必殺・始末屋稼業

板倉恭司

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黒い交流(六)

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 武内巌堂は、用心棒の金太を連れて人気ひとけの無い野原を歩いていた。時刻は子の刻を過ぎており、あたりは闇に包まれている。
 自分を襲った刺客を、現物の鉄が生け捕りにした……その事実を知らされたのは、夕暮れ時のことである。いかにも軽薄そうな若者が、巌堂の店に知らせに来たのだ。

「すみません、鉄さんて坊主の人からの伝言を頼まれたんですがね……探している人を見つけた、と言ってましたよ」

 この件に関しては、巌堂はどうしても自分の目と耳で確かめなくてはならなかった。今ごろになって、自分の命を狙う者がいるというのは理解しがたい。
 しかも、あの刺客は腕の立つ男であった。ただの三下ではない。金で殺しを請け負う玄人なのは間違いないだろう。そうなると、襲撃が一度で済むとは思えない。
 恐らくは、近い内に次の襲撃があるはず。龍牙会のお勢を動かした以上、向こうもおちおちしていられまい。その時こそが勝負だ。必ず捕らえ、絵図を描いた者の名前を吐かせる。

 そんな折、いきなり飛び込んできた話である。信用できるかと問われたら、怪しいと答えざるを得ない。始末屋の鉄とは仲がいいわけではないし、先日は殺り合いそうになったのだ。
 だが、確かめるだけの価値はある。仮に罠だとしても、金太とふたりならば返り討ちに出来るだろう。



 巌堂は、油断なく辺りを見回した。
 辺りは闇に包まれており、視界は非常に悪い。しかし、彼にはわかるのだ。何者かが、すぐ近くに潜んでいる。

「金太、気づいてるな?」

 巌堂の言葉に、頬かむり姿の金太が頷いた。彼は黒い着物に身を包んでおり、気配を完璧に消して付いて来ている。

「あ、うん、いる。たぶん二人……か三人」

「たった三人か。俺たちも舐められたもんだな」

 静かな口調で言うと、巌堂は辺りを見回した。三人なら、恐れるに足らない。

 その時だった。

「おーい、武内さん。武内巌堂さーん、待ってくださいよ」

 とぼけた声が聞こえてきた。同時に、向こうから駆けて来る者がいる。姿形は見えないが、提灯の明かりがこちらに迫って来ているのだ。
 巌堂は口元を歪めた。何者かは知らないが、罠だとしたらあまりにも間抜けな手口である。
 そんな巌堂の思いを知ってか知らずか、男はどんどん近づいて来る。距離が狭まるにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。何と同心である。提灯を片手に、こちらに小走りで向かって来ているのだ。

「同心だと……どういうことだ?」

 さすがの巌堂も首を捻った。一方、同心は巌堂の前に立ち止まり頭を下げる。

「やあ、武内さん。私は南町奉行所の中村左内という者です。実はですな、あなたに折り入って話があるんですよ」

「話? いったい何でしょうか?」

 言葉そのものは丁寧だが、巌堂の顔には不快な気分が露骨に現れている。

「いやあ、あなたの命を狙っている者がいると聞いたんですよ。で、あなたにお伝えしようかと思いまして、ここまで追って来た次第です」

 いかにも軽薄そうな態度で、同心はぺこぺこ頭を下げる。

「別に、命など狙われておりませんよ。どこかの与太者が流した、根も葉も無いでたらめではないのですか?」

 冷ややかな態度で、巌堂は言った。命が狙われているのは確かだが、同心など頼む気は無い。これはあくまで裏の人間同士の揉め事のはず。ならば、自身の手で決着をつける。それが鉄則なのだ。
 だが、同心は引かなかった。

「まあまあ、そう言わずに……私も聞いてしまった以上、同心として何もしないわけには参りません」

「結構です。お帰りください」

 語気を強め、巌堂は答えた。今、暗殺者たちが近くに潜んでいる。しかし、この同心がそばにいては、襲撃してこない可能性もあるのだ。
 まずは、一刻も早くこの男を帰らせなくては。

 その時、金太が声を発した。

「そいつ、敵だ」

「はあ? お前、何を言ってるんだ?」

 思わず聞き返す巌堂だったが、金太は彼の前に音も無く移動した。同心に向かい棒を構える。

「こいつ敵だ。強い」

 そんな金太の振る舞いをみた同心は、呆気に取られた表情を浮かべる。だが次の瞬間、にやりと笑った。

「さすが、市を返り討ちにするだけのことはある。いかにも、俺は敵だよ。お前らには、小細工は通じねえらしいな」

 言い終えると同時に、同心は刀を抜いた――

 ・・・

 左内は刀を構え、ふたりを睨み付ける。
 この金太とかいう用心棒、抜群に鼻が利く。不意討ちで巌堂を仕留めるつもりだったのだが、そんなちゃちな手を許すほど甘くはなかった。
 睨み合う左内と金太。左内の目の端に、巌堂が隠し持っていた刀を抜くのが見えた。短めではあるが、人を殺すのには事足りるだろう。ふたりがかりで来られたら、いくら左内でも勝ち目はない。
 だが突然、金太は振り向いた。と同時に、棒を振り回し何かを払いのける――
 それは、隼人の投げた手裏剣であった。草むらから、不意をついて放ったはずだった。しかし、金太はその動物的な勘で、自身への危険を察知したのだ。
 直後、金太は草むらへと突進して行く。隼人の隠れていた位置に、棒を振り下ろした――
 隼人は間一髪のところで、地面を転がり逃れた。だが、金太の攻撃は止まらない。棒による打撃が、続けざまに隼人を襲う。
 両手の棒の軌道は、極めて変則的なものである。その上、武士の振るう刀より早い。隼人は、反撃の糸口が掴めぬまま防戦一方となっていた。



 一方、左内と巌堂とはお見合い状態が続いている。両者ともに、先ほどから身じろぎもしない。お互いの動きを、じっと見つめている。
 左内にはわかっていた。下手に斬りかかれば、必ず相手の反撃を食らうことになる。攻撃の瞬間こそ、もっとも無防備になる。お互いにそれがわかっているからこそ、うかつに飛び込めない。
 じりじりとした状態が続く。だが、その均衡をぶち壊す者が現れた。

「おい巌堂、俺を探してたんだってな。望み通りに来てやったぜ」

 その声に反応し、巌堂は一瞬ではあるが左内から目を逸らす。
 その目に映った者は市だった。杖にすがり、顔をしかめながら立っている。だが、足はがくがくしており歩くのがやっと……という感じだ。
 巌堂は思わず舌打ちした。こんな体で自分を殺しに来るとは、舐められたものだ。
 そこに生じた隙を逃すほど左内は甘くない。目線が逸れると同時に、一気に間合いを詰め斬りつける――
 しかし、巌堂もただ者ではない。すんでのところで、彼は身を翻した。その反応の速さゆえ致命傷にこそならなかったものの、左内の刀は巌堂に手傷を負わせた。
 月明かりの下、巌堂の腕から血が滴り落ちているのが見える。
 次の瞬間、左内は目を見張った。巌堂は、自身の腕から流れる血を舐めたのだ。
 にたり、と笑う。

「血だ……血だよ。血の味だあぁ!」

 狂ったように叫び、左内に突進していく。その顔には、狂気の笑みを浮かべている。
 左内は身を沈め、巌堂の振り回す長どすを躱した。同時に素早い一太刀を浴びせる。
 その一太刀は、確かに巌堂の胴を掠めた。しかし、巌堂の動きは止まらない。それどころか、怯む気配すらない。むしろ、傷の痛みが逆に彼を興奮させているようなのだ。

 こいつ、気違いか。

 左内の背筋に、冷たいものが走る――



 隼人は地面を転がりながら、とっさに手裏剣を投げつける。しかし、金太は右手の棒で弾き飛ばした。さらに、左手の棒が振り下ろされる。
 その瞬間、隼人の足が飛んだ。金太の棒を、蹴りで受け止める。と同時に、金太の左手を棒ごと掴み取った。
 さらに両足を金太の二の腕に巻き付け、しっかりと締め付ける。と同時に、両手で金太の腕をしっかり掴む。全身の力を一気に解放させ、肘関節を逆方向に捻る――
 吠える金太。何か砕けるような音が、はっきりと聞こえた。
 だが驚くべきことに、金太はその腕を強引にぶん回したのだ。
 隼人の腕ひしぎ十字固めは、確かに金太の左肘を破壊したはずだった。しかし、金太は動きを止めない。折れたはずの左腕を振り回し、強引に隼人の体を地面に叩きつける。
 地面に叩きつけられ、思わず呻き声を上げる隼人。金太はさらに追い討ちをかけようとする。
 だが、金太の背後で不意に立ち上がった者がいた。鉄だ。鉄は巨体を草むらに潜め、じっとこの機会を待ち受けていたのだ。獣並の嗅覚を持つ金太も、完璧に背後を取られた。

「おい化け物、今眠らしてやるよ」

 言うと同時に、鉄の太い腕が一瞬にして首に回される。金太は必死で暴れるが、鉄のがっちり極まった絞めを外すことは出来ない。しかも、金太の左肘は破壊されている。普段のような力は出せないのだ。
 鉄の腕は、容赦なく金太の頸動脈と気道を締め上げていく……やがて、金太の動きは止まった。



 狂ったように笑いながら、長どすを振るう巌堂。だが、その太刀筋はしっかりしている。でたらめに振り回しているわけではないのだ。市のことは完全に無視している。あの体では、何も出来まい……巌堂は一目で市の体調を読み取り、すぐに仕留める必要はない、と踏んだのだ。
 巌堂は長どすで、左内に襲いかかる。さすがの左内も防戦一方だ。狂気めいた勢いと、それとは裏腹なしっかりした剣技……並の人間なら、今の巌堂には太刀打ちできないだろう。
 だが、左内は違っていた。彼とて、伊達に始末屋の元締をしているわけではない。これまでにも、血みどろの修羅場を潜り抜け、死と隣り合わせの状況を経験しているのだ。
 さらに、左内には巌堂にはないものがある。冷静な判断力、そして仲間の存在だ。

「どうしたぁ! おら、もっと斬ってみろ! 俺はなあ、痛いのが大好きなんだぁ!」

 叫びながら、長どすを振り回す。普段の冷静な態度は消え失せ、完全に常軌を逸している。痛みによる興奮が、彼を狂わせているのだ。
 しかし、その興奮ゆえ……背後から放たれたものに気づけなかった。

「うっ!?」

 鋭い痛みを感じ、振り返る巌堂。すると、杖をついた市が彼を睨んでいた。

「てめえらにやられたお陰でな、手裏剣を覚えられたぜ」

 顔をしかめながら、市は言い放った。そう、彼は密かに隼人から手裏剣を学んでいたのだ。動かない体でも、少しでも皆の役に立てるように……。
 その手裏剣が、巌堂の背中に命中したのだ。
 巌堂は何とも言えない表情を浮かべ、己に刺さった手裏剣を投げ捨てる。直後、にたぁ……と笑った。
 それは、ほんの僅かな隙であった。しかし左内にとって、とどめを刺すには充分な時間である。一気に間合いを詰め、巌堂の首に斬りつけた――
 巌堂は、狂気めいた笑みを浮かべたまま死んだ。





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