りをしたわけだ。我ながら、随分と早熟だったらしいね」

「そ、そうなのか?」

 顔をひきつらせながら、言葉を返す。

「ああ。少なくとも俺は、彼らの死を見た。どんな人間でも、いつかは死が訪れる。俺にも、いつかは死が訪れる。その当たり前の事実を知れば、人は否応なしに大人にならざるを得ない。俺は、その事件をきっかけに大人になり……同時に、自分の進むべき道を知った」

「進むべき道? あんたらしくない言葉だな」

 敦志がそう言った次の瞬間、凄まじい勢いで向かい側から車が走っていく。あっという間に、敦志たちの乗る車の横を通り過ぎて行った。
 ややあって、それを追うかのように、もう一台の車が追いかけて行く。二台は、あっという間に走り去って行った。

「おいおい、何なんだよ今のは」

 思わず呟く敦志。だが次の瞬間、まずい状況であることに気づいた。あの二台の車は、このまま直進していけば……自分たちが放り出してきた死体の前を通ることになる。
 今、警察を呼ばれたりしたら厄介だ……その時、ペドロが口を開く。

「心配する必要はない。今の車は、我々と同じ世界の住人たちだ。警察に通報したりなどしない」

 まるで敦志の気持ちを見透かしたかのようである。

「あんた、今の一瞬でそんなことまでわかったのか?」

「ああ、わかるさ」

 当然だ、とでも言わんばかりの口調で答える。思わず苦笑した。

「あんた、本当に凄いな。まるで超能力者みたいだよ」

 敦志のその言葉には、皮肉が込められている。だが半分は本音であった。
 すると、ペドロのため息が聞こえた。

「君は、人間の持つ可能性についてあまりにも無知だな。君は、頭は悪くない。だが、常識というものに毒され過ぎている。世間一般の常識に照らして考えた場合、我々のような犯罪者の末路には何が待っているんだい?」

「えっ?」

 ペドロは、いったい何を言っているのだろう。敦志は不可解に思い聞き返した。

「いいかい、世間一般の常識では……犯罪者は遅かれ早かれ逮捕され処罰される。少なくとも、そう信じさせられているだろう。逆に、国民を管理する立場の人間としては、そう信じてもらわなくては困るわけだ。でないと、犯罪者のはびこる無法地帯となってしまうからね」

 淡々とした口調で語る。敦志は車のハンドルを握りながら、彼の話に聞き入っていた。

「だがね、我々は違う。我々は常識に従い、逮捕されるわけにはいかないんだ。したがって、世間のつまらぬ常識から逸脱せねばならない」

「逸脱?」

「そう、逸脱だ。考えてもみたまえ……世間というものは、極めて不自由に出来ている。我々は一般市民と違い、自由に生きる権利を得ているわけだ。しかしね、自由というものは厄介な代物だよ。本当の自由とは、何物にも寄りかかることが出来ない。つらく、険しい生き方だよ」

 ペドロの口調は、極めて静かなものだ。にもかかわらず、その言葉は敦志の心を侵食していた。敦志はまるで洗脳でもされたかのように、黙ったままペドロの言葉に耳を傾けていた。

「敦志くん、覚えておきたまえ。人間は、出来ないと思ったことは絶対に出来ない。不可能だと思えば、それは不可能になる。だがね、不可能などという概念に縛られていては、真の自由を得ることなど出来はしないのだ」

 そこまで言うと、ペドロは言葉を止める。
 直後、シュボッという音が聞こえ、さらにタバコの煙の匂いが漂ってきた。

「いいかい、人間の持つ力は、君の想像を遥かに超えている……おっと、勘違いしないでくれ。俺は超能力だの霊能力だの、そんな話をしているわけじゃない。自身の持てる能力を、一心不乱に磨き上げる……それだけでいい。そうすれば、人間は常識を超越した存在になれる。少なくとも、人間に秘められた力は、テレビなどで観るようなインチキ超能力を遥かに上回るものなんだよ。覚えておきたまえ」





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