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黒い出会い(二)
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江戸の片隅にある、古く小さな神社……誰が呼んだか、名前を満願神社というらしい。もっとも、何を祀っているのかも分からないような小さな神社である。
その満願神社に最近、奇妙な出で立ちの二人組の大道芸人が出没していた。
顔を白く塗った奇妙な男が、満願神社の入り口に立っている。背は低いが、均整の取れた体つきをしているのは着物ごしにも見てとれる。彼の足元には、錐のような形状の手裏剣が並べられていた。さらに、彼から少し離れた場所には、ざるが置かれている。
そんな白塗りの男から三間(約五・四メートル)ほど離れた場所には、鳥追い笠を被った背の高い女が立っている。汚れの目立つみすぼらしい着物に身を包み、顔に手拭いを巻きつけている。そのため、どんな顔をしているかは観客には見えない。さらに両手で、木製の丸い板を抱えている。
そんなふたりを、離れた場所から物珍しげな表情で見ている十人ほどの観客の中に、目明かしの源四郎の姿もあった。
やがて白塗りの男は、黒い布を自身の頭に巻き付ける。次の瞬間、逆立ちをした。
野次馬たちから、ほう、という感心したような声が上がる。だが、芸はまだ始まったばかりだ。
男は逆立ちの状態で、右手を観客に向かい振って見せる。必然的に、左手のみで体を支えることとなった。にもかかわらず、白塗りの男は逆立ちを続けている。その姿勢のまま、微動だにしていない。
観客から、おお……という声が聞こえた。だが、白塗りの男はなおも動き続ける。地面に並べられていた手裏剣を、右手で拾い上げた。
女も、その動きに反応する。抱えている丸い板を、胸の辺りに突き出した。あたかも、的のようだ。
直後、男は逆立ちのまま女めがけて手裏剣を投げつけた――
手裏剣は、女の持っている板に突き刺さる。
どよめく観客。中には、ざるに小銭を入れる者もいた。
だが、男の動きは止まらない。手裏剣を拾い、投げ続ける……放たれた手裏剣は狙いたがわず、女の持つ板に命中していく。観客からは、感嘆の声すら聞こえてきた。
だが突然、女の姿勢がぐらつく。次の瞬間、前のめりに倒れた――
その途端、男はぴょんと跳ねて立ち上がる。
「沙羅!」
白塗りの男は叫びながら、女に駆け寄って行く。
一方、観客たちは顔を見合わせた。芸はつまらなくはなかったが、こんな形で終わってしまっては話にならない。
「何だ、もう終わりかよ」
「つまんねえな」
「行こ行こ」
口々に言いながら、去っていく。源四郎も立ち去るふりをして、物陰に身を隠す。
そのまま、成り行きを見ていた。
・・・
隼人は倒れている沙羅に駆け寄り、抱き起こした。彼女の額に手を当ててみる。
ひどく熱い。まだ、風邪は治っていないのだ。
「ごめんね、隼人」
顔を歪め、苦しそうに声を発した沙羅。
「謝らなくていい。当分、この仕事は中止だ。まだ金はあるんだしな。さあ、今日は帰ろう」
優しい表情で言うと、隼人は沙羅の手を取り立ち上がらせた。さらに、ざるに入っていた僅かな小銭も拾い上げ、懐に入れる。
だが、そんな隼人に三人組の若者が近づいて行く。着物をだらしなく着崩し、肩をいからせて歩く姿は典型的なごろつきだ。威嚇するような目で、真っ直ぐ隼人たちを見つめている。
「おいおい、あれで終わりなのかよ。客に見せる芸じゃねえな」
三人の中でも特に大柄で頬に刀傷のある若者が、隼人らを見下ろしながら因縁を付けてきた。
隼人は顔をしかめる。今は、騒ぎを起こしたくない。しかし、目の前の若者たちはやる気に満ちている。彼らから見れば、小男の芸人である隼人は、いたぶるには持ってこいの相手なのであろう。
「おい、ちび。お前は俺たちに、場所代を払ってねえよなあ」
言いながら、刀傷の男が隼人を睨み付ける。さらに、自身の顔を近づけていった。鼻と鼻が触れあわんばかりの近い距離で、男は言葉を続ける。
「ほら、場所代をよこしな。でないと、怪我することになるぜ」
「無理だよ。俺たちは文無しなんだから」
努めて冷静な口調で、隼人は答えた。ここで、地元のごろつきと揉め事を起こしたくはない。出来れば、話し合いでこの場を収めたかった。
だが不幸にも、隼人は口下手な男であった。彼の発した言葉は、ごろつきたちの気分を逆撫でしただけであった。
「んだと……おい、ざるん中に金が入ってただろうが。俺はちゃんと見てたんだよ。あの金を全部よこせば、今日のところは勘弁してやる。さあ、よこせ」
鋭い声を発しながら、隼人の襟首を掴む刀傷の男。どうやら、争いは避けられないらしい。隼人は顔をしかめながら、沙羅の方を向いた。
「沙羅、逃げろ」
言うと同時に、隼人は動いた――
次の瞬間、男の顔に新たな切り傷が生じる。隼人の速く鋭い右の肘打ちが、男の顔面を切り裂いたのだ。
だが、隼人の動きは止まらない。さらに、腹めがけ当て身を叩き込む。同時にみぞおちへ前蹴りを食らわし、間合いを突き放す。
すると、男は呆気なく倒れた。腹を押さえ、うめき声を上げている。先ほどまでの、居丈高な態度が嘘のようだ。
一方、隼人は他の男たちを睨み付ける。すると、男たちは愛想笑いを浮かべて後ずさる。
「お、おい。冗談だよ。俺たちはやらねえから」
震える声を出しながら、男たちは下がっていく。隼人の強さを理解したのだ。
「俺も、あんたらと揉める気はない。あんたらが何もしなければ、俺は手を出さない」
涼しい表情で言い放ち、隼人は目線を倒れている男へと向ける。
「そいつを連れて、さっさと引き上げてくれないか」
男たちが去って行ったのを確認した後、隼人は荷物をまとめる。そして、沙羅に声をかけた。
「沙羅、大丈夫か。歩けるか?」
「うん。歩くくらいなら、何とか……」
そう言って、沙羅は立ち上がった。
隼人と沙羅は、並んで歩いていく。沙羅は背が高い女だ。隼人より、頭ひとつ分高い。そんな彼女を横から支えながら、隼人は歩き続けた。
やがてふたりは、河原に作られた掘っ立て小屋にたどり着く。そこらに捨てられていた木材や布切れなどで作った、急ごしらえの住居である。雨風は何とか防げるものの、もし台風に襲われては、ひとたまりも無いだろう。
そんな粗末な小屋の中に、隼人と沙羅は入っていった。
「熱は大丈夫か」
言いながら、隼人は沙羅の額に触れる。沙羅の顔に巻かれていた布は解かれ、彼女の顔が露になっている。
高い鼻、彫りの深い顔立ち、白い肌、そして青い瞳……南蛮人に特有の容貌である。事実、沙羅は南蛮人なのだ。
沙羅の隣にいる隼人も、今は白塗りの化粧を落としている。こちらは若さと、野生味とを感じさせる顔立ちだ。もっとも、その額には三日月型の奇妙な刺青が彫られているが。
「沙羅、町へ行って薬を買ってくる。しばらく寝ていろ」
「待って……大丈夫。あたしなら、大丈夫だから。薬なんか、買わなくていい。お金がもったいないよ」
そう言って、沙羅は体を起こす。だが、隼人は険しい表情で首を振った。
「大丈夫じゃないだろうが。お前はしばらく寝てろ。金など、お前の命には替えられない」
強い口調で言った後、隼人は手拭いを額に巻き付ける。さらに頬被りをして、外に出ていった。
ひとり残された沙羅だったが、大人しく寝ていなかった。ふらつく頭でどうにか立ち上がり、顔に布を巻いて外に出た。
沙羅は、もともと真面目で律儀な性格である。迷惑をかけてしまった隼人のため、今の自分に出来ることをしよう……そう考えたのだ。彼女はふらふらとした足取りで草原に行くと、しゃがみこんだ。
そして手にしたざるに、食べられる野草を摘んでいく。沙羅は、野草に関する知識は豊富である。今は亡き両親に教わったのだ。
熱に浮かされながらも、野草を摘んでいく沙羅。だが、そんな彼女を見ている者がいた。
「おい、女」
背後から、野太い声が聞こえた。沙羅が振り返ると、そこには四人の男が立っている。
うち三人は、先ほど神社で揉めた男たちだった。特に、隼人に叩きのめされた刀傷の男は、怒りを露に沙羅を睨み付けている。
「さっきのちびは、どこに行ったんだ?」
顔を歪めながら、沙羅を怒鳴り付ける刀傷の男。沙羅は、顔をしかめながら後ずさっていった。
「し、知りません」
「とぼけんじゃねえ!」
喚きながら、沙羅を押し倒す男。だが、沙羅は必死でもがいて男を突き放す。さらに、小屋めがけ走りだした。
しかし、他の男たちも彼女に襲いかかってきた。病身の沙羅の逃げ足は遅い。あっという間に追い付かれ、皆で沙羅を押さえつけた。男のひとりが、彼女の顔に巻かれている布を引き剥がす――
「こいつ、南蛮人だぞ!」
「本当か!?」
「女郎部屋に叩き売ってやろうぜ!」
勝手なことを言いながら、男たちは沙羅を担ぎ上げた。悲鳴を上げる沙羅だったが、周囲には誰もいない。したがって、誰も助けに来ない……はずだった。
しかし、そこにふたりの男が乱入する。
「お前ら何やってんだ!」
喚きながら走って来たのは、目明かしの源四郎である。さらに、その後からは中村左内もやって来た。普段のやる気のなさそうな表情が一変し、険しい顔つきで走って来る。
男たちは一瞬、怯むような素振りを見せる。だが、こちらに来る相手が何者であるかに気づくと、安堵の表情を浮かべた。
「なんだよ、あいつ昼行灯の中村じゃねえか」
ひとりの男が、そう言った。左内や源四郎を恐れている様子はない。さらに、その男は進み出ていき、左内の前に立つ。他の三人よりは年上で、恰幅のいい体格だ。どうやら、他の男たちの兄貴分であるらしい。
「あっしは、羅漢寺一家の清治と申します。これはあくまでも、身内同士のちょっとした揉め事でさぁ。お役人さまの手を煩わせるほどのことじゃございません」
言葉そのものは丁寧ではあるが、清治は薄ら笑いを浮かべて左内を睨み付けている。完全に、左内を舐めきっているのだ。
普段の左内なら、知らん顔をして引き上げていただろう。羅漢寺一家のようなやくざ者と関わると、いろいろ厄介なことも多いからだ。
しかし、今日の左内は違っていた。
「羅漢寺一家の清治? 知らねえな。おい源の字、こいつをふん縛っとけ」
その言葉と同時に、左内の手が動いた。彼の十手の一撃が、清治に炸裂する――
十手で首を打たれ、悲鳴と共に倒れる清治。源四郎はすかさず近づき、彼を縛り上げる。他の男たちは唖然とした様子で、左内たちを見ている。
「おい、お前ら。見せ物じゃねえんだよ。さっさと失せろ。それとも、お前らも番屋に行くか?」
左内は凄みの効いた低い声を発しながら、男たちを睨み付ける。その迫力を前に、男たちは逆らうことなど出来るはずがなかった。三人は沙羅を地面に降ろし、一目散に逃げていった。
「おい、お前。しっかりしろ。大丈夫か?」
左内の言葉に、沙羅は弱々しい仕草で頷いた。
「えっ、ええ……大丈夫です。本当に、ありがとうございます」
沙羅は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。だが次の瞬間、地面に崩れ落ちる。地に手を突き、息を荒げながら左内を見上げた。
「す、すみません……」
今にも消え入りそうな声で謝る。すると、左内はうつむいた。思わず舌打ちする。
「おい源四郎、そこの馬鹿を番屋に連れて行け」
源四郎に言うと、左内は沙羅に手を差し出す。
「お前は、今はおとなしくしてろ。俺が用があるのは、男の方だ」
「しかし、こりゃひでえなあ」
掘っ立て小屋を見回し、左内は呟く。中はかろうじて雨風をしのげるものの、外の寒さは防げていない。この環境では、病を治すどころか悪化させてしまうのではないだろうか。
一方、沙羅は横になっていた。一応は、ぼろ切れを布団代わりに掛けているものの……あれでは、大した役には立たない。しかも、夜になればさらに冷えるのだ。
「こりゃ、まいったな」
頭を掻きながら、左内はもう一度周囲を見回す。隼人と沙羅は、このままでは共倒れとなってしまうだろう。まずは、もう少しまともな場所に住まなくては……。
やがて、外から足音が聞こえてきた。直後、隼人が小屋の中に入って来る。
「沙羅、薬を買ってきたぞ……」
隼人の言葉は、そこで止まった。小屋の中で座っている左内と目が合う。
何とも言えない不思議な空気が、両者の間に流れていた。お互い初対面ではない。かといって友人でもない。現に数日前は、殺し合う寸前だったのだ。
だが、敵というわけでもない。左内のくれた一両がなかったら、今ごろはふたりとも飢え死にしていたかもしれないし、また薬も買えなかったのだ。
隼人は不器用な若者である。こんな時、どのような言葉を発すればいいのか分からない。彼は思わず、左内から目を逸らしていた。
その満願神社に最近、奇妙な出で立ちの二人組の大道芸人が出没していた。
顔を白く塗った奇妙な男が、満願神社の入り口に立っている。背は低いが、均整の取れた体つきをしているのは着物ごしにも見てとれる。彼の足元には、錐のような形状の手裏剣が並べられていた。さらに、彼から少し離れた場所には、ざるが置かれている。
そんな白塗りの男から三間(約五・四メートル)ほど離れた場所には、鳥追い笠を被った背の高い女が立っている。汚れの目立つみすぼらしい着物に身を包み、顔に手拭いを巻きつけている。そのため、どんな顔をしているかは観客には見えない。さらに両手で、木製の丸い板を抱えている。
そんなふたりを、離れた場所から物珍しげな表情で見ている十人ほどの観客の中に、目明かしの源四郎の姿もあった。
やがて白塗りの男は、黒い布を自身の頭に巻き付ける。次の瞬間、逆立ちをした。
野次馬たちから、ほう、という感心したような声が上がる。だが、芸はまだ始まったばかりだ。
男は逆立ちの状態で、右手を観客に向かい振って見せる。必然的に、左手のみで体を支えることとなった。にもかかわらず、白塗りの男は逆立ちを続けている。その姿勢のまま、微動だにしていない。
観客から、おお……という声が聞こえた。だが、白塗りの男はなおも動き続ける。地面に並べられていた手裏剣を、右手で拾い上げた。
女も、その動きに反応する。抱えている丸い板を、胸の辺りに突き出した。あたかも、的のようだ。
直後、男は逆立ちのまま女めがけて手裏剣を投げつけた――
手裏剣は、女の持っている板に突き刺さる。
どよめく観客。中には、ざるに小銭を入れる者もいた。
だが、男の動きは止まらない。手裏剣を拾い、投げ続ける……放たれた手裏剣は狙いたがわず、女の持つ板に命中していく。観客からは、感嘆の声すら聞こえてきた。
だが突然、女の姿勢がぐらつく。次の瞬間、前のめりに倒れた――
その途端、男はぴょんと跳ねて立ち上がる。
「沙羅!」
白塗りの男は叫びながら、女に駆け寄って行く。
一方、観客たちは顔を見合わせた。芸はつまらなくはなかったが、こんな形で終わってしまっては話にならない。
「何だ、もう終わりかよ」
「つまんねえな」
「行こ行こ」
口々に言いながら、去っていく。源四郎も立ち去るふりをして、物陰に身を隠す。
そのまま、成り行きを見ていた。
・・・
隼人は倒れている沙羅に駆け寄り、抱き起こした。彼女の額に手を当ててみる。
ひどく熱い。まだ、風邪は治っていないのだ。
「ごめんね、隼人」
顔を歪め、苦しそうに声を発した沙羅。
「謝らなくていい。当分、この仕事は中止だ。まだ金はあるんだしな。さあ、今日は帰ろう」
優しい表情で言うと、隼人は沙羅の手を取り立ち上がらせた。さらに、ざるに入っていた僅かな小銭も拾い上げ、懐に入れる。
だが、そんな隼人に三人組の若者が近づいて行く。着物をだらしなく着崩し、肩をいからせて歩く姿は典型的なごろつきだ。威嚇するような目で、真っ直ぐ隼人たちを見つめている。
「おいおい、あれで終わりなのかよ。客に見せる芸じゃねえな」
三人の中でも特に大柄で頬に刀傷のある若者が、隼人らを見下ろしながら因縁を付けてきた。
隼人は顔をしかめる。今は、騒ぎを起こしたくない。しかし、目の前の若者たちはやる気に満ちている。彼らから見れば、小男の芸人である隼人は、いたぶるには持ってこいの相手なのであろう。
「おい、ちび。お前は俺たちに、場所代を払ってねえよなあ」
言いながら、刀傷の男が隼人を睨み付ける。さらに、自身の顔を近づけていった。鼻と鼻が触れあわんばかりの近い距離で、男は言葉を続ける。
「ほら、場所代をよこしな。でないと、怪我することになるぜ」
「無理だよ。俺たちは文無しなんだから」
努めて冷静な口調で、隼人は答えた。ここで、地元のごろつきと揉め事を起こしたくはない。出来れば、話し合いでこの場を収めたかった。
だが不幸にも、隼人は口下手な男であった。彼の発した言葉は、ごろつきたちの気分を逆撫でしただけであった。
「んだと……おい、ざるん中に金が入ってただろうが。俺はちゃんと見てたんだよ。あの金を全部よこせば、今日のところは勘弁してやる。さあ、よこせ」
鋭い声を発しながら、隼人の襟首を掴む刀傷の男。どうやら、争いは避けられないらしい。隼人は顔をしかめながら、沙羅の方を向いた。
「沙羅、逃げろ」
言うと同時に、隼人は動いた――
次の瞬間、男の顔に新たな切り傷が生じる。隼人の速く鋭い右の肘打ちが、男の顔面を切り裂いたのだ。
だが、隼人の動きは止まらない。さらに、腹めがけ当て身を叩き込む。同時にみぞおちへ前蹴りを食らわし、間合いを突き放す。
すると、男は呆気なく倒れた。腹を押さえ、うめき声を上げている。先ほどまでの、居丈高な態度が嘘のようだ。
一方、隼人は他の男たちを睨み付ける。すると、男たちは愛想笑いを浮かべて後ずさる。
「お、おい。冗談だよ。俺たちはやらねえから」
震える声を出しながら、男たちは下がっていく。隼人の強さを理解したのだ。
「俺も、あんたらと揉める気はない。あんたらが何もしなければ、俺は手を出さない」
涼しい表情で言い放ち、隼人は目線を倒れている男へと向ける。
「そいつを連れて、さっさと引き上げてくれないか」
男たちが去って行ったのを確認した後、隼人は荷物をまとめる。そして、沙羅に声をかけた。
「沙羅、大丈夫か。歩けるか?」
「うん。歩くくらいなら、何とか……」
そう言って、沙羅は立ち上がった。
隼人と沙羅は、並んで歩いていく。沙羅は背が高い女だ。隼人より、頭ひとつ分高い。そんな彼女を横から支えながら、隼人は歩き続けた。
やがてふたりは、河原に作られた掘っ立て小屋にたどり着く。そこらに捨てられていた木材や布切れなどで作った、急ごしらえの住居である。雨風は何とか防げるものの、もし台風に襲われては、ひとたまりも無いだろう。
そんな粗末な小屋の中に、隼人と沙羅は入っていった。
「熱は大丈夫か」
言いながら、隼人は沙羅の額に触れる。沙羅の顔に巻かれていた布は解かれ、彼女の顔が露になっている。
高い鼻、彫りの深い顔立ち、白い肌、そして青い瞳……南蛮人に特有の容貌である。事実、沙羅は南蛮人なのだ。
沙羅の隣にいる隼人も、今は白塗りの化粧を落としている。こちらは若さと、野生味とを感じさせる顔立ちだ。もっとも、その額には三日月型の奇妙な刺青が彫られているが。
「沙羅、町へ行って薬を買ってくる。しばらく寝ていろ」
「待って……大丈夫。あたしなら、大丈夫だから。薬なんか、買わなくていい。お金がもったいないよ」
そう言って、沙羅は体を起こす。だが、隼人は険しい表情で首を振った。
「大丈夫じゃないだろうが。お前はしばらく寝てろ。金など、お前の命には替えられない」
強い口調で言った後、隼人は手拭いを額に巻き付ける。さらに頬被りをして、外に出ていった。
ひとり残された沙羅だったが、大人しく寝ていなかった。ふらつく頭でどうにか立ち上がり、顔に布を巻いて外に出た。
沙羅は、もともと真面目で律儀な性格である。迷惑をかけてしまった隼人のため、今の自分に出来ることをしよう……そう考えたのだ。彼女はふらふらとした足取りで草原に行くと、しゃがみこんだ。
そして手にしたざるに、食べられる野草を摘んでいく。沙羅は、野草に関する知識は豊富である。今は亡き両親に教わったのだ。
熱に浮かされながらも、野草を摘んでいく沙羅。だが、そんな彼女を見ている者がいた。
「おい、女」
背後から、野太い声が聞こえた。沙羅が振り返ると、そこには四人の男が立っている。
うち三人は、先ほど神社で揉めた男たちだった。特に、隼人に叩きのめされた刀傷の男は、怒りを露に沙羅を睨み付けている。
「さっきのちびは、どこに行ったんだ?」
顔を歪めながら、沙羅を怒鳴り付ける刀傷の男。沙羅は、顔をしかめながら後ずさっていった。
「し、知りません」
「とぼけんじゃねえ!」
喚きながら、沙羅を押し倒す男。だが、沙羅は必死でもがいて男を突き放す。さらに、小屋めがけ走りだした。
しかし、他の男たちも彼女に襲いかかってきた。病身の沙羅の逃げ足は遅い。あっという間に追い付かれ、皆で沙羅を押さえつけた。男のひとりが、彼女の顔に巻かれている布を引き剥がす――
「こいつ、南蛮人だぞ!」
「本当か!?」
「女郎部屋に叩き売ってやろうぜ!」
勝手なことを言いながら、男たちは沙羅を担ぎ上げた。悲鳴を上げる沙羅だったが、周囲には誰もいない。したがって、誰も助けに来ない……はずだった。
しかし、そこにふたりの男が乱入する。
「お前ら何やってんだ!」
喚きながら走って来たのは、目明かしの源四郎である。さらに、その後からは中村左内もやって来た。普段のやる気のなさそうな表情が一変し、険しい顔つきで走って来る。
男たちは一瞬、怯むような素振りを見せる。だが、こちらに来る相手が何者であるかに気づくと、安堵の表情を浮かべた。
「なんだよ、あいつ昼行灯の中村じゃねえか」
ひとりの男が、そう言った。左内や源四郎を恐れている様子はない。さらに、その男は進み出ていき、左内の前に立つ。他の三人よりは年上で、恰幅のいい体格だ。どうやら、他の男たちの兄貴分であるらしい。
「あっしは、羅漢寺一家の清治と申します。これはあくまでも、身内同士のちょっとした揉め事でさぁ。お役人さまの手を煩わせるほどのことじゃございません」
言葉そのものは丁寧ではあるが、清治は薄ら笑いを浮かべて左内を睨み付けている。完全に、左内を舐めきっているのだ。
普段の左内なら、知らん顔をして引き上げていただろう。羅漢寺一家のようなやくざ者と関わると、いろいろ厄介なことも多いからだ。
しかし、今日の左内は違っていた。
「羅漢寺一家の清治? 知らねえな。おい源の字、こいつをふん縛っとけ」
その言葉と同時に、左内の手が動いた。彼の十手の一撃が、清治に炸裂する――
十手で首を打たれ、悲鳴と共に倒れる清治。源四郎はすかさず近づき、彼を縛り上げる。他の男たちは唖然とした様子で、左内たちを見ている。
「おい、お前ら。見せ物じゃねえんだよ。さっさと失せろ。それとも、お前らも番屋に行くか?」
左内は凄みの効いた低い声を発しながら、男たちを睨み付ける。その迫力を前に、男たちは逆らうことなど出来るはずがなかった。三人は沙羅を地面に降ろし、一目散に逃げていった。
「おい、お前。しっかりしろ。大丈夫か?」
左内の言葉に、沙羅は弱々しい仕草で頷いた。
「えっ、ええ……大丈夫です。本当に、ありがとうございます」
沙羅は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。だが次の瞬間、地面に崩れ落ちる。地に手を突き、息を荒げながら左内を見上げた。
「す、すみません……」
今にも消え入りそうな声で謝る。すると、左内はうつむいた。思わず舌打ちする。
「おい源四郎、そこの馬鹿を番屋に連れて行け」
源四郎に言うと、左内は沙羅に手を差し出す。
「お前は、今はおとなしくしてろ。俺が用があるのは、男の方だ」
「しかし、こりゃひでえなあ」
掘っ立て小屋を見回し、左内は呟く。中はかろうじて雨風をしのげるものの、外の寒さは防げていない。この環境では、病を治すどころか悪化させてしまうのではないだろうか。
一方、沙羅は横になっていた。一応は、ぼろ切れを布団代わりに掛けているものの……あれでは、大した役には立たない。しかも、夜になればさらに冷えるのだ。
「こりゃ、まいったな」
頭を掻きながら、左内はもう一度周囲を見回す。隼人と沙羅は、このままでは共倒れとなってしまうだろう。まずは、もう少しまともな場所に住まなくては……。
やがて、外から足音が聞こえてきた。直後、隼人が小屋の中に入って来る。
「沙羅、薬を買ってきたぞ……」
隼人の言葉は、そこで止まった。小屋の中で座っている左内と目が合う。
何とも言えない不思議な空気が、両者の間に流れていた。お互い初対面ではない。かといって友人でもない。現に数日前は、殺し合う寸前だったのだ。
だが、敵というわけでもない。左内のくれた一両がなかったら、今ごろはふたりとも飢え死にしていたかもしれないし、また薬も買えなかったのだ。
隼人は不器用な若者である。こんな時、どのような言葉を発すればいいのか分からない。彼は思わず、左内から目を逸らしていた。
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