18 / 25
明は慎重に
しおりを挟む
明は慎重に、入ってきた扉を少し開ける。隙間から、しばらく外の様子を窺った。
誰もいない。僕と明は、さらに念入りに周囲を確認する。暗闇に目を凝らし、耳をすませた。
その時、僕の目は歩いてくる何者かの姿を捉えた。革ジャンを着ている中肉中背の男だ。たったひとりで、直枝の潜んでいる小屋に近づいている。暗くてよく見えないが、武器は持っていないようだった。
思わず首を捻る。おかしな話だ。さっきは、ボクサーと力士という強者のコンビが僕たちを探しに来た。
しかし、あの男はたったひとりでやって来ている。しかも、何の緊張感も感じられない。表情までは分からないが、その動きはスムーズだ。周囲を警戒する様子がまるでなく、リラックスしているようにすら見える。あの力士とボクサーでさえ、少しは警戒しているような素振りがあったのに。
あいつは、いったい何者なんだろうか。ひょっとしたら、本物の軍人か何かなのかもしれない。
その時、明が小声で囁いてきた。
「あれは、恐らく囮だ。俺たちを、罠に掛けるためのな。うかつに近寄ったらヤバいぞ」
「じゃあ、どうする?」
「だがな、あいつを放っておいたら直枝が危ない。仕方ねえ、俺が行くよ」
「えっ、行くってどういうこと?」
僕の問いに対し、明は不敵な笑みを浮かべた。僕の肩を軽く叩く。
「あえて、奴らの罠に乗ってみる。俺が行くから、お前はここで様子を見てろ」
明の声は、自信に満ちていた。この得体の知れない状況にも、怯んでいる素振りがない。
やはり明は最強だ。だからこそ、ここは僕が行かなくてはならない。
「いや、僕が行くよ」
「何だと!?」
驚愕の表情を浮かべる明。だが、僕は立ち上がった。
「明に万が一の事があったら、僕たち三人は終わりだよ。だから、僕が行くのが一番いい。何かあったら、君が直枝を助けてくれ。そして、僕の代わりに奴らを潰してくれ」
「おい! ちょっと待てよ! お前、何を考えているんだ──」
返事も聞かず、僕は歩き出した。外に出ると、サバイバルナイフを構え、静かに近づいて行く。
僕はこの時、妙に冷静だった。明の言葉を聞きながら、素早く考えていたのだ。もし彼が罠にかかり、万一のことがあったとしたら、僕に助けられる自信はない。その場合、僕も直枝もおしまいだ。
しかし、僕が罠にかかったとしても……明なら助けてくれる。直枝を連れ、逃げることも出来る。
もっとも、理由は他にもあった。僕の中に生まれつつある、ドス黒い凶暴な何か。その何かが急き立てたのだ。
早く奴らを殺せ、と。
僕の足音に気付き、男は振り向いた。ニヤリと笑う。
「引っかかったな、クソガキが」
言うと同時に、周辺に隠れていた別の男たちが姿を現した。
だが、僕はそんなものは見ていなかった。目の前の男に、ナイフごと体当たりを喰らわす。そのまま、直枝の隠れている物置小屋へと突っ込んで行ったのだ。
予想通り、男は防刃ベストを着ていた。先ほどのボクサーと同じだ。そのため、ナイフの刃は刺さらない。だが体当たりで男は吹っ飛び、小屋の中で倒れる。
おそらく、僕が切りかかってくるものと思っていたのだろう。男は驚愕の表情を浮かべながら吹っ飛び、為す術なく倒れる。
僕を体の上に乗せたまま、仰向けになっていた。その顔には、驚愕の表情が浮かんである。
だが、僕は止まらなかった。考えるより先に、体が動く。馬乗りになった体勢で、男の喉にナイフを振り下ろした。同時に辺りを見回し、他の男たちからの攻撃に備える。
だが、その必要はなかった。他の男たちは四人いたが、その全員の注意が明ひとりに集中していた。僕のことなど、誰も注意していない。無論、向かって来るような素振りすらない。
その状況を確認した僕は、下でもがき苦しんでいる男の喉に、もう一度ナイフを降り下ろした。
大量の血が流れ、肉を切り裂いた感触が伝わってくる……。
男の命が抜けていく瞬間が、はっきり分かった。
だが、余韻にひたっている暇などない。明は、たったひとりで四人を相手にして闘っているのだ。すぐに助けなくてはならない。
僕は、ナイフを手に立ち上がる。外にいる男たちのひとりに斬りかかって行った──
・・・
「引っ掛かったな、クソガキが」
接近していく翔に気づいた男が、ニヤリと笑う。
と同時に、物陰や周囲の建物の陰に隠れていた男たちが姿を見せた。一斉に行動を開始する。全員、翔に襲いかかって行こうとするのが見えた。
その瞬間、明は表に駆け出して行った。相手は四人だ。全員、何かキラキラ光る物を持っている。間違いなく武器であろう。ただし、誰も銃器の類いは持っていない。うちひとりが、ボウガンを持っているだけだ。
それならば、何も怖くない。今までやってきた通りに、仕留めればいいだけの話だ。
明は、まずボウガンの男に突進する。
ボウガンの男は、不意の明の登場に対し完全に意表を突かれていた。慌ててボウガンを構える。だが、矢を込めていないことに気づいた。慌ててセットしようとする。あまりにも、お粗末な行動である。間違いなく素人だ。
しかし、明は容赦しなかった。むしろ、素人ならば好都合だ。弾丸のような速さで、足元に滑り込む。全体重をかけたスライディングキックを、男の膝に見舞う──
明の足刀が、矢を込めようと四苦八苦していた男の左膝に炸裂する。
次の瞬間、鈍い音とともに、あり得ない角度に足が曲がっていた。明の蹴りにより膝を砕かれたのだ。男は激痛に耐えきれず、悲鳴をあげながら倒れる。
だか、明の動きは止まらなかった。男の手からボウガンを蹴り飛ばすと、その場から前転して素早く立ち上がる。
立ち上がった明に、今度は警棒のような物を持った男が突進してきた。何やら喚きながら、凄まじい形相で棒を振り上げる。
しかし、明は怯まない。先ほど膝を砕かれ倒れていた男を、無理やり引き上げて立たせる。
自身への警棒の一撃を、その男の体で受け止めた。敵の体を盾代わりにしたのだ。直後に、凄まじい悲鳴があがった。
明は、動きを止めない。盾代わりにした男の体を、警棒の男に叩きつけた。と同時に、男の警棒を握っている右腕を自らの両手で掴み押さえ込む。無駄がなく、かつ自然な動きだ。時間にして僅か二、三秒であろうか。
直後、男の手首に下方向の力を加え、同時に肘関節に上方向への力を加える。肘がテコの支点となり、一瞬のうちに肘関節が破壊された。アームバーという名の関節技だ。
男は悲鳴をあげ、警棒を落とした。明は肘を極めた体勢のまま、男の体を振り回す。
その瞬間、長いチェーンのような物を持った男が突進して来た。明めがけ、チェーンが振り下ろされる──
だがチェーンが当たったのは、先ほどまで警棒を振り回していた男の体であった。またしても、敵の体を盾代わりにして攻撃を受け止めたのだ。父から教わった戦法のひとつに、複数の敵と闘う時には、敵の体を上手く盾代わりにする……というものがある。今も、それをきっちり実践していたのだ。
明は男の肘を極めていた両手を離し、右手で警棒を持っていた男の喉を掴む。その直後、一瞬で握り潰す──
と同時に、チェーンの男に左手で払うような目突きを見舞う。
確かな手応えを感じた。眼球に指先が当たり、男は苦痛に顔を歪める。目を押さえ、よろよろと後ずさった。
その時、別の悲鳴が明の耳に飛び込んで来た。明は顔をしかめ、そちらに視線を移す。
すると翔が、最後に残った男に斬りつけているのが見えた。相手の返り血を全身に浴びて、地獄の悪魔のような容貌になっている。そんな姿で、男に斬りかかっていた──
翔の凶行を横目で見ながら、明は目の前にいる男の髪を掴んで引き寄せる。強靭な腕で首をねじり、脊髄を一瞬にして破壊した。
男の目から、光が消える。明は死体となった男の体を、その場に放り出した。つかつかと翔のそばに近づいて行く。
翔の闘いを手助けするためではない。彼の暴走を止めるためだ。
・・・
僕はナイフを振り上げ、目の前にいた男に向かって行った。
すると、男の顔が恐怖に歪む。だが、手を止めるわけにはいかないのだ。首めがけて斬りつけた。
ナイフは、男の首に深くめり込む。僕は、すぐにナイフを引き抜いた。いざとなると、人間は簡単には死なないのだ。だから、動かなくなるまで攻撃を続けなくてはならない──
僕がナイフを引き抜いた瞬間、男の首からは大量の血が迸った。男の口から、言葉にならない悲鳴があがった。必死の形相で傷口を押さえる。
許しを乞うように、もう片方の手を前に差し出した。
だが、僕は攻撃を止めない。男を斬った。斬って斬って斬りまくった──
そう、こいつは極悪人なのだ。上条と大場と芳賀を、無惨な死体に変えた集団の一員なのである。放っておけば、また何人もの罪もない人間を殺すだろう。
今の僕は正義であり、目の前の男は紛れもない悪である。だからこそ、殺すのだ。
いや、僕が殺さなければならないんだ。
死んでしまった三人のためにも。
明を助け、直枝を守るためにも──
「おい翔! いい加減にしろ! そいつは死んでる! もう止めろ!」
どこからか、明の声が聞こえてきた。その声のお陰で、僕はようやく我に返る。ナイフを持つ手を下ろした。
ふと気がつくと、顔も手も血まみれだ。男は、足元で死体と化している。さらに周囲には、他の死体も転がっている。
僕は男の着ていた服をはぎ取った。タオル代わりに、自分の顔についた血を拭く。さらに、ナイフの刃にこびりついた血と脂を拭う。
その時、何者かの射るような視線を感じた。視線の方向に顔を向けると、そこには明が立っていた。厳しい目付きで、僕の行動をじっと見つめている。
「おい翔……お前、本当に大丈夫なのか? 気分が悪いなら言ってくれ。倒れられても困る」
明はポツリと、呟くかのような口調で言った。その表情は険しいが、身を案じてくれているようにも感じられる。僕は笑みを浮かべて、頷いて見せた。
「うん、僕は大丈夫だよ。それよりも、直枝の様子を見てくる。ここにいたら危ないかもしれないし」
そう言って、僕は小屋の中に入って行った。見ると、直枝はさらに痛々しい顔になっていた。表情は青白く虚ろで、目には力がない。
だが僕たちの顔を見て、安堵の表情を浮かべる。
「無事だったんだね、二人とも。良かった……本当に良かった。心配してたんだよ」
その言葉を聞いた時、僕の胸に不思議な感情が湧き上がった。先ほどまで心を支配していたものとは、真逆の何かだ。
その時、生まれて初めて、他人の存在をいとおしいと感じたような気がする。
「二人とも、帰って来てくれないかと思ったんだよ。本当にありがとう」
直枝はそう言った直後、下を向き、肩を震わせた。
その瞳からは、大粒の涙が零れ落ちる。口からは、すすり泣きの声が洩れた。
「なんで……なんで……こうなっちゃったのかな……なんで……こんな事に……あたしたち、なんか悪いことしたのかな……」
言いながら、直枝は泣き続ける。その嗚咽は、しばらく続いていた。
だが、僕には何も出来ない。明も同じだった。こんな時に、どのような言葉をかければいいのか分からない。直枝の心からの問いかけに対し、僕たち二人では答えを出せなかった。
その本当の答えを知っているのは、奴らだけなのかもしれない。
だからこそ、ケリを付けなくてはならないのだ。
僕はそっと、自分の血まみれの手を拭いた。だが、いくら拭いても綺麗にはならなかった。相手の流した血で、真っ赤に染まってしまったままだった。
誰もいない。僕と明は、さらに念入りに周囲を確認する。暗闇に目を凝らし、耳をすませた。
その時、僕の目は歩いてくる何者かの姿を捉えた。革ジャンを着ている中肉中背の男だ。たったひとりで、直枝の潜んでいる小屋に近づいている。暗くてよく見えないが、武器は持っていないようだった。
思わず首を捻る。おかしな話だ。さっきは、ボクサーと力士という強者のコンビが僕たちを探しに来た。
しかし、あの男はたったひとりでやって来ている。しかも、何の緊張感も感じられない。表情までは分からないが、その動きはスムーズだ。周囲を警戒する様子がまるでなく、リラックスしているようにすら見える。あの力士とボクサーでさえ、少しは警戒しているような素振りがあったのに。
あいつは、いったい何者なんだろうか。ひょっとしたら、本物の軍人か何かなのかもしれない。
その時、明が小声で囁いてきた。
「あれは、恐らく囮だ。俺たちを、罠に掛けるためのな。うかつに近寄ったらヤバいぞ」
「じゃあ、どうする?」
「だがな、あいつを放っておいたら直枝が危ない。仕方ねえ、俺が行くよ」
「えっ、行くってどういうこと?」
僕の問いに対し、明は不敵な笑みを浮かべた。僕の肩を軽く叩く。
「あえて、奴らの罠に乗ってみる。俺が行くから、お前はここで様子を見てろ」
明の声は、自信に満ちていた。この得体の知れない状況にも、怯んでいる素振りがない。
やはり明は最強だ。だからこそ、ここは僕が行かなくてはならない。
「いや、僕が行くよ」
「何だと!?」
驚愕の表情を浮かべる明。だが、僕は立ち上がった。
「明に万が一の事があったら、僕たち三人は終わりだよ。だから、僕が行くのが一番いい。何かあったら、君が直枝を助けてくれ。そして、僕の代わりに奴らを潰してくれ」
「おい! ちょっと待てよ! お前、何を考えているんだ──」
返事も聞かず、僕は歩き出した。外に出ると、サバイバルナイフを構え、静かに近づいて行く。
僕はこの時、妙に冷静だった。明の言葉を聞きながら、素早く考えていたのだ。もし彼が罠にかかり、万一のことがあったとしたら、僕に助けられる自信はない。その場合、僕も直枝もおしまいだ。
しかし、僕が罠にかかったとしても……明なら助けてくれる。直枝を連れ、逃げることも出来る。
もっとも、理由は他にもあった。僕の中に生まれつつある、ドス黒い凶暴な何か。その何かが急き立てたのだ。
早く奴らを殺せ、と。
僕の足音に気付き、男は振り向いた。ニヤリと笑う。
「引っかかったな、クソガキが」
言うと同時に、周辺に隠れていた別の男たちが姿を現した。
だが、僕はそんなものは見ていなかった。目の前の男に、ナイフごと体当たりを喰らわす。そのまま、直枝の隠れている物置小屋へと突っ込んで行ったのだ。
予想通り、男は防刃ベストを着ていた。先ほどのボクサーと同じだ。そのため、ナイフの刃は刺さらない。だが体当たりで男は吹っ飛び、小屋の中で倒れる。
おそらく、僕が切りかかってくるものと思っていたのだろう。男は驚愕の表情を浮かべながら吹っ飛び、為す術なく倒れる。
僕を体の上に乗せたまま、仰向けになっていた。その顔には、驚愕の表情が浮かんである。
だが、僕は止まらなかった。考えるより先に、体が動く。馬乗りになった体勢で、男の喉にナイフを振り下ろした。同時に辺りを見回し、他の男たちからの攻撃に備える。
だが、その必要はなかった。他の男たちは四人いたが、その全員の注意が明ひとりに集中していた。僕のことなど、誰も注意していない。無論、向かって来るような素振りすらない。
その状況を確認した僕は、下でもがき苦しんでいる男の喉に、もう一度ナイフを降り下ろした。
大量の血が流れ、肉を切り裂いた感触が伝わってくる……。
男の命が抜けていく瞬間が、はっきり分かった。
だが、余韻にひたっている暇などない。明は、たったひとりで四人を相手にして闘っているのだ。すぐに助けなくてはならない。
僕は、ナイフを手に立ち上がる。外にいる男たちのひとりに斬りかかって行った──
・・・
「引っ掛かったな、クソガキが」
接近していく翔に気づいた男が、ニヤリと笑う。
と同時に、物陰や周囲の建物の陰に隠れていた男たちが姿を見せた。一斉に行動を開始する。全員、翔に襲いかかって行こうとするのが見えた。
その瞬間、明は表に駆け出して行った。相手は四人だ。全員、何かキラキラ光る物を持っている。間違いなく武器であろう。ただし、誰も銃器の類いは持っていない。うちひとりが、ボウガンを持っているだけだ。
それならば、何も怖くない。今までやってきた通りに、仕留めればいいだけの話だ。
明は、まずボウガンの男に突進する。
ボウガンの男は、不意の明の登場に対し完全に意表を突かれていた。慌ててボウガンを構える。だが、矢を込めていないことに気づいた。慌ててセットしようとする。あまりにも、お粗末な行動である。間違いなく素人だ。
しかし、明は容赦しなかった。むしろ、素人ならば好都合だ。弾丸のような速さで、足元に滑り込む。全体重をかけたスライディングキックを、男の膝に見舞う──
明の足刀が、矢を込めようと四苦八苦していた男の左膝に炸裂する。
次の瞬間、鈍い音とともに、あり得ない角度に足が曲がっていた。明の蹴りにより膝を砕かれたのだ。男は激痛に耐えきれず、悲鳴をあげながら倒れる。
だか、明の動きは止まらなかった。男の手からボウガンを蹴り飛ばすと、その場から前転して素早く立ち上がる。
立ち上がった明に、今度は警棒のような物を持った男が突進してきた。何やら喚きながら、凄まじい形相で棒を振り上げる。
しかし、明は怯まない。先ほど膝を砕かれ倒れていた男を、無理やり引き上げて立たせる。
自身への警棒の一撃を、その男の体で受け止めた。敵の体を盾代わりにしたのだ。直後に、凄まじい悲鳴があがった。
明は、動きを止めない。盾代わりにした男の体を、警棒の男に叩きつけた。と同時に、男の警棒を握っている右腕を自らの両手で掴み押さえ込む。無駄がなく、かつ自然な動きだ。時間にして僅か二、三秒であろうか。
直後、男の手首に下方向の力を加え、同時に肘関節に上方向への力を加える。肘がテコの支点となり、一瞬のうちに肘関節が破壊された。アームバーという名の関節技だ。
男は悲鳴をあげ、警棒を落とした。明は肘を極めた体勢のまま、男の体を振り回す。
その瞬間、長いチェーンのような物を持った男が突進して来た。明めがけ、チェーンが振り下ろされる──
だがチェーンが当たったのは、先ほどまで警棒を振り回していた男の体であった。またしても、敵の体を盾代わりにして攻撃を受け止めたのだ。父から教わった戦法のひとつに、複数の敵と闘う時には、敵の体を上手く盾代わりにする……というものがある。今も、それをきっちり実践していたのだ。
明は男の肘を極めていた両手を離し、右手で警棒を持っていた男の喉を掴む。その直後、一瞬で握り潰す──
と同時に、チェーンの男に左手で払うような目突きを見舞う。
確かな手応えを感じた。眼球に指先が当たり、男は苦痛に顔を歪める。目を押さえ、よろよろと後ずさった。
その時、別の悲鳴が明の耳に飛び込んで来た。明は顔をしかめ、そちらに視線を移す。
すると翔が、最後に残った男に斬りつけているのが見えた。相手の返り血を全身に浴びて、地獄の悪魔のような容貌になっている。そんな姿で、男に斬りかかっていた──
翔の凶行を横目で見ながら、明は目の前にいる男の髪を掴んで引き寄せる。強靭な腕で首をねじり、脊髄を一瞬にして破壊した。
男の目から、光が消える。明は死体となった男の体を、その場に放り出した。つかつかと翔のそばに近づいて行く。
翔の闘いを手助けするためではない。彼の暴走を止めるためだ。
・・・
僕はナイフを振り上げ、目の前にいた男に向かって行った。
すると、男の顔が恐怖に歪む。だが、手を止めるわけにはいかないのだ。首めがけて斬りつけた。
ナイフは、男の首に深くめり込む。僕は、すぐにナイフを引き抜いた。いざとなると、人間は簡単には死なないのだ。だから、動かなくなるまで攻撃を続けなくてはならない──
僕がナイフを引き抜いた瞬間、男の首からは大量の血が迸った。男の口から、言葉にならない悲鳴があがった。必死の形相で傷口を押さえる。
許しを乞うように、もう片方の手を前に差し出した。
だが、僕は攻撃を止めない。男を斬った。斬って斬って斬りまくった──
そう、こいつは極悪人なのだ。上条と大場と芳賀を、無惨な死体に変えた集団の一員なのである。放っておけば、また何人もの罪もない人間を殺すだろう。
今の僕は正義であり、目の前の男は紛れもない悪である。だからこそ、殺すのだ。
いや、僕が殺さなければならないんだ。
死んでしまった三人のためにも。
明を助け、直枝を守るためにも──
「おい翔! いい加減にしろ! そいつは死んでる! もう止めろ!」
どこからか、明の声が聞こえてきた。その声のお陰で、僕はようやく我に返る。ナイフを持つ手を下ろした。
ふと気がつくと、顔も手も血まみれだ。男は、足元で死体と化している。さらに周囲には、他の死体も転がっている。
僕は男の着ていた服をはぎ取った。タオル代わりに、自分の顔についた血を拭く。さらに、ナイフの刃にこびりついた血と脂を拭う。
その時、何者かの射るような視線を感じた。視線の方向に顔を向けると、そこには明が立っていた。厳しい目付きで、僕の行動をじっと見つめている。
「おい翔……お前、本当に大丈夫なのか? 気分が悪いなら言ってくれ。倒れられても困る」
明はポツリと、呟くかのような口調で言った。その表情は険しいが、身を案じてくれているようにも感じられる。僕は笑みを浮かべて、頷いて見せた。
「うん、僕は大丈夫だよ。それよりも、直枝の様子を見てくる。ここにいたら危ないかもしれないし」
そう言って、僕は小屋の中に入って行った。見ると、直枝はさらに痛々しい顔になっていた。表情は青白く虚ろで、目には力がない。
だが僕たちの顔を見て、安堵の表情を浮かべる。
「無事だったんだね、二人とも。良かった……本当に良かった。心配してたんだよ」
その言葉を聞いた時、僕の胸に不思議な感情が湧き上がった。先ほどまで心を支配していたものとは、真逆の何かだ。
その時、生まれて初めて、他人の存在をいとおしいと感じたような気がする。
「二人とも、帰って来てくれないかと思ったんだよ。本当にありがとう」
直枝はそう言った直後、下を向き、肩を震わせた。
その瞳からは、大粒の涙が零れ落ちる。口からは、すすり泣きの声が洩れた。
「なんで……なんで……こうなっちゃったのかな……なんで……こんな事に……あたしたち、なんか悪いことしたのかな……」
言いながら、直枝は泣き続ける。その嗚咽は、しばらく続いていた。
だが、僕には何も出来ない。明も同じだった。こんな時に、どのような言葉をかければいいのか分からない。直枝の心からの問いかけに対し、僕たち二人では答えを出せなかった。
その本当の答えを知っているのは、奴らだけなのかもしれない。
だからこそ、ケリを付けなくてはならないのだ。
僕はそっと、自分の血まみれの手を拭いた。だが、いくら拭いても綺麗にはならなかった。相手の流した血で、真っ赤に染まってしまったままだった。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説


不労の家
千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。
世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。
それは「一生働かないこと」。
世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。
初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。
経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。
望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。
彼の最後の選択を見て欲しい。
シカガネ神社
家紋武範
ホラー
F大生の過去に起こったホラースポットでの行方不明事件。
それのたった一人の生き残りがその惨劇を百物語の百話目に語りだす。
その一夜の出来事。
恐怖の一夜の話を……。
※表紙の画像は 菁 犬兎さまに頂戴しました!
傷心中の女性のホラーAI話
月歌(ツキウタ)
ホラー
傷心中の女性のホラー話を500文字以内で。AIが考える傷心とは。
☆月歌ってどんな人?こんな人↓↓☆
『嫌われ悪役令息は王子のベッドで前世を思い出す』が、アルファポリスの第9回BL小説大賞にて奨励賞を受賞(#^.^#)
その後、幸運な事に書籍化の話が進み、2023年3月13日に無事に刊行される運びとなりました。49歳で商業BL作家としてデビューさせていただく機会を得ました。
☆表紙絵、挿絵は全てAIイラスです
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
[全221話完結済]彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる
野花マリオ
ホラー
ーー彼女が語る怪異談を聴いた者は咲かせたり聴かせる
登場する怪異談集
初ノ花怪異談
野花怪異談
野薔薇怪異談
鐘技怪異談
その他
架空上の石山県野花市に住む彼女は怪異談を語る事が趣味である。そんな彼女の語る怪異談は咲かせる。そしてもう1人の鐘技市に住む彼女の怪異談も聴かせる。
完結いたしました。
※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。
エブリスタにも公開してますがアルファポリス の方がボリュームあります。
表紙イラストは生成AI
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる