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九月四日 敦志の戦慄
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不意に、扉をノックする音がした。立島敦志は拳銃を隠し、声をかける。
「はい? どうかしましたか?」
「夕飯は七時だよ。それを過ぎたら食べられないからね」
無愛想かつ投げやりな中年男の声が、扉越しに聞こえてきた。今、宿泊している民宿の従業員の声だ。ぶっきらぼうで、サービス精神の欠片も感じられない。もっとも敦志にとっては、その方がありがたい。
「わかりました。わざわざすみません」
そう答えると、扉の向こうからドタドタと階段を降りて行く音がした。気遣いというものを、欠片ほども感じさせない態度である。思わず口元を歪めた。
この民宿は、あと二年もすれば潰れるであろう。客を客とも思わぬ傍若無人な態度は、今の御時世では致命的だ。そんなことを思いつつ、敦志は作業を再開する。隠し持っていた拳銃のマガジンやトリガーをチェックし、両手で狙いを定めてみる。最後に安全装置をかけ、カバンの中に入れておいた。
その時、奇妙な違和感を覚えた。何かがおかしい。
何がおかしいんだ?
敦志は周囲を見回した。特に変わった点はない。部屋はお世辞にも綺麗とは言えないし、つけっぱなしのテレビはつまらないニュースや芸能ゴシップを垂れ流している。
思わず首を捻る。彼の勘は、異変を訴えかけている。しかし、その異変が何なのかわからない。
待てよ──
再度、テレビに視線を移す。数時間前から、ずっとワイドショーやニュース番組が放送されていた。芸能人のゴシップのような、つまらない話題を延々と垂れ流していた。
しかし……昨日、敦志が見たはずの死体については一切ふれていない。
「どういうことだ?」
思わず呟く。仮にも、三人の男が変死体となって発見されているのだ。そんな事件が、全く報道されていない。あの事件は、どうなったのだろうか。
次の瞬間、敦志はスマホを手にしていた。とある番号にかける。
「おい、亮……今、大丈夫か?」
(ええ、大丈夫ですよ。どうしたんです?)
とぼけた声が返ってくる。この声の主である成宮亮は、若いが裏の情報に通じている男だ。敦志とは顔見知りである。さほど仲が良い訳ではないが、彼の情報には信頼が置ける。
「昨日の朝、白土市で死体を見つけたんだよ。首や手足をへし折られ、ねじ曲げられてやがった。あれは普通じゃない。お前、何か聞いてないか?」
(えっ、白土市ですか? そんな話は初耳ですね。確認しときたいんですが、そいつらは殺されていたんですね?)
「ああ、間違いなく殺しだ。それも三人。俺は、この目で見た。なのに、事件が報道されてない」
(そいつは妙ですね。そんな話、いっさい聞いてないですよ)
亮の言葉を聞いた敦志は、言い様のない不安を覚えた。
「悪いが、ちょっと調べてみてくれないか? この白土市で、何が起きているのか知りたい」
(ええ、構いませんよ。ただね、白土市ってのはヤバい場所ですからね。何やってんのか知りませんが、さっさと離れた方がいいですよ)
「どういうことだ?」
その後、亮から聞いた話は、全く想定外であった。
この白土市という場所は、地域全体に閉鎖的な空気が流れているのだ。歓楽街はともかくとして、それ以外の場所は明らかによそ者を歓迎しない雰囲気である。
その事実は、敦志も以前から知っていた。ただ彼は漠然と、白土市が山に囲まれた田舎町であるためだろう、と考えていたのだ。田舎町ゆえの閉鎖性……くらいにしか捉えていなかった。
しかし、実は別の理由があったのだ。
今、亮に聞いた話によると……最大の原因は、神居家という特殊な存在にある。神居の一族は、百年以上前から続いている名家であり、白土市において絶大なる権力を持つ。
特に、現在の当主である神居宗一郎の発言は多方面への影響力を持っており、白土市の帝王と言っても過言ではないのだ。地元の警官ごときでは、手を出すことなど出来はしない。
実際の話、市長や市会議員、警察署長などといった白土市の中枢にいる人物は……全て神居家の息のかかった人間なのである。
この白土市において、神居家の人間が絡めば、殺人など簡単に揉み消せる。
(死体が三つ、それも殺しともなれば、ニュースにならないはずがないですよ。それが報道されていないってのは……神居家の人間が絡んでるとしか思えないですね。念のため、こっちでも調べてはみますが)
会話を終える直前、亮はそんな言葉を残していた。
敦志は立ち上がり、窓から外を見る。豊かな自然に囲まれた白土市。道路沿いには、動物に注意と書かれた看板が設置されている。猪や鹿などが、飛び出して来ることもあるらしい。表面的には、実にのどかな地域である。
しかし、その裏で何が起きているのか、誰にも知らされていないのだ。
緑に塗り込められてはいるが、ここは悪魔の支配している場所なのかもしれない。神居家という名の、悪魔が支配する魔界。
そんなバカなことを思いながら、じっと外の風景を眺めていた。だが、彼の目は奇妙なものを捉える。
道端に生えている大木。そこに、ひとりの男が寄りかかっている。身長はさほど大きくないし、肌の色は浅黒い。顔の造りや肌の色から判断するに、明らかに日本人ではない。かといって、欧米人とも違う。見た目からは年齢を推し量れないが、若くないのは確かだ。その体からは、どこか獣じみた雰囲気を漂わせている。
不意に、男は顔を上げた。二階の窓から、下を見ていた敦志と目が合う。
次の瞬間、男はニヤリと笑った──
背筋が凍りつくような感覚に襲われ、敦志の額から一筋の汗が流れる。にもかかわらず、男から目を逸らせることが出来なかった。蛇に睨まれた蛙のように、立ちすくんだまま男と見つめ合っていたのだ。
やがて、男は目を逸らせる。何事も無かったかのように、森の中へと消えて行った。
どのくらいの時間が経ったのだろう。我に返った敦志は、その場にしゃがみこんでいた。あんな男を見たのは初めてだ──
いや、初めてではない。
次の瞬間、敦志はスマホを手に取る。
震える手で、画像を素早くチェックした。
今、下に居た中年男は、ペドロ・クドーだ。
噂の殺人鬼は、実在していたのだ。そして今、この白土市に来ている。
「はい? どうかしましたか?」
「夕飯は七時だよ。それを過ぎたら食べられないからね」
無愛想かつ投げやりな中年男の声が、扉越しに聞こえてきた。今、宿泊している民宿の従業員の声だ。ぶっきらぼうで、サービス精神の欠片も感じられない。もっとも敦志にとっては、その方がありがたい。
「わかりました。わざわざすみません」
そう答えると、扉の向こうからドタドタと階段を降りて行く音がした。気遣いというものを、欠片ほども感じさせない態度である。思わず口元を歪めた。
この民宿は、あと二年もすれば潰れるであろう。客を客とも思わぬ傍若無人な態度は、今の御時世では致命的だ。そんなことを思いつつ、敦志は作業を再開する。隠し持っていた拳銃のマガジンやトリガーをチェックし、両手で狙いを定めてみる。最後に安全装置をかけ、カバンの中に入れておいた。
その時、奇妙な違和感を覚えた。何かがおかしい。
何がおかしいんだ?
敦志は周囲を見回した。特に変わった点はない。部屋はお世辞にも綺麗とは言えないし、つけっぱなしのテレビはつまらないニュースや芸能ゴシップを垂れ流している。
思わず首を捻る。彼の勘は、異変を訴えかけている。しかし、その異変が何なのかわからない。
待てよ──
再度、テレビに視線を移す。数時間前から、ずっとワイドショーやニュース番組が放送されていた。芸能人のゴシップのような、つまらない話題を延々と垂れ流していた。
しかし……昨日、敦志が見たはずの死体については一切ふれていない。
「どういうことだ?」
思わず呟く。仮にも、三人の男が変死体となって発見されているのだ。そんな事件が、全く報道されていない。あの事件は、どうなったのだろうか。
次の瞬間、敦志はスマホを手にしていた。とある番号にかける。
「おい、亮……今、大丈夫か?」
(ええ、大丈夫ですよ。どうしたんです?)
とぼけた声が返ってくる。この声の主である成宮亮は、若いが裏の情報に通じている男だ。敦志とは顔見知りである。さほど仲が良い訳ではないが、彼の情報には信頼が置ける。
「昨日の朝、白土市で死体を見つけたんだよ。首や手足をへし折られ、ねじ曲げられてやがった。あれは普通じゃない。お前、何か聞いてないか?」
(えっ、白土市ですか? そんな話は初耳ですね。確認しときたいんですが、そいつらは殺されていたんですね?)
「ああ、間違いなく殺しだ。それも三人。俺は、この目で見た。なのに、事件が報道されてない」
(そいつは妙ですね。そんな話、いっさい聞いてないですよ)
亮の言葉を聞いた敦志は、言い様のない不安を覚えた。
「悪いが、ちょっと調べてみてくれないか? この白土市で、何が起きているのか知りたい」
(ええ、構いませんよ。ただね、白土市ってのはヤバい場所ですからね。何やってんのか知りませんが、さっさと離れた方がいいですよ)
「どういうことだ?」
その後、亮から聞いた話は、全く想定外であった。
この白土市という場所は、地域全体に閉鎖的な空気が流れているのだ。歓楽街はともかくとして、それ以外の場所は明らかによそ者を歓迎しない雰囲気である。
その事実は、敦志も以前から知っていた。ただ彼は漠然と、白土市が山に囲まれた田舎町であるためだろう、と考えていたのだ。田舎町ゆえの閉鎖性……くらいにしか捉えていなかった。
しかし、実は別の理由があったのだ。
今、亮に聞いた話によると……最大の原因は、神居家という特殊な存在にある。神居の一族は、百年以上前から続いている名家であり、白土市において絶大なる権力を持つ。
特に、現在の当主である神居宗一郎の発言は多方面への影響力を持っており、白土市の帝王と言っても過言ではないのだ。地元の警官ごときでは、手を出すことなど出来はしない。
実際の話、市長や市会議員、警察署長などといった白土市の中枢にいる人物は……全て神居家の息のかかった人間なのである。
この白土市において、神居家の人間が絡めば、殺人など簡単に揉み消せる。
(死体が三つ、それも殺しともなれば、ニュースにならないはずがないですよ。それが報道されていないってのは……神居家の人間が絡んでるとしか思えないですね。念のため、こっちでも調べてはみますが)
会話を終える直前、亮はそんな言葉を残していた。
敦志は立ち上がり、窓から外を見る。豊かな自然に囲まれた白土市。道路沿いには、動物に注意と書かれた看板が設置されている。猪や鹿などが、飛び出して来ることもあるらしい。表面的には、実にのどかな地域である。
しかし、その裏で何が起きているのか、誰にも知らされていないのだ。
緑に塗り込められてはいるが、ここは悪魔の支配している場所なのかもしれない。神居家という名の、悪魔が支配する魔界。
そんなバカなことを思いながら、じっと外の風景を眺めていた。だが、彼の目は奇妙なものを捉える。
道端に生えている大木。そこに、ひとりの男が寄りかかっている。身長はさほど大きくないし、肌の色は浅黒い。顔の造りや肌の色から判断するに、明らかに日本人ではない。かといって、欧米人とも違う。見た目からは年齢を推し量れないが、若くないのは確かだ。その体からは、どこか獣じみた雰囲気を漂わせている。
不意に、男は顔を上げた。二階の窓から、下を見ていた敦志と目が合う。
次の瞬間、男はニヤリと笑った──
背筋が凍りつくような感覚に襲われ、敦志の額から一筋の汗が流れる。にもかかわらず、男から目を逸らせることが出来なかった。蛇に睨まれた蛙のように、立ちすくんだまま男と見つめ合っていたのだ。
やがて、男は目を逸らせる。何事も無かったかのように、森の中へと消えて行った。
どのくらいの時間が経ったのだろう。我に返った敦志は、その場にしゃがみこんでいた。あんな男を見たのは初めてだ──
いや、初めてではない。
次の瞬間、敦志はスマホを手に取る。
震える手で、画像を素早くチェックした。
今、下に居た中年男は、ペドロ・クドーだ。
噂の殺人鬼は、実在していたのだ。そして今、この白土市に来ている。
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