18 / 35
九月九日 徳郁の散歩
しおりを挟む
「きら、どうしたの……げんき、ない」
リビングで考え込んでいる徳郁の耳に、サンの声が聞こえてきた。顔を上げると、サンがこちらを見ている。彼女なりに心配してくれているようだ。さらに、クロベエとシロスケも、顔を上げてこちらを見ている。
「ああ、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとうな」
そう言って微笑んだ。しかし、不安は消えなかった。
昨日、成宮亮から聞いた話が、頭から離れてくれない。旧三日月村での爆発騒ぎ。続いて三人の変死体。さらに腕利きの裏の仕事人が、わざわざ白土市まで出張している。
それらの事態と、サンは関係あるのだろうか?
「きら、だいじょうぶ。きら、へいき」
不意に、サンが手を伸ばし頭を撫でてきた。徳郁は不意を突かれ、反射的に顔をしかめ後ずさっていた。すると、彼女はびくりと手を引っ込めた。
「きら、ごめん」
すまなそうな表情で謝る。徳郁の反応を見て、自身が不快な思いをさせたと誤解しているらしい。
思わず顔を歪めた。サンは悪くない。むしろ、悪いのは自分なのだ。うろたえた徳郁は、妙なことを口走っていた。
「違うんだよ。サンは悪くない。それより、今から一緒に外を歩かないか?」
直後、かーっと赤面していた。自分は、何を言っているのだろう。なぜ今、一瞬に外を歩かなければならないのだ。彼は、己のコミュニケーション能力のなさを痛烈に感じていた。
ところが、サンは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そと、あるく。きらと、いっしょ……そと、あるく。うれしい」
妙な成り行きで、徳郁はサンと一緒に林の中を歩いていた。
後ろからは、クロベエとシロスケがのそのそ付いて来ている。まるで、サンの忠実なる付き人のようだ。不思議な話である。シロスケもクロベエも、人に付いて歩くようなタイプではなかったはずなのに。
サンには、奇妙な力がある。クロベエとシロスケは、完全にこの少女に懐いてしまった。古い付き合いであるはずの自分に対するよりも、ずっと忠誠心を持っているように見える。しかも、意思の疎通まで出来ているらしい。プロの動物調教師でさえ、こんな真似は出来ないだろう。
徳郁がそんなことを思っていた時、不意にサンが手を握ってきた。ドキリとなるが、サンはこちらの心境などお構い無しだ。ニコニコしながら手を握ってくる。その瞳には、自分への純粋な親愛の情があった。
徳郁の頬が、またしても紅潮する。耳まで赤く染まるのを感じながらも、彼はサンの手を握り返した。
「きら、やさしい……から、だいすき」
たどたどしい口調で、語りかけてくるサン。徳郁はうろたえながらも、言葉を返す。
「あ、ああ……俺も好きだよ」
やがて二人と二匹は、河原にやって来た。
すると、シロスケの態度が一変する。大はしゃぎで、川の周辺を走り出したのだ。
「お、おいシロスケ、あんまり騒ぐなよ」
徳郁が声を掛けるが、シロスケは聞く耳を持たなかった。興奮した様子ではあはあ息を荒げながら、一心不乱に河原を走り回っている。
唖然としている徳郁を尻目に、シロスケの動きはさらに激しくなる。いきなり川の中に飛び込み、じゃぶじゃぶと泳ぎだしたのだ。
一方、クロベエはサンの足元にいる。尻を地面に着け、お行儀よく前足を揃えた姿勢だ。尻尾を緩やかに動かしながら、サンの顔をじっと見ていた。時おり、小馬鹿にしているかのような表情でシロスケにも視線を向ける。
サンはというと、ニコニコしながら周りを見回している。嬉しくてたまらない、といった表情だ。
「サン、楽しいか?」
徳郁が尋ねると、サンは嬉しそうに頷いた。
「うん、たのしい。みんな、すき。いっしょに、いる……うれしい、たのしい」
サンの操る言葉はたどたどしいが、それでも上手くなってきている。一日ずっとテレビを観て、そこから学習しているのだろう。
ふと、徳郁の頭に疑問が生じた。サンは様々なことを知っている。風呂、トイレの使い方、テレビの電源を入れる方法などなど。それらの知識は、何者が教えたのだろうか。
しかも、その何者かはサンに常識的な部分を教えなかったらしい。なぜ、そんな偏った教育をしたのだろうか。
もっとも、自分が悩んでも無意味なことであるのはわかっている。そもそも、徳郁もまた世間知らずなのだ。面倒なことや自分の手に余るようなことは、唯一の友人である成宮亮に任せている。亮は裏の世界の住人であるが、妙に面倒見がいい。徳郁が頼めば、大抵のことはやってくれる。もちろん、そこには亮なりの計算もあるのだろうが。
思い悩む徳郁だったが、そんなものはお構い無しなのがシロスケであった。大はしゃぎで川の中で暴れていたかと思うと、気が済んだらしく上がって来たのだ。
シロスケはいったん大きく体を震わせ、体から水滴を弾き飛ばした。直後、サンめがけて走り寄ってくる──
すると、クロベエが反応した。唸り声を上げたかと思うと、シロスケの顔面に前足の一撃を食らわす。
一瞬にして、その場の空気は変化した。
シロスケを睨み、背中の毛を逆立てながら威嚇の唸り声を上げるクロベエ。だが、シロスケも怯む気配がない。鼻に皺を寄せて牙を剥き出しながら、クロベエを威嚇している。
「お、おい……」
止めに入ろうと、徳郁は立ち上がった。するも、サンが両者の方を向き口を開く。
「くろべえ、しろすけ……けんか、だめ。なかよく、するの」
彼女が言葉を発したとたん、二匹はうって変わっておとなしくなった。クロベエは喉をゴロゴロ鳴らしながら、サンの手に頬を擦り寄せていく。一方、シロスケもその場に伏せ、大人しくなった。
徳郁は思わず苦笑した。サーカス団の猛獣使いでも、このような真似は出来ないであろう。
「サン、お前は本当に凄いな」
二人と二匹は、河原に腰掛けた。クロベエとシロスケは、先ほどのいさかいが嘘のように大人しく伏せている。クロベエは仰向けに寝そべり、シロスケは地面に顎を付けている。
二匹に挟まれた形のサンは、川を見ながらニコニコしている。時おり手を伸ばし、クロベエとシロスケを撫でていた。
そんな光景を見ているうちに、徳郁は満ち足りた気分になっていた。
このままずっと、サンやクロベエやシロスケたちと一緒に暮らしていたい。
もし願いが叶うなら……誰にも邪魔されることなく、静かに生活していたい。
この幸せな時間が、いつまでも続いて欲しい。
リビングで考え込んでいる徳郁の耳に、サンの声が聞こえてきた。顔を上げると、サンがこちらを見ている。彼女なりに心配してくれているようだ。さらに、クロベエとシロスケも、顔を上げてこちらを見ている。
「ああ、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとうな」
そう言って微笑んだ。しかし、不安は消えなかった。
昨日、成宮亮から聞いた話が、頭から離れてくれない。旧三日月村での爆発騒ぎ。続いて三人の変死体。さらに腕利きの裏の仕事人が、わざわざ白土市まで出張している。
それらの事態と、サンは関係あるのだろうか?
「きら、だいじょうぶ。きら、へいき」
不意に、サンが手を伸ばし頭を撫でてきた。徳郁は不意を突かれ、反射的に顔をしかめ後ずさっていた。すると、彼女はびくりと手を引っ込めた。
「きら、ごめん」
すまなそうな表情で謝る。徳郁の反応を見て、自身が不快な思いをさせたと誤解しているらしい。
思わず顔を歪めた。サンは悪くない。むしろ、悪いのは自分なのだ。うろたえた徳郁は、妙なことを口走っていた。
「違うんだよ。サンは悪くない。それより、今から一緒に外を歩かないか?」
直後、かーっと赤面していた。自分は、何を言っているのだろう。なぜ今、一瞬に外を歩かなければならないのだ。彼は、己のコミュニケーション能力のなさを痛烈に感じていた。
ところが、サンは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そと、あるく。きらと、いっしょ……そと、あるく。うれしい」
妙な成り行きで、徳郁はサンと一緒に林の中を歩いていた。
後ろからは、クロベエとシロスケがのそのそ付いて来ている。まるで、サンの忠実なる付き人のようだ。不思議な話である。シロスケもクロベエも、人に付いて歩くようなタイプではなかったはずなのに。
サンには、奇妙な力がある。クロベエとシロスケは、完全にこの少女に懐いてしまった。古い付き合いであるはずの自分に対するよりも、ずっと忠誠心を持っているように見える。しかも、意思の疎通まで出来ているらしい。プロの動物調教師でさえ、こんな真似は出来ないだろう。
徳郁がそんなことを思っていた時、不意にサンが手を握ってきた。ドキリとなるが、サンはこちらの心境などお構い無しだ。ニコニコしながら手を握ってくる。その瞳には、自分への純粋な親愛の情があった。
徳郁の頬が、またしても紅潮する。耳まで赤く染まるのを感じながらも、彼はサンの手を握り返した。
「きら、やさしい……から、だいすき」
たどたどしい口調で、語りかけてくるサン。徳郁はうろたえながらも、言葉を返す。
「あ、ああ……俺も好きだよ」
やがて二人と二匹は、河原にやって来た。
すると、シロスケの態度が一変する。大はしゃぎで、川の周辺を走り出したのだ。
「お、おいシロスケ、あんまり騒ぐなよ」
徳郁が声を掛けるが、シロスケは聞く耳を持たなかった。興奮した様子ではあはあ息を荒げながら、一心不乱に河原を走り回っている。
唖然としている徳郁を尻目に、シロスケの動きはさらに激しくなる。いきなり川の中に飛び込み、じゃぶじゃぶと泳ぎだしたのだ。
一方、クロベエはサンの足元にいる。尻を地面に着け、お行儀よく前足を揃えた姿勢だ。尻尾を緩やかに動かしながら、サンの顔をじっと見ていた。時おり、小馬鹿にしているかのような表情でシロスケにも視線を向ける。
サンはというと、ニコニコしながら周りを見回している。嬉しくてたまらない、といった表情だ。
「サン、楽しいか?」
徳郁が尋ねると、サンは嬉しそうに頷いた。
「うん、たのしい。みんな、すき。いっしょに、いる……うれしい、たのしい」
サンの操る言葉はたどたどしいが、それでも上手くなってきている。一日ずっとテレビを観て、そこから学習しているのだろう。
ふと、徳郁の頭に疑問が生じた。サンは様々なことを知っている。風呂、トイレの使い方、テレビの電源を入れる方法などなど。それらの知識は、何者が教えたのだろうか。
しかも、その何者かはサンに常識的な部分を教えなかったらしい。なぜ、そんな偏った教育をしたのだろうか。
もっとも、自分が悩んでも無意味なことであるのはわかっている。そもそも、徳郁もまた世間知らずなのだ。面倒なことや自分の手に余るようなことは、唯一の友人である成宮亮に任せている。亮は裏の世界の住人であるが、妙に面倒見がいい。徳郁が頼めば、大抵のことはやってくれる。もちろん、そこには亮なりの計算もあるのだろうが。
思い悩む徳郁だったが、そんなものはお構い無しなのがシロスケであった。大はしゃぎで川の中で暴れていたかと思うと、気が済んだらしく上がって来たのだ。
シロスケはいったん大きく体を震わせ、体から水滴を弾き飛ばした。直後、サンめがけて走り寄ってくる──
すると、クロベエが反応した。唸り声を上げたかと思うと、シロスケの顔面に前足の一撃を食らわす。
一瞬にして、その場の空気は変化した。
シロスケを睨み、背中の毛を逆立てながら威嚇の唸り声を上げるクロベエ。だが、シロスケも怯む気配がない。鼻に皺を寄せて牙を剥き出しながら、クロベエを威嚇している。
「お、おい……」
止めに入ろうと、徳郁は立ち上がった。するも、サンが両者の方を向き口を開く。
「くろべえ、しろすけ……けんか、だめ。なかよく、するの」
彼女が言葉を発したとたん、二匹はうって変わっておとなしくなった。クロベエは喉をゴロゴロ鳴らしながら、サンの手に頬を擦り寄せていく。一方、シロスケもその場に伏せ、大人しくなった。
徳郁は思わず苦笑した。サーカス団の猛獣使いでも、このような真似は出来ないであろう。
「サン、お前は本当に凄いな」
二人と二匹は、河原に腰掛けた。クロベエとシロスケは、先ほどのいさかいが嘘のように大人しく伏せている。クロベエは仰向けに寝そべり、シロスケは地面に顎を付けている。
二匹に挟まれた形のサンは、川を見ながらニコニコしている。時おり手を伸ばし、クロベエとシロスケを撫でていた。
そんな光景を見ているうちに、徳郁は満ち足りた気分になっていた。
このままずっと、サンやクロベエやシロスケたちと一緒に暮らしていたい。
もし願いが叶うなら……誰にも邪魔されることなく、静かに生活していたい。
この幸せな時間が、いつまでも続いて欲しい。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる