舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月九日 徳郁の散歩

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「きら、どうしたの……げんき、ない」

 リビングで考え込んでいる徳郁の耳に、サンの声が聞こえてきた。顔を上げると、サンがこちらを見ている。彼女なりに心配してくれているようだ。さらに、クロベエとシロスケも、顔を上げてこちらを見ている。

「ああ、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとうな」

 そう言って微笑んだ。しかし、不安は消えなかった。
 昨日、成宮亮から聞いた話が、頭から離れてくれない。旧三日月村での爆発騒ぎ。続いて三人の変死体。さらに腕利きの裏の仕事人が、わざわざ白土市まで出張している。
 それらの事態と、サンは関係あるのだろうか?

「きら、だいじょうぶ。きら、へいき」

 不意に、サンが手を伸ばし頭を撫でてきた。徳郁は不意を突かれ、反射的に顔をしかめ後ずさっていた。すると、彼女はびくりと手を引っ込めた。

「きら、ごめん」

 すまなそうな表情で謝る。徳郁の反応を見て、自身が不快な思いをさせたと誤解しているらしい。
 思わず顔を歪めた。サンは悪くない。むしろ、悪いのは自分なのだ。うろたえた徳郁は、妙なことを口走っていた。

「違うんだよ。サンは悪くない。それより、今から一緒に外を歩かないか?」

 直後、かーっと赤面していた。自分は、何を言っているのだろう。なぜ今、一瞬に外を歩かなければならないのだ。彼は、己のコミュニケーション能力のなさを痛烈に感じていた。
 ところが、サンは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「そと、あるく。きらと、いっしょ……そと、あるく。うれしい」



 妙な成り行きで、徳郁はサンと一緒に林の中を歩いていた。
 後ろからは、クロベエとシロスケがのそのそ付いて来ている。まるで、サンの忠実なる付き人のようだ。不思議な話である。シロスケもクロベエも、人に付いて歩くようなタイプではなかったはずなのに。
 サンには、奇妙な力がある。クロベエとシロスケは、完全にこの少女に懐いてしまった。古い付き合いであるはずの自分に対するよりも、ずっと忠誠心を持っているように見える。しかも、意思の疎通まで出来ているらしい。プロの動物調教師でさえ、こんな真似は出来ないだろう。
 徳郁がそんなことを思っていた時、不意にサンが手を握ってきた。ドキリとなるが、サンはこちらの心境などお構い無しだ。ニコニコしながら手を握ってくる。その瞳には、自分への純粋な親愛の情があった。
 徳郁の頬が、またしても紅潮する。耳まで赤く染まるのを感じながらも、彼はサンの手を握り返した。

「きら、やさしい……から、だいすき」

 たどたどしい口調で、語りかけてくるサン。徳郁はうろたえながらも、言葉を返す。

「あ、ああ……俺も好きだよ」

 やがて二人と二匹は、河原にやって来た。
 すると、シロスケの態度が一変する。大はしゃぎで、川の周辺を走り出したのだ。

「お、おいシロスケ、あんまり騒ぐなよ」

 徳郁が声を掛けるが、シロスケは聞く耳を持たなかった。興奮した様子ではあはあ息を荒げながら、一心不乱に河原を走り回っている。
 唖然としている徳郁を尻目に、シロスケの動きはさらに激しくなる。いきなり川の中に飛び込み、じゃぶじゃぶと泳ぎだしたのだ。
 一方、クロベエはサンの足元にいる。尻を地面に着け、お行儀よく前足を揃えた姿勢だ。尻尾を緩やかに動かしながら、サンの顔をじっと見ていた。時おり、小馬鹿にしているかのような表情でシロスケにも視線を向ける。
 サンはというと、ニコニコしながら周りを見回している。嬉しくてたまらない、といった表情だ。

「サン、楽しいか?」

 徳郁が尋ねると、サンは嬉しそうに頷いた。

「うん、たのしい。みんな、すき。いっしょに、いる……うれしい、たのしい」

 サンの操る言葉はたどたどしいが、それでも上手くなってきている。一日ずっとテレビを観て、そこから学習しているのだろう。
 ふと、徳郁の頭に疑問が生じた。サンは様々なことを知っている。風呂、トイレの使い方、テレビの電源を入れる方法などなど。それらの知識は、何者が教えたのだろうか。
 しかも、その何者かはサンに常識的な部分を教えなかったらしい。なぜ、そんな偏った教育をしたのだろうか。
 もっとも、自分が悩んでも無意味なことであるのはわかっている。そもそも、徳郁もまた世間知らずなのだ。面倒なことや自分の手に余るようなことは、唯一の友人である成宮亮に任せている。亮は裏の世界の住人であるが、妙に面倒見がいい。徳郁が頼めば、大抵のことはやってくれる。もちろん、そこには亮なりの計算もあるのだろうが。

 思い悩む徳郁だったが、そんなものはお構い無しなのがシロスケであった。大はしゃぎで川の中で暴れていたかと思うと、気が済んだらしく上がって来たのだ。
 シロスケはいったん大きく体を震わせ、体から水滴を弾き飛ばした。直後、サンめがけて走り寄ってくる──
 すると、クロベエが反応した。唸り声を上げたかと思うと、シロスケの顔面に前足の一撃を食らわす。
 一瞬にして、その場の空気は変化した。
 シロスケを睨み、背中の毛を逆立てながら威嚇の唸り声を上げるクロベエ。だが、シロスケも怯む気配がない。鼻に皺を寄せて牙を剥き出しながら、クロベエを威嚇している。

「お、おい……」

 止めに入ろうと、徳郁は立ち上がった。するも、サンが両者の方を向き口を開く。

「くろべえ、しろすけ……けんか、だめ。なかよく、するの」

 彼女が言葉を発したとたん、二匹はうって変わっておとなしくなった。クロベエは喉をゴロゴロ鳴らしながら、サンの手に頬を擦り寄せていく。一方、シロスケもその場に伏せ、大人しくなった。
 徳郁は思わず苦笑した。サーカス団の猛獣使いでも、このような真似は出来ないであろう。

「サン、お前は本当に凄いな」

 二人と二匹は、河原に腰掛けた。クロベエとシロスケは、先ほどのいさかいが嘘のように大人しく伏せている。クロベエは仰向けに寝そべり、シロスケは地面に顎を付けている。
 二匹に挟まれた形のサンは、川を見ながらニコニコしている。時おり手を伸ばし、クロベエとシロスケを撫でていた。
 そんな光景を見ているうちに、徳郁は満ち足りた気分になっていた。

 このままずっと、サンやクロベエやシロスケたちと一緒に暮らしていたい。
 もし願いが叶うなら……誰にも邪魔されることなく、静かに生活していたい。

 この幸せな時間が、いつまでも続いて欲しい。




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