必殺・始末屋稼業

板倉恭司

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黒い出会い(三)

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「よう、久しぶりだな」

 先に口火を切ったのは、中村左内の方だった。隼人はびくりとして、恐る恐る口を開いた。

「あ、ああ」

「お前、名前はなんていうんだ?」

 尋ねる左内は、掴みどころの無い表情であった。怒っているわけではないが、かといって嬉しそうでもない。彼が何を考えているのか、その表情から判断するのは困難だろう。

「は、隼人」

「隼人、か。聞いた覚えはねえなあ。ちなみに、俺の名は中村左内だ」

「なんだと!? やっぱり、あんたが中村左内だったのか! 何で言ってくれなかったんだ!」

 興奮した面持ちで、隼人は叫ぶ。だが、左内は左手を上げ隼人を制した。次いで、寝ている沙羅を指差す。

「おい、あまりでかい声だすな。起きちまうだろうが……」

「あっ、すまん」

 顔をしかめる隼人に、左内は声をひそめながら話を続ける。

「あん時は、お前が何者だか分からなかった。だから、あえて名乗らなかったんだよ。それより、俺のことは誰から聞いたんだ?」

「あの……お松さんだよ」

「お松だと? お松って、あの鉄砲撃ちのか?」

 今度は、左内の表情が一変していた。驚愕の表情を浮かべ尋ねる左内に、隼人は頷いて見せた。

 ・・・

 左内は昔、他の人間たちと組んで裏の仕事をしていた。蕎麦屋の政吉、蘭学者くずれの以蔵、島帰りの龍、按摩の多助、鉄砲撃ちのお松。彼らと組んで、許せぬ外道たちを人知れず始末していたのだ。
 しかし、彼ら仕掛屋の存在は他の組織との軋轢を生み……結果、江戸で当時もっとも力のある『辰の会』を敵に回すこととなる。
 やがて両者の抗争が始まり、血で血を洗う死闘の末……以蔵、龍、政吉の三人が命を落とした。さらに多助は凄まじい拷問を受け、ほぼ全身が麻痺してしまったのだ。
 だが、左内とお松はしぶとく生き延び、最終的には辰の会が崩壊して抗争に幕が降りたのである。
 その後、お松は体が不自由になってしまった多助を連れ、江戸を離れて行ったのだ。

 ・・・

「お松とはどこで会った? 元気なのか?」

 尋ねる左内の表情は、先ほどまでとはうって変わっている。興奮した顔つきで、隼人に迫る。

「あ、ああ。俺と沙羅が山の中を歩いていた時、お松さんと多助さんに出会ったんだ。数人のごろつきに絡まれていたところを、俺が助けたんだよ。そしたら、お松さんはこう言ったんだ……江戸に行ったら、中村左内という名の同心を頼れってな。馬面で一見すると頼りないが、やる時はやる男だとも言ってた」

「誰が馬面だよ。お松の奴め」

 口ではそう言いながらも、左内の顔は嬉しそうだった。かつての仲間だった、多助とお松……生きていてくれたのだ。二人の顔を思い出し、左内はほんの一瞬ではあるが、懐かしい気分に浸る。
 だが同時に、左内は別の事実も思い出す。彼は隼人を、呆れたような表情で見つめた。

「お前なあ、それならそうと言ってくれよ。危うく、お前に殺られるところだったんだぞ」

 左内の脳裏に、隼人と初めて会った日のことが甦る。
 この男は鎖鎌を構え、殺意を剥き出しにしていた。数々の修羅場を潜ってきた左内ですら、死を覚悟したのだ。
 下手をすれば、あの時どちらかが死んでいただろう。隼人がお松の名前を出していれば、避けられた闘いだったのに。

「あっ……すまない」

 隼人は恐縮した様子で、頭を下げる。左内は改めて、目の前の小柄な若者を見つめた。腕はいい。左内と本気で殺り合っても、互角に闘えるだろう。いや、ひょっとしたら……左内は負けるかもしれない。
 だが、それ以外のことに関しては不器用で世間知らずだ。源四郎から聞いた話によれば、この男は芸を見ていたごろつきに因縁を付けられ、揉めた挙げ句に叩きのめしてしまったのだという。
 ごろつきを上手くあしらい、話し合いで丸く収めるのも、大道芸人の腕のうちなのだ。ごろつきと揉めた挙げ句に、腕力でねじ伏せる……一見すると勇敢な話ではあるが、芸人としては褒められたものではない。

「あ、あんたに頼みたいことがある」

 不意に、隼人が顔を上げた。思い詰めた表情で、左内に鋭い視線を向ける。

「何だ」

「俺に、仕事を紹介してくれ」

「仕事? どんな仕事だよ?」

 尋ねる左内。もっとも、返ってくる答えは既に予想できていた。

「殺しだ」

「殺し、か」

「今の俺は、他に何も出来ないんだ。それに、お松さんが言っていた……あんたは、江戸の裏の世界にも顔が利くと。もし殺しの仕事があるなら、俺にやらせてくれ」

 隼人の表情は、真剣そのものであった。真面目で、冗談のひとつも言えない性格であることが見てとれる。
 左内は目を逸らし、下を向いた。この男は、確かに腕が立つ。しかし、あまりに若く世間知らずだ。
 初めて会った時、隼人は左内を殺し金を奪おうとした。いくら金に困っていたとはいえ、役人である自分を襲うなど、正気の沙汰ではないのだ。神社で、ごろつきと揉めた件も無視できない。
 率直に言って、始末屋に引き入れるのは不安である。しかし、かつての仲間であるお松からの紹介ともなれば、断わるわけにもいかない。

「わかった。だが、その前に……」

 左内は、眠っている沙羅に視線を移す。

「お前、引っ越しの準備しろ。こんな所で寝泊まりしてたんじゃ、治るものも治らねえぞ」

 ・・・

 江戸の片隅。人通りの少ない寂れた場所に、剣術道場が建っていた。建物自体は大きく立派だが、どこの何者が指導しているのか、知る者はいない。いつ剣術を教えているのか、それもはっきりとはしていない。
 そして今日……その道場からは、剣術道場には似つかわしくない声が聞こえてきた。

「本日の集会は、これにて終了となります。皆さま、お集まりいただき、ありがとうございました」



 やがて、数人の男たちが道場から出て来た。年齢も服装もまちまちだが、共通する部分がひとつだけある。全員、堅気でない雰囲気を漂わせていることだ。
 さらに遅れて、ひとりの大柄な男がのっそりと出ていく。身長は六尺(約百八十センチ)近く、体重も二十五貫(約九十三キロ)という堂々たる体格だ。その体格に合わせるかのように、鬼瓦のごとき厳つい顔が乗っている。その顔の厳つさを、いっそう際立たせているのが……綺麗に剃り込まれた坊主頭であった。
 この男こそ、現物げんぶつてつという二つ名を持つ、裏社会でも名の知れた仕事人である。

「鉄さん、元締が呼んでるぜ」

 道場から立ち去ろうとしていた鉄に、後ろから声をかけた若者がいる。長く伸びた髪はぼさぼさで、けばけばしい色の着物を身にまとっていた。さらに首からは骸骨のような首飾りをぶら下げ、手首には腕輪を付けている。その姿は、怪しげな祈祷師か、いんちき占い師にしか見えない。

「何だよ……仕方ねえな、今いくよ」

 顔をしかめながら、鉄は向きを変え、ふたたび道場へと入っていった。



「鉄、調子はどうだ?」

 奥の部屋で尋ねてきたのは、四十過ぎの中年女であった。女性にしては大柄で、恰幅のいい体格である。器量は悪くないが目付きは鋭く、気の弱い男なら睨んだだけで泣かせてしまいそうだ。
 もっとも彼女が、江戸最大の闇の組織『龍牙会』の元締・お勢だと知れば……よほど胆の据わった男でない限り、泣き出してしまうのもやむを得ないだろう。
 さらにお勢の横には、奇妙な男が控えている。身長は高いが痩せており、肌は白い。灰色の着物を身にまとい、傍らには杖が置かれている。高い鼻や青い瞳や金色の髪は、彼が南蛮人であることを物語っていた。

「まあ、ぼちぼちだよ。懐の方は寒いけどな」

「そうか。ところで鉄、始末屋の元締さんはどうしている?」

「えっ? ああ、元気で元締やってるよ」

「なあ鉄、始末屋の元締さんだが……近いうちに、ここに連れて来てもらうことは可能か? 一度、直接話をしてみたい。なんなら私が、向こうに出向いても構わない」

 お勢の言葉に対し、鉄は首を振る。

「悪いが、そいつは無理だな。始末屋の元締は、なかなか人前に出ないんだよ」

「なるほど」

 相づちを打つお勢だったが、その瞳には冷酷な光が宿っている。
 鉄は思わず、ふうと息を吐いた。どうやら、今日は厄介なことになるらしい。

「もうひとつ、聞きたいことがある。仮に、龍牙会が始末屋を潰すと決めたら、お前はどうする?」

 お勢は鉄を真っ正面から見つめ、鋭い口調で尋ねる。

「そうだなあ、そりゃ困るな。とりあえず、始末屋の元締は逃がさなきゃならねえ――」

 そこまで言った時、鉄は思わず口を閉じた。南蛮人の男が、鉄の喉元に刀を突き付けているのだ。杖に仕込まれていた刀を、いつ抜いたのか……鉄には、その瞬間が見えなかった。

「龍牙会は、裏切りを許さない」

 訛りのある、冷たい声。南蛮人が鉄に向かい喋っているのだ。鉄は、愛想笑いを浮かべた。

「し、死門しもん……冗談だってばよう。だから、こいつをどけてくれや」

 鉄は愛想笑いを浮かべながら、喉元に突き付けられた刃を指でつつく。日本の刀と違い、斬るのではなく刺すことに特化した刀剣だ。間違いなく南蛮で作られた刀である。その柄を握る死門の目は、じっと鉄を凝視していた。
 この死門という男は、お勢の用心棒だ。怪しげな剣術を使いこなす凄腕の剣士である。十人をあっという間に刺し殺したこともあるという。お勢が曲がりなりにも龍牙会で元締として権力を行使できる理由のひとつに、この死門の存在があるのは間違いない。

「お勢さんよう、もしそんなことになったら、俺は全力で双方を和解させるようにするから。最悪の場合、俺はどっちにも味方しないし……な?」

 言いながら、鉄は笑って見せた。もっとも、その額には汗が滲んでいる。

「死門、刀を下ろせ」

 お勢が鋭い声を発した。死門は頷き、刀を下ろし鞘に収める。だが、鉄から視線を外してはいない。何かあれば、すぐにでも動きそうな構えだ。

「鉄、お前は私の手下ではない。言わば、客分格という形で龍牙会に来てもらっている。だがな、あまり図に乗ってもらっては困る。そこのところはわかっているな?」

「ああ、わかってるよ」

 その言葉に、顔をしかめながら頷く鉄。こういうやり取りは、勘弁してもらいたいものだ。
 だが、お勢の話はまだ終わっていなかった。

「ところで、会うのが無理なら……せめて元締の名前だけでも、教えてもらうわけにはいかないのか?」

 その口調は淡々としている。だが、その表情には有無を言わさぬ何かがあった。鉄に向けられた視線は、刃物のように鋭い。鉄は、そっと溜息を吐いた。

「お勢さん……いくらあんたの命令でも、それは聞けねえな。始末屋の元締は、俺にとって最後の切り札だ。そいつだけは、あんたにも明かせない」

「切り札?」

 お勢の目が、すっと細くなる。だが、鉄はお構い無しに喋り続けた。

「そう。もし俺が殺られたら、始末屋の元締が仇を討つ、そういう手筈になってるんだ。元締はおっかねえし、執念深いぜ。なんたって、あの辰の会をひとりで潰した男だからな」

 言いながら、鉄はにやりと笑った。だが、お勢は冷ややかな顔つきのままだ。表情ひとつ変えずに、鉄を見つめている。

「とにかく、もし元締の名前を吐いちまったら……俺はもう、この業界じゃあ生きていけねえんだよ。だから、元締の名前だけは絶対に言えねえんだ。たとえ殺されても、な」

 鉄のその言葉を聞き、お勢の表情が和らいだ。上を向き、小考しているかのような素振りを見せる。だが、死門は態度を変えていない。今にも襲いかかりそうな様子で、鉄を睨み付けていた。
 ややあって、お勢は口を開いた。

「そうか。なら仕方ない。だがな鉄、忘れるな……龍牙会の邪魔になるようなら、私は始末屋を潰す。元締が何者だろうが関係ない。始末屋の元締にも、伝えておけ」



「鉄さんさあ、もうちょっと上手くやれないのかい?」

 道場を出ていこうとした鉄に声をかけた者がいる。先ほど鉄を呼び止めた、ぼさぼさ頭の男だ。

「ほっとけ。なあ呪道じゅどう、よくもまあ、あんなおっかない女の下で働けるな」

 吐き捨てるような鉄の言葉に、男はぼさぼさ頭を掻きながら苦笑した。

 この男は、拝み屋の呪道の二つ名を持つ祈祷師だ。とはいっても、彼がいかさま祈祷師であることは、近所では有名な話である。もっとも、そのまがまがしい名前とは真逆な人当たりの良さと、巧みな話術で多くの人に好かれており、食べるに困らない程度の収入は得ていた。
 そんな呪道が龍牙会の幹部であり、元締お勢の片腕であることは、裏の世界の住人しか知らない事実である。

「あんたにはわからないんだろうなあ、あの熟した女の魅力ってものが……むふふ」

 気持ち悪い笑い声を上げる呪道に、鉄は呆れたような顔で首を振る。呪道は、二十代半ばの若者のはずだ。少なくとも、三十にはなっていない。
 にもかかわらず、四十を過ぎているお勢に本気で惚れているようなのだ。何とも厄介な性癖の持ち主である。

「お前の年増好きには、付き合ってられねえな。俺は帰るぜ」

 そう言って歩き出した鉄だったが、呪道がその肩を掴んだ。

「まあ待ちなよ。鉄さん、くれぐれも気を付けな。龍牙会には、あんたを良く思ってない奴もいる。あまり目立たないようにしてなよ。でないと、殺られるかもしれないぜ」

 先ほどとは違い、呪道の眼差しは真剣そのものだった。鉄を本気で心配しているのだろう。鉄はにやりと笑ってみせた。

「大丈夫だ。俺は、そう簡単に死にゃしねえよ」





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